だれもうまくいかないリザルト
王都に住む市民たち。そのほとんどが気が付いていなかった孤児誘拐事件だったが、さらわれていた孤児の確保、暗躍していたアポロニア人の逮捕、そして騎士団大隊長サスピ子爵の自首により事件は一気に収束した。
だが事件は解決したというのに、巡回局は暗い雰囲気に包まれていた。
「この状況で貴方は随分とまた嬉しそうですなぁ、チェンバー巡察官殿」
局長室で苛立たしく机の上を指で突きつつ、モルガン局長は応接椅子に座る巡察官に強くあたった。
「いやぁ、なんというか……。本来なら私が後始末に追われるはずなのに、どういうわけか仕事が無くて暇でしてね。それにあのザルガラくんがまた、こうなんというか、素晴らしいことをなさいましてな。嬉しくてたまらないのですよ」
「……こっちはいろいろ頭が痛いというのに」
気楽で陽気な巡察官を見て、モルガンはさらに陰鬱となった。
巡察官は軍省から――巡回局より上位の部署から派遣されている。巡回局が困った事になろうと、あまり関係ない立場だ。局員を顎で使える立場なのに、これはかなり不公平である。
爵位持ちながら中間管理職のモルガン局長は、貯まる不満で口元を歪めた。
これを横目に見て、爵位無しの士族ハンマー・チェンバー巡察官は呑気な顔で巡回局の安茶を飲んでいる。
「いやいや、実はこれでも困ってはいますよ。全てが明るみになり、その解決に寄与したなれば、今頃私は国王陛下からお褒めの言葉を貰っているころでしょうなぁ」
今回の事件は矮小化された。
全てではないが、事件のほとんどが闇に葬られた。
アポロニアギャスケットの工作員は、単なる人さらいとして処理され投獄。
なにしろつい先日、王宮内――しかも王女に仕える侍女が、彼の国の工作員と発覚したばかりだ。短期間にそんな事実があったとなれば、いらぬ騒ぎを起こしかねない。と、王が判断した。
今回の事件を明るみにして、この国は連日工作員を捕まえたとその捜査能力を喧伝してもよいが、逆にいえばそれだけ工作員が忍び込んでると知らしめることになる。
王都の民の間で、まさかあいつが? という疑心暗鬼を抱かぬように、というエウクレイデス王の判断である。
「正直、人の噂で広まるんだろうが……」
「まあ陛下の本意は他にあると、私は思いますよ」
頭を抱えるモルガンに対して、チェンバーは気楽そのものだった。
「どういうことかな?」
「公式に発表し騒ぎとなる前に、他の怪しい箇所を洗い出すのでしょう。騒ぎになると共和国も警戒するなり、手を引くなりするでしょうから、今のうちに少しでも隙を突きたいのです。事実、私のところにいくつか案件が回ってきてますよ」
なるほどな、と頷きモルガンは険しい顔で腕を拱く。
「それで今のところ、こうした温い処分となったわけか」
一連の事情によってサスピ子爵の処分も、ひどく甘いものとなった。
騎士大隊の管理に大きな不備があったため大隊長の職を解任。騎士団員の資格を剥奪。
位は低くも歴史ある報国の士族子弟たちを、まとめて冤罪で捕縛、拘禁した失態。それにやたらと無理矢理掘り起こされた大隊管理の不備を突かれた結果だ。
彼は諸侯でない。領地を持たぬ士族系貴族であったため、領地の召し上げはない。子爵位から男爵位への降爵も検討されたが、そこまですると騒ぎになると考えられ見送られた。
「何より、サスピ子爵殿自身が別人のように悔い改まっていましたからね。お上も大鉈を振るえないのでしょう」
「……らしいな。なんでも罪滅ぼしに、財産を王国に返して、その中から出来るだけ孤児たちに渡してほしいとか言い出したとか?」
「慌てて王国側が止めました。そんな前例作られたら困りますから」
2人の男は呆れた、と深いため息をついた。
「人間、どうなったらああまで変われるんですか? アレは完全に別人ですよ」
「妙な薬を飲んだら人が変わったとかいうが……。一応調べてるが、一時的ならともかく――」
「何日も効果が続く薬などあるわけありませんしね」
「そうだな」
