親(方)ザルガラ (挿絵アリ、あとがきに頂き物イラストアリ)
王国水軍御用達というアグリコラの宿は、外からみると要塞のお下がりといった風貌だったが、中は一転して豪奢な造りとなっていた。
水軍の士官に宿へと案内されたオレたちは、船舶内を模した素晴らしいロビーをしばし見回すことにした。
正面階段踊り場には、何倍に拡大したんだよコレというネイピア提督の肖像画が飾られ、その上にあるシャンデリアは舵輪を大中小の順で水平に吊った三層の形となっており、芳醇な香りを放つ蜜蝋燭が豪勢に並べられて火が灯されている。
懐のタルピーが、あのシャンデリアと踊りたいとうずうずしているが、こんな場所では【精霊の目】持ちがいる可能性があるので、コイツを自由にさせるわけにはいかない。
がっちりと抱えておく。
ディータ姫はあまり興味の無いご様子だ。ま、姫様だからね。この程度の豪奢さじゃ、趣味云々以前に見慣れた物なんだろう。
「あ、これ知ってるよ。羅針盤だ」
「こっちは古い機械式のアストロラーベですね。そっか、大湖となると羅針盤がいるんですね」
「ふぅむ。こちらは六分儀か。よぅできとるのぉ」
ペランドーとアザナ、それにワイルデューの3人が、ロビー中央に飾られた船舶器具に興味を惹かれている。オレはあの手の機械式は参考程度のにしか興味がないのだが、さすが鍛冶屋の息子と発明家にドワーフの3人は違うようだ。
男性陣が機械に興味を持っている一方、女性陣たちは金銀で輝く調度品に心を奪われていた。
「こ、これは素敵な……あえて光を押さえた銀の花で飾られた……棚……。あ、この背もたれがサンゴでできた椅子は、あの有名な……」
訂正、心を奪われていたのはマトロ先生だけだった。
フモセとテューキーはあまり光り物などには興味なさそうだった。
一方、孤児院育ちのローイは宿の豪華さに圧倒され、玄関から一歩入った段階でガクガクと震えている。
「ぼ、ぼくもこんなところに泊まって、よろよりょしいのでしょか?」
「いいんだよ。ビビるなって」
変な言葉使いになってるなぁ、ローイ。
今までの川沿い川っ淵の宿は、立派ながら豪華ではなかったので、彼もさほど緊張していなかった。
だが、きらびやかで豪華なこの宿は、ローイの許容量を超えてしまったようだな。
オレたちがロビーに見とれている間に、水軍士官が手続きを終え、「また翌々日」と言い残し去って行った。一応、なにかあった時のためにと下士官2人が残っている。
「元帥閣下はお忙しいそうなので、お会いできるのは明後日だそうです」
士官から聞いた予定をマトロ女史が伝えると、ワイルデューとテューキーの2人が不満の声を上げた。
「人を呼びだして置いて、待たせるとかどーしょーもないわねっ!」
「まったくだの。元帥閣下ともあろうものがなっとらんわっ!」
「おいおい、船の上じゃないと元気だな、このエルフとドワーフ」
船を降りた途端、気勢のいい2人に呆れる。
「だって、そうじゃない。こっちだって暇じゃないのに、わざわざ来て上げたのよ」
「うむ、そうじゃな。呼び出して置きながら、また後日では話にならん」
不満たらたらだな、この2人。
水軍の士官たちが帰ったあとだが、それでもこの宿の従業員は元水軍下士官とかいるんだぞ。あんまり愚痴いうな。
ここでマトロ女史が引率者として苦言を告げる。
「そう言ってはいけませんよ、お2人とも。船旅は繊細なものです。私たちの到着が、1日か2日遅れることを想定して、日程に幅を持たせているのです。私たちはむしろそういった気づかいをされてると、受け取るべきなのです」
いつも穏やかなマトロ先生が、ちょいと厳しい口調だ。
2人は「呼び出しておきながら――」と、思うだろうが水軍の長である元帥は忙しい身であり、いろいろ面倒の多い役職だ。
ある程度、こっちが都合に合わせる必要がある。
オレたちを運んだ補給船は、航行中に何事もなかったせいで早く到着してしまったわけだ。これに準備時間と、さらに体調を整えるため余裕を持たせた日程。それら重なって面会が明後日、というわけなんだろう。
教師にそう言われては仕方ないと、エルフとドワーフの2人は口を噤んだ。
「むう。落ち着かないこの宿に連泊か……」
気落ち気味にワイルデューが唸る。
不機嫌そうなその横面に、待たされるのも悪い事ばかりではないと説明してやることにした。
「そういうがな、その間の飲み食いとか宿内の遊興費は元帥持ちだぞ」
「やるじゃない、元帥閣下」
「やるではないか、元帥閣下」
超反応で手のひら返しやがった、このエルフとドワーフ。
テューキーは何を食べるか笑顔で算段を始め、ワイルデューはどんな酒があるかと髭面の下がニヤニヤとし始めている。
ほんと仲良いな、コイツら。
「やっぱり琥珀採取を見るべきよね!」
「いや琥珀加工の様子を……」
テューキーとワイルデューは、観光気分満々だ。さっきまで文句言ってたヤツとは思えん。
「どっちも楽しみましょう」
引率者マトロの笑顔が一番輝いていた。
観光気分満々筆頭は、マトロ女史であった。
* * *
翌日――。
豪華な宿で一晩を過ごし、2日目はアグリコラの観光に当てる事した。
アグリコラの街は活気に溢れていた。
あちこちの琥珀加工屋の店先では、常に篝火が焚かれている。
