足りないものは近くに
戦場に轟く音と言う名の震動は落下中の自分にも『届いていた』。
本来ならば絶命の声を出す方であったはずの自分が聞く方になるとは思っていなかった。
声の元凶は――大地を走る炎の柱に包まれていた。
そんな攻撃を仕掛ける事が出来る奴なんて、俺は1人しか知らない。
そう、炎の出所は魔神ウォペ。
俺は待ち構える敵が居なくなった事で安全に着地を果たす。
助かった事に安堵を覚えると共に湧き上がる1つの問題。
(約束の1分も経過していない!)
稼げた時間は半分と少々と言うところだろう。
ゴブリンキングを倒すだけの魔法を構築出来たとは思えない。
つまりは人間に敵対しているはずの魔神が、人間である自分を助ける事を優先したという事。
それが間違いではない事はウォペの表情が物語っている。
まるで味方と敵を間違えたような渋いそれ。
そして残された結果が2人に絶望を与え始める。
生物が焦げ付く匂いが周辺を包み込む中で、その中心にいた生物は前にも増した怒気を孕ませた姿があった。
見た目は炭化した部分が見られる状態にも関わらず、勝てる可能性が低くなった事を知らせる、心の警報が鳴り止まない。
(まずい! まずい! まずいっ!)
戦場の支配者となりつつある獣の視線は、もうこちらに向けられてはいない。
意識は完全に危険な相手と判断されたウォペの方へと移されていた。
いや、怒りの対象となっただけかもしれない。
それだけに簡単に意識を剥がせる気がしない。
ハッキリしている事はウォペがこちらにとって、唯一とも言える有効な攻撃手段を持つ存在である事。
逆の立場からすればウォペを潰せば終わってしまう戦い。
「逃げろ! ウォペ!」
あらん限りに声を張り上げる。
警告と共に少しでもゴブリンの王の意識も引き付けられるようにと。
ただし、その行為は意味を成さなかった。
声に反応する様に先に動き出したのはゴブリンの王。
持てる力を四肢に集中する事で、地面を爆発させるようにウォペに向かいスタートを切った。
遅れて行動を移したウォペの方は、バックステップを踏みながら距離を稼ごうとしている。
速度の差は明らか。
(逃げ切れない!)
クロス自身も足掻き始める。
今度は自分がウォペを助ける側に回る為に追う。
しかし足りない――圧倒的に加速力が違いすぎた。差は広がる一方だった。レベルの差が単純な動きでは明確に表れる。
(少しでも……少しでも意識をこちらに!)
迷っている暇はない。
今自分に多少なりとも可能性を託せるのは手元に残るハーフブレードのみ。
走り出した速度を維持したままで体をしならせ、足から腰へ、腰から背中へ、背中から肩へ――全ての力を右手に握る武器へ伝え、解き放つ。
刃は縦に回転して風を切り裂きながら対象へと向い――その背中に突き刺さった。
だがレベル差が如何ともしがたい。どう見ても致命傷とは思えない傷。
それでも一瞬だけ背後に居る自分に視線を向ける事に成功した。稼げた時間はわずか。しかしウォペには十分だったようだ。
後方へと移動しながら距離を稼いでいた、ウォペの魔法が解き放たれる。
黒く暗く不透明な霧。
俺に意識を奪われ、振り向いていたゴブリンキングにとっては視界外からの強襲。
そして――呑み込まれた。
「どういう魔法なんだ……?」
霧に中からは奴の困惑の声が聞こえる。
先ほどの炎に包まれた時は違う質のもの。
ただ、痛みや苦痛から出ている声には聞こえない。
その状況に俺はどうするべきなのか迷いを見せていると、いつの間にか隣にウォペが移動してきていた。
「すまんが、あまり時間稼ぎにはならんぞ」
「攻撃魔法じゃなかったのか?」
「あんな短時間で有効な威力の魔法を使えるわけがなかろう。あれは風と土の魔法をちょちょいと混ぜだけの煙幕のようなもの。後10秒もせず効果は切れるぞ」
たった10秒の猶予。
僅かだけ作り上げた時間で再度、作戦会議でもするつもりなのだろうか。
「そっちには何かあるか?」
「もちろん――あるわけがない。ずる賢さは人間どもの特権であろう? 異神も魔神も騙された事のない奴の方が少ないわ!」
少々怒りの込められた声に、過去に何があったのか聞きたくもなるが今はその時ではない。
ただ予想はつく。
元の世界でも悪魔や精霊を騙す話は聞いたことがある。
こちら側も人間は同じことをやっているのだろう。
もちろん「神と名乗る存在が人間ごときに騙されるのはどうなのだろう?」という疑問も生きて帰った後に悩む事だ。
今確かなのはこいつ自身は何も考えず、こちらに丸投げするつもりが満々だったという事だ。
ただ、その作戦に心当たりがないわけでもなかった。
考えている方法がこの世界のルールとして可能なのか不可能なのかという問題は残るが……。
しかし、残された方法は他に考えられない。
「ウォペ。1つ大事な質問がある」
「質問じゃと!? 本当に大事な質問なんじゃろうな!?」
あまりに無謀な思惑に、自分自身でも質問後のウォペの表情を思い浮かべるだけで笑みがこぼれてしまう。その表情を見ただけで魔神は露骨に顔を歪めている。
「簡単な質問だ。ハイネの隣の部屋が空いているんだけど、お前、引っ越して来ないか?」
俺の言葉は見事に魔神の表情を凍らせた。




