フォルス・ウィロウ
「カイタル・カタラン伯が、元帥に会ってる?」
アグリコラ観光と買い物を終えて宿に戻り一休みした夕方、特別に用意された談話室でオレとアザナは意外なことをマトロ女史から聞かされた。
談話室にはこの3人しかいない。ありていに言えば、一行の中で貴族の血が流れる者だけが集まっている。
ディータもいるが数に入れてもややこしいので外す。あとタルピーはシャンデリアの上で蝋燭の上を渡り歩いているので、数に入れなくていいだろう。
「そうですか。今日、元帥閣下はカタラン卿と会っていたんですか。ヨーファイネさんも一緒だったのかな?」
「いらっしゃったようですね。なんでも先日の辺境戦で、水軍の力も借りたとか。その挨拶に元帥閣下とお会いされている最中だそうです」
「誰からそんな話を聞いたんだ?」
マトロ女史はお世辞にも貴族社会や軍社会に詳しい類いの人間ではない。率先して調べることもないし、そちら方面に鼻が利くわけでもない。
不思議に思って訊ねると、意外な答えが返ってくる。
「日程を確認していたら、士官の方が教えてくれました。カタラン卿の娘が私の教え子と知ってるようだったので、ヨーファイネさんとも会ったのかしら」
機密ってほどじゃないだろうが口が軽いなぁ、その士官。
「あのカイタル卿が領地を開けてまで、わざわざ出向いて礼をいう相手か。礼状や代礼ですまないとなると、まだなにか理由があるのかもな」
腕を組み、ソファの背もたれに身体を預けてもっとも高い可能性の1つを言ってみる。
「……ヨーヨーを連れて、ってなるともしかしたら元帥閣下一族との見合いもあるかもな」
カタラン伯には息子がいない。あの英雄を継ぐ者が不在というわけだ。
早いところ婿を迎えないと、あの辺境は大変なことになるだろう。今回の小競り合いで中央が二軍とはいえ国軍を派遣していることから、王国としてはいずれは召し上げるつもりなのかもしれん。
もちろん不覚を取ったカタラン伯であっても、甘んじてそんな扱いを受けるつもりはないだろう。
「案外、元帥に礼を言うのは口実かもしれないな」
「そうなんですか?」
アザナが小首を傾げた。
仕方ないヤツだなぁ、よし。何も分かってなさそうなその顔に、分かりやすく説明してやる。
「年頃の娘を連れて目上の人に挨拶ってのは、案外そういうもんなんだぜ」
「そうなんですか?」
「かといって逆に格下相手だと男子を連れていくわけじゃないけどな」
他国はそうかもしれんが、少なくてもエウクレイデス王国ではそういった慣例はない。
「そうなんですか?」
「……オマエ、親から何を教わっているんだ?」
キョトンとした顔で、そうなんですかを繰り返すアザナを見て少し不安になった。
ちょっと親から放置気味だった俺でも、マーレイからその都度教わってきたんだが?
「こういうのは教育係なり、親から直接教わってなんとなくでも知ってることだぜ」
「そうなんですか?」
4発目の「そうなんですか?」が飛んできて、さすがのオレも眉をひそめた。
面倒くさいので、この場にいる大人に投げよう。
「マトロ先生からも、こういうことは教えてあげようぜ」
「そうなんですか?」
まさかのマトロ女史からの「そうなんですか?」発言。
あまりな状況にオレは頭を押さえた。
「…………」
「ああっ! あのツッコミしないと死んじゃう病の先輩が黙ってしまうなんて!」
「…………」
「反論がないっ! 重症のようだっ!」
「ご、ごめんなさい。教師として情けなくて……」
アザナは相変わらずだが、マトロ女史は申し訳なさそうにしている。
あんまり教師を追いつめても仕方ない。引率者を疲れさせては、こっちが面倒だ。
「いや、いい。てっきり先生がオレたちだけがいるときにカタラン伯の話をしたから、そういう機微を分かってるもんだと……」
オレは貴族社会が苦手で政治も知らないとヤツだと自己評価していたが、まさかさらに下がいたとは。
「いえ、たまたま談話室に2人がいたから、ヨーファイネさんのお話をしようかと」
「おいおい、雑談をフッただったのかよ。なぁんか不安になってきたぞぉ……。オマエら水軍元帥のことどれくらい知ってる?」
確認を取ってみると、2人は腕を組んで目を伏せた。
「ボク、あんまり中央に近い貴族とか、高職の人とか知らないんですよね」
「残念ながら私も……。学閥貴族ならともかく軍系は特にお付き合いがありませんので」
確かにアザナもマトロ女史も家庭の事情がある。
前者は貴族となって歴史の浅い家庭。ついでに金がない。
後者は学者の家系で偏屈で有名。貴族側も避けてると聞く。
そんな2人の頼る視線は、自然と名家の出身であるオレに向けた。
「なに、オマエら? 知らないのは仕方ないとして、事前に調べてこなかったの?」
「なにぶん、ボクの家は儀典教師を雇ったことすらないもので。告知係とかなにそれ? おいしいの? って家庭だったので」
「いや、貧乏自慢とかいらんから……」
告知係いないでパーティとかどーすんの?
