後編「愛〜初日の出」
彼女が笑顔を見せてくれた日からまたしばらく経ち、冬休みに入った十二月三十一日。
級友たちとも遊ぼうかと思ったが、一応まだ心配な部分もあってほとんどを家の中だけで過ごしている。
せめて彼女のことを打ち明けられたらと思うものの、俺ですらまだ知らないことが多かったのでやめておいた。
「ホットココアが入りました」
「ん、ありがとう」
リビングから戻ってきたらしい彼女は、片手に持つ湯気の立ったマグカップをこちらに差し出してくる。
カップが俺の分だけなのは、言わずもがな彼女が機械だからだ。
憐れむつもりも無いし、それは失礼なことだとは分かっている。
でも俺は、つぶやいていた。
「一緒に飲めたらいいのにな」
「……」
猫舌だった俺はホットココアを冷ましながらも飲み始め、そして飲み終わる頃にはもう一時間近くが経とうとしていた。
俺が相手をしてるわけでも無く、一体何をしているのだろうかと机に向かっている彼女を覗くと、一人黙々と読書にふけっている。
それは高校の国語の教科書なのだが、彼女は果たして何故読書をし始めたのだろうか。
自律的に知識を得ようとするプログラム上の行動?
ここ二、三週間付き添ってきている俺にはとてもそうは見えなかった。
✕ ✕ ✕ ✕ ✕
時刻は深夜を回った頃。
無事に起きたまま年を越すことが出来て、つい部屋の机に突っ伏してうたた寝をしていた。
数分してすぐ目を覚ました時、俺はある異変に気付く。
そしてその異変を理解すると同時に、電気も消さずに服装もそのままで家を飛び出した。
理由は単純。
彼女がいなくなったからだった。
何処を探そうかと考えた時、そもそもこの街について彼女はよく知らないだろうということを思い出す。
繰り出した夜の街は昼間のように騒がしかった。
そんな中をたった一人、寒空の下走り回っている自分のことが少し虚しく感じる。
なおも走り続けた。
「……さっさと見つけて家に帰ろう」
彼女と出かけたことのある場所はしらみつぶしに搜索した。
けれど結局、彼女のことは見つけられなかった。
全くもって行く宛が無い。
探しあぐねていた俺は、仕方無くカップルが手を繋いで歩く騒々しい街中を一人で歩いていた。
「あ!」
「……マスター」
全然進んでいるように思えない足を止めることになったのは、すぐ目の前に彼女がいたからだ。
振り向いた彼女の方へと歩み寄る。
そして両手の中に彼女の肩を抱えると、自然と寒さや虚しさがかき消されていく。
むしろ温かささえ感じられるほどだった。
「何やってんだよ……、めっちゃ探したんだぞ」
「マスターにご迷惑をおかけしてしまい、申し訳ありませんでした」
「い、いやそんな謝らんでもいいけど……」
いなくなって、初めて自分の本音がハッキリとした気がした。
それからも謝り続ける彼女に軽口を言いながら、俺と彼女は人工の明かりに包まれた夜の街中を帰り始めたのだった。
「──いたぞッ!」
その時、背後から低めの男のもののような声が聞こえてきた。
確実に今のは、彼女を見つけたことに対して言ったのだろうと思った。
反射的に隣を見ると、当の彼女の視線は明らかに後ろの男のことを見据えている。
予想は事実だったらしい。
「……」
ふと、俺は出会った時のことを思い返す。
彼女がボロボロだったのは何故なのか。
その答えが今、曲がり角から数人の仲間を呼び寄せた男達にあるような気がした。
「逃げるぞ!!」
「あ……」
いきなり手を引いたものだから彼女も反応に困っていたが、気にする暇も無く俺は走り出した。
とにかく逃げるしか無かった。
人混みをかき分けていき、次第に周りの風景から明かりは無くなっていく。
街の外れはほとんど田舎のようなもので、追っ手から逃げるために身を隠せるような場所など二つと無かった。
近くに神社を見つける。
境内に繋がる階段を少しだけ彼女の速度に合わせて昇っていると、下の方にさっきの黒服達の姿を見つけた。
こんなに早く追いついてくるのか……
