以心伝心
「見慣れた赤と青の月……。それにすっかり新鮮味のなくなった【ぬけがらの遺産】だが、こうして金色の古竜を加えてみるとなかなか楽しみなモンだぜ」
「風流ですねぇ」
オレの感想にアザナが同意してくれた。
すり鉢に一本かぎ爪が伸びたような島、エンプディ・シェル上空を周回する古竜は咆哮を1つ上げた。
誰かを呼ぶような咆哮がオレたちの身体を叩く。
「おー、すっげーな。これ間近で喰らったら帽子くらい飛ぶな」
「カツラの人とか危ないですね」
「っ! ……」
思わずぐりんと首を回してアザナの横顔を驚愕の表情で見る。
「え? なんですか、先輩? 怖い顔して……」
「いや何でもない」
……そうか。カツラで戦闘って社会的に危なそうだな。モルガン局長みたいに隠さないのは実用重視か。
万が一、そんなことはないとおもうが、仮にもしもそうなったら、カツラのまま戦闘とかは避けよう。
咆哮を繰り返してした古竜は、やがてかぎ爪の岩を潜るよう飛んで島へと舞い降りた。
すり鉢状態の島の中心付近に降りたにも関わらず、その巨体がまだ半分見えることから、その大きさが伺いしれる。
「デケーな!」
「すげーな!」
オレとアザナは古竜の巨躯を確認してテンション上がる。
「な、ななな……なにをこんなときにおっしゃってるんですかぁ?」
生まれたての小鹿みたいになってるフモセが、律儀にツッコミを入れてきた。
まあ分からんでもない。
古竜といえば、一族すべてが古来種の支配を受けなかった唯一の種族である。
大陸を西から東に3日で飛び、炎の吐息は城塞を吹き飛ばし、尾の一撃で城壁を破壊するという個体としては最強の生物だ。
オレからしたら上位種より肉体的にちょっと強いくらいにしか思えない存在だ。しかし人間はしょせんは中位種止まりであると考えれば、人類にとっては充分な脅威……。
…………あれ?
そんな脅威の古竜来訪って記憶がオレに無い?
こんな事件があったら、さすがに世間は大騒ぎになって覚えてるはずだぞ?
と、いうことは前回の人生でこんな事件はなかったはずだ。
どういうことだ?
なんらかの理由で歴史が変わったのか?
急に顔色が変わったので、アザナが心配してオレの顔を覗きこむ。
「どうしたんですか? 先輩?」
「あ、いや……」
よく分からないことなので、説明する言葉が浮かばない。
むう……と自然と唸ったオレは適当に理由を上げる。
「その……冷静になったら、この船の状況がヤバいな、と」
「言われて見ればそうですね。すっかり忘れてました」
誤魔化すつもりで言ったのだが、見回せばデッキはひどい有様だった。
後ろではフモセが顔面蒼白になっているのに、放置するとはひどいヤツだなアザナ。蒼白になっているのはヨーヨーもだが、こいつはまあいいや。
他の乗客もひどいもんだ。腰を抜かしたり呆然と古竜を見上げているヤツはいい方で、失神しているご婦人やらひきつけを起こしている子供やらいる。
さっきまでご婦人方から熱い視線を受けていた旧帝国水兵スタイルの乗務員など、がたがた震えて何の役にもたっていない。
そんな役立たずの偽水兵さんに変わって、裏方に回っていたリザードマンたちがデッキや客室区域に姿を現した。
彼らは予備役か退役軍人だろう。
てきぱきと動いて動けない客たちに手を貸したり、周辺警戒などにあたり始めた。
しかし古竜が現れた直後にリザードマンの姿を見て取り乱す乗客もいた。そういった相手には偽水兵さんとは別の水兵スタイルの人間乗員が対応にあたって騒ぎの収めている。
一般乗客は彼らに任せていたほうが良さそうだ。
状況確認をひと段落終え、ここでオレはあることに気が付いた。
「あ、いけね。カタラン卿を見失った」
「……あ。まあ、ちょっと混乱してましたから」
先ほどまで彼らはデッキの隅にいたのだがリザードマンの乗員が出てきたあたりで、乗客が移動し始めて見失ってしまった。
なお、古竜に見とれていたオレの落ち度は断固として認めない。
「それに古竜に見とれてましたからね、ボクもザルガラ先輩も」
「このやろう……オレが内心、そっと棚上げした落ち度を……」
