私の意地悪な従者さん
「おかしい。これは、おかしい」
私こと千音寺美琴は、友人から借りた少女漫画を読みながら、唸る。
こってこてで、あっまあまな、切ないラブストーリー。主人公は有名実業家を父に持つ心優しくて可愛いお嬢様と、その従者である気弱だけれども優しい青年の、紆余曲折を経て一緒になるまでの物語。キスで締めくくられる甘いラストを読んで、私はキッパリ駄目出しする。
「まずね、こんなできた従者なんていないのよ。前提から間違っているのよ」
「あー、いやそれフィクションだから」
友人の百田桃子ことモモちゃんが、どうどう、と宥める。その物語に現実感を求めるのなんて、ミコくらいよ。モモちゃんは言う。
「だって……」
「まー、ミコお嬢様だもんね。こんなだけど」
「こんなだけどって言うな!?」
キシャーッ、と食ってかかれば、「あー、うんそうそう、そういうとことか」としたり顔で指摘された。自覚? ありますよ!
に、しても。
手元の少女漫画をプラプラ揺らしながら、「こーんなんが人気だなんて……世の中、飢えてるのね」と頬杖をつく。
「んー、お金に? 愛に?」
「りょーほう」
なんて贅沢な。普通、片方あったらいい方なんだからね!
片方、どちらかだけなら……私は、愛の方がいい。ふにゃあ、と机の上で突っ伏す。
──ガラ
びく、と身体が震えた。
来た。やつが来た。見ていなくても分かる。分かる自分が嫌だ!
「あー、千田くん」
どうしたの、と訊かないモモちゃんは賢い。どうせ訊いたところで、「美琴お嬢様がこちらにいらっしゃるので、お傍にてお仕えするために」と答える。いつも通りの、変わらぬ答え。
千田誠。幼少時──確か幼稚園時代に引き合わされ、その後、今現在に至るまで私の“お世話係”として仕えている男だ。
高校二年生にもなって、お世話係とか、マジで要らない。鬱陶しいのだ、いちいち。いや、鬱陶しいだけならまだ良い。こいつ、絶対に私を敬ってなんていないのである。
むしろ、苛めて楽しんでいる節がある。
例えば、──あれは小学三年生の頃である。
私は、公園の砂場でせっせこと城を作っていた。当時の私は、“お嬢様”として敬遠されており、一緒に遊んでくれる友達もいなかった。だから一人で、ひたすら城を作っていた。
今日はすごいのができたぞ、と胸を張る。渡された携帯を使って両親に連絡を取ろうとした。が、二人とも大変に忙しい。子供心に嫌われたくなくて、止めた。
ふう、とため息を吐いた瞬間、──自信作がバケツに入った水を掛けられ、崩れ去った。
ぽかーん、である。
いくら大作といえど、水にやられたら一巻の終わりだ。
泣きたい気持ちになり、実際涙が滲んだが、結局私は泣かなかった。
犯人は、にこにこ笑いながら私を見ていた。こいつを喜ばせるわけにはいかない。幼心に、それだけ理解した。
もうひとつ、印象的な出来事がある。
こちらは小学五年生の時だ。
夏休みの宿題を済ませようと、私はカブトムシを捕まえようとしていた。なんの宿題だったのかは、正直憶えていない。ただ、カブトムシを捕まえないと、と意気込んでいたことだけは、やけに鮮明に憶えている。
虫取り網を手に、私はぐっと唇を噛み締めて気合いを入れると、「ここにカブトムシがおりますよ」という執事の言葉を信じて、大木の前で仁王立ちした。
あ、あそこにおります。というアドバイス通り、懸命に網を振るうが、なかなか取れない。でも楽しかった。
その直後である。おもむろに近寄ってきた彼は、にこにこ笑いながら、大木を蹴った。その瞬間、上から降ってくる大量のカブトムシ。ついでに毛虫。
私の服にもカブトムシがついていた。外すのが意外に難しくて、服が解れて、少し糸が出た。お母さんが選んでくれたお気に入りの服だったのに。
……しかし、今ならなんとなく分かる。あの執事、先に来てカブトムシをセッティングしていたに違いない。でなきゃあんなに落ちてくるもんか。毛虫は自然のものだろうけど。
ああ、今思い出しても腹立たしい。
いったい私に何の恨みが、……いや、よくよく思い出してみると、幼稚園時代は、主に私が苛めていた。長くて急な滑り台のスタート地点でまごついている彼を後ろからドーンと押したり、似合うからと嫌がる彼にスカートを履かせたり……まあ、可愛らしい意地悪だ。いや、当時私は良かれと思っていたので、“意地悪”である認識も無かった。
まさかその当時のことを根に持っているのか? もう時効だろー!