けれども同時に、確実にあいつらが彼女のことを狙っているというのも分かった。
「……絶対に逃げ切ってやる」
俺は彼女に「こっち」と促してから、石段の脇に並んでいる草むらをまたいで越えた。
逃げるならこういう道を選ぶのが常識だろう。
月明かりだけが頼りの薄暗い森の中は、何処まで続いているのかも判然としない内装だった。
とにかく今は遠くにまで逃げるしか無い。
「……っ」
「ん? どうした?」
走るのは危険だと判断し歩いていると、後ろから手を引いていた彼女の足が止まった。
すぐさま歩くのを止めて、一体どうしたのかを尋ねる。
その間にも、奥からは複数の男の声が響いてきている。
俺としては一刻も早くこの場から立ち去りたい。
だが彼女の放った一言は、そんな俺の意思さえも叩き折るぐらいに非情なものだった。
「……もう、足が動きません」
「は……ッ! なんで!」
咄嗟にそう聞き返す。
でも俺は既にその理由について心当たりがあり、自分で言っておいてなんだが無意味な問いかけだったと後から思った。
「動くなッ!!」
「あ……」
次に俺を襲ったのは、暗闇から現れた黒のスーツに身をまとった男達。
ヤツらは各々得物を構えていて、それは確かに彼女の正体が普通のモノでは無いことが分かっている証拠だった。
もうどうすることも出来ない。
「あっ……」
棒立ちしていた彼女は、とうとう限界がきたのかその場に倒れ込んでしまった。
完全に思考の止まり始めていた俺は、少し遅れてからすぐに彼女の体を抱き上げた。
「…………」
彼女の顔を見る。
足が動かなくなり、自分が狙われているのも知っているはずの彼女は、それでも変わらず俺の方に無感情な顔を向けてきていた。
泣きそうになった。
普通の人間だったらこんなことにもなれば、思わず泣いてしまうこともある。
でも彼女は、泣きそうな素振りさえ無く顔を上げていた。
「マスター」
腕の中で彼女はつぶやく。
「……なんだ?」
もしかして泣いてしまっていただろうかと思い、瞬きしてからその声に反応した。
泣くことなんて許されない。
この涙は本来、彼女が自分の瞳から流すべき涙なのだから。
「今までありがとうございました」
それはいつしか、しっかりと彼女の言葉として聞いたことのあるものだった。
けど、あの時の言葉とは今では全然違って聞こえた。
声音も、まるであの時とは違い初めて会った頃と同じように感じた。
「たった二週間でしたが、生まれた意味を感じることが出来ました」
「…………」
彼女はそう言いいながら、すっかり冷えきっている手のひらを俺の頬に添えた。
何も言えなかった。
いや、正確にいうと、彼女に返事をしてしまったらもう終わってしまうと思ったから、何も言うことが出来なかった。
終わらせたく無い。
それじゃあ、あまりにも唐突すぎるから。
「私は……」
彼女を見つめていると、その彼女は遠くを見るようにして言葉を続けた。
「私は、マスターのことが好きです。──……私を生んでくださった、マスターのことが」
「……え?」
その時、久しぶりに彼女が笑顔を見せてくれた。
だが、彼女の笑顔に見とれることは出来なかった。
俺は今の彼女の言葉の方が、どうにも飲み込めなかったからだ。
『マスターのことが好きです』
『私を生んでくださったマスターのことが』
頭の中で反芻するのはその二言。
初めてあった時にも俺のことを「マスター」といい、それからも度々「マスター」と呼んでくれることがあった。
だけど、それは違ったんだ。
あまりにも人間味溢れる彼女と触れ合っていたせいで、彼女が機械であることをすっかり忘れかけてしまっていた。
機械ということは当然、誰かに設計されたプログラムがある。
彼女は身の回りをお世話する対象を「マスター」として行動していて、俺は彼女を助けたことにより「彼女の仕えるべきマスター」と判断されたんだ。
でも彼女を造った人は、もちろん自分を慕うように造っていたはず。
