トライアングルビーター
雨の降る王都――そのどこか。
僅かな照明魔具に照らされる地下室に、男たちが集まっていた。
皆が皆、闇夜に潜む黒い装束で、黒頭巾で顔も隠して誰が誰なのかもわからない。真っ当ではない集会ということが、このことから窺い知れる。
じめじめとした地下室で、ひしめき合うように集まり、狭さと熱気で異様な雰囲気がそこを支配している。
その中からしなやかな動きで、中央に設けられた即席の壇上に飛び乗る者がいた。
手には金属の器具が握られている。
男は壇上でそれを掲げて叫んだ。
「ついに我々【白きトライアングルと黒きビーター】の最終計画が発動される!」
白鋼で作られた3角形に曲げられたフレームに、黒鋼の棒が叩きつけられ、清浄な金属音が地下室に響き渡った。
白鋼のトライアングルを打ち鳴らす男は、壇上に立って演説を行い、異様な集団へ熱気をまき散らしていた。
「悪しき魔具によって、我々の行動が妨げられていたが、有志による打ち壊し活動が成功した!」
おおっ……と、黒頭巾で隠された男たちの口から感嘆の声が漏れた。
「では、ついに!?」
「ああ、やっと本来の活動を再開できるぞ!」
「鉄音通りの倉庫を抑えられたり、あの魔具が出回ったりと散々だったが」
「おおおっ!! 腕がなるぜ!」
にわかに騒ぎ出す男たち。黒装束の誰もが興奮していた。
「忌まわしいあの新型魔具によって活動は制限され、拠点として目を付けていた鉄音通りの倉庫が先に抑えられ、皆には要らぬ苦労と我慢を強いてきた。だがそれも終わりだ!」
リーダーの打ち鳴らす白いトライアングルが、清浄な音で男たちの興奮に理性を与える。
目的を思い出した男たちは、さっと居住まいを正して手にしたビーターを頭上に掲げて叫んだ。
「青天になびく白きトライアングルを我らが手に!」
* * *
長期休み中のある昼下がり。
鉄音通り孤児院の方が、ベデラツィやグッドスタインらの大人たちによって体制が落ち着いてきたこともあり、オレはエンディ屋敷の自室で静かに読書などをしていた。
タルピーは踊りができれば、どこでもそこでもなんでも満足らしく、テーブルの上を所狭しと舞っている。以前はちらちらと視界に入って気になって仕方なかったが、タルピーが視界の隅で動いていない方が気になるようになってきた。
コイツが動いていない場合、誰か来たとか何か異変があるかそういう理由がある。
周辺警戒に便利なヤツだ。
もっとも彼女が注視する点が、なにかと偏っているが――。
ディータはオレと背合わせで、庶民向けの大陸旅行記を読んでいる。
ちょっとした歴史の紹介とか食べ物とか、世相とかどこそこの生活とか、あまり学術的じゃない内容の本だ。
ディータはこの手の本が好きなので、たまにマーレイやティエでも知らないような世間の話を知っている場合がある。
これもまた、かなり偏ってるが――。
しとしとと外では雨が降っている。
この時期はほんと、雨が多くて読書向けだ。魔法学園が休みになって、課題研究をさせるのも納得がいく。
こうして夕方まで過ごそうとしていたら、突然の来訪者をティエが知らせてきた。
「ザルガラ様。ラ・カヴァリエール様がおいでになりました」
いつも通り、騎士でありながらメイド姿とその仕事を好むティエが、家臣というより使用人の所作でオレに来客者を告げる。
「へぇ、カヴァリエール卿が1人で?」
「騎士団員は伴われてませんが、従士が3名ほど」
「ふーん、フランシスの騎士団団長さんが、か。この雨の中、急に来るとはたいそうなヤツだ」
騎士が連絡無しに来ると言うとこは、なにか事件に関係することだろう。このところ雨のせいもあって、世間も静かなんだが……なにかあったのだろうか。
読書してたとはいえヒマしてたといえば……まあまあにヒマしてたし、なにか事件でもあったなら面白そうだ。タルピーも踊りを止めてピンと起立し、ディータもふわふわとオレの頭上へと移動を開始している。
そんな2人を伴い、オレは軽い気持ちでフランシスと会うことにした。
「やあ、ザルガラ君。連絡も無しに訪れて申し訳ない」
フランシスは従士と共に、応接室でお茶を飲みながら待っていた。
馬車で来たようではなく、髪の先が僅かに湿っている。
「実はこのエンディ屋敷区画付近で事件があってね。急な来訪をしても、ご警告とご相談に参ったわけさ」
優雅に濡れた前髪を軽く撫で、フランシスが頭を下げつつ事情を述べる。
「事件? ティエ――」
知っているか? という視線をティエに向ける。
「私にはわかりかねます」
警備の武官も兼ねたティエも知らないとなると小さい事件か、それとも起きたばかりか。
オレが視線を戻すと、待っていたフランシスが口を開く。
