学園の新風
「若干、予定の変更がありましたが、おおむね先日の公開評価会も滞りなく終わりました。みなさんのご助力のお陰です。ご苦労様でした」
エンディアンネス魔法学園の大会議室で、ベクター・アフィン教頭が集まった大勢の教師たちに労いの言葉をかけた。
しかし、教師たちはみな困惑していた。
ベクター教頭の労いの言葉に対して――ではない。
集まっている低学年から高学年担当の教師、さらには補助課目の講師たちはみな、この時まったく同じ事を考えていた。
なんで女装してんだよ、ハゲ教頭っ!!
――と。
ベクター教頭は、公開評価会の予定変更と評価対象の破損の責任を取る。という形で女装をしていた。
スーツにタイトスカートという低空飛行艇の受付嬢姿である。ちなみに帽子を髪の毛に固定できず、残念ながらテーブルの上に置かれていた。
「ではもう少々、後期について確認のため、会議におつきあいください。お手元の資料を5ページ目から――」
教師たちの疑問は大人の判断でなおざりにされつつ、後期の授業内容について大まかな会議が続けられる。
これは一種の認識合わせであり、毎年行われている行事と授業日程の再確認という意味合いの強い会議だ。
特に議論などは飛び交わず、いくつかの確認染みた質問が上がっただけで会議は終了を迎えた。
「最後に、課外実習は例年通りランニングウォーター運河を利用した船舶を中心に、高学年と低学年の行程を一日ずらすという計画です。以上――ですな」
居並ぶ教師たちの様子を見て、ベクター教頭は異議や質問等が無いと判断し資料を折りたたんだ。
やっと解放される、という雰囲気が教師たちの間に広がった。
そんな中、立ち上がって発言する大柄の男がいた。
「あー、待ってくれないか? アフィン殿」
立ち上がった男性はモルティー・ホール。5教頭の1人である。
エンディアンネス魔法学園を実質的に動かす5教頭の中で、もっとも若くもっとも活力豊富な壮年男性である。
教師たちの中でも特に大柄で、魔法学園で教鞭を持つとは思えない体躯をしていた。
事実、モルティーの運動能力は非常に高く、生徒たちとスポーツを競ってもまず負ける事がない。
そんなモルティーが、大きな指で課外実習の資料を捲る。
「例年の日程表を見ると、ビーパズルーで3日の滞在となっているが――」
ビーパズルーはランニングウォーター運河の最南端の街である。
運河の基礎となっている源流の川は、ビーパズルーよりまだ南東の草原に伸びている。
だが輸送船や観光船など大型船が航行できる川幅があるのは、そのビーパズルーまでだ。
ベクターは机の上に資料をそのままにし、数ページ開いてみた。
「ふむ……そうですね。船の積み荷補充と船舶の簡易検査がありますから、そうなってますな」
「ちょっと間に、ちょっと南に足を延ばすというのはどうでしょうかな?」
南? なにかあったかなと、会議室の教師たちが反応し、手持ちの資料を確認する。
ベクターも別の資料を見て、地図を探ってみた。
ランニングウォーター運河は、南東部の大草原からこの王都を経由し、西部の大湖へと国を縦断する交通の大動脈だ。
古来種の時代から存在する運河であり、彼らが去った後も運用され続けて、川岸は一万年が積み重なった王国の歴史書と言われるほどだ。
沿岸は歴史の宝庫であり、その周囲も古来種の遺跡や歴史的価値のある存在が数多く残されている。
ベクターの見た地図は特に詳細なもので、ビーパズルーの南にある領地名と小さな施設の名まで書かれていた。
「ビーパズルーの南? ――というと最近ワナナバニー園ができたサークラー領ですな」
ワナナバニー園という言葉が発せられた瞬間、モルティーの目元と頬がピクリと動いた。
しかし、会議室にいる誰もが地図や資料を見ていたため、彼の反応に気が付かない。
「あー、そのー、それだ……それもいいな。いやさな。サークラー領は古来種が最初に降り立った地としても有名で――」
「それは伝説で証明されていないでしょう。個人的に私は大湖降臨説を支持してるから否定しますが……」