だからプログラムにそのことが刻まれている限り、俺のことを好きになることは無かった。
「…………」
「マスター?」
心配そうな表情をする彼女は、依然俺のことを見つめたままそう首をかしげる。
もう限界だった。
俺は声を噛み殺して、さめざめと泣いた。
公園の道端で出会った時と同じように、ここに至るまでに汚れてしまった服や顔が滲んで見える。
そんな彼女の頬に、堪らず涙がポタポタ垂れては滴った。
「泣かないでください」
「……」
今でも「仕える人間」は変わっておらず、気遣うように俺の身を案じてくれる。
こんないい子が、どうしてこんなことにならないといけないのだろう。
──出来ることなら、変わってやりたい。
「私は、確かにマスターのことが好きです。私を造ってくださったマスターのことが、大好きです」
「…………」
切り出されたその言葉は、今の俺にはとてもよく突き刺さってきた。
胸が痛い。
だが彼女は続ける。
「でもマスターのことも好きです」
「……え?」
そう言って儚そうに笑った彼女は、俺の頬に伸ばしている手を微かに動かした。
今言った言葉が誰に向かってのものなのかを、如実に表していた。
突然の告白に、涙さえ止まってしまう。
そんな俺を見てから、彼女はさらに続けた。
「私はただの機械ではありません。人工知能という、極めて人に近い機械なのです」
「……」
「人工知能はその名の通り、人工的な知能が植えつけられている機械です。さらに私は自己発達型で、見たり聞いたり学んだことを自分の知識として蓄積、処理することが出来ます」
振られたと思ったら告白をされて、その上いきなり人工知能の話が始まって正直俺が言葉を挟む余地は無かった。
でもこの会話も、その人工知能が「今するべき」だと判断したから出てきたのだろう。
「マスターは私を生み出す際に、あることを教えてくれました」
「……それは?」
尋ねると、彼女はハッキリと言った。
「私は"愛"で生きている、と」
「え?」
「私には、もちろん機械の体に機械の頭なので感情──『愛』なんてものはありませんでした」
「……」
「でも、あなたと出会ったことで学び、そして得ることが出来たのです。……『愛』を」
彼女は、機械なんかじゃ無かったんだ。
自分のことを知り、そしてしっかりと自分のことを言えている。
それはもうプログラムでは無く、アイという彼女自身の言葉だった。
でも、と彼女は言う。
「……でも、分からないんです。私は自分を生んでくださった"マスター"が好きで、でもあなたのことも好き。一体どっちが私なのか……分からないんです」
「……っ」
そうなのだ。
彼女自身が言っていたように、彼女を造ったマスターは彼女に「人に仕えるように」プログラムを設計していた。
つまり、彼女がそのマスターを好きというのは「自分の創造主」であるから。
でもそうすると、今度は俺に言った言葉までプログラムによるものなんじゃないか、ということになる。
プログラム上で学んだことは結局プログラムなのではないのか。
その自己矛盾に彼女は今、苛まれているんだ。
「…………」
平凡な日常に生きてきた普通の人間の俺には、とても彼女の苦しみを知ることは出来なかった。
自分のことが信じられなくなるほど、俺は追い詰められるような日々を送ってはこなかったのだから。
「俺は」
けれどそんな俺にも、今しか出来ないことがあった。
「俺は……アイのことが好きだ」
自分の気持ちを伝えること。
これが今の俺に出来る、彼女──アイにしてやれる唯一のことだった。
俺の言葉を受けて、腕の中で抱かれているアイは涙こそ出ないものの目を見開いてこっちを見つめていた。
アイはまぶたを閉じると、顔を俯かせる。
混乱している時にこんな告白をするのも、少し卑怯だったかもしれない。
「私は」
俯かせた顔を俺の方に向けようとするも、胸元辺りを見つめたままアイは口を開いた。
「私はやはり……私を生んでくださったマスターのことが、好きです」
「……」
それがアイの言葉なら、受け止めざるを得ない。