あ、パーティなんてやらないのか、ソーハ家。
「私はそんな時間があったらお勉強します」
「呼ばれて訪れるわけだから、少しは調べてるなり誰かに訊いてこいよ」
教師だろ? 引率者だろ? しっかりしろよ。
と、いってもオレも引退家令のマーレイ頼みなんだけどな
「できれば教えて欲しいところです」
厚かましくアザナが要求してきた。コイツは本当に厚かましいな。今知ったわけじゃないが厚かましい。
「オレもガキだし、そんなに詳しくないんだが……」
一度目の人生は放蕩生活みたいなもんだったし、学園卒業以来、貴族との付き合いが皆無。大人の貴族社会はちょっと覗いただけという程度だ。
それでも知らないよりはマシだろう。
「明日会う元帥は、ナラヨ・ウィロウ侯爵。帝国からこの地で水軍を率いてきた一族の末裔だ」
マーレイから聞いた話と、小耳に挟んだ噂話を元に説明を始めた。
オレはこの元帥……ナラヨ・ウィロウ元帥という人物をよく知らない。
そしてちょっと謎な人物という面もある。
古い水軍畑の侯爵で、中央ではなく現場で活躍してきたと聞いている。
侯爵家も一族も大湖に密着した活動をしており、王国中央にいる一族は皆無といっていい。王国側も「来い」と言わず、放任しているようにも見える。
測量技術に長け、若いころは大湖の湖底地形を調査したことで功績を残したと聞く。
10年前の内乱時は、貴族連合にも王国の呼びかけにも呼応せず、アポロニアギャスケット共和国の水軍と最小限の交戦だけして外海に逃げ出し、【掛け逃げ柳】とかいう不名誉な二つ名を貰っている。
さまざまな結果から、評価も真っ二つだ。
王国側に付かなかったので積極的でないと日和見扱いだが、結果として火事場泥棒の共和国水軍に掛け逃げ的攻撃で足止めしつつ兵力を温存した。
そうして敵主力艦隊を外海に引き付ける事に成功したわけだが、大湖の防衛は放棄してしまったわけだ。
幸い沿岸部は砂洲と浅瀬で守られているため、大規模な上陸はされていないが、それでも沿岸部には少なくない被害が出た。
敵主力艦隊が居らず、上陸部隊への補給を掛け逃げ攻撃で妨害したためそれ以上の進攻はなかった……。これを良しと見るか難しい。
徹底抗戦をしていれば沿岸部の防衛は成されただろうが、中央から援軍も援助も望めない内乱時なので、水軍は厳しい戦いを強いられただろう。
この「掛け逃げ」戦略を立てたのは当時の参謀かもしれない。だが、採用したし実行したのはウィロウ元帥だ。
「……少なくても猛将というイメージではないですね」
掻い摘んだ俺の説明で、アザナもぼんやりとだが理解してくれたようだ。
「中央と関係が薄いんじゃ、私が知らないのもしかたないですね」
マトロ女史が言い訳混じりの理解を示した。たしかに中央に関係者が皆無なんだし、その解釈もあながち間違いではない。
「とりあえず怖い方ではなさそうですね」
「とりあえず普通の方ではなさそうですね」
マトロ女史は安堵し、アザナは心を引き締めた。
……大丈夫かなぁ、この引率者。
『ところで……』
今までオレの後ろで黙っていたディータが、話が一段落ついたタイミングを狙って口を開いた。
なんだ? と、口には出さず態度で耳を傾ける。
『今回呼ばれたのは、ウィロウ侯がヨーファイネとザル様を引き合わせて仲人をするためとか?』
はは、まさか。
それならオレだけを呼ぶだろう?
