とある怪物の死
20160616 後書きにGIF追加。GIFなので動きます。お気をつけください。
「タバコを持っていないか?」
見渡す限り焼野原。
やたらと見晴らしが良くなった丘の上で、オレは適当なガレキに腰かけ、目の前で立ち尽くす青年にタバコをねだってみた。
オレを見下ろす青年は傷だらけだ。
輝く銀髪は灰をかぶって台無し。王都の女たちを魅了して止まない甘い顔も、右半分がまっくろに汚れて悪戯したガキたれのようになっている。鼻血でも拭ったのか、黒く汚れてない方に向かって跡が付いていた。
いやはや、なかなか笑える顔だ。
それでも愛嬌があるんだから、美を造る神様ってのはえこひいきが過ぎる。
だらりと下げたソイツの両手はボロボロだ。
アレでタバコを渡されたら血の味がするだろう。
それでもソイツからタバコを……何かを貰いたかった。タバコを求め、急かすようにオレはゆっくりと手を伸ばした。
差し出すオレの手が皺だらけになっていて、自分自身でも驚いた。
そんなオレを見て、青年は息を飲み視線を逸らす。
「……ごめん。ほんと、ごめん」
タバコを持っていなかっただけなのに、ソイツはひどく申し訳なさそうな顔を見せた。
「持ってないのか? ……ああ、そうか。そうだったな。いつもオマエは言ってたな。『酒とタバコはハタチを過ぎてから』……だっけか?」
「ああ……、うん。そうだったね」
「15歳から許されるっていう風習は聞いたことあるが、調べても20歳から酒とタバコが許されるという国や宗教戒律は見つからなかったぞ」
青年は曖昧にうなずいた。いつもそうだ。
コイツは何か重要な事を隠してる。秘密と不思議を、山ほど持っているヤツだ。
「まあ、いいさ。残り少ない寿命だ。タバコを吸ったら、オマエと話す時間が減っちまう」
今さらタバコ一本で、そんなわけないがな。
……しかし息苦しい。
複雑な4次元の図形を描く魔胞体陣をいくつも使い、古式、新式、独式の魔法を織り交ぜて放った反動がきている。手のひらと腕がこれだけ皺だらけになっているところ考えるに、顔は酷い老人になっていることだろう。
今更、劣等感も何もないが、若々しく美しい青年に老いた姿を見られるのは辛いな。
青年は案の定、オレを指差して訊いてきた。
「その姿……もしかして……」
「ん? ああ、オマエが思ってる通りだ。10年かけて編み出したとっておきの秘術を、オマエに破られたからな。呪いと代償で、生命も寿命も根こそぎ持っていかれた結果がコレなんだよ」
オレは負けた。
10年挑み続け、全力を掛けた今日もまた負けた。
「……ごめん」
「気にするな。望んで使ったことだ。――悪いと思うなら、しばらくオレの話を聞いてくれ」
罪悪感を抱いてくれるなら、最後までこの顔を見せつけてやろう。
俺はローブのフードを払って、素顔を晒した。風に触れ、皮膚が乾いていることが良く分かる。口を開くたび、唇が裂ける。だが、血は出ない。
「オマエと会ったのは、魔法学園の新学期……オマエに取っては入学直後だったな」
立ち尽くす青年に、俺は勝手に言葉を投げる。ソイツは素直に聞くつもりなのか、黙ってうなずいてくれる。
「お前、入学直後の試験……、歴代の最高成績だけを見て『手抜き』をしただろう」
「気が……付いてたのか?」
「そりゃぁ、まあな……。これでもオレは、オマエが破った記録の【元】最高成績保持者だ。そして、そのオレの最高成績は、歴代次点の倍もあった。それを上回れば、学園は大騒ぎさ。なにしろ、次点の成績は卒業生が最後に残した成績だ。新入生と在学生が上回ったら、笑いごとにならん」
オレと青年は同時に笑った。
ソイツの笑みは自嘲だろう。だが、オレはオマエのドジさを笑っているわけじゃない。
「だが、良かったよ。お前がその歴代最高成績を僅差で上回ったおかげで、俺は救われた」
オレが笑う理由。それは嬉しさからだ。
あの時、オレは嬉しかった。オレを上回る存在を知って、心から嬉しかった。
「ど、どういう意味? そのせいで僕はキミに嫌われていたとばかり……」
青年が戸惑うのも当然だろう。普通に考えたら、オレの思いなど分からないだろう。理解して貰いたいとは思わないが、今になるとコイツだけには知っていて欲しい。
オレは誰にも言ったことのない心中を、青年に向かって吐き出す。
「オマエが入学するまで、オレは怪物と呼ばれていた。なにしろ、俺の入学時の能力が、卒業生の歴代トップを上回っていたのだ。怪物と言われて当然だ」
青年の顔色が変わる。
どれだけ、オマエはオレを知ろうとしなかったのか。もしくは他人を理解することが苦手なのか。
こんなヤツが多くの人々から愛されるのだから、人の世は分からない。
「もしも……もしもだ。オマエが俺みたいな怪物みたいなヤツだったら、きっと二人で怪物だったんだろうな。……ところがどうだ? オマエは男からも好かれ、女からは愛され、上から可愛がわれて、下から憧れられる。化け物みたいなオマエがそういう扱いだと、俺は怪物じゃなくなる。ちょっと昔、騒がれただけの負け犬扱いだ」
