空と大地の切れ目
見上げる大地の強者と見下ろす空の強者。
2匹は大地と空の境目を探り合うように見つめ合っている。
先ほどの飛竜とトロールの関係と同じで対立している様にすら見える。
その可能性だけとは思えなかった。
(ここしかチャンスはない!)
呼吸は?
大丈夫、戻っている。
視覚は?
魔物2匹が見えている。問題ない。
体は?
手に力が入る。足にも感覚もある。
声は?
実践あるのみだ。
「ハイネ! ライブラ! ミスト!」
トロールよりも遠くにいる3人に向かい呼びかける。
それだけの声を出しても2匹の魔物は互いに意識を逸らす様子はない。
(イケル!)
しかし俺の思いとは裏腹に呼びかけられた3人がこちらに向く事はなかった。
視線の先を追う。彼女たちはトロールと同じ物を見ている――つまりは空からの来訪者へと。
それに釣られるように再度、上空に向けられた視線の先にあったのは彼女たちの眼を釘付けにした光景。
古竜と見られる魔物が首を大きく持ち上げる姿。
口からは漏れる炎が見え隠れする。
想像されるのは一つしかない。
「ブレス……!?」
獲物のその瞳が見つめる先はトロールと俺だけ。
何も判断する暇はなかった。
空気が揺らぐのが見えたと思った瞬間に、空の強者の口から炎の塊が大地へと吐き出された。
「うそだろっ!?」
隠れられる様な場所がない事は既に分かりきった事だ。
そして避けられるような速度ではない。
なすすべなく硬直する体と違い、瞳は落ちてくる炎が遠慮というものは感じられない速度である事を認識する。
――そして炎が大地を焦がした。
「ウガッ――――!!」
空気を震わせる声を上げたのはトロール”だけ”だった。
それは逃れる事の出来ない炎に恨みをぶつけるかのような咆哮。
しかし、そんな足掻きをあざ笑うかのように炎は消える様子がなく、その体を焦がし続ける。
つまり標的はトロールだけに絞られていたという事だ。
(俺への攻撃じゃない!? ……どういう事なんだ?)
このダンジョンの魔物達がおかしいのか、自身の知識不足なのだろうか。
どちらにしても先ほどまでの脅威はなくなくなった。
とはいえ、新たな上空に発生した脅威は先ほど以上。
なんと言っても、俺が全く勝負にすらならなかったトロールがあっさりと無力化されている。
あの竜がやるつもりなら、こちらは抵抗する事すらも無意味。
残りどれだけの時間が与えられるかは分からないが、その時間を老衰死するまで与えてもらおうというのは恐らく甘いのだろう。
しかし立ち尽くす俺達の元へと、何故か攻撃を加える様子がないまま、勝者となった空の王は羽毛が舞い落ちるように大地へと降り立った。
その姿は目の前に存在する事で、今まで以上の圧力を放っていた。
こちらから見上げる高さは、先ほどのトロールと違いはないだろう。
だが、そんなものが圧力の原因ではない。
光を跳ね返す鱗。
捕まえた獲物を逃さないであろう爪。
人程度なら噛むまでもなく呑み込むであろう、牙の並ぶ口。
人睨みで心臓を潰してしまいそうなほどの瞳。
だが、その瞳に知性を感じさせる。
(一体……どういうつもりなんだ?)
「おい。そこの人間。何故、貴様から魔神ウォペ殿の香りがするのだ?」
竜が話した。
確かに言葉が聞こえた。
間違いなく目の前にある凶暴な口から。
「うそだろ?」
「おい、人間。俺の質問に答えないなら用はない。大地に還ってもらおうぞ?」
恐ろしい事を簡単に口にする。
そして実行するだけの力は十分に見せられている。
「待ってくれ! あんたこそ、なんでウォペの事をなんで知っているんだ!?」
「こちらの質問を質問で返すとは愚かな人間だ。しかし、その質問からすると、もしかしてウォペ殿の『使徒』……そんなわけがないか。あの方が貴様のような弱者を引き入れるわけがない」
俺に対しては家畜の様な扱いなのに、ウォペに対しては明らかに尊敬の念を感じ入る言葉使い。そこに生き延びられる可能性が生まれようとしていた。
「俺はウォペの『使徒』ではない。俺が『支配人』を務める館の『住人』がウォペなんだ」
「なんだとっ!?」
格上の更に格上である魔物を驚かせた事は自慢話にしたいくらいだ。
もしウォペが「私の旦那だ」なんて事を言っている事を伝えたら、この竜がどういう行動に出るかも気になるところではある。
「嘘じゃない。数時間前まで一緒だったからな。あんたが感じている匂いがその証拠だろう?」
「貴様! ウォペ殿が『クサイ』みたいな言葉を使いおって! 儂はウォペ殿の『香り』と言ったのだ!」
おかしな流れになりつつあった。
どうやら、この竜はウォペの奴と深い関係があるのか、もしくはアイドルの熱烈な追っかけファンの様な雰囲気を漂わせている。
ちなみに俺は後者の様な気がする。
「どうやら話し合う余地があるようだな」
「ふむ。よいだろう。話の後に殺しても問題はないからな」
とりあえず直ぐに殺される事はなさそうだ。
奇跡的にも良い方向に状況は変化したと言える。
しかし、一瞬の気の緩みが俺を支えていた何かを崩してしまった。
体が重い。
(そういえば、今日いろいろあった後に、そのままここへ直行したんだったな……)
体の重みに釣られるように、心も引きずられて意識が降下していく。
そして――俺は闇に落ちた。




