二話「本来の」
「ふー…」
静まり返った部屋、古書からいったん目を離して小さく息を吐く。
予想外に読み解くのが困難だった本は今はサクの満足げな手によってその表紙を閉じている。
床には読み始めた当初からじわじわと侵食しつつあった開かれた本が散らばっていた。
部屋に唯一ある窓に視線を向ければ既に日は沈みかけており、腹の虫が空腹を主張し始めていることに気づき、軽く舌打ちを漏らす。
その辺に散らばる数々の本を指先一つで浮かせ、口を開けたウエストバッグに突っ込んだ。
魔術って便利。
唯人が見れば目を剥いて勿体ないと全力で叫びそうな魔術の使い方をこの男は当然のようにやってのける。
この世界において魔術を使える者という者は、それが例え多少火や水をそこそこの威力で発動出来る者であったとしてもとてつもなく希少な存在である。
理由を上げるとすれば一つ、とても単純な事だ。
生きとし生けるもの全てに魔力は存在する、しかし、使えない。
どのくらい使えないか。魔術で火をつけるよりも、水一滴をひねり出すよりもマッチで火を着けた方が早く、近隣の湖から引いて来た水道を捻った方が早い。
その理由としては様々な諸説があるが、最も有力な理由。
それは、魔力が生き物の身体に依存し過ぎていることが原因だといった説。
魔力とは、血液と同義。
どの書物にもそれは常識的な事柄として表記されている。
つまりは血液を流し過ぎると命を保っていられないのと同じように、魔力を外へと流すと生命維持のバランスが崩れるという事。
多少は流しても大丈夫なのではないか、そう考えた者は当然のように存在した。
しかしその考えを嘲笑うかのように魔力は身体への依存性が血液よりも遥かに激しいという事があっさりと証明された。
要するに、コップ一杯程度の魔力しか体の外に出す事が出来ない。
それ故、稀にいる魔力操作を巧みに使い魔術を行使する存在はとてつもなく希少なのだ。
それをまるで息でもするかのように指先の操作一つで操って見せたサクは規格外等の言葉では収まらない程のクソチートであった。
そんなクソチートであるサクは今しがた起こった現象を当然のように受け止め、平然と欠伸を零す。
夕飯は何処で食べようかと何処までも呑気な事に首肯を巡らせたところで、ふっと再び窓に視線を戻す。
それはまるで誰かが来るのを待っているような、そんな視線。
果たして窓枠に音もなく降り立った影があった。
「うす。一緒に飯でも食わねぇ?丁度あれ始まんだよ。ライズとミロもいるぜ」
「あー…いいね。暇してたし」
挨拶もなしに少々乱暴な口調で陰から発せられた誘いに間をおかずニンマリと笑って賛同するサクは侵入してきたそれを当然のように受け入れる。
そして特に会話を交わす訳でもなく影に歩み寄ったサクは先程までの静かで、どこかの村人B並みに無害だった雰囲気を嘘のように霧散させ、代わりに気だるげで無気力だが…何処か妖しい雰囲気を纏う。
自身の「裏」の顔、自身の「本来」の顔
「行こーか」
宿主に今日は帰らぬことを示した紙をテーブルに置き、さも当然かのように扉からではなく窓から外へと影と共に繰り出していった。