第1話 かまってちゃんの悲劇
「いつか女に殺されるよ」と将司に言ったのは1年前のことだ。それでもニヤニヤ笑って二枚目気取りだった彼は、半年前に、付き合っていた彼女に殺された。何の驚きも同情も無かった。彼の後ろには、黒い影、死神みたいなものが張り付いていたからだ。3年前に初めて出会った頃の彼は、そんなものは憑いていなかったと思う。昨年、路上で女連れで占いを頼まれた時に将司の人相が変わっていたのには驚いたが、その時には女性の方しか占わなかったので気がつかなかった。女性は幸の薄そうな顔をしていたし、運勢は最悪
だった。金運は特に悪かった。男運が全ての要因だと思ったが、彼氏の前で言うわけにもいかない。ただ一つだけはアドバイスした。
「ここ2年は結婚はダメですね。愛は遠ざけること。」と。
彼女に憑いていた守護霊が必死で「二人を別れさせてほしい」と訴えていた。
その時、将司の背中に黒い人影が張り付いているのを見てしまった。お金を受け取り、
これからの二人の将来に来る修羅場を、どうにかしたくて将司に耳打ちをした。
「すぐ彼女と別れなさい。逃げなきゃあ命は来年までは無理だね」と。
しかし、将司は首を振って自信満々に彼女を荒々しく引き寄せ、無理やりキスをした。
逃げようとする彼女に、「恥をかかすなら、どうなるかわかっているんだろうな」と
怯えさせていた。その瞬間、彼女は涙をぬぐった。
ちらりと見えた彼女の腕には黒いアザが。痛々しそうに歩く様子から、今しがた将司から暴力を受けたのだろうと想像できた。憎しみに歪む彼女の守護霊の顔は修羅のごとく。
思わず目を伏せてしまったが、今、将司の命の灯は消えそうだった。
でも、それは自業自得。二人の未来図なんて、知りたくもない。
どうして、占いに来る者たちは、不幸を纏っているのだろうと吐息を漏らす。
(モラハラ男は、ただの詐欺師)
ジゴロのように、いやペテン師のように、弱い女に親切にして甲斐甲斐しく面倒を見て、好きなフリをして独身女性の家に入り込む。最初は手伝いもして役に立つ男だと認めさせて、同棲した途端、豹変する。まず、パワハラで相手を服従させる。「キミは常識が無い」とことごとく責め立てる。「カギを忘れたの? 一人暮らしの基本ができていない。
そもそも、それによって迷惑をかけている僕のことを考えてもいない。
社会人として最低の覚悟ができていないんだ」などと、相手が泣くまで怒り、
責め立てるのだ。もともと大きな声なので、周囲に響き渡り、詳しい事情など知らない他人は、彼女が大変なことをしたのだと勘ぐって侮蔑の視線を向ける。
誰だって忘れ物くらいする。置いておいたリモコンとか携帯がなくて、
うろたえることだって日常茶飯事のことだ。それにいちいち反応して説教が始まる。
「そもそも置く場所を決めないのが悪いんだ」と。場所は決めてある。
そこに無いから探しているのに。決して、なくなった物を探してくれるわけでもないのに、この時とばかり非難してくる。鬼の首でも取ったかのように騒ぎ立てる。
自分が物を失くした時は、彼女のせいにして譲らない。「絶対にここに置いておいた
。自分が動かしたに違いない」と言い張る。「知らない」と言っても、見つからない間は、ずっと人のせいにして口うるさい。『どうして毎日、こんなくだらない事で言い争いばかりしなければならないのだろう?』と情けなくなった。
母も口うるさくはあったけれど、家事は任せられたし、捜し物は一緒に手伝ってくれた。彼のことを、いつも母と比べていた。どちらも怒りっぽくて口うるさいのは同じだったが、母には愛があった。愛情は重かったし、「あなたのためにやっている」と言われるのが
一番嫌だった。お腹いっぱいなのに、ご馳走を口に押し込められるような、
ありがた迷惑な所が我慢できなかった。なのに、彼も同じように自分を叱咤か侮蔑かわからないが、卑下して偉ぶっているのは同じだった。ただ、母は所詮女。