とにかく、私はこいつが苦手だ。なのになんで解雇にしないかって?
(……お父さんとお母さん、多分、悲しむ……)
きっと頑張って同世代の適任者を探してきたのだろう。少しでも寂しくないように、と。だから喧嘩別れなんて、絶対にできないのだ。うん。
幸運なことに、高校では無事に友達もできてそれなりに楽しい生活を送っている。……マコ狙いで近寄ってくる子もいるけど。
誤解しないで欲しい。やつと私は、確かに主従関係であるが、私と仲良くなってもなんの利点も無いぞ? 将を射んと欲すれば先ず馬を射よ、とは言うが、この場合馬を射っても将は得られない。
──私たちの関係を正しく示すなら、彼女たちは馬を手に入れるために、将を狙っているのだが。
まあどちらにせよ意味は無い。
はあ、とため息を吐いた直後、ゴン、と私は額と机を打つけた。
「〜〜〜〜っ!!」
痛みに悶絶すると、頭の上から「お嬢様、お目覚めになりましたか?」と優しげな声が聞こえた。多分、いつも通りにこにこ笑っているはずだ。
お目覚めに、じゃない! ていうか、今、頭を机に打つけさせたろ!
涙目のままギッと睨みつけるが、効果は無さそうである。
「何すんの、馬鹿!」
「馬鹿という方が馬鹿である、と昔からよく言いますね? まあ一理あります。それ以外に相手を罵倒する言葉が出ないのか、と」
「…………」
私はむっつり黙り込んだ。煩い、と返そうものなら「どうしましたか? お心当たりでも?」と嫌味を言われるだけだ。こいつ、絶対に私のこと嫌いだろ。
でも顔を上げると、本当に嬉しそうににこにこ笑っている。訳わからん。この顔と言っていることの差異は、違和感の塊だ。とはいえ昔からなので、そろそろ慣れてきた。
「んー、いつ見ても仲良しだねー?」
モモちゃんの言葉に、クワッと目を開く。
「ど、こ、が!?」
「あー、全部?」
ほんと、訳わからん。
⚫︎⚪︎⚫︎⚪︎⚫︎⚪︎⚫︎⚪︎⚫︎⚪︎
こんな犬猿の仲のような私たちだけど、登下校はいつも一緒。マコが待っている時もあれば、私が待っている時もある。そこは欠かしちゃ駄目、と両親と約束したからだ。
「あれ、マコは?」
連絡も無く、教室にも来なかったので、何か突発的な問題でも発生したのかと、教室まで来たのだが、彼はいなかった。
「さあ、帰ったんじゃねーの?」
クラスメイトを捕まえて訊ねたが、そんな返答。それだけはあり得ないのに。
どこに行ったのだろう。
校舎を徘徊し、探し回る。どこにもいない。うーん。困った。
「────だから」
ぴくり、と身体が跳ねる。
小さくて何を言っているのか聞き取れない程だが、その声は聞き覚えがある。伊達に何年も一緒に過ごしている訳じゃないのだ。
ただなんとなくいつもと雰囲気が違うような気がして、そっと近寄る。
「ごめんね?」
申し訳なさそうな声。私には使われたことのないような声を使って、マコは目の前の女の子と、話している。
「どうして……こんなに好きなのに」
その言葉で、これがどういうシーンなのか、ピンときた。モテるのは知っていたけれど、告白を受けているところを見るのは初めてだ。いや、そんなの盗み見る趣味は無いので、当然だ。
知り合いが告白を受ける場面。
何故か私の心臓までバクバク鳴っている。
「うん、ごめん。でも──」
次の言葉で、一気に冷えた。
「──僕は、美琴お嬢様の従者だから」
それが、枷になってしまうことに。
頭が真っ白になって、それから、いろいろなことが駆け巡る。相手の女の子が怒り始めた。
「どうして! そんなの関係ないよ! だって従者は誰かと付き合っちゃ駄目なんて、決まってないでしょ? そんなの決まってたら、そっちの方がおかしい。気持ちを捩じ伏せてまで従わなきゃいけないなんておかしいよ!」
違う。別に、私は止めてるわけじゃない。恋愛禁止なんて言った覚えもない。
マコが、その女の子のことが好きなら一緒になればいいのだ。
だけど、……もし誰かと付き合っていたとしたら、一緒に登下校なんてできない。それは逆説的に言えば、恋愛禁止ってことなのでは?
