空塔の男の子
母はモルガナの頭をよく撫でてくれた。綺麗な髪ね、と言って。可愛い可愛いと言って頬擦りしてくれた。
大好きよと言って抱き締めてくれた。
五歳の誕生日はモルガナが欲しがっていた大きな大きな熊のぬいぐるみをくれた。
膝に乗せて絵本を読んでくれた。熊が出てくるお話で、モルガナはそれが大好きだった。
でもそれよりも。
母のことは世界の何よりも大好きだった。
「お母さん、今日会いに行きますね。」
目覚めとともにモルガナは呟いた。幸せを噛み締める笑顔で。
◇
モルガナは格子の鍵を壊した。
本格的な牢ではなく、モルガナに反省を促すためにと、階段下に木を嵌め込んで、市販の簡単な鍵を付けているだけの造りだったことが幸いした。
飲み水が入れられた水差しを、服で包んでこっそり割ると、その破片で鍵の周辺をゴリゴリと削いでいった。
家の中はシンと静まっていた。
こっそりと抜け出すと緊張からの解放感が景色をいつもの倍ほど綺麗に見せてくれるような気がした。
私服がないので制服を着て、夜明けの街を歩く。日が昇り始めた水平線の橙と夜の残りの藍色が混ざってとても綺麗だった。
「綺麗だわ…。」
モルガナは道端のベンチに座って、昨夜書いたノートを開く。
今日の予定だ。
クレープを食べる。
空塔を見に行く。
生家の跡地を見に行く。
交通機関には乗れないから、移動時間を考えるとこれくらいで終わりだろう。
それでもとてもわくわくした。
「…楽しみだわ。」
自然と小さな笑みが溢れる。
空塔という観光地にもなっている、とても高い電波塔を見に行った。
着いた時にはヘトヘトだったが、通勤客向けなのか、目当てのカフェが早くから開いていたので、元気が湧いてきた。
一番安いクレープを、握りしめた小銭で買った。
バターがじゅわっと薄い生地に染み込んで、砂糖と合わさって甘塩っぱく変化する。パリパリしたところももちもちしたところもとても美味しかった。
空塔は白くて高くて、魔法でキラキラ光った粒が周りをくるくる回っているのが流れ星みたいで綺麗だった。
「良い一日だわ…。」
モルガナは十年前に造りかけだった塔と、その下での出会いに思いを馳せた。
ローズの家に預けられる前日、父はモルガナを珍しく外に出してくれた。
多分最期の別れになるかもしれないから、思い出作りだったのだろう。
モルガナもそれを察して、わんわん泣いていた。
(せっかくお父さんが遊ぼうって言ってくれたのに…あの時は困らせちゃったわね…)
すると男の子が声を掛けてきたのだ。
もう顔も覚えていないけれど、優しい子だった。
彼は、モルガナの拙い話をじっと聞いてくれた。
母が死んだこと、父が戦地へ行ってしまうこと、これから知らない家に預けられること、それが寂しくて寂しくて仕方ないこと。
彼は一生懸命にモルガナを励まそうとしてくれた。
「僕が絶対迎えに行くから待ってて!」
その言葉をどこかで信じていた。ローズやエマ夫人に虐げられる中で、僅かな希望だった。
「あの子が今、幸せだと良いな……。」
叶わなかった約束だけれど、自分にそんなことを言ってくれる人がいたこと、それはとても嬉しいことだと思った。
◇
「もし、貴族女学院の生徒ではないですか?」
急に声を掛けられてどきりとした。