「以前は貴族のいるような区画でこの事件はなかったんだが、今日はエンディ屋敷区画でも発生してしまった。たった今、捜査を終えてきたところでね」
「その帰りにわざわざご忠告ってわけか。で、ついでに相談もあると?」
「急に押しかけてすまないね、ザルガラ君」
「いや、別にいいんだけどね。こっちもいろいろ頼んでる身だし」
オレはフランシスにいろいろ頼みごとをしている立場だ。
孤児院に王都騎士団でヒマしている人を回してもらってる。
なにしろ王都騎士団……その中で特に第1大隊というのは見栄えがいる。
実力と実績もいるが、こんだけ立派で素敵な男性方が守ってますよー、という見栄。例えるなら王都というお屋敷に、一際目立つように飾られる花のような存在なんだよな、コイツら。
強そうな外見より、言いかたが悪いが若くて綺麗どころのいいヤツが配属させられているわけだ。なのでちょっと顔に見栄えの悪い傷が出来たり、体形が崩れたり、歳を取ると第2大隊や第3大隊に回されてしまう。
そういう理由もあって、怪我や年齢的な問題で、第3大隊で裏方に回り、暇している騎士が多い。
ここぞというときの余剰、そして予備兵力としては非常に意味のある彼らだが、普段はわりとヒマと戦っている。
その中から数人、持ち回りで孤児院に来てもらって儀礼儀典、体力作りの指導をやってもらうことにした。
あー、もちろん孤児相手など嫌がる団員もいるので、快諾してもらった人だけだ。お礼が出るからと懐が寂しい騎士団がきてくれたが、今はアマセイ目当てでくる騎士団員もいる。
アマセイの男誑しはほんと、シャレにならんな。
「さて、それで事件というのだが――」
フランシスは概要を話し始めた。
「今、王都で変た……変な不思議な事件が起きててね」
「変態って言いかけたよね? 言ったよね? そういうことはヨーヨーのヤツに訊いてくれよ」
以前、変態関係の事件に協力してくれと、モルガン局長と一緒に叫んでたが、まさか本当に来やがったか!
きっと変な事件なんだろうなぁ。
「ヨーファイネ・カタランのことかね? ああ、彼女は実家に戻っていて……ほら、カタラン伯が先日の戦いで怪我をしただろう」
「そういやそうだったな」
ヨーヨーは長期休みの始まる直前、早め帰省をしてしまった。
なんでも因縁のあるアポロニアギャスケット共和国の辺境伯とやりやって、軽くない怪我をしたという。復活したというあの英雄も、いよいよ歳には勝てなくなってきたか。
相手が悪かった――ってことは、たぶんないだろう。あのカイタル・カタランを真正面から負傷させるなど、ちょっと想像ができない。
「領地も一部切り取られたままの状態だ。大変なことだよ、あそこも」
「そんなこといってもいつものことだろう」
どこの辺境付近でも、隣国といつも小競り合いをしているもんだ。
そんな事があったらすぐ全面戦争だろ?と、思うヤツもいるだろうが、意外とそういうわけでもない。国が辺境の小競り合いのたびに軍勢をガンガン動かしてたら、金銀が翼を生やす前に金庫ごとカタパルトで空の彼方に射出されて太湖のど真ん中に着水して湖底に沈んちまう。
辺境伯の役目は国軍が動かなくても、隣国との小競り合いを防ぐ、もしくは収める役目が求められる。
睨みを聞かせて相手を萎縮させるか、相手に有利土地を取らせないで、かつ自軍は有利な場所に砦を確保しておき、大軍の流入路を塞ぐとかそういう地味な仕事がいる。
時にはお隣の辺境伯と形だけのなあなあ合戦や、国境を挟んで罵り合うだけとか、オマエら実は仲がいいんじゃねーか? というヘタレなヤツらもいる。まあ仕事しないと、お互い辺境伯って地位が危ういしな。
昔なんざ、毎日石投げ合って激しい紛争の扮装をしてた辺境とかあると聞く。
「他の辺境伯だったら、そうだがね」
フランシスの表情は硬い。
「言われて見ればそうか」
カイタルが当主となって以来、カタラン領は一度たりと削られたことはなかった。寡兵で大軍の侵入を押し返したことも多々ある。
「いや辺境の問題もいろいろあるが、まずは身近な事件についてだよ」
フランシスは垂れ下がって来た前髪を払って、話を元に戻した。
「実は今夜、近くのハイシャット男爵邸で侵入者騒ぎがあり、魔具が破壊されるという事件があった」
「へえ、貴族の屋敷に泥棒さんかい。それでわざわざ戸締りご用心って、言いにきたのかい?」
「この事件だけなら回報にでも書くさ。だが、似たような事件が王都のあちこちであってね」
「ほう? となると――、泥棒じゃなく魔具が破壊される事件があちこちであるってのか?」
得られた情報だけから、ついつい推測してしまい、口に出してしまった。
これを聞いて、気を掴んだとフランシスが笑みを浮かべた。