当たり前過ぎて、考えたこともなかった。だって、お父さんとお母さんが、悲しまないことが一番で。我慢すれば良いのは、自分だけだった。
本当は、自分だけ、じゃなかったのに。
私が、一人で大丈夫、と言えば言うほど、一人ぼっちの私の傍に、マコが“配置”された。友達とも会えず、両親にも会えず。私のことは執事が構ってくれたけど、彼はどうだったのだろう。
(あぁ……)
どんだけ、独り善がりだよ、私。
嫌気が差してくる。私はふらふらしながら、その場を離れた。
どこ、行こう。誰にも会いたくない。
私が選んだのは、裏庭だった。
泣きたくなった時、草や空を見ていると、少しだけ心が穏やかになる。
いろいろと考えなくてはならないことがあるはずなのだが、今は何も考えたくない。もう少し、落ち着いたら、ちゃんと考えるから。そんな言い訳をする。
どのくらいいたのだろう。空が夕暮れ色から、少し暗くなりつつあった。
いい加減、帰らないと。
でも帰るって、誰と。
携帯で、先に帰る、って連絡しとけばいいかな。探したけどいなかったから、帰るって。
立たなきゃ。行かなきゃ。
──それで、帰ったら、お父さんとお母さんに話をしないと。
「ここにいたんですか?」
一番会いたくない人の声が聞こえた。
私は顔を膝に埋める。まだ平常心で返せない。
「もう暗くなりますよ。帰りますよ?」
「……先に帰って」
「そういうわけにはいきませんので」
「……そうだよね」
はっ、と笑ってしまった。そりゃ、そうだ。
彼は、何かありましたか、とは聞かなかった。帰りましょうよ、と言いながら私の隣に座る。
あーもうほんと放っておいて欲しいのに。
嫌がらせのように、隣に座る。
いつもそうだ。
悲しくなって逃げ出した先に、彼は誰よりも早く現れて、慰めるでもなく、帰りましょうよ、と言って隣に座る。
それから、
「大丈夫だから」
そう言って、ふわりと抱き締める。あやすように。
「──止めてよ!」
いつも通り行われた“儀式”を、反射的に振り払った。
爆発する気なんて無かったのに。
我慢できなかった。
我慢して、私の傍にいないで欲しかった。
私は、それが、耐えられなかった。
「もういいから」
言葉が漏れる。震えていて、みっともなかった。もっと立派に、毅然として、それこそお嬢様のように、ハッキリ強くいれたらいいのに。
昼間に見た漫画を思い出す。
可愛い可愛い、プリンセスのようなお嬢様。それでいて、芯の通った賢いお嬢様。
──そんなお嬢様なんて、いやしない。
「ほんと、もういいから」
よくなんてない。
胸が痛い。耐えられない。
何に? ──いろんなことに。
「あんたみたいな意地悪な従者、もう私には要らないから。今日ちゃんと、親にも話すから。もう、だからもう、──好きなように生きればいいよ」
私は、いつも彼がするように、顔を上げてにこにこと笑った。私も彼のように意地悪に見えるだろうか。
見えるといい。
彼は、目を丸くしていた。
私もそんな顔だっただろうか。
「好きな人のとこで、ちゃんと笑なよ」
今日は、一人で帰るから。
迎えに行ってあげなよ、まだ教室にもいるんでしょ。
彼は、一言、声を発した。
「……はあ?」
馬鹿じゃねーの、という響きを持って。
…………いやいやいやいやいや!
私、気を遣った! すごく気を遣ったよね! その返答がそれってどういうこと!?