素直に非を認めるアザナに巻き込まれた。
小さいことだが落ち度のあるオレたちは、カタラン伯を始めとする学友たちとローイを探す。
今のカタランは役に立ちそうにないしな。
カタラン伯がいつものようにでっかい肉厚状態なら見つけやすいのだが、いまは萎んで背筋も曲がっているので人込みに隠れている。
ワイルデューは横幅はともかく背が低い樽形状だし、テューキーもローイの2人だってもちろん小さい。
となると大きさで目立つのはマトロ女史なのだが……、あの先生地味だからなぁ。
フモセとヨーヨーは避難誘導に同行させた。彼女たちも役立たずになってるし、連れて行かないほうがいいだろう。
カタラン伯たちを探している最中、デッキに出てくる母娘に目を惹かれた。
そろって人込みの中でも映える金髪。美しさとかそういうもんを、顔にも姿にも立ち振る舞いにもあふれさせた2人だ。
あれは……変わった名前の母娘か。オティウムと……えっとたしかエト……エトランゼ? ちがうな。
そうだ、エト・インだったかな。
客室から出てきたその母娘はデッキの端に向かうつもりらしい。しかし人並みに呑まれて動きが取れないでいる。
「あっ! いました!」
背後でアザナが声を上げた。
どうやらカタラン伯たちを見つけたようだ。
意外な事にテューキーは元気一杯で、ワイルデューが難しい顔しながらカタラン伯に肩を貸している。ペランドーは狼狽えてはいるが、興奮半分といったところだ。
ローイは……もう死人のように青ざめている。この子、まだ普通の子なのにちょっと苦難あり過ぎ。強くなれよ。
「もうしわけない……。こんな醜態を晒して」
カタラン伯が子供たちの世話になっていること恥じ、先んじて自分を責めるようなことを言ってみせた。
――それはよろしいですから。という言葉も言えず、オレは不満で歪む顔を隠さずカタラン伯に肩を貸した。
顔芸は得意なんだけど、腹芸は好きじゃないんでね。思った事がすぐに顔に出ちまう。
カタラン伯たちと合流したオレたちは、乗員の案内を受けて船内の奥へと向かった。
そこは大きな広間で、ちょっとした式典でもできそうな部屋だった。何重もの隔壁の中心にある装甲で守られた場所で、改装された場合はなんらかの重要区画になるのだろう。
避難した乗客たちは、装甲と隔壁に守られたこの場所で一応は落ち着きを取り戻していた。
もっともそれは古竜が見えない、という理由が大きいのだろうが。
「護衛の艦船を一隻残しますが、直ちに当艦はこの場所より離脱いたします。なお未確認の飛行体を刺激しないため、デッキと廊下ならびに客室は最低限の点灯とします。通路は暗くなるため、みなさまは不用意に出歩かないようお願いいたします。現在、未確認飛行体はこちらに注意を向けておりません! ご安心ください!」
フロアの責任者らしき男性が拡声魔具を使い、広間の壇上で状況を説明した。
古竜という言葉を使わないのは、少しでも乗客を安心させるための配慮だろう。
乗客たちも多少は落ち着きをとりもどし始め、各々が家族や座る場所を探し始めていた。
そんな人たちの間から、ヨーヨーとフモセが飛び出してきた。
「お父様!」
「心配をかけたな……」
不安だったのだろう。ヨーヨーはカタラン伯に駆け寄って、自分の身を預けながらも父親の身体を支える。
ヨーヨーが初めて年頃の女の子に見え――。
「お父様と呼ばずに男性の胸に飛び込んだら、周囲の人たちからなんと思われるでしょうか? はぁはぁ……」
気のせいだった。
ヨーヨーはヨーヨーだった。
「どうやったらそこまで想像力を飛ばせるんだよ。オマエの脳みそは、発射台に据えられてゴムとバネと羽と翼と圧縮水蒸気で吹っ飛ぶようにできてんのか?」
オレは呆れながらいちゃもんつけながら、モジャモジャ頭の乗員の持ってきた水を受け取り一気にあおり飲む。
――ッ! 冷たい水がオレを冷静にさせた。
「あー、つっても別にだれかへ迷惑かけてるってわけでもないし、それをとやかく言う必要もオレが気にする必要もねぇんだよな」
そうだよ!