こうして結局、アポロニアギャスケット共和国側に吸血鬼がいたことから、【支配者の視線】の影響下にあったサスピ子爵が、解放されて正気に戻ったということになった。
サスピ子爵は上の意向で無難に済まされたが、孤児院関係者の処分は面倒な事となった。
孤児を直接売り渡した孤児院運営者は全員を逮捕。人身売買の罪により財産没収の上、鉱山送りなどの重い労役を課せられることとなった。
売買には関わらなかったが、孤児のたらい回しに協力した運営者は解任。
これらを合わせると、王都にある孤児院の管理者6割に相当した。
今のところは、王国側から人員を派遣して孤児院の運営を維持している状況である。
子供を手厚く保護して才能を伸ばし、同時に使えるだけ酷使した古来種時代以来、人を資産と考える王国の伝統故の苦悩だ。
サスピ子爵が財産を分け与えたいと言い出しているが、王国側もそれを認めたくなる事態だった。
もっとも足りないのは人員であって、資金ではないのだが。
そして巡回局もまた無事ではない。
「女の放漫経営を誤魔化すためとはいえ……、いやはや巡回局の人間が、己の将来を投げ捨ててまで罪を被ろうとするなんてねぇ」
「頭が痛いよ。ああ、主計係の彼を失うことじゃない。十人隊長格が、犯罪に加担したという事実の方だ」
グッドスタインが火を放ったという証言は、実行犯であるアポロニアギャスケットの工作員逮捕により否定された。
だが帳簿の改ざんや、工作員との接触の事実は消えない。
「どうやらグッドスタインは工作員の誘いに乗る振りをして、葡萄孤児院に配置される発火装置を減らしたようだね」
チェンバーはグッドスタインの証言と、工作員の証言を照らし合わせ、そんな事実を掴んだ。
工作員の計画ではアマセイ以下孤児たち全員が焼け死ぬはずだったが、グッドスタインの策で逃げる余裕が生まれた。――まあ、運悪くアマセイが工作員と顔を合わせて怪我をしたり、孤児がゴーレムの部品に拘ったせいで逃げ遅れたが……。
さらに白柄組のメンバー自宅に置かれる証拠品をすり替えたことにより、彼らの冤罪を証明させた。
これを知ってモルガンはまたも頭を抱える。
「まったく。私に相談してくれればいいものを――」
葡萄孤児院の帳簿など証拠品を改ざんしたとして、グッドスタインは免職。モルガンも管理責任を問われる事必須である。
モルガンのうめきに似た呟きを聞いて、悩ましいとチェンバーは首を振る。
「しかし、それでは惚れた女の放漫経営が露呈してしまう。ということでしょう。いくら主計係が帳簿を改ざんしたとて、それは数字だけの話ですからね。ないものはないし、あるものはある」
アマセイの好ましくない資金調達方法を、以前からグッドスタインは独断で密かに誤魔化していた。火を放つ計画を工作員が持ち込んできたのも、これを嗅ぎ付けたからだ。
貯まった孤児院の帳簿や、アマセイが売り払って存在しなくなった贈り物などの証拠を、火事で一切消せると工作員は持ちかけた。
これを逆手に取ったグッドスタインだが、一歩間違えば大惨事になる計画に加担した。
「巡察官殿には感謝していますよ。やらかした部下を免職だけで済むように取り計らってもらって」
「そういわれると辛い。私は上の意向を反映しただけなので」
「それでもご苦労をおかけした」
「まあこれから苦労されるのは、局長のほうですがね」
「う、う~む……」
チェンバーに指摘され、モルガンはまた唸って目を閉じる。
巡回局としては身内から犯罪者を出した上に、貴重な主計係を失ってしまった。
「まあ、結果的には最悪ではなかったと思いますが? グッドスタインの行為は犯人隠匿となりますが、彼の行為のお陰で早くから白柄組の冤罪を証明でき、王都騎士団第2大隊の不正を追及できたわけですし」
「む~~~……」
法に関わる官僚と思えないチェンバーの慰めを聞いて、またもモルガンは深い唸り声を漏らす。
「しかし、この程度で済んだ――ということは確かか」
