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今年の冬支度は、なさっていないのですか

作者: 柚木さと
掲載日:2026/07/24

十年ぶん、領地の冬支度を数えてきた侯爵夫人の話です。

一話で終わります。困るのは、旦那さまだけではありません。


 離縁を告げられたのは、芽出しの月の終わりだった。


 悪くない時期を選んだものだと思った。冬を越したあとで、次の冬支度が始まる前。この家にとって、いちばん損の少ない月だ。


 夫はそういうことを考える人ではないので、たまたまだろう。


「ミルデンブルクが取り潰しになった」


 夫は、まずそう言った。ミルデンブルクは、わたしの実家だ。


「聞いております」


「縁を続ける理由がない」


「はい」


「持参財は返せない。あちらが没収されたのでな」


「はい」


「文句は」


「ございません」


 夫は、少し拍子抜けした顔をした。何か言われると思っていたのだろう。十年連れ添って、この人がわたしに何を期待していたのかを、わたしはこの日はじめて知った。


 わたしは立ち上がって、頭を下げた。


「ひとつだけ、お伝えしてもよろしいですか」


「なんだ」


「塩でございます」


「塩」


「今年ぶんの塩を、収穫祭までに三十樽、押さえておいてください。去年は二十八樽で足りませんでした。それと、樽は東の港のものにしてください。北のものは目が粗くて、湿気を吸います」


 夫は、わたしを見ていた。


「……それだけか」


「あとは、薪です。今年の分は、もう割って積んでございます。ただ、積んだのが去年の十一月ですので、乾くのは十月の半ばです。それより前に焚くと、煙が出て、煙突が詰まります」


「ベアトリクス」


「はい」


「なぜ、そんな話をする」


 わたしは、少し考えた。


 考えて、正直に答えた。


「ほかに、お渡しできるものがございませんので」


    ◇


 ローゼンタール侯爵領には、村が十一ある。


 人が、およそ四千。


 閉ざしの月――真冬の四十日、この土地は雪で閉じる。街道が使えなくなる。外から何も来ない。


 だから、秋のうちに、全部を中に入れておく。


 塩漬けの肉。燻した魚。根菜は畑に穴を掘って埋め、藁をかけ、その上に土を戻す。豆と麦は樽に入れて、樽ごと地下に置く。乾かした薪を、村ごとに割り当てて積む。塩は樽で買う。油は壺で買う。それを十一の村ぶん、村の人数と、去年の消え方から数えて、割り振る。


 多すぎれば腐る。


 少なければ、二月の終わりに人が死ぬ。


 この段取りを、姑から引き継いだのが、嫁いで二年目だった。


 以来、十年。八月に数え、九月に買い付け、十月に配る。それだけの仕事だ。難しいことは何もない。ただ、去年どの村でどれだけ余ったかを覚えていないと、数が合わない。帳面はある。帳面に書いていないことのほうが多い。