「御明察。破壊されるのは特定の魔具。乾燥魔具だけなのだ」
へえ、っと肯きオレは紅茶を飲む。
「数年前から出回って来た、あの乾燥魔具かぁ。あれ便利だって使用人も言ってたな」
雨が多いこの時期、うちでも忙しく稼働しまくっている魔具だ。あれが壊れると困るだろうなぁ。
「しかしなぜわざわざ忍び込んでまでして、そんな物を破壊するのか理解できないんだ。ちょっと前に流行った魔具の破壊運動ならばまずは洗濯機を狙うだろうし」
フランシスが苦々しく語る。犯人を捕まえられないだけでなく、目的まで分からないことが、よほど悔しいのだろう。
魔具の破壊運動はちょっと前に、爆発的に流行った。ミシンとかいう縫物魔具が出回った時は、裁縫士や服の仕立て屋が魔具を打ち壊しまくった。
まあ彼らも生活があるから、仕事を脅かす革新的魔具は怖いのだろう。
しかし乾燥魔具を狙うのはおかしい。洗濯魔具なら、洗濯屋が困る――って推測はできるが、乾燥屋などという職業は存在しない。
太陽が乾燥料金でも取りたててるなら、太陽が犯人かもしれないけどな。
ふっ……ふふふっ、太陽が犯人か。面白いな。
『……ザル様、それ別に面白くない』
脳内での個人的な冗談に、ダメ押ししないでくれよ、ディータ……。
「そもそも個人宅を狙う理由がない。犯人の目的が皆目見当がつかない……」
頭を抱えるフランシス。
「洗濯物を外に乾してほしいんじゃないか?」
オレは特に意識せず、まったく深い意味も裏も無く、本当に心底何気なくそんなことを言った。
「どういう……ことだい?」
怪訝な顔を上げ、フランシスがオレに問いかける。
「洗濯物泥棒が、外に乾して欲しいんだろ? 乾燥魔具は外から動いてるかわからないしな」
オレは犯人たちを馬鹿にするつもりで言ったのだが――。
「そういうことかっ!」
フランシスは膝を叩いて兜を小脇に抱えてて立ち上がった。
オレの発言が解決の糸口にでもなったか?
「さすが変態犯罪に詳しいザルガラ君だ!」
「おい、それ他所で言わないでくれよ」
忙しそうに帰り支度を始めながらオレを褒めるフランシスに、止めてくれと釘を刺す。
「キミのお陰で事件が繋がった! これは広域大規模下着窃盗事件の兆候だ!」
「え? なんだって?」
オレの変態拒絶性突発難聴が発症した。
「長雨の直前まで婦女子の下着泥棒が報告されていたが、この雨ですっかり止まった……と思っていたがそうではない! この長雨で洗濯物を溜めさせて、晴れ間で乾されたところを一気に掻っ攫う! そういう計画なのだろう!」
「ふ、ふ~ん……」
オレとフランシスの温度差が激しい。
まあ一応、彼の言うことは理屈が通ってる。
雨で乾燥魔具があちこちの富裕層で大活躍している。晴れ間に洗濯もするだろうが、乾燥魔具のお陰で意外に少量だろう。
それに女ってのは下着を外に乾すのを嫌がるもんらしい。盗まれることを警戒してってこともあるだろうが、見られるのも嫌なんだろう。乾燥魔具があちこちで売れている理由でもある。
「よし、近いうちに長雨が一時止み、晴れ間が広がる日があるはずだ! そこで大々的に網を張るぞ! ザルガラ君! 今日はありがとう! 後日改めて礼にくるっ!」
「あ、ああ。お土産よろしくね」
従士たちに指示を飛ばしつつ去っていくフランシスに、弱々しい軽口しか叩けなかったオレだった。
「なあ、ティエ」
「はい、なんでしょう?」
「本当に下着泥棒が、乾燥魔具を壊してると思う?」
ティエは眉を潜めて首を傾げた。
「ザルガラ様がそう名推理をされたのでは?」
「待て。そんなつもりはないぞ。それに今のは途中から、ほとんどフランシスの推理だったろ?」
あえて言うならフランシスが変態探偵だったぞ、今。
『ザルガラさま、ザルガラさまー』
部屋の中をところ狭しと踊っていたタルピーが立ち止まり、こちらにお尻を突きだした片足立ちのポーズで器用に振りかえって、ちょいちょいと手を動かしオレを呼んでいた。
「なんだ? タルピー」
『アタイが洗濯部屋の中で踊るだけで、洗濯物がみるみる乾燥するよ。試してみる?』
「……それでいいのか、上位種?」
タルピーによる謎の【仕事出来る女】アピールに、オレは言葉を失った。
数日後、王都各地で偽装された洗濯物乾しによって、かなりの数の下着窃盗団が捕縛されたという。
捕縛された彼らは騎士団や巡回兵たち相手にではなく、乾燥魔具へ怨嗟の言葉を吐いたという――。
ベクター・アフィン教頭「私も愛用してます。乾燥魔具」
アザナ「教頭先生のお役に立てて、ボクも嬉しいです」
この度、長編のプロットが固まりました!
短編で引き伸ば……じゃなかった。みなさまに短編を楽しんでいる間に、長編の構想がまとまりました。