魔法の才能だけで、オレを怪物扱いすれば、コイツも怪物だ。
なぜか誰からも愛されるコイツのお陰で、オレは怪物と呼ばれなくなった。
「それが――楽しかったよ。いまでも夢にみる」
青年は反応に困っている。
そうだろうな。その狼狽える顔を見れて満足だ。
「オマエを蹴落とそうと、いろんなヤツがオレに話を持ち掛けてきた。オレを嗾けようとするヤツラがもいた。オレを利用するヤツラがいっぱい集まってきたよ。生まれて初めて、そんなトモダチがいっぱいできた……」
「そ、それは……友達っていわないだろ? 結局、みんなキミを裏切るような人たちだったじゃないか!」
「それでも、オレにとっては一番のトモダチだったんだよ!」
オレは青年の言葉を許せず、打ち消すように叫んだ。
「いいか? こんなこと言うのも恥だが、オレにはアイツらしかトモダチってのがいなかった。アイツらの後にも先にも、オレにはトモダチもいない! てっ、ことはだっ! アイツらが最高の友達なんだッ!」
トモダチに順序をつける。なんて贅沢なことか。
「ご、ごめ……」
オレの怒気に気圧されたわけではないのだろう。青年は本心から、すまなかったと謝ろうとした。
だが、許さない。
謝罪の言葉を言わせず、オレは魔力を放って青年を吹き飛ばした。
「な、なにを! 気を悪くさせたなら謝る! も、もう戦うのはやめよう!」
「いいや、ヤだね。せっかく時間稼ぎが成功したんだ! 最後の一戦だ!」
同情してもらいたくて、心中を吐露したわけではない。
同情させて、独式魔術の発動準備をしていたのだ。
青年を吹き飛ばした魔力は、そのまま周囲に配置した魔力石に吸い込まれて術を発動していく。様々な魔法が青年を襲いつつ、それがそのまま次なる魔術の仕掛けとなる。
「もっとも、オレは逆立ちしたって敵いそうにないと分かっていた。それでもオマエに挑戦して、毎度返り討ちに合うのは楽しかったよ。ああ……勘違いするな。別に変な趣味じゃない」
青年は数多の魔力弾に襲われながらも、まったく傷ついていない。まったく憎らしい。まったくすげーな、オマエ。まったく呆れる。
どうやったらそこまで完璧に、四方から迫る魔力弾を防ぐことができるのか。
「オマエに負けるたび、オレが怪物でないと証明されていく……。オマエにわかるかな? いや、わからんだろうな。何をしても褒められ、称賛され、肯定されるオマエには」
魔力弾に翻弄されていたアイツが、体勢を立て直し始めていく。
もうすぐだ――。魔力弾の軌跡が、立体的な魔法陣を描いていく。オレが作った独式の上に、魔力弾の軌跡を使った通常の魔胞体陣とは違う描き方。さすがのアイツでも一目で何をする魔法陣か理解することはできないだろう。
まだ、立ち直るな!
オレが絶対に越えられないライバルよ。
「オマエが現れた瞬間、オレという怪物は死んだ。何をしても、もう二度と復活しなかった。今回もそうだ。怪物は蘇らなかった。オマエと言う存在が、ずっと頭の上に傘のように乗っかり、オレはずっとそれを払いのけようとするだけの、小さな人間として生きることができた」
仕掛けは完成した。
オレは枯れた右手を振り上げる。天頂に魔力を放ち、最後の独式魔胞体陣が完成した。
600個もの3角形が、干渉しあいながら蠢く魔胞体陣だ。4次元の図形である超立方体。それは丸い複雑な編み籠の中に、さらに網み籠を押し込めた形をしている。
「か、解除できない! こ、この魔力は『バイトオーダ』……? 戦いで散らばった魔力石を『仮想魔法陣』にしている? しかも、これは『ミックスドエンディアン』か!」
青年はオレの魔術に驚き戸惑い、意味の分からない事を叫んでいる。だが、的確に魔法経路を切断して、魔法の発動を防ごうとしていた。
オマエはいつもそうだ。
誰も知らない、聞いたこともない言葉を使って、問題を解決して敵を排除し、世界の技術を先へと進めていく。
ここじゃないところから、オマエは来たのか?
そんな気がする。
オレは……オレたちはいつも、いつまでもオマエの背中を追いかけて、立ち止まることができない。誰もが横目も振らず、オマエを目指して突き進む。
お陰で、オレはオマエだけを見て、怪物にならずにすんだ。誰も俺を怪物と呼ばないでくれた。
――感慨に浸っていると、魔力の流れが崩れ始めた。
「……やりやがったな」
早すぎる。
アイツは体勢を立て直しただけじゃない。もうオレの独式魔法を解析したらしい。
オレの仕込んだ遅延自動発動魔法が解除されていく。1年かかってこの決闘場所に仕込んだ罠と、最後の魔力と命を削って放たれる魔法が光を失っていく。
こうして全身全霊で魔力を注ぎ込んでいるのに、アイツはオレを救おうと攻撃を仕掛けてこない。それどころか魔力を分け与えてくれる。
どれだけお人良しなんだ?