暴力とか力で屈服させることはなかった。それに比べて将司は、一度、大きな声で威嚇して黙ったら、それが言うことを聞かせるのに威力があると思ったのか、大きな声で大きな音を出して泣くまで責め立てるようになった。それが暴力に変わるのも時間の問題だった。ある時は、髪を鷲掴みにされ、引きずり回され、足で蹴られた。「
なんだ、その反抗的な目は」と言って理不尽に叩きのめされた。何の反抗もしないか弱い者を打ちのめすのは、どんなに快感だったろう。ちらりと見えた彼の表情には歓喜のような笑みがあった。そして、ボロ切れのように横たわり、動くこともできない姿を見て、「だから、僕の言うことに反抗するんじゃない。愛しているんだ。
こんなこと、させないでくれ」と哀願する。
『もう沢山だ。このまま死んだ方が楽になる』と人生を諦めたことは数えきれない。
これだけの暴力を受けても人は死なないのだと、むしろ驚いた。彼は服で見えない場所を選んで暴力を振るった。顔や手足にはキズを残さない。『こんな手法を、どこで身につけたのだろう? きっと今までも、こうして女を服従させたに違いない』亡くなって怒り、女を貶めて自分が上に立ったかのように、常識なるものを振りかざし切りつけてくるのだ。上から目線で他人を貶める快感を、いつから知ったのだろう? 他人をバカにする言葉も流暢で、ずっと誰かを標的に使いまくっていたのだろうと想像できた。なぜなら、
普通の会話は、いつもたどたどしく、要を得ないからだ。何度も練習して、相手を傷つける言葉を知り尽くしている。普通の人なら誰でも情けなくなって自信を無くしてしまう
ことだろう。そして、怒られている者も、彼も、何が問題なのか途中でわからなくなることがしばしばあった。とうとう、仕事中でも情けなくて涙が出てくるようになった。
『鍵を忘れたくらいで、泣くほど叱られなければならないのか?』トイレにこもって
数時間、心配した仕事仲間が声をかけに来てくれる。職場恋愛なので、他の人に迷惑を
かけたくなかった。だから、彼の入って来られないトイレに逃げ込んだのだが、
涙が溢れて止まらなくなってしまった。母親も愛情という執着でがんじがらめに
してくる母の存在が疎ましかった。
誰と会ったのか? 今日何をしたのか? 毎日、報告しなければ、後ろからついて来て
小言を言われる。その上、いちいち意見を述べて、行動を間違っていると批判ばかりする。友人仲間、彼からの電話も、母が長話をして、なかなか代わってはくれない。そのうち、みんな電話をかけなくなった。友人も仲間も、逃げて行った。母のネガティブエネルギーにやられて、彼女の顔さえ見なくなるのだ。孤独だった。働く者は彼女しかいないので、もちろん給料は全て母に渡し、自分の欲しいものは母の了承が無ければ買えなかった。
いや、ほとんど無駄だと失笑されて、言う前に諦めていた。
そんな性格が仇となって、母の横暴とセクハラ、パワハラは絶頂を迎えた。
『もう無理だ』と無理心中まで考えていた時、心臓発作で、あえなく母は亡くなった。
悲しいはずなのに、笑みしか出て来なかった。『やっと母の呪縛から離れられる。
自由に生きていいんだ』と思うと、叶わなかった小さな夢が、どんどん膨らんで行った。
古い一軒家は片付けても追いつかない。結構大きいので、固定資産税なるものも高かった。部屋数も多いせいか、ガス・電気代も高い。とても、お給料だけでは維持できないと
思った彼女は、家を売った。まとまったお金を得て、おしゃれなワンルームマンションに移った。買ってもよかったのだが、結婚願望を失っていなかったので、彼氏ができるまでの仮の借家として、できるだけ会社に近く、おしゃれな町を選んで移り住んだのだ。
その時、引っ越しの手伝いをしてくれたのが将司だった。会社で親しくしていたわけでもない。むしろ、存在自体、知らなかった。なのに、母の葬式に来てくれた。数人の
会社関係者は来てくれたものの、皆、葬式だけ出て、あとの食事には残ってくれなかった。近所の人も、手伝いに来るのが地域のしきたりとばかりに来てくれただけで、心から母の死を悼む他人はいなかった。母は近所でも親戚でも疎まれていたのを、この時はじめて