籠を持って店内から出てきた職人が、そこへ琥珀クズを一気にぶちまける。すると炎が一際大きく立ち上がって、熱に煽れた琥珀クズが舞い上がりパチパチを爆ぜた。
「わっ!」
「すごい! 何あれ!」
琥珀加工を知らないペランドーとローイが、加工屋の篝火を見て驚きの声を上げた。そんな2人に、アザナが解説をしている。
ワイルデューとテューキーは、買い食い買い飲み。フモセとマトロ女史もそれに付き合っている。
『負けない』
タルピーが篝火に張り合おうとしているが、ここはがっちり懐で押さえておこう。
つか、熱いなぁ……タルピー。
宿とは打って変わって、ディータはあちらこちらに興味を示している。肩の上で大人しくしているが、オレから離れられる身だったら、いまごろは迷子になっているだろう。
こうして琥珀店のいくつかを冷やかしつつ街を散策し、やがてオレたちは大湖のほとりへと出た。
琥珀の燃える香りが、水と濡れた砂の匂いと変わる。
運河下流の川幅より長い浅瀬がネリンガー砂洲まで続き、その砂洲から先はどこまでも続くと思わせる湖面が広がっていた。
浅瀬のあちこちで採取士のリザードマンが泳ぐ姿が見られ、砂浜では鋤簾に似た採取道具で砂を掻く人間の採取士たちがいる。
しばしオレたちはこの光景を、呆けた顔で眺めていた。
この状況の中で最初に口を開いたヤツは、長い砂洲を北から南まで眺めきったアザナだった。
「天橋立が人間の赤ちゃんなら、これは巨人の夫婦ってところだなぁ……」
まぁた、アザナが良く分からんことを言い出した。
アマノハシダテってなに? と、ローイが訊いたがアザナは適当に誤魔化している。
近くでは休憩中のリザードマンたちが、砂浜付近の家屋の壁に寄りかかり日向ぼっこをしていた。
それを見たアザナがまた口を開く。
「甲羅干しだね」
「……リザードマンに甲羅ないけどな」
亀かよ。
でも確かに亀が岩に這い上がっている姿に似ていた。……何人かは壁に腹を貼りついているし。
そんな休憩中のリザードマンたちが何かに気が付いたのか、浅瀬の中央付近を指差して騒ぎ始めた。
オレたちもつられてその先を見る。
「ねえ、あれって人間じゃない?」
「むぅ? 人間の採取士もおるのか?」
「あら、どうやら子供みたいですよ」
よく見ると、小さい女の子がリザードマンたちに混じって浅瀬を泳いでいた。
どこから紛れ込んだのか、浅瀬で作業するリザードマンたちもギョッとしている。
「フシューっ! おーい、お嬢ちゃん! ダメだぞーっ! ここで泳いだら!」
「早く出るんだっ! フシュ―っ!」
「今なら怒らないから、早く出ていけ、このガキ―っ! フシュ―!」
岸で休んできたリザードマンたちが騒ぎ始める。
なにしろ琥珀の採取は利権の塊だ。
ここでは浅瀬で泳ぐだけで罰せられかねない。
最後のリザードマンは明らかに怒っていた。たぶん、怒らないからっていうのはウソだ。いや絶対説教する気だ、アレ。
そんなリザードマンたちの声を浴びて、やっと気が付いた裸の少女がこちらを向いた。
例えるなら、昼間でも輝いて見える一等星のようだ子だった。
オレより2、3つ幼いだろうか?
陽光と湖面の照り返しで、一際輝く長い金髪のぱっつん前髪。濡れて水面に映る髪まで光る。
その顔は整って美しい。神秘的な雰囲気の中に、子供の無邪気さがはちきれんばかりに詰まっている美少女だ。
一癖あるアザナの素直さと違い、わがままだが純真さを見せる少女……。って、なんでオレはアザナと比べてるんだよ!
気を取り直し、浅瀬の乱入者。
裸の美少女はリザードマンたちの呼びかけに首を傾げている。
言葉が通じないんだろうか?
少女は注意を聞かず、再び自由気ままに泳ぎ始めた。
その近くにいたリザードマンたちが捕まえようとするが、少女は専門家で優位であるはずの採取士たちを優る勢いで泳いで逃げる。
「どうしますか? 親方」
「どうすっかなぁ……って、え!?」
近くで甲羅干ししてたリザードマンが、オレを親方と呼んできた。
「もしかしてオレの勘違いかもしれないしそっちの間違いだと思うけど念のため確認するよ。親方ってオレ?」
「す、すいやせん。親方に似ていたものでして、つい……フシュー」
リザードマンは舌を出しながら謝った。舌を出すのは別にふざけているわけではない。彼らなりの照れ表現だ。
しかし、またかよ……。またリザードマンに仲間扱いかよ……。
「あ、捕まった」
アザナが浅瀬を指差して言った。
どうやらオレが親方と呼ばれる騒動中に、裸の少女はリザードマンたちに捕まったようだ。
リザードマンの背に乗せられて、裸の少女がもろ出し状態でこちらへとやってきた。背に乗るのが楽しいのか、少女は満面の笑みだ。
少女を背負って陸に上がったリザードマンが開口一番――。
「不審者を捕まえてきました! 親方!」
「オレ、親方、違う」
「あっ……す、すいやせん! 親方に似てたものでして、つい……」
オレを親方と呼んだリザードマンは、恐縮ですと舌を出す。
もういいよ……、オレサマ、リザードマン。
リザードマンが頭を下げ、乗っていた少女はその背の上ですっくと立ちあがる。
そして手を広げ、いきなりオレに目がけて全裸で飛びついてきた。
「パパーッ!」
とんでもない呼びかけと共に――――――。