古来種降臨の地は、大陸各所に山ほどある。うさんくさい伝承もあれば、証明できそうな遺跡の残る場所あった。
サークラー領はどちらかと言えば、証拠の乏しい伝説しかない。
「ちょっと南にいくだけだろう?」
「……陸路なのだが?」
詳細な地図を確認すると、馬車で行きかえりで丸一日ほどかかる場所だった。
悪路ではないが、少々遠い。
「わずか1日だろう? 1つここは行程に入れて見ては?」
「ビーパズルーでの3日は船舶整備と課外授業、それと共に生徒たちの休養も考えての余裕なのだがね」
しばらくモルティーが日程の修正を提案し、ベクターが否定するという議論が続けられる。
やがて聞き飽きたのか、残る3人の5教頭の意見によって、モルティーの提案が退けられた。
モルティーも教頭を4人相手にして会議を伸ばすわけにもいかず、今日はお開きとなった。
全ての教師たちが去った大会議室で、1人残ったモルティーは黒檀の会議テーブルへ拳を振り下ろす。
「くっ……! ベクター・アフィンめっ! うまい事やりおってっ!」
ミシリッ……と、頑丈なテーブルが軋む悲鳴を上げた。
「知っているのだぞ……私はっ! ベクター・アフィン! あんたが実は女装したかっただけと! 生徒のケンカにかこつけて己を戒めるなどと……ッ! 今回だってなんだかんだと言って女装しやがって!」
モルティー教頭は、ベクター教頭の秘密を知っていた。
しかし、それを吹聴することも、取引の題材にすることもしない。
なぜならば――。
「30年っ! 30年だっ! 幼いころに別れたアニーが……あの兎耳のふわっふわのしっとりなアニーがっ! せっかくワナナバニー園というウサウサモフモフ、ワオン、ガオニャーンな楽園を造ったというのに! 私は訪れることすらできないのかっ!」
彼もまた秘めた性質を持ち合わせていたからだ。
ある意味、モルティーはベクターの理解者でもある。
趣味は違うが……。
「……今度、有給取れたら行こう。取れたら……」
こんなことなら教頭になるんじゃなかったと、失意と後悔の言葉を吐き出しつつ会議室のドアを開いた。
「きゃぁっ!」
「おっと、すまない」
モルティーはドアを開けて出た途端、背を向けて歩てきた女子生徒とぶつかってしまった。
「大丈夫かね? って、君はソーハ君か」
声と反応から女子生徒とか思ったが、どうやら男子生徒だったようだ。
巨躯のモルティーに跳ね飛ばされる形で、アザナが廊下に膝をついていた。
モルティーは訂正して謝ろうと手を差し出し――直後に硬直した。
「な、ななななんだね! ソーハ君! その頭……、というか耳はッ?」
アザナの頭部には、黒いモフモフした逆3角形の素晴らしいモノが一対付いていた。
俄かに興奮するモルティーに、アザナは怯えつつも答える。
「こ、これはネコミミ集音器です」
「ネコミュミュ!?」
興奮のあまりモルティーは噛んだ。
「だ、だがそれは耳に接続されてないようだが?」
集音器ならば、耳に取り付けられて然るべきである。しかしアザナのそれは、猫と同じように頭の上部へ対となって取り付けられており、人間としての耳は普通に露出していた。
「ああ、これは耳に音を送るんじゃなくて、音を細分化した情報にして……」
ネコ耳集音器に手を触れて説明をする。
「直接脳内に」
「直接脳内にっ!?」
あまりに突拍子のない説明に、モルティーは大声で叫んでしまった。
その声に反応し、アザナの髪が少し跳ね上がる。
安全装置として、大きな音が集音器に感知されると、髪の毛へと衝撃を逃がす仕掛けが施されていた。
その姿がまたネコらしく見え、思わずモルティーは腰が砕けそうになった。
――そ、その耳をくれ……。
言葉は出ず、手だけがアザナへと延びる。
モルティーが手を伸ばす先で、ピクリとネコミミが避けるように何かに反応して横を向いた。
「あ、ごめんなさい、教頭先生! ボク、逃げないと!」
ネコミミが何か音を拾ったのか、アザナは慌てて立ち上がるとその場から走り去る。
「ああ、待ってくれ……」
「待ちなさぁーいッ! アザナ様ッ!」
モルティーの声をかき消すフモセの大声が廊下に響いた。