知った。
母は節約家だった。娘の給料だけで生活しなければならないので、仕方ないだろうが。
親戚付き合いも、「お金が無いから」と断っていた。たぶん、誰の葬式にも行っていないのだろう。会社のお偉方が、「結婚式は招かれないと行けないが、葬式は誰でも行ける。だから、できるだけ行って遺族をねぎらい、式に出られなくても電報くらいは打たなければならない」と言っていた。いい時だけ集うのではなく、悲しい時や辛い時に寄り添うのが人の道だと教えてくれて、彼女は感動したものだった。そして、その言葉どおりに、
会社の役員や上司が葬式には列席してくれた。その上司に媚びるように、彼は腰ぎんちゃくのようについて来ただけだったのかも知れない。
想像以上に大きな家に上がり、遺産も多いだろうと値踏みされたのかも知れない。
その日から、食事に誘われたり、電話をまめにくれたり、さまざまな相談にも乗ってくれた。新しいマンションを探すのも手伝ってくれた。「会社近くがいい」と言ったのも、
予定していたワンルームではなく、少し広めの部屋を選んだのも彼だった。
引っ越しも友人たちを動員して手伝ってくれた。その頃には、二人の仲は公認になっていた。
(夢の一人暮らしが悪夢に)
幸せな生活が待っているはずだった。両親に紹介されて、いずれ結婚なんだろうと、
ぼんやり想像していた。
しかし、肉体関係を持った途端、彼は豹変した。優しかったのは、彼女を自分のものに
するまでの姿だったのだと気づいた時は遅かった。以前の男性経験を執拗に聞いてくる。母の厳しい追及にも似て、脅したり暴力まで使って尋問してくる。嫉妬しているのかと
嬉しかったのだが、単なる変質者なのだと気がついた。エスカレートするパワハラ、
モラハラ。心も体も傷つけられて、もはや反抗する気すらなくなって、奴隷のように
生きていた。生活費は全て彼女持ち。少しの財産も、いつの間にか彼に使われて、
残ってはいなかった。
「結婚してるなら警察沙汰にはできないけれど、恋人なら痴情のもつれとかストーカー容疑で注意勧告することもできる」と言われた。大袈裟にはしたくなかった。彼さえ家から出て行ってくれればいいのだ。しかし、「今日は家には来ないで」といくら拒否しても、何度も電話をよこして、断れないよう脅したりすかしたり、最後には泣きまで入れて、
ため息と共に家に招き入れる羽目になる。独身女性の家の前で、ずっと男性が立っているのは、周辺近所の人々にどう思われるかわからない。体裁を気にして事なかれ主義が
発動して、結局は彼を追い出すことができなかった。
彼の給料は、仲間との飲み食いや贅沢な洋服に使われているようで、借金だらけで給料日には清算されてゼロになるらしい。いや、まだ返せない借金があるとも聞いた。お金のことを言うのはさもしいと思って、追及しなかったのも悪い。そのうち、家にあるブランド物が消えた。聞くと、お金に困ってリサイクル業者に買い取ってもらったと言う。
はっとしてジュエリーボックスを開けてみると、中は空っぽだった。最近の金の高騰はすごいと聞いた。金製品は高値がつくと聞いたことがある。しかし、母からもらった大切
な形見で、どれも売り飛ばしていいものなど一つもなかった。
「どうして他人のものを勝手に売るのよ」と怒ってみても、にやにや笑うだけ。そして、キスして押し倒して来る。どれだけ拒んでも、男の力にはかなわない。そして、彼に服従させられるのだ。いい時もあった。一緒にあちこち旅もした。素敵なホテルで抱き合った。海の見える砂浜で、彼の肩に頭を載せて抱きしめられた幸せな思い出もある。別れるには思い出があり過ぎて、当惑してしまう。もう二度と、彼に愛されることが無いというのは、寂しすぎた。他に好きな人がいるわけでもない。この年で、新たな恋人ができるかどうかも、わからない。このまま不満はあっても一緒にいるべきなのかとも思う。
(愛を遠ざけるという意味とは?)