ヨーヨーの発言にいちいち頭を悩ませる必要はない。家族でもないし、許嫁ってわけでもない相手だ。
今までも無視しておけばよかった。
「そ、そうですよ! そうですよね? それでいいんです、先輩!」
なんで嬉しそうなん? アザナ。
よくわからんけど、オレがヨーヨーの妄想を気にしない宣言をしたらアザナが3段階笑顔を披露してくれた。徐々に明るくなる笑顔って、なかなかお目にかかれないな。
「失礼、ザルガラ・ポリヘドラ様とお見受けします」
オレに水を渡した船員が、腰を折ってひそひそと確認を取って来た。
冷めたオレの頭が醒める。
このモジャモジャ頭……、どこかで……。
いぶかしがるオレから視線を逸らし、モジャモジャ頭はアザナに声をかける。
「そちらはアザナ・ソーハ様で間違いないありませんか?」
「はい、そうです」
怪しいモジャモジャ乗員の質問に、屈託なく答えるアザナ。
オレたちの身元を分かったうえで尋ねてきたように思えるモジャモジャ男の態度だ。
「この度の古竜の件にて、お2人にお知らせしたいことがございます」
退治の協力でもしろってか?
――って、ことはないだろう。
客船とはいえ、この船は水軍紐付き。そんな船の乗員が、貴族とはいえガキのオレたちに力を貸してくれなんて、口が裂けても言えないだろう。
今頃、軍艦がこっちに向かってるだろうし、この船は離脱中。オレやアザナの出番はない。
この船にはカタラン伯を始め、有力な貴族たちがいるはずだ。それらを飛ばしてオレたちに話を持ってくる理由……。
ちょっと思いつかないな。
「面白そうだから話を聞きにいこうぜ、アザナ」
軽い気持ちで同意を求めると、アザナは嬉しそうな顔をしながらも迷うような目を周囲に巡らせた。
「ボクたち2人だけにお話ですか?」
「いえ……ですが、できれば同行者は少なめにお願いいたします」
問われたモジャモジャ頭は伏せ目で答える。
アザナは心配そうなフモセに目配せした。フモセは逡巡したのち、ワイルデューやテューキーたちを見て分かりましたとうなずいた。
フモセはただの付き人ながら、力の弱い者たちを守る任をアザナに託されて残るつもりだ。
今のカタラン伯は言うに及ばず、ワイルデューは魔具の職人候補だし、テューキーは魔法の才能こそあれど実戦経験がない。ヨーヨーも同様だ。ローイは論外。マトロ女史は実力あれど学者気質だ。
フモセはアザナの元で戦闘経験がある。護衛が任せられる。
いいな。目配せ1つで、以心伝心できる仲間って……。
よし、オレも。
「ペランドー」
「え? なに」
「ちょっとこの乗員に呼ばれて用があってな。後は任せた」
ペランドーとて【黒と霧の城】で実戦経験がある。しかも、実戦で本領を発揮するタイプだ。
こいつなら任せられる。オレの友人だしな。
ペランドーはどういうことかと目をぱちくりさせたあと、周囲を見回し――。
「うん、わかった。夕食が出たらザルガラくんの分を確保しておくよ」
うん、わかってないね。
キミ、リザードマンの乗員たちが配り始めた暖かい糧食とお茶を見て言ったね?
ちくしょう、目配せ1つで通じたアザナとフモセが羨ましいっ!