エウクレイデス王国が人治国家であり、法治国家ではないことが幸いし、一連の騒動はこの程度で収まった。
モルガンは無理矢理自分を納得させ、険しい表情を解く。
「それでも騎士団は大隊長の解任で大騒ぎ、だ。孤児院は王都のあちこちで運営管理者不足。巡回局は身内の暴走から貴重な人材を失った。アマセイは大怪我で、葡萄孤児院は消失……。とても良いとは思えないのだが?」
モルガンの指摘に、チェンバーは頭を掻く。
「はっはっはっ……うまくいかないものですなぁ」
チェンバーのワザとらしい笑い声を聞きながら、モルガン局長は苛立たしく椅子に深く座り直した。
ぎしり、と豪奢な椅子が小さな悲鳴を上げた。
* * *
「うまくいかないものですね」
病院での治療を終えたアマセイは、グッドスタインの前に現れてそう言った。
「ど、どうして?」
王都を去ろうと荷造りをしていたグッドスタインだったが、突如現れたアマセイの姿を見て手が止まった。
官舎の玄関先で、2人はしばらく見つめ合う。
どれくらい見つめ合っていたか、先に口を開いたのはアマセイだった。
「私の下手な金銭管理の泥を被ろうとしてくれたそうで……。なんと申したらいいか……。御迷惑をお掛けしました」
言葉は謝罪染みていたが、アマセイは頭を下げる気配がない。
むしろグッドスタインの方が視線を逸らし、頭を下げる形となった。
「あなたはあんなところ……孤児院にいるべき人じゃない。もっと……もっと相応しいところがあるはずです」
視線を逸らせたまま、独り言のようにグッドスタインが呟く。
これを聞いてアマセイは申し訳なさそうに答えた。
「しょせん、私は男を騙すくらいの能しかない女です。ともなれば、相応しいのは限られますね。何しろ孤児院の経営すらろくにできない女です。――ですが、そのせいでいろいろ迷惑をかけてしまいました。ほんとうに申し訳ありませんでした」
アマセイは不器用だ。
グッドスタインが思う以上に、アマセイ個人の能力は低い。
魔法の才能はないし、まともな教育も受けていない。計算も拙く、特技というものもない。笑顔で男に媚びる程度のエルフだ。
「相応しいというより、私は収まるべきところに収まっているのです。孤児院の管理者となれば、むしろ過分な社会的地位ですよ」
アマセイは自虐混じりの評価を口にして、グッドスタインに微笑みかける。
下を見ていたグッドスタインは、その笑顔を見ることはできなかった。
そして笑顔を見せることなく、すぐにアマセイは真顔に戻り問いかける。
「エルフである以上、私が相当な歳だということはご存知ですよね?」
グッドスタインは肯く。
「私も孤児でした」
知っているとグッドスタインは肯く。人伝で聞いた程度だが、アマセイが孤児として育ったことをグッドスタインは知っていた。
「いくらエウクレイデス王国が、『人は財産』という国是の元、孤児に手厚い加護を行っていたとしても、あの頃……200年前ではまだ、私たちエルフなど人間種以外の孤児には冷たい時代でした」
これはグッドスタインも初耳だった。
「そ、そんな中でアマセイさんはどうされたのですか?」
「そんな時代の中、私を育ててくれたドワーフがいました。珍しい方でした。王都にいるドワーフも。孤児を引き取るドワーフも。エルフを引き取るのも。なにかといろいろ奇特な方でした」
目を閉じるアマセイ。ここでやっとグッドスタインは彼女の顔を見る事ができた。
だがなんとも読み取り難い表情で、アマセイは告白を続ける。
「彼もまた不器用な人でしてね。私をエルフとして育てることができないのは当然として、ドワーフとして子育ても出来ないような人でした。……それでも彼がいなければ、私は生きてはいなかったでしょう」
アマセイの話を聞いて、グッドスタインは返す言葉を失う。
彼の中で、アマセイへの評価が変わった。そして疑問が浮かぶ。
――もしかして彼女は、狭い世界の中でしか生きられない人物なのでは?
そんな狭い世界から救い出そうとした自分は、ひどい勘違いで無駄な行為をしてしまったのでは?