行き場を失った圧縮魔力の嵐が、オレたちを吹き飛ばそうと荒れ狂ってるのに、オマエはどうしてそんな事をする?
オレはオマエを全力で殺そうとしているんだぜ?
それなのに――
オマエはオレを全力で助けようとしている。
「も、もうやめ……っ! なんで? なんでこんなことをっ!」
必死にオレを救おうとするマヌケ顔が近づいてきた。それを拒むように、天を仰ぎ倒れる。もう限界だ。
暴れる魔力の光が、天空で意味のない軌跡を描いていた。
オレが完全に地面に倒れる直前、無軌道だった魔力が集まり、輪を描いて規則正しく霧散していく。綺麗だなと思いながら、オレは最後に泣き言を口にしてしまった。
「できれば、戻りたいとも思う……。あの、夢の様な学生生活に……」
最後に天頂で魔力が強く輝き弾け、あまりに眩しくて目を閉じた。
* * *
「おい、聞いたか! 新入生のヤツで、ザルガラを上回る成績を出したのがいるってよ!」
騒がしい少年の声が聞こえる。
どういうことだ?
仰向けに倒れたはずなのに、オレはうつ伏せで寝ていた。
なんか、おかしいぞ。
オレは椅子に腰かけ、テーブルに突っ伏しているようだった。ニスの効いた机の匂いが鼻孔を擽る。
億劫だが目を開くと、どこか懐かしい机が見えた。
身を起こす。
――身体が軽い?
失った魔力と体力が戻っている?
いや、なにより驚きなのは目に写る光景だ。
エンディアンネス魔法学園の教室。見覚えのある黒板と、5次元の図形である魔胞体陣を平面図に書き換えた独特な天井の板の古式魔法陣。
ここは10年前に、オレが通っていた学園だ。
夢を見ているのか?
死にかけた俺が、あの頃を思い出して夢を見ているのか?
オレは腕枕にして痺れている手を見た。
若々しい手。古式魔法と独自の新魔法の副作用で、老いる前よりさらに張りがあって若い手。
まさか時間が逆行したとでもいうのだろうか?
確かに、若返りの魔法はあると聞く。だが、若返っただけでは、この教室の光景は説明できない。
「どういうことだっ!?」
状況が理解できず叫ぶと、オレを中心として恐怖の輪が広がった。
教室内にいる子供たちが、身を竦めている。見覚えのある子供たちだ。10年前、学園の同級生たち。
みんなが、恐れの眼差しをオレに向けていた。
「ザ、ザルガラ……さん。いらっしゃったんですか? す、すいません! あの……」
さきほど叫んだ少年が、申し訳なさそうに肩を縮込ませて謝ってきた。
「どういうことだ?」
どうしてオレをそんなに恐れている?
という意味で訊ねたのだが――
「ひぃっ! ち、違うんです。さっき先生たちが騒いでて、そこで聞いただけの話なんです! すいません!」
「そんな事、聞いちゃいねぇ!」
びくびくする少年に苛立ち、オレは左手を横に払った。
「きゃっ!」
左手が誰かに当たり、可愛らしい悲鳴が聞こえた。
おかしい。
隣の席は、誰もいなかったような? 何しろ怪物の隣りだ。好き好んで座るヤツなどいない。怪物と呼ばれなくなった後でも、そんな状況が続いていたはずだ。
俺は疑問を抱きつつ、隣の席を見た。いや、睨んだ。
「ひっ!」
子犬のようにおびえる少女がいた。たしか名前は……そうだっ! たしか辺境の英雄カイラル・カタラン伯の娘で……ヨー、ヨー……ヨーなんとかだ。
いやいや思い出してないじゃないか。と、思うがそれでも思い出した。
割り振られた隣りの席で、いつもびくびくしていた少女だ。確か要所を守る勇猛な辺境伯の娘なのに、学校でも一番の腰抜けと言われていた子である。
とりあえず、そんな子などどうでもいい。オレは教室内を見渡す。
見知った顔がみんな若い。成人してから会わなくなったヤツらもいる。
突然立ち上がったオレに……、いまだ怪物扱いをしていた全員が――同級生全員が萎縮する。がたがたと椅子を鳴らし、無様に怯えていた。
まだ怪物と呼ばれていた頃、オレは毎日のようにコレを見ていた。懐かしくて、嫌な光景だ。
ぐるりと見まわし、教室の外を見た。青空と下に広がる街並みも懐かしい。
ガラス窓に、オレの姿が映っていた。
眩暈がした。
若い。若いぞ!
ガラス窓に映るオレの姿が若い!!
これは10年前のオレだッ!
振り返って同級生たちに、訊ねてみる。
「夢じゃないのか?」
誰もが顔を強張らせて、オレの質問に答えてくれなかった。