その頃、まともじゃない人たち
アグリコラ要塞内王国水軍本部。
いまだ古竜来訪という凶報が伝わっておらず、穏やかな静かな時間――。
ウィロウ元帥以下、提督と参謀たちが集まって会食をしていた。
「ところで、あのゴーレムの子たちとカタラン卿はいつくるんじゃ?」
水軍司令部の面々がオードブルに手を付けた時、ウィロウ元帥の何気ない発言が居並ぶ提督や参謀たちに冷や水を浴びせた。
「……え? な、なにをおっしゃられておいでなのですか?」
居並ぶ提督のうち1人が、フォークを震わせてながら尋ねた?
「え? あやつらも一緒の食事するんではなかったのか?」
「あ、いえ、閣下の計らいで彼らは――」
提督はそこまで言ってから、おのれが勘違いしていたという可能性に思い当たり口をつぐむ。
「わしはカタラン卿の娘とポリヘドラ卿のせがれと一緒に食べたいなー、と言ったろ? あのヨーファイネとゆー子はボンにぐにゃと可愛いし、ここにぽんとおいたらアップな感じじゃろ? それに、ゼルガラ? バラバラ? ……ザラ? ザルガラという子の作ったゴーレムはわしの心にガツンっと良いから、いろいろ話聞きたかったし」
言ってねぇよっ!!
提督たちも参謀たちも、ウィロウ元帥のふわふした訂正を聞いて何を言っているだといら立ちを隠せないでいた。
そしてやってしまったと臍を噛む。
「またか……」
「……なあ、そういう意味だったか?」
「もっと短いセンテンツだったからな……」
「お膳立てしてしまったぞ」
「てっきり南部介入する気かと……」
「同時期にあの子たちを呼ぶしな」
「誰だよ……ゼルガラって」
ひそひそと……いや、もはやざわざわと隣りの者と、困ったものだとささやき合う。
「おうおう、このかぼちゃスープの柔らかいところが、好きなんじゃー」
固いスープがあるのだろうか?
困惑する提督たちなど意に介さず、給仕の置いたスープに飛びつくウィロウ元帥。
彼の言うことはふわふわしている。かぼちゃが生では硬いから、反してスープを柔らかいと表現しているのだろう。
そういう元帥のふわふわした発言を、居並ぶ提督たちは思い出す。
ザルガラたちのゴーレムを見たあと、彼は――。
「カタラン卿の娘とポリヘドラ卿のせがれが、一緒になればよいのー」
と、発言していた。
現在のウィロウ元帥の発言を元に、注釈を入れるならば――
「カタラン卿の娘とポリヘドラ卿のせがれが、『今日の会食でわしと』一緒に(これは自分と同席という意味)なればよいのー」
という意味だったと気が付き、みなスープを飲みながら内心では頭を抱えていた。
カタラン卿は辺境伯という立場上、領内においてはさまざまな特権を持ち、それを王家が公式非公式追認公認と、もろもろとにかく認めている。そこに不正規だが介入できる糸口を水軍は探していた。
水軍がいかに強大だろうと、権限はやはり軍のそれである。議会に議席も持つが、影響力は士族系貴族のそれにはかなわない。
中央にかかわれないならば、共和国に陸地を接する地方に影響力を――と、思う勢力が生まれるのも当然とも言えた。
ザルガラがどのような才能ある子供であろうと、子供はこどもである。政治的に付け入る隙は大きくなると踏んで、ものは試しと、一部の提督と参謀たちがウィロウ元帥の言質を取ったつもりで行動した。
反対していた提督は、「それみたことか」と勝手なことをした同僚を睨みつけている。
会食の場は微妙な空気になったが、これまたウィロウ元帥は意に介することなくスープ皿を直接口につけ、あおって音を立てつつフリーダムに飲んでいる。
「た、大変です! 閣下!」
そんな会食の場へ、情報部付きのリザードマン士官がノックも無しに、バンッと扉を開け放って飛び込んできた。
護衛の兵と下座にいる参謀は身構える中、後方任務の多い上級軍人たちは、突然の事態に慌てることなく誰もが自然な仕草で身を正した。一見、平静を保っているが、みな隙がない。
「こぼしてもうたー。代わりの持ってきて」
ウィロウ元帥を除いて。
