一話「始まりは」
拙い文で申し訳ない。あと短い。
暗く、人気のない路地裏。
道の端には所々蹲って低く呻く黒い塊。傍の朽ちかけた建物からは甲高い耳障りな嬌声が響く。
そんな確かに暗い場所を流れるような足取りで進む一人の青年。
全身に覆われた黒く長いコートが夜風に溶け込むかの如く音もなく靡き。
首元に巻かれた白い布が月明かりに照らされ、黒の中で鮮やかに存在感を主張していた。
表のごくごく一般的な市民が一度足を踏み入れれば必ず迷ってしまう、もしくは路地裏の住民に襲われると有名なその入り組んだ場所を迷うことない足取りで進む青年は確実に「こちら側」の人間だという事を示していた。
それを証拠とするかのように誰もその黒いコートの彼に近づこうともしない。
傍を通る者でさえ青年が視界に入った途端静かに闇に溶け込み彼が通り過ぎていくのをじっと見つめるのみ。
「だる」
心底面倒そうな、気だるげな声音で小さく吐き出された言葉は静まり返った路地裏によく響き渡った。
彼の視界の先に座る塊が響いた声に一瞬びくりと肩を震わせるのにも、青年は一切興味を示さない。
暫く人気のない場所で足を進めているうちに、不意にささやかながらも路地裏を照らしていた月が完全に雲に覆い隠される。
瞬間。路地裏に増した静寂と、何処までも暗い宵闇が全てを呑み込むかのように蠢いた。
と、その時。先程まで足を進めていた青年の影がふっと闇に溶け込み、かき消える。
数分後、再び月が顔を覗かせ、微かな月明かりが再び照らし出した路地裏にはその青年の姿は勿論、誰かがいた気配や痕跡までもが跡形もなく、綺麗に消え去っていた___
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とある宿の、恐らく最も目立たない所にある一番端の古ぼけた木の扉。そこを開いた先に、本作の主人公…もとい、サクはいた。
ガヤガヤと、大きく開いた窓から聞こえる活気づいた賑やかな売り子の声やはしゃぐ子供の声。
太陽は既に真上に上り、良くも悪くも活気づいた人々を容赦なく照らす。
つまり、時刻は既に昼を過ぎている。
普通ならば誰もが働く時間帯。それが例え町民であれ、冒険者であれ、貴族であったとしても勿論例外はない。ないのだが。
そんなものとは無縁、とでも言いたげにサクは白昼堂々、ベッドの上でごろごろだらだらとくつろいでいる。確実に「例外」。働くそぶりどころか、起きた際の服装を着替えもせず、出かけるそぶりも見せない。
傍から見れば完全にニートである。
一般人である周りの知り合いたちからは勿論ニート、フリーターなどの余りいいとは言えないレッテルを貼られているサクであるが、彼の名誉のために云うと、彼は決してニートでもフリーターでもない。
れっきとした一冒険者である。その所属ギルドが少々特殊な為、日中は寝るか暇を持て余しているだけなのだ。
外から聞こえる声など全く意に介さないサクは、昨日の夜床に放り出していたポーチから古びた本を数冊抜き出し、つい先ほどまで眠っていたベッドにうつぶせになって本を開く。
無造作に目にかぶさる前髪をピンで留め、一晩でくしゃくしゃになったシーツを巻き込みながら収まりの良い場所を探そうと、もぞもぞ動く。
そしていい場所に収まった所で、古書から自然と溢れ出す文字の羅列、知識を手に入れるべく活字を読み漁る。
この間だけは流石のサクであっても周りの事など目にも耳にも入らない。
酷ければ気配にも気づかぬ程無防備になる時間である。
すべてが疎かになってしまうほどにのめり込むことのできる時間、サクにとって最も気が抜ける時間といっても過言ではない。
だからか、普段ならば当然のように気づくであろう気配にも気づけず、体に鈍い衝撃が走ったと認識した頃にはサクの体は床に転がり落ちていた。
「はいはいサクさんシーツ洗うのでどいてくださいね邪魔なんであとなんでこんな時間に部屋いるんですかこのニートが」
床って意外と柔らかい。
ナチュラルにディスられた事など意に介さず、全く関係のない床の感想をぼんやりと思い浮かべながら目の前で手早くシーツを引っぺがして毒を吐き続けている青年を見上げる。
宿屋の主人、変人、皆の母、呼び方は様々な多様性に富むがこの青年はれっきとしたサクが滞在している宿屋の主であることに違いはない。
数秒前の発言から窺えるように中々個性的な主人だが、荒くれ者が宿に突撃してこようとさりげなく追い返し。
落ち込む客がいるとさりげなく世話を焼き。
頼めばおふくろの味満載の弁当を作ってくれる。
その姿はまさに母親だとじんわり目頭を熱くして語るもの、多数。
サク自身はそれなりに美味しい食事が摂れ、幾ら眠っていても文句一つ言われない貴重な宿という認識だが。
それよりも、だ
「俺の至福の時間を妨害しないでほしい」
「シーツかえてからでお願いしまーす」
ずっと寝てたんですからちゃんと食事も摂ってください、と最もな事を指摘された。
思わずといった様子で顔を盛大に顰めるサクを素晴らしい笑顔で「何か?」と尋ねる青年。
ここの主人には誰にも勝てないという噂は本当だと感じた瞬間があるとすれば、今この瞬間だろうな。
とひんやりとする床に座りながら感じたのは言うまでもないだろう。