 三の村は年寄りが多いから肉より粥がいる。


 七の村は今年、赤子が四人生まれたから、乳の出る母親の分を厚くする。


 九の村は薪の乾きが悪い。谷あいで日が入らないから、ほかより早く割って積む。


 全部、頭の中にある。


    ◇


 実家が無いので、隣領の宿場町に部屋を借りた。


 宿の女将が、最初の月にわたしの手を見て言った。


「あんた、樽を扱ってたね」


「なぜ、お分かりに」


「ここ」女将は自分の親指の付け根を指した。「箍を締める者は、みんなここが硬くなる」


 それで、宿の蔵の仕事をもらった。冬場に出す漬物と、宿の薪の管理。給金は安かったが、部屋代が浮いた。


 二月ほどして、宿に泊まった商人が、蔵を見せろと言い出した。


 見せたら、しばらく黙っていた。


「これを組んだのは」


「わたくしです」


「うちの領へ来ないか」


 シュタイナー男爵領。ここより北で、もっと雪が深い。冬に人が死ぬ土地だった。


 わたしは行くことにした。


    ◇


 シュタイナーで最初にしたのは、去年の消え方を聞いて回ることだった。


 村を七つ、歩いた。どの家に年寄りが何人、赤子が何人。去年、何が足りなくなったか。誰が二月にいちばん痩せたか。


 男爵は最初、それを不思議がった。


「帳面があるだろう」


「帳面には、余った量が書いてございます。足りなかった量は、書けません」


「なぜだ」


「足りなかった家は、申し出ませんので」


 男爵は、それきり何も言わなくなった。


 秋に、塩を四十二樽押さえた。去年は三十樽だった。多すぎると言われたが、押し切った。


 その冬、シュタイナーで死んだ者は、二人だった。前の年は十一人だった。


    ◇


 ローゼンタールの話が届いたのは、その次の年の閉ざしの月だ。


 北の宿場は、冬でも行商が来る。行商が来ると、南の話が来る。


 最初は、塩の話だった。


 三十樽を、北のもので買ったという。目の粗い樽だ。地下に置いて、二月で下から湿気を吸って、肉が半分傷んだ。


 次が、薪。


 九月に焚きはじめて、煙突が詰まった。屋敷のほうは煙突掃除を呼べたが、村は呼べない。九の村で、家の中に煙が回って、年寄りが二人、肺を痛めた。


 それから、七の村。


 赤子が生まれた家の割り当てが、去年と同じだった。母親の乳が止まった。二月の終わりの話だという。


 わたしは、行商から話を聞き終えて、礼を言って、蔵に戻った。


 蔵の戸を閉めて、しばらく立っていた。


 七の村の赤子は四人だった。そのうちの一人は、産屋でわたしが湯を運んだ子だ。母親の名も、家の場所も、覚えている。


 覚えていることは、こういうときに、何の役にも立たない。


    ◇


 二月の半ばに、国境の番小屋から使いが来た。


 子どもが六人、雪の中を歩いてきているという。南から。


 わたしは男爵に断って、番小屋まで橇を出した。


 着いたとき、六人は小屋の土間で、火の前に座らされていた。いちばん上が十一くらい、下は五つか六つ。全員、外套の下が薄手だった。冬用のものを持っていないのだ。


 わたしはいちばん上の子の前にしゃがんだ。


 その子は、わたしを見た。それから、目を丸くした。


「……奥さま」


「もう違います」


「あの、」


「先に、これを」


 番小屋の女房が粥を運んできた。六人が食べはじめるまで、わたしは何も聞かなかった。


 食べ終わったころに、いちばん上の子が言った。


「三の村です。爺さまが、北へ行けと」


「三の村は、粥が要ります」


「え」


「年寄りが多いので。今年、どれだけ配られましたか」


 子どもは、答えられなかった。答えられないのが、答えだった。


 わたしは立ち上がって、番小屋の主人に言った。


「橇をもう一台お願いします。それから、この子たちの外套を六着」


「――どこから出す」


「シュタイナーの蔵から出します。男爵には、わたくしから申し上げます」


 主人は、渋い顔をした。


「よその領の子だぞ」


「はい」


「情けをかける筋合いが」


「情けではございません」


 わたしは、帳面を出した。冬のあいだ持ち歩いている、消え方の帳面だ。


「六人ぶん、四十日。粥と、外套と、薪。数えて、こちらに書いておきます」


「書いて、どうする」


「春になったら、ローゼンタールへ請求いたします」


 主人が、口を開けた。


 わたしは帳面に、六人の年と、村の名を書いた。三の村。十一、九、九、七、六、五。


 書き終えて、顔を上げた。


「あちらの侯爵さまに、お尋ねしたいことがございましたので、ちょうどよろしゅうございます」


「何を、尋ねる」


 わたしは帳面を閉じた。


「今年の冬支度は、なさっていないのですか、と」


 外で、橇の鈴が鳴った。日が落ちるまでに、あと二里ある。


お読みいただきありがとうございました。

ベアトリクスは、六人ぶんを帳面に付けました。春に、それを持って南へ行きます。


この「柚木さと」名義では、家を出ていった妻たちの話を書いています。どれも一話で終わります。


・手紙を全部代わりに書いていた妻の話 『あの方のお手紙は、全部わたしが書いていました』

 https://ncode.syosetu.com/n0386mn/

・馬に信じられていた妻の話 『あの子たち、わたし以外は乗せません』

 https://ncode.syosetu.com/n0391mn/

・鍵を全部覚えていた妻の話 『鍵の在処は、離縁状と一緒に置いてまいりました』

 https://ncode.syosetu.com/n0392mn/

・畑の種を選っていた姉の話 『妹に譲りましたので、畑もお持ちください』

 https://ncode.syosetu.com/n0393mn/


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