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同担拒否は、ホントは拒否したくない!  作者: 櫻木サヱ
彼女は私の敵

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8/13

推しと、きみと、ボク — 偶然の交差点

イベントの翌々日、街はまだその余韻を引きずっているように見えた。駅前のカフェの前を通るだけで、あの夜の匂いというか、空気の熱さが蘇る。ペンライトの光はもう手元にはないけれど、胸の中の残像はまだちらついている。


 今日は、用事があって駅の近くまで出た。図書カードをチャージして、帰りに本屋に寄ろうと思っていた。ボクは特に期待もせずに歩いていたはずなのに、街角の小さなショップのウィンドウに映った自分の横顔を見て、ふと足が止まる。


 ――あかり?


 ガラス越しに見えた人影は、確かにあかりの輪郭をしていた。ピンクのトートバッグ、明るめのブルゾン、普段より少し大きめの麦わら帽子。あの笑い声までは聞こえなかったけれど、肩を寄せ合うように店内で話す二人組の姿は、さりげなくあかりの在りし日の残り香を運んでくる。


 ボクの胸が、急にざわついた。立ち止まった自分が不自然だと分かっているのに、足は動かない。別々の学校だと決めていたはずなのに、現実の街角で会う可能性をどこかで否定していた自分がいた。なのに、あっさり見つけてしまった。


 ウィンドウに映るあかりは、相変わらず屈託なく笑っている。隣の友達と小さな声で笑い合って、何か指差してはまた笑う。外から見ているだけで、あかりの笑い声がふいにボクの耳に届いた気がして、胸がぎゅっとなった。


 「ボクくん?」──背後から聞こえた声で、現実に引き戻される。振り返ると、目の前に立っていたのは本屋の店員さんで、ボクのチケットの余りを見たのかと訊いてきた。声のトーンは普通で、特に何かを詮索するようなものではない。それでも心臓の鼓動はしばらく収まらなかった。


 どうするべきか。通り過ぎるべきか、それともあかりに声をかけるべきか。頭の中には、昨日の夜のDMの履歴、あかりの「落ち着く」という言葉、そして自分の「特別かも」という呟きが点になって並んでいる。


 足は自然と店の前へ向かっていた。深呼吸をして、店のドアノブに触れる。小さなベルが鳴り、中に入ると、あかりはちょうどレジで支払いをしているところだった。横顔が、思っていたよりも柔らかい。店員に向かって「ありがとう」と掠れた声で言って、それからこちらをちらりと見たとき、時間が一拍止まった。


 「ボクくん、だよね?」あかりの声には少し驚きが混じっていた。こちらに気づいた瞬間、彼女の顔がぱっと明るくなる。あの瞬間、ボクは自分の顔がどんなふうに見えているのか確かめたくなったけれど、それはどうでもよくなった。重要なのは、今ここにあかりがいるという事実だけだった。


 「うん……あの、偶然だね」声が小さくなったのは、驚きのせいだけじゃない。自分が思っていた以上に、あかりに会うことが緊張を生んでいると気づいたからだ。彼女の笑い方、話し方、仕草一つ一つが、イベントの時よりも身近に感じられて、胸の中に小さな波紋を広げる。


 「図書カードのチャージ、終わったところ?」あかりが訊く。その問いに、ボクはとっさに頷く。簡単で奇妙なやり取りだ。隣に立っているだけで、あかりの存在はボクの体温を少しだけ上げるようだ。


 店内は静かで、周りの客たちはどうやら気付いていない。わずかな空気の振動だけが、この場の緊張を拾う。ボクは無意識に、ポケットの中のスマホに手を伸ばす。DMを再確認してしまう癖が抜けない。画面には昨日の会話が残っていて、あかりの最後の「また会いたくなるじゃん」という文が点滅するように頭の奥で反芻される。


 「ねぇ、今度さ、○○書店のイベントスペースで推しの旧譜の特設コーナー出来てるんだって。行ってみない?」あかりが、ぽつりと提案する。彼女の一言は、まるで何気ない空気のように軽く落ちてきたけれど、ボクには小さな嵐の合図のように聞こえる。


 「行くって、あかり、いつもどこで情報仕入れてるの?」ボクはつい口を挟む。自分でも驚くほど素直な問いかけだった。普段なら興味半分で流すような質問を、今日は真剣に知りたかった。


 「あ、SNSとか、公式のツイに飛んできたの。あと、ファンのフォロワーさんが教えてくれたんだ〜」彼女は手でふわっと表現して、笑う。笑い方が綺麗だ。顔立ちは整ってはいないかもしれないけれど、その笑い方には人を惹きつける何かがある。


 ボクは答える前に、どうしても心の整理をしたかった。胸の奥で何が動いているのか。拒否の壁はまだ薄くはなったものの、完全に消えたわけではない。なのに、あかりはその壁をどんどん優しくつついてくる。驚かせるのでもなく、壊すのでもなく、ただ、そこに在る。


 「……行ってもいいよ。時間が合えば」短い答えをボクは返す。自分の声がいつもより低いのを感じた。あかりの目が一瞬、きらりと光る。


 「やった!じゃあ、土曜日の午後とか空いてる?」彼女はすぐにスケジュールを詰めようとする。行動に早いのも、あかりらしい。ボクは少し考えてから「大丈夫だと思う」と答える。はっきり予定を決めたわけじゃないけれど、なんとなく心の中で小さな窓が開いたような気がした。


 会話は自然と続き、お互いの好きな曲や、イベントのときの細かい部分について言葉が交わされる。ボクは驚いた。ラジオやDMのときよりも、あかりの言葉が直接胸に届く。文字よりも、音よりも、目の前にある言葉が重い――でも、重いと言っても圧迫感はない。むしろ、温度を持った言葉だった。


 店を出ると、外は少しだけ風が強くなっていた。麦わら帽子のひもを気にしてあかりが少し笑う。その笑顔を見て、ボクは自分の中の答えを確かめるように小さく呟いた。


 「……やっぱり、特別かも」


 心の声はもう抑えきれない。けれど、口にするのはまだ早い。今日は偶然の再会と、土曜日の約束だけで十分だ。ゆっくりと、でも確実に距離を縮めていく。それでいい。ボクはそう信じた。


 帰り道、スマホを見れば既にあかりからDMが届いている。『今日会えてよかった! 土曜楽しみにしてるね〜』 画面の文字を見て、ボクは小さく笑う。画面越しの文字もいいけれど、いまは直接顔を見て話せた満足感が心を満たす。


 夕陽は未だ消えず、街を柔らかく染め上げていた。ボクは歩きながら、胸の奥の小さな温度を確かめる。拒否のルールは完全には壊れていない。だけど、そのルールはもう、自分を守るためだけのものではないかもしれない。いつか、あかりと共有する何かになるのかもしれない――それが怖くもあり、少しだけ嬉しくもある。


 春の夕暮れは、何度も色を変えながら沈んでいった。ボクの胸の中にも、小さな色がゆっくりと広がっていく。

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