首の汚れたナプキンをそのままに、皿を給仕に差し出すウィロウ元帥。大物である。
「なにごとだ!」
「もうしわけありません! き、緊急の魔伝です!」
人種的に老若男女、誰もがみな冷静なリザードマン――、しかも訓練された軍人であり、情報部付き将校が慌てるなど異常というほかない。
いつものように公式には休戦中だからと宣戦布告もなく、共和国が攻めてきたのかと緊張が走る。
「おー、これはなべ底のスープじゃな? ドロッとごくごくんとしたのがいいのー」
「古竜が西より飛来! 哨戒艇と第2艦隊を跳び越えて【ぬけがらの遺産】を占拠いたしました!」
「な、なんだとっ! それは本当か?」
「本当じゃよ、なべ底のスープはうまいぞ」
「間違いではないか確認――している時間はないな! すぐに付近の艦船を向かわせろ! 誤認であってもかまわん! 警戒を最大にあげろ!」
「各部署に、いやまずは王都に連絡を!」
「準待機の部隊を集めろ! 休暇のやつらもかまわん、呼べ!」
にわかに慌ただしくなる司令部会食場。1人、呑気だがそれを無視して指示が飛び交う。副参謀や護衛の兵が伝達のために飛び出していく。
会食途中のリザードマン提督も、頭飾りをひっつかんで自分の艦へと急いだ。
コン、コン、コン、コン――。
「入れ」
「――失礼いたします!」
飛び出していく士官と提督たちと入れ替わるように、ちゃんと四回のノックをしてしっかりと招かれてから下士官の連絡兵が入室した。
「火急の報告です!」
「古竜か? それは聞いた!」
提督の1人が苛立たしげに、飛び込んできた連絡兵を怒鳴る。
「せ、僭越ながら、別件です!」
圧倒されがらも連絡兵は職務を果たす。
報告を聞いて、その場にいた誰もが言葉を失った。
「……ゾンビの襲撃。しかも……呪い付き?」
残っていた提督と参謀たちは、茫然と立ち尽くす。優秀だが、優秀ゆえに事実なら許容しがたく対応が難しいと判断できたからだ。
中央の古竜と北の呪い付きゾンビ。同時に対応するにはいささか難度が高すぎた。
もうだれもスープが冷めるなどと気にしない。
だれも注視していなかった者が口を開いた。
「ぷはぁー。湖北面にいる艦船は、そっちに回してもかまわんじゃろ」
スープを飲み終えたウィロウ元帥が、食後の飲み物を別の物に変えろというように言ってみせた。
「だって、古竜は【ぬけがらの遺産】に降り立ってるだけなんじゃろ? そこが目的地なら別になにもしてないだろうし、みんな引き上げてもかまわんのでは?」
「そ、それはそうですが……」
海軍と違い水軍は艦船と戦うことを想定して編成されている。それ以外はせいぜい飛竜対策までで、外洋の怪物や巨大な竜に対応は考えられていない。
古竜相手にし、ただでさえ手段の少ない軍勢で、その手勢を減らすとは下策に思えた。
「なら、かまわんじゃろ? まずは北の民の安全が先じゃろー」
困惑する参謀たち。行動に移せない提督たち。
彼らは顔を突き合わせて相談を始めた。
たしかに元帥が言うように、「古竜が飛んできて、島に降りただけ」という状況だ。しかし、飛んできただけという状況がいつ崩れるかわからない。
参謀たちはいくつかのプランを出し、提督たちは顔を見合わせ――いや、互いの顔色を伺った。
いざとなれば責任は元帥にある。
元帥はすべて引き上げるといったが、さすがにそこまでする必要はないだろう。即応できて連携できる範囲の艦船を残す。
それと対策のない古竜に対峙するよりは、呪い付きとはいえ対策できる北のゾンビを相手にしたほうがマシだと、提督たちは指示に従うことにした。
* * *
その頃、北の港町の要塞を改装した宿内は修羅場とかしていた。
ドアと窓をテーブルや椅子で塞ぎ、少ない人数で立てこもっていた。
要塞を改装したため飾りとした古い武器が幸いも大量にあるが、戦える者は少ない。人が敵に――ゾンビになるかもしれない状況では、人が多いということは恐怖にしかならない。
「はやく逃げ出せばよかったんだ! もう逃げ場がないぞ!」