ずっと機械として生きてきた彼女が初めて知った、人間としての「愛」というのなら、それも彼女自身の気持ちなのだから。
だが、アイはそこで言葉を止めなかった。
「でも、今の私の正直な気持ちを言えば……私は、あなたのことが好きです」
アイはそこまで言うと、いきなり体が窮屈になる。
それは、つい勢いで俺が彼女のことを抱きしめてしまったから。
服の上からでも分かるほどアイの体は冷たくて、物を食べることも飲むことも出来ず、ただ「マスター」に従って生きてきた彼女。
そんなアイが自分の気持ちを伝えてくれた。
もう、涙を堪えることさえ出来なかった。
「ねぇ、タカ」
「……俺は、タカアキな。母さんみたいな呼び方しないでくれ」
アイの言葉に俺は軽口を叩く。
それさえ今は心地よくて、本当に心からアイと繋がれているんだと今思えた。
まだ何か言うことがあるようで、アイは言葉を続けた。
「私は、初日の出が見たいです」
「……は?」
「元旦に昇る、その年一番の日の出のことなのですが……タカは知らないのですか?」
「いや、知ってるけどさ……。でも何で初日の出を?」
俺はアイを抱きかかえたまま尋ねる。
するとアイは、俺から視線を外して空を見るように口を開いた。
「──マスターの代わりに、見たいのです」
「……あぁ、なるほど」
彼女の、また儚いようなその表情を横から見て、俺は何となく悟ってしまった。
アイを造ったマスターと、アイについて。
マスターによって造り上げられた彼女は、今でもしっかりと役目を果たしているのだ。
✕ ✕ ✕ ✕ ✕
時刻は午前六時になろうとする頃。
不気味ささえ漂っていた森の中から俺とアイは、一番近くにあった海岸にきていた。
ここまで送ってくれたのは、他でも無い黒服たちだった。
何でも彼らは、アイのマスターの知り合いらしく彼女を回収するように仰せつかっていたのだという。
武装してまで回収したいほどの何かがアイにあるということだろうか。
人工知能とかいうぐらいだから、それ相応の秘密があってもおかしくは無いのだが。
「……」
「……」
黒服により海岸に着いた現在。
周りには俺達の他にも、年越しの初日の出を拝もうと押し寄せた人達がいた。
彼女の足は初めてあった時から負傷していて、それが今になって動かなくなったらしい。
だから俺はアイを抱きかかえて沖に行くと、砂浜に座らせてその隣に俺も腰を下ろした。
「……もうすぐだな」
「そうですね」
二人寄り添ったまま、水平線がだんだんと輝き始めているのを見ていた。
ここよりも向こうでは既に初日の出が昇っているのだろうか。
それから数分が経つとさっきよりも数段海面の輝きを増していった。
「……」
俺もアイも、そして他の観客達もいつの間にか喋ることを止めていた。
ご来光が迫ったことで、この場にいる全員の中で何かが一つになったように感じた。
水平線が輝く。
周りの空も、日の光に合わせて次第に暗闇を晴らしていく。
「あっ!」
近くにいた親子の子供が、海の向こう側に向かって指を差した。
「あっ……」
それに反応して、隣のアイも子供が指差す方を見て声を上げた。
横を見ていた俺も、彼女が彼女らしからぬ反応を示したことで海面の方に目をやる。
「……綺麗だ」
そして、目を見開いた。
──そこには、深い青を丸ごと飲み込むような眩い太陽が顔を覗かせていた。
マスター。
ありがとうございました。
おかげで私は……あなたの言っていた"愛"というものを、知ることが出来ました。
今回の作品は「アンドロイドと人間の恋物語」というテーマの元に生まれました。
元々は短編小説として出すはずだったこの作品。
後編の下りを書いている途中に、これは10000文字超える、と予見して少々強引に二部構成とさせていただきました。
なので後半は拙い部分もありますが、私としては好きな作品と仕上がったと思います。
ちなみに初日の出を見たあと、アイとタカがどうなったのかはご想像にお任せいたします。