「最近、顔色が悪いね。なんだか、疫病神にでも取りつかれているみたい」と親友の愛子が言う。
「お母さんが亡くなって寂しいのはわかるけど。早く彼氏でも作って元気を出しなよ」とも言われた。なぜだか涙が溢れて止まらなくなった。そして、今付き合っている彼のことを赤裸々に話していた。どちらかと言うと老成して落ち着いた愛子だったが、憤然として味方してくれた。「私が彼に言ってあげる」
とも言ってくれた。その言葉だけで充分だった。大きな味方を得たようで心強かった。
その日は、愛子は家まで送ってくれた。人の良い顔をして、彼は挨拶をしていた。そして、「美人だな。ああいう女性、タイプ。紹介してよ」などと冗談っぽく言うのだが、その目の奥に本気を見た気がした。愛子に会わせれば、彼をこっぴどく叱ってくれるかも、
と思った。すぐに次の週の日曜日、愛子を家に招待した。
彼は朝からそわそわしていた。愛子が来てからは、ずっと笑顔で、よく動いてアルコールを勧めた。愛子も、勧められるまま飲んで、酔ってしまい眠そうにあくびをしていた。
すかさず彼は布団を敷いて、そこに愛子を寝させた。
「ちょっとだけ横になっていい? 一時間ほどで起こしてね」
と言うので、片付けをしていたら、彼が愛子の布団の中に潜り込むのが見えた。
「何やってんの?」
と布団をはがすと、下半身が裸の彼が愛子にのしかかっていた。
「いいじゃないか? 僕らもマンネリ気味だったから。ほら、そこで見てもいいよ」
と卑猥な笑みを浮かべる。彼女は思わず、その醜悪な姿に吐き気を催しながら、近くに
あったアイロンを、彼の頭に渾身の力を込めて打ち下ろした。目を覚ました愛子の口から呻き声が漏れた。
『これで、やっと地獄のような日々から解放される』
と彼女は、その口元に笑みを浮かべていた。
警察に行く途中に、あの占い師の前を通った将司の霊が、戸惑いながら二人についている。殺された状況が、映像になって飛び込んで来る。なるほど。愛という字のついた友人知人を遠ざけるように言ったのに、殺人の引き金を引いた愛子という美人には、修羅のような悪霊がついていた。それでも、
『別れられずに苦しむより、こんな形でも終止符を打てたならいいか』
と、目の前を通過する女性たちに聞こえないくらい小さな声で呟いた。
「これから警察に行きます。私、何度も何度もアイロンを振り下ろして殺しました。
だって、生きていたら、もっとひどいことをされると思ったら怖くて必死だったんです」
と彼女は泣いていた。
「大丈夫。私が目撃者なんだから。私を助けようとしてくれたって警察には言うから。
ごめんね。助けてあげられなくて」
と、愛子という美しい女性は同情し、優しく肩を抱くようにして囁いていた。
その背中に貼りついている悪霊は、あの時、将司についているのと同じだった。
『ああ、あの悪霊を差し向けたのは、この女だったのか。何のために? いや、
考えるのも詮索するのもやめておこう。あんな悪霊ににらまれたら、こちらの命も危ない』
占い師は目を伏せて、彼女らが警察に自首するのを、目の端にとらえたことすら気づかれないよう、店じまいをした。




