今年の冬支度は、なさっていないのですか
十年ぶん、領地の冬支度を数えてきた侯爵夫人の話です。
一話で終わります。困るのは、旦那さまだけではありません。
離縁を告げられたのは、芽出しの月の終わりだった。
悪くない時期を選んだものだと思った。冬を越したあとで、次の冬支度が始まる前。この家にとって、いちばん損の少ない月だ。
夫はそういうことを考える人ではないので、たまたまだろう。
「ミルデンブルクが取り潰しになった」
夫は、まずそう言った。ミルデンブルクは、わたしの実家だ。
「聞いております」
「縁を続ける理由がない」
「はい」
「持参財は返せない。あちらが没収されたのでな」
「はい」
「文句は」
「ございません」
夫は、少し拍子抜けした顔をした。何か言われると思っていたのだろう。十年連れ添って、この人がわたしに何を期待していたのかを、わたしはこの日はじめて知った。
わたしは立ち上がって、頭を下げた。
「ひとつだけ、お伝えしてもよろしいですか」
「なんだ」
「塩でございます」
「塩」
「今年ぶんの塩を、収穫祭までに三十樽、押さえておいてください。去年は二十八樽で足りませんでした。それと、樽は東の港のものにしてください。北のものは目が粗くて、湿気を吸います」
夫は、わたしを見ていた。
「……それだけか」
「あとは、薪です。今年の分は、もう割って積んでございます。ただ、積んだのが去年の十一月ですので、乾くのは十月の半ばです。それより前に焚くと、煙が出て、煙突が詰まります」
「ベアトリクス」
「はい」
「なぜ、そんな話をする」
わたしは、少し考えた。
考えて、正直に答えた。
「ほかに、お渡しできるものがございませんので」
◇
ローゼンタール侯爵領には、村が十一ある。
人が、およそ四千。
閉ざしの月――真冬の四十日、この土地は雪で閉じる。街道が使えなくなる。外から何も来ない。
だから、秋のうちに、全部を中に入れておく。
塩漬けの肉。燻した魚。根菜は畑に穴を掘って埋め、藁をかけ、その上に土を戻す。豆と麦は樽に入れて、樽ごと地下に置く。乾かした薪を、村ごとに割り当てて積む。塩は樽で買う。油は壺で買う。それを十一の村ぶん、村の人数と、去年の消え方から数えて、割り振る。
多すぎれば腐る。
少なければ、二月の終わりに人が死ぬ。
この段取りを、姑から引き継いだのが、嫁いで二年目だった。
以来、十年。八月に数え、九月に買い付け、十月に配る。それだけの仕事だ。難しいことは何もない。ただ、去年どの村でどれだけ余ったかを覚えていないと、数が合わない。帳面はある。帳面に書いていないことのほうが多い。
三の村は年寄りが多いから肉より粥がいる。
七の村は今年、赤子が四人生まれたから、乳の出る母親の分を厚くする。
九の村は薪の乾きが悪い。谷あいで日が入らないから、ほかより早く割って積む。
全部、頭の中にある。
◇
実家が無いので、隣領の宿場町に部屋を借りた。
宿の女将が、最初の月にわたしの手を見て言った。
「あんた、樽を扱ってたね」
「なぜ、お分かりに」
「ここ」女将は自分の親指の付け根を指した。「箍を締める者は、みんなここが硬くなる」
それで、宿の蔵の仕事をもらった。冬場に出す漬物と、宿の薪の管理。給金は安かったが、部屋代が浮いた。
二月ほどして、宿に泊まった商人が、蔵を見せろと言い出した。
見せたら、しばらく黙っていた。
「これを組んだのは」
「わたくしです」
「うちの領へ来ないか」
シュタイナー男爵領。ここより北で、もっと雪が深い。冬に人が死ぬ土地だった。
わたしは行くことにした。
◇
シュタイナーで最初にしたのは、去年の消え方を聞いて回ることだった。
村を七つ、歩いた。どの家に年寄りが何人、赤子が何人。去年、何が足りなくなったか。誰が二月にいちばん痩せたか。
男爵は最初、それを不思議がった。
「帳面があるだろう」
「帳面には、余った量が書いてございます。足りなかった量は、書けません」
「なぜだ」
「足りなかった家は、申し出ませんので」
男爵は、それきり何も言わなくなった。
秋に、塩を四十二樽押さえた。去年は三十樽だった。多すぎると言われたが、押し切った。
