第二十章 千の手のパール
一平は夢を見ていた。
パールがモテにモテている。
一平がそばへ寄ることも叶わないほど大勢の男たちが、バールの周囲に群がっていた。
男たちの中心にいるパールは立派な椅子に座っている。肩から何十本もの腕が千手観音のように伸びて、それぞれが男たちの求婚の接吻を受けている。
男たちの顔はほとんど判別不能だったが、幾人かは見てとれた。その何人かは特にパールの近くにいる。
昼間会ったシェリトリがいた。
「約束したじゃないか。僕と結婚しようよ」
パールは否とは言わない。黙って微笑んでいる。
「冗談ではない。パールは大事な一人娘だ。私の元にずっといさせる」
そう言ったのは、オスカー王だった。
ムラーラのナムルもいた。
「迎えに来たよ、パール。一緒にムラーラへ帰ろう。姉貴もメーヴェも待ってるぜ」
メーヴェの名を聞き、パールの表情が輝いた。
「俺たちも!待ってるぜ‼︎」
合唱するように声を合わせたのは、ナムルの仲間たちだった。
皆に笑顔を振りまいていたが、後ろから呼ばれてパールは振り返る。その先にはなんと翼がいた。
「パール、僕と行こう。あの世も結構楽しいよ」
「何言ってんだ、翼。パールはまだ生きてんだぜ。洞窟にいる方がまだマシだ。な、パール。オレと遊ぼうぜ」
そう言って翼を押し退けたのは学であった。
「よせよ!お姉ちゃんはやっとトリトニアに帰ってきたところなんだ。もうどこへも行かせないぞ!」
キンタが怒鳴ってパールの前に立ちはだかった。
「おまえは血の繋がった弟じゃないか。引っ込んでろ」
ナムルが言う。
「おまえこそ、他国人だろう⁈パールティア姫はトリトニアの真珠、王女だぞ。一体どこへ連れ出す気だ⁈」
シェリトリがしゃしゃり出る。
「他国人でも、女たらしよりはマシだ。おぬしにはもっと相応しい女がいるだろう。しかもよりどりみどりだ」
オスカーが苦々しげにシェリトリを見下ろして言った。
「一体なんでパールのお父さんがこの場に出てくるのさ?トリトニアじゃ、父娘でも、姉弟でも結婚できるの?」
学も疑問に思った事は歯に衣着せずに言う方だ。
「そういうことじゃないんだよ。パールのパパはパールが心配なんだ。でもきっと誰がお婿さんになっても気に入らないと思うよ」
死者のせいか、