「外の奴らが中に入れろと……」
「バ、バカ野郎! ゾゾ、ゾンビになるかもしれないだろ! 入れるな! 絶対に、入れるな!」
宿の主人が強面で従業員を怒鳴りつける。その声は恐怖で震えて、情けない擦れ声になっていた。
入れてくれとドアを叩く音が、時間がたつにつれて悲壮に、大きくなっていく。
声と音が怖い。誰もが恐怖で浮ついて落ち着かないでいた。
そんな騒然とする宿の一階で、1人端然と立つ美形の騎士がいた。
正確には受勲していないので、姿格好だけの騎士子息に過ぎないが。
彼は騎士の家系でありながら、魔法の才能は高かった。ずば抜けているわけではないが、数人なら飛んで逃げることも可能なほどの実力だ。
戦うのは無理でも逃げられる。
その名はステファン。
エンディアンネス魔法学園を中退した、いろいろと見かけ倒しで残念な彼である。
「お前たち、その荷物を――」
ステファン・ハウスドルフは、荷物を置いて逃げようという意味で言ったのだが、あまりにのんびりした発言であったため、聞いた者は早合点してしまった。
「っ! そ、そうか! これがあれば!」
押しかけ従者のボストたちは、自分たちが抱えていた邪魔な荷物の中身を思いだし、ステファンの発言を広義解釈した。
ザルガラから押し付けられた大量の余り物。それはゾンビ化の呪いを防ぎ、治療する数々の薬だ。中には浴びせるだけで効果のある薬もある。
「わかりました! 外の人たちにこれを使うんですね!」
「よし、すぐに呼ぼう! 逃げ込んでいる人にも念のため飲ませておきますね! なーに、これだけあれば100人でも大丈夫ですよ」
「長い間立てこもるなら不利ですが、数があれば撃退も楽です! 宿の人にも協力を求めますね!」
ボストたちは勝手に判断して、固まるステファンを差し置いて行動に移った。
「い、いや……違……」
否定しようにも、ボストたちが薬の説明を終えてしまったので、宿のオヤジや従業員の歓声にかき消されてしまった。
「呪いにかからないなら、ゾンビなんて怖くないぞ!」
「まずは立てこもって数を減らしつつ逃走路を探し出そう! 武器ならたんまりある!」
いかに手入れ不足の飾り武器でも、昔は実戦で使われた頑丈なものだ。
使い捨てるつもりなら、この一戦中は持つだろう。
救出には逡巡した宿の人たちだったが、最後はボストたちの提案を受け入れて、まずは薬を外に配ることを認めた。
効果はすぐさま現れた。
ゾンビ化しかけていた数人が回復すると、ステファン一行以外の宿泊客たちと宿の従業員たちは、ここに立てこもる算段を始めた。
呪いに対抗できるならば、逃げる必要はない。
要塞染みた宿に立てこもっていれば、いつか救出の水軍がくるだろう。そんな希望的な願望が場を支配し始めた。
立てこもるために多少の人員はいるが、それは外の人間を招き入れればなんとかなるだろう。
そう判断した宿の主人は、先ほどとは打って変わって避難民たちを宿に招き入れる。そして戦うことを避難民に強要するが、意外にもその要求は快諾された。
もともと共和国に近い港である。いざとなれば戦う気概があった。
今まで弱腰であった理由は、単にゾンビ化の呪いへの対抗策がなかったからだ。
「もう何も怖くない!」
そんなことをまで言い出して武器を取る町娘すらいた。
情勢が一気に変わるこの光景を黙って見ていたステファンは、内心かなり安堵していた。
町を守るのは、町の人たち。そんな構図を見て、これで自分が戦うようなことにはならないだろうと思いつつ、薬を飲み干した。
「ゴミ箱は……」
ステファンは飲み薬の瓶を捨てるため、ゴミ箱はないかと探す。これから戦いが始まるのに、ガラス瓶をそこらに置いては危険だ。
そんなお上品にゴミ箱を探すステファンの足元には、町の住人が飲み干して下品にも投げ捨てられたガラス瓶があった。
「……っ!」
間抜けにも、ステファンはそのガラス瓶を踏んでしまい、仰向けになって天井を仰いだ。
その瞬間っ!!