たまたま予定が近かっただけさ――。
ディータ姫の助走無し飛び過ぎ論理を真面目に聞いて呆れかえる……。
いや、まさか、ね――。
* * *
翌日の朝――、オレたちは輸送船の上にいた。
目指すは水軍本部だ。
水軍本部は北アグリコラの要塞である。
古来種が作ったこの要塞は、もともとは大湖を管理するため作られた治水用の施設だ。
巨大な魔具が地下に仕掛けられており、いざとなれば浅瀬を干上がらせ、運河口をせき止めるとまでいわれているが…………事実かどうかはわからない。
なにしろ国家機密だからな。
オレたちは2体のゴーレムを輸送船に載せ……ていうか、載せたままだったんだが、直接その要塞の門をくぐった。
さすが水軍の要塞。いくつもの大型の船を内部に収めて修理する施設を持っていた。
アザナとワイルデューは水門の機構に興味津々だ。
わいわいと頭上の仕掛けを仰ぎ見て、あーじゃないこーじゃないと言っている。
ペランドーは要塞内の軍艦に興奮している。
巡洋艦――外海での航海も可能な船舶も係留されて整備を受けていた。大湖使用の軍艦と違い、白い帆と洗練された船体がとても美しい。
ペランドーは、何かの式典にでるのかという大礼軍装ゴテゴテの装甲艦が好きらしいが――。
マトロ女史とテューキーは緊張状態。
元帥に会うとなって、いよいよ胃が不快感を主張しているらしい。お腹を抑えて、歯を食いしばっている。
あ、テューキーは船酔いかもしれないな。
ローイに至っては、今にも倒れそうなほど真っ青な顔をしていた。
可哀想だが、覚悟を決めてもらう。
なお、タルピーはオレの懐で手袋に封印されてカイロ代わりとなっていた。水軍本拠地となったら、【精霊の目】持ちはもちろんいるだろうし、各種警戒網が幾重にもある。
ディータ姫は……大丈夫だろう。
この姫様を認識できる存在があったら、逆に知りたいし調べたい。
輸送船も要塞内の軍港片隅に係留された。リザードマンと人間の水兵たちが、手早く動いて輸送船は静かに接岸する。
なんども見てきた光景だが、要塞内の水兵の動きは特に洗練されているように見えた。
すぐにオレたちはゴーレムを起動させ、輸送船からその足で下した。
その足で、と言ってもオレのグレープジョーカーは重いので、起重魔具のお世話になる。ゴーレム自らが鎖を巻き、鎖を掴んでぶら下がる。
起重魔具は対象に重量軽減魔法の効果を及ぼすらしい。
超重量のグレープジョーカーが、起重魔具によって軽々と引き上げられる。
一方、アザナのコウガイは浮遊しているので、荷卸しに使われる仮設の板橋を悠々と降りて行く。こっちは文字通り、その足で降り立った。
「ようこそ、アグリコラ要塞へ!」
岸では人間の士官と水兵たちが敬礼でオレたちを出迎えてくれた。
自己紹介もそこそこに士官からさっそくで申し訳ないと、ゴーレムを練兵場へと運んで欲しいと頼まれる。
士官たちに案内され、要塞内の練兵場へオレとアザナのゴーレムを運び込む。
要塞内は1つの街かというくらい巨大だ。さすが古来種の遺産である。
練兵場は広場の一部を整備して後年造られた物らしく、やや形状が歪つだった。しかし要塞内と考えると充分広く、設備も充実しているだろう。
その練兵場中央にゴーレムを立たせ、オレたちは元帥閣下を待った。
「こんなところで謁見するなんて」
テューキーが不満を言うが、ちゃんとした挨拶も出来ないオマエらじゃ、ちゃんと謁見の場で下手を打つぞ。
「呼んだ理由が理由だしな」
オレたちに会いたいというより、ゴーレムを見たいというのだからこの対応も通常の範疇である。
士官たちが整列し、元帥を迎える空気が練兵場に広がった。
自然とオレたちも緊張して、招待者である元帥を待った。
さぁて、どんな元帥閣下が出てくるか。
こわーい元帥様か、策略策謀を張る神経質そうな知将か?
それとも老獪さを秘めた好々爺か?
まさか無頼の者を思わせるような猛将か?
期待膨らむ中、水軍士官たちが一斉に水軍式敬礼を門に向けた。
オレたちは貴族式の敬礼……みぞおちに手のひらを当てて軽く頭を下げる礼で元帥を出迎える。ローイが見よう見まねで、遅れて礼をする。前もって教えて置いたんだけどな。慣れないのだろう。
やがて、ちゃっちゃっ……と軍装の金具が鳴る音が近づいてきた。
軍装の音が止まり、短い沈黙――。
僅かな間を持って、その沈黙を打ち破る声が上がった。
「わしゃあー、元帥じゃぞー。えらいんじゃぞー。みなのもの面をあげぇい」
どことなく緩い声が練兵場に響いた。
「……は?」
オレたち一同は、まぬけ顔を上げた。
顔上げた先……真正面で水軍士官たちを背にし、ひょろ高くゆらゆらと緩い老将軍が立っていた。
長い白髪に胸下まで延びる白い髭。それもゆらゆらと揺れている。
軍装の立派と重さで、ふらついてるんじゃないか? という老人だ。
これがッ! これがッ! これが【掛け逃げ柳】か!?
――ああ……いやいや、よく言ったモノだよ。
この水軍元帥に、ついて然るべき二つ名だとオレは感心しながら肩から力を抜いた。