マコは、訳わからん、と言いたげな顔である。しかし不意に、合点がいった顔をした。
「見たんですね」
「なっ……な、な、なに、をデスカ?」
「しかも中途半端に見たんですね」
え、中途半端? ぽかりと口を開く。彼は何かを言おうと口を開いたが、思い直したのか「まあいいや」とボソッと呟いた。まあいいや? 何が良いの?
「つまり、僕は従者失格、ということですよね。僕にとってはラッキーですけどお嬢様はそれでいいんですか?」
「う、うん?」
どういう意味だ、の「うん?」は、イエスの意味に受け取られたようである。日本語は、肝心なところで分かりにくくなる。
マコはにこにこ笑い始めた。長年の内で培った勘が、『アウト!』と叫んでいる。え、あ、アウト?
「小学生の時にさんざん従者失格狙って苛めた時は、全然効かなかったのに」
「苛めている自覚はあったのか!」
確信犯か、この野郎!
え、でも待って。その頃から私の従者は嫌だったということ?
……そりゃそうか。私だって小学生の頃が一番親がいなくて寂しかった。え、幼稚園時代? あの頃はほら、上下関係もあまりなくて“遊び仲間”もたくさんいたから、たとえ寂しくても、寂しいという気持ちをすぐに忘れていたのだ。
うーんうーん、と悩んでいる間に、ふと自分の身体が影に入った。ん、と首を傾げると同時に、慣れた温もりが私を包んだ。……え?
「ちょっ、はなっ」
いつもなら。
もういい、と思った時に身動ぎするとマコは自然と離れていった。
なのに、今は全然、離してくれない。
「もう従者じゃないんですよね?」
いつもより意地悪い声。びっくりして顔を上げると、いつものにこにことは違う、ニヤッと笑った顏。
「従者はお嬢様のものですけど、お嬢様は従者のものではないので、嫌だったんです。迂闊に手も出せないし。……でも、それ取っ払ってしまえば、もう関係無いですから」
は、と私は阿呆面をさらした。
何言ってんの、この人。そんな心境。
いろいろと、なんか、変。大体、今時主従関係なんて、そんなしっかりしたものじゃないし、手を出せないって、思い切り手を出して意地悪して苛めてたじゃんって話だし、──それがなくなったから、なんだって?
「登下校は独り占めできるし、それが周囲にどう見られているのかもサッパリ分かってないみたいだったから、高校卒業するまでは、まあおもしろいし良いかな、と思ってたけど、──ミコが破棄するなら、良いや」
ミコ、と呼ばれたことにドキリとする。最近はなりを潜めていた、愛称。ミコ、マコ、とお互いを呼び合っていたのは小学生の中等部くらいまでだった。お嬢様、と呼ぶようになったマコに距離を置かれたような気がして寂しくて。
い、いやいやいやいやいや!
違う! いや、何が違うのか分からないけど、とにかく違う!
やめろ! ニヤニヤ笑いで私を見るなー!
──結局。
ゴンッ、と盛大に音が鳴った。
「美琴お嬢様、また寝ているんですか?」
「こ、んの、野郎……!」
頭をさすりながら、私は“従者”を睨む。
「あー、今日も仲良しだねー?」
くすくす笑うモモちゃんに、「良くない!」と怒り、私はふいっと顔を背けた。
「主従関係、解いてくださってよかったのに」
下校しながら、マコがにこにこ笑いながら言う。
「嫌だ。当分マコは従者でいいの」
私の心臓が持たない気がする。
ふうん、とマコが一瞬ニヤリと笑った。……おい、化けの皮剥げてんぞ。“従者”という肩書き持っている間はそれが出ないのではなかったのか!
顔を青褪める私を見て、マコは「どうかしましたか、ミコ?」とにこにこ笑った。混ざってる、混ざってるから!
──私の従者は、やっぱり意地悪だ。
「“僕”が嫌なら、解雇してくださって結構ですよ?」
「……マコは最高の従者だと思う。このクソ野郎」
「お褒めにあずかり、光栄です」
「…………ぬ、う」
完璧ではないお嬢様と従者の手がそっと繋がれる。
私は真っ赤な顔を隠すために、必死に俯いた。
やっぱりあんな漫画ありえない。キスなんてとんでもない。これでもう精一杯。
読んで頂き、ありがとうございます!
ほんのーり恋愛風味になったかしらん……?
この後もお嬢様は従者にさんざん振り回されるのだと思います。
それもそれで幸せ!な、はず!