轟音とともに頑丈な宿の壁を突き破り、何かが回転しながら飛び込んできた。
「うわ、なんだっ!」
「きゃーっ!!」
壁が破壊され、騒然となる町の住人たち。
転んで天井を仰ぐステファンの眼前を、宿の壁を叩き壊した回転する十字の何かが轟音を立てて通過していく。
その十字の何かには、1人の男が括りつけられており、転んで天井を見ていたステファンと目があった。
充血し爛々とする十字の男――。その相貌を見てステファンは戦慄した。
直後、カウンターの壁に突き刺さる十字の何か。
それに張り付けにされた男が、十字の下からステファンを睨みつける。
「進攻が進まない場所にテコ入れしようときてみれば……」
まるで犯罪者が架刑となったかのような姿の男は、十字の魔具に架けれたままで周囲の壁を壊して立つ。
あまりに常軌を逸した光景に、避難民と宿の住人は驚き立ち尽くす。
そんな中でステファンだけがただ1人、偶然転んで、偶然攻撃を躱し、偶然身体を横にひねり、偶然ちょっとかっこいい姿でバランスを取って、偶然左手の盾を十字の男を警戒するように突きだしていた。
その姿は、奇襲を察して躱し、敵の攻撃に即応する騎士のそれであった。
「その鎧、その顔……。憶えているぞ!」
十字架が壁から抜き出て、床の上を側転してステファンと対峙する。
一段高い位置から、十字の男は怨嗟に満ちた眼でステファンを睨みつけた。
「お前は、私をこんな身体にしたヤツの身内だな?」
待ってくれ――。
違うと手を振るつもりで、ステファンは手をかざした。
その瞬間、かざした手に衝撃が走る。
腕が弾かれ、肩が回ってバランスを崩す。
「不意打ちを防ぐとは――」
よろめいて膝をつきながらも盾をかざして防御に移るステファンを見て、いら立たしく舌打ちをする十字架の男。
待ってくれと手をかざした際に、腕の手甲へ不意打ちの魔力弾が当たり、上方へと逸らしたのだ。狙ってやったわけではない。
偶然だ。
投影魔法陣を使えないステファンだが、鎧は一級品の魔具である。鎧の質も高く魔力弾を弾くには充分すぎる性能を持つ。
この鎧がなければ、手で魔力弾を払ったとしても、ショックで気をうしなっていたことだろう。
「す、すげぇ――」
「と、飛び道具を手で払うなんて――」
見ていたボストや町の人々は、事情も知らずステファンの技を称賛した。
「それだけの手練れとなると、やはりあの騎士の子だな!」
早合点してステファンの実力を認める十字架の男。闖入者に恐怖しながらも、その言葉を聞いて町の住人たちは、にわかに盛り上がる。
羨望と期待を背に受け、ステファンは無言で動揺して周囲を見回す。が、その様子は周囲の人たちの安全を気にしているかのように見えた。
この様子を見止め、十字架の男はなるほどとうなずく。
「この状況で他人を気に掛けるか……。なるほど、やはりあの騎士の一族らしいな……。よし、私も末席とはいえ貴族っ! さきほどの度重なる不意打ちを詫びよう! 我が名はディヴイ・ディッドヴァイタイム! 共和国で有氏族を賜っている。この名にかけて一騎打ちを挑もう! 貴様が勝てば、このゾンビたちは撤退させてやる!」
「……?」
ステファンは事態が理解できず、眉をひそめて視線を横に向けた。その先には宿の壁……いや、いまは穴が開いて夜の街が覗いて見えていた。
「街が心配か? ならばこの私を早く倒すことだな」
「……どうしてこうなった」
ステファンのその独り言は、まるで悔恨の言葉に聞こえた。
助けられなかった町の人々を思い、漏れた言葉のように――。
実際は「どうしてこんな不幸に巻き込まれ、こんな十字男と一騎打ちをさせられるんだ」という嘆きなのだが――。