必死に走ってくるフモセはアザナを探しているようだが、彼はすでに廊下の先を曲がってしまっている。
「きょ、教頭先生! ごめんなさい! え、ええとその、アザナ様を探してるんですが、その見ませんでしたか?」
「ああ、あっちの廊下を右に……。それから廊下は走るんじゃないよ」
「すみません!」
フモセは頭を何度も下げつつ、曲がり角まで廊下を静々と歩く。
「こぉーらーっ! 待ちなさい!」
そして付き人とは思えない声をあげ、アザナを追いかけて走って行った。
廊下を駆けるフモセたちを追わず、モルティーは思いを馳せる。
「ああ、廊下を走るのは……止めなさい……、猫ちゃん、ワンちゃん……」
彼の脳裏には、廊下を駆ける獣人の娘たちの姿が見えていた。
* * *
「獣人の入学を認める?」
数日後、ベクター教頭は提出された起案書を片手に持ち、同僚であるモルティーの顔を上目遣いで伺った。
「なにか問題がありますか?」
モルティーは鼻息荒く、自信あふれる表情でベクターの視線を受け止める。
「いや別に問題はないが……。彼らにこの学園が合うでしょうかね?」
ベクターは口を尖らせ、顎を撫でつつ考え込む。
彼は獣人を差別しているわけではない。
適材適所、なのだ。
獣人は肉体の基礎能力が高い。
身体能力は魔法で強化しなくても人間を越える。得手不得手と個体差はあるが、身体強化した人間の魔法使いと互角といっても過言ではない。
さらには特化した能力がある。
狼人は鋭い嗅覚、鷹人は飛行能力と遠目、虎人の膂力と俊敏性などなど、目を見張るものがある。
彼らもかつては人類と同様、古来種に支配されていた経緯がある。
そのため人類とも仲間意識があり、関係はおおむね良好だ。
古来種が去った後、助け合って発展してきた歴史が大陸にはある。
しかし、魔法……特に魔胞体陣の投影と使用に、彼ら獣人は向かない。
手先も獣の形に近く、魔具製作や裁縫や鍛冶も不得意だ。
エンディアンネス魔法学園は、そういう特殊な彼らが目指すべき学び舎ではないのだ。
「だが、すべてではない」
モルティーは語る。
魔法が不得手とはいえ、仲には優れた魔法の才能ある獣人だっているだろう。
異質な事に細工が得意な者とているだろう。
そういう者たちを1人でも拾い上げるのが教育ではないのか?
起案書には力強くそう書かれていた。物理的に紙を破りそうなほど強く――。
「なにより! 彼らの高い身体能力に、生徒たちが魔法で援護、協力し成果を出すという訓練も出来る!」
「あー、ふむ……。なるほど」
モルティーの発言を反芻し、ベクターは天井を仰ぎ見た。
その顔からは、モルティーの意見を頭ごなしに否定する気持ちが消えていた。
憂慮すべき事柄はいくつかあるが、思い付きで否定しては穴がある。
仮にモルティーの提案を潰すにしても、しっかり精査すべきだろう。と、ベクターは結論付けた。
良しにつけ悪しきにつけ、そういった意味でも5教頭にも話を通しておくべきだ。
「いろいろと新しい風を入れる。いいでしょう。いま学園は発展期です。模索する余裕がありますからね。たとえ獣人でも数人ならば新制度や新施設もいりませんし――、次の5教頭会議で議題に上げて見ましょう」
全面肯定ではないが、考慮に値するとベクターが判断を下した瞬間、モルティーは両拳をにぎり締めて脇に引き寄せて叫んだ。
「よしっ! ウサミミっ! ネコミミっ!」
「は? なにか言いました?」
同僚の謎発言に、ベクターは一抹の不安を覚えた。
「いえ、なにも……」
文字通り学園一の巨躯を揺るがさず、モルティーはそっぽを向きとぼけて見せた。
エンディアンネス魔法学園に、新しい風が舞い込む日は近い。
大改革と言われるこの新風が、もとを正すと1人の男性が持て余してたぎりほとばしる直球の情欲から生まれたことを知る者は少ない…………。
あ、ぶっちゃけどうでもいい話です。
伏線とか将来獣人が活躍するとか無い……(一部過激なご意見)……予定を変更して可愛い獣人の娘を組み込む努力をしてみます。
はい、がんばります予定は未定