急速にグッドスタインの頭が醒めると同時に、アマセイに対する新たな興味が湧く。
「それでご相談なのですが――」
グッドスタインの気持ちを知ってか知らずか、アマセイは彼の手を取って言った。
「もしかしたら、私も貴方もやり直せる場所があるのですが――」
* * *
「す、すごいすごいぞ!」
鉄音通りの外れで、ベデラツィは興奮していた。
「は、ははは……。あのお方はここまでするのか!」
ザルガラの相談を受け、孤児たちが寝起きして作業出来る場所として探し出した元倉庫。その前で、ベデラツィは乾いた笑いを上げていた。
「慈善活動というお綺麗な隠れ蓑ばかりか、巡回局と騎士団のコネまでできた! よほど無茶をしたり、あからさまな発覚でもないかぎり、しばらくは安心して商売ができるぞ!」
元倉庫は簡素ながら、孤児院の体裁を整え始めていた。
出入りする多くの大工たち。手早く作業し、倉庫は人が暮らすに相応しい姿となっていく。
「この分なら、次にザルガラ様が様子を見に来る前に、ほとんど出来上がるだろうな!」
勘違いするベデラツィと、伝達ミスをしたペランドーが原因で、一時預かりの避難所が孤児院と化し始めている。
加速させたのは、篤志家ブトアの出した資金だ。
気前よくブトアが資金を出したため、孤児院の形を整えるだけの余裕があった。
勘違いしている者の元に、金だけでなく人までも集まり始めた。
不思議なもので、事が大きくなると何もかもが加速する。
焼きだされた葡萄孤児院の子供たちを持て余していた巡回局は、すぐさま軍系孤児院からの移管手続きを行った。金と人は出さないが、いろいろと法的な面倒は見るという態度だ。
騎士団は騎士団で、サスピ子爵の財産を一部寄付してきた。サスピ子爵の詫び金という形である。
そして人。
当座、運営はアマセイとグッドスタインの2人で行われる。
子供の面倒見が良く、さらに人たらしのアマセイ。経理に長けるグッドスタイン。この2人がいれば、立ち上げくらいはなんとか軌道に乗るだろう。
そして孤児院の運営が滞っている今、さらわれていた孤児たちの受け入れ先もなかったが、ザルガラはそんな孤児たちも一時的に受け入れるとした。
ザルガラはさらに、ベデラツィに対してこう言った。
「孤児には仕事を手伝わせる。片手間でいいから手配してくれ」
――と。
アザナの研究を盗む目的を隠すため、あまりにもザルガラは言葉が足りなかった。
それがもとでベデラツィを勘違いさせてしまう
「ああ、こうしてはいられない。まずは内職ギルドを通してうちの薬の材料加工を頼まないと!」
ザルガラは課題の手伝いをさせるつもりだったのだが、ベデラツィは薬の製造の手伝いと受け取ってしまった。
もしも葡萄孤児院だけの子供たちを集めていたら、課題と薬の材料加工で仕事は間に合わなかっただろう。
しかし、さらわれていた孤児も引き取ることになり、謀らずも人の手が足りてしまった。
「うまくやれば、短期間で稼ぐだけ稼げるぞ!」
「……あの~、それで俺はなにすればいいんすかね?」
興奮するベデラツィに、後ろから恐る恐る声をかける男がいた。
勝手に薬を作って売ったウイナルである。
サスピ子爵への温情に伴い、彼の不法行為も不問とされていたが――それはあくまでお上の判断である。
薬を作って売るという行為は、ザルガラの逆鱗に触れた。
相手が貴族となれば――しかも怪物と評されるザルガラでは、厚顔無恥のウイナルでも反省するほかない。
ザルガラの睨みが効き、いまではウイナルもすっかり大人しくなっていた。
もっとも改心したわけではないが。
油断ならないウイナルだが、ベデラツィは身代わりとしてまだ彼を必要としていた。
そんなウイナルに与える指示を考える――。
「まあ、普段通り営業――は、もう無理ですね。とりあえず仕入れの方を頼みます」
「そうですか――」
仕入れのメモを受け取りながら、ウイナルは肩を落として小さくため息をついた。
「ああ、上手くいかねぇなぁ……」
ちょっと長くなってしまったのでザルガラパートは次回に。