その冬、シュタイナーで死んだ者は、二人だった。前の年は十一人だった。
◇
ローゼンタールの話が届いたのは、その次の年の閉ざしの月だ。
北の宿場は、冬でも行商が来る。行商が来ると、南の話が来る。
最初は、塩の話だった。
三十樽を、北のもので買ったという。目の粗い樽だ。地下に置いて、二月で下から湿気を吸って、肉が半分傷んだ。
次が、薪。
九月に焚きはじめて、煙突が詰まった。屋敷のほうは煙突掃除を呼べたが、村は呼べない。九の村で、家の中に煙が回って、年寄りが二人、肺を痛めた。
それから、七の村。
赤子が生まれた家の割り当てが、去年と同じだった。母親の乳が止まった。二月の終わりの話だという。
わたしは、行商から話を聞き終えて、礼を言って、蔵に戻った。
蔵の戸を閉めて、しばらく立っていた。
七の村の赤子は四人だった。そのうちの一人は、産屋でわたしが湯を運んだ子だ。母親の名も、家の場所も、覚えている。
覚えていることは、こういうときに、何の役にも立たない。
◇
二月の半ばに、国境の番小屋から使いが来た。
子どもが六人、雪の中を歩いてきているという。南から。
わたしは男爵に断って、番小屋まで橇を出した。
着いたとき、六人は小屋の土間で、火の前に座らされていた。いちばん上が十一くらい、下は五つか六つ。全員、外套の下が薄手だった。冬用のものを持っていないのだ。
わたしはいちばん上の子の前にしゃがんだ。
その子は、わたしを見た。それから、目を丸くした。
「……奥さま」
「もう違います」
「あの、」
「先に、これを」
番小屋の女房が粥を運んできた。六人が食べはじめるまで、わたしは何も聞かなかった。
食べ終わったころに、いちばん上の子が言った。
「三の村です。爺さまが、北へ行けと」
「三の村は、粥が要ります」
「え」
「年寄りが多いので。今年、どれだけ配られましたか」
子どもは、答えられなかった。答えられないのが、答えだった。
わたしは立ち上がって、番小屋の主人に言った。
「橇をもう一台お願いします。それから、この子たちの外套を六着」
「――どこから出す」
「シュタイナーの蔵から出します。男爵には、わたくしから申し上げます」
主人は、渋い顔をした。
「よその領の子だぞ」
「はい」
「情けをかける筋合いが」
「情けではございません」
わたしは、帳面を出した。冬のあいだ持ち歩いている、消え方の帳面だ。
「六人ぶん、四十日。粥と、外套と、薪。数えて、こちらに書いておきます」
「書いて、どうする」
「春になったら、ローゼンタールへ請求いたします」
主人が、口を開けた。
わたしは帳面に、六人の年と、村の名を書いた。三の村。十一、九、九、七、六、五。
書き終えて、顔を上げた。
「あちらの侯爵さまに、お尋ねしたいことがございましたので、ちょうどよろしゅうございます」
「何を、尋ねる」
わたしは帳面を閉じた。
「今年の冬支度は、なさっていないのですか、と」
外で、橇の鈴が鳴った。日が落ちるまでに、あと二里ある。
お読みいただきありがとうございました。
ベアトリクスは、六人ぶんを帳面に付けました。春に、それを持って南へ行きます。
この「柚木さと」名義では、家を出ていった妻たちの話を書いています。どれも一話で終わります。
・手紙を全部代わりに書いていた妻の話 『あの方のお手紙は、全部わたしが書いていました』
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・馬に信じられていた妻の話 『あの子たち、わたし以外は乗せません』
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・鍵を全部覚えていた妻の話 『鍵の在処は、離縁状と一緒に置いてまいりました』
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・畑の種を選っていた姉の話 『妹に譲りましたので、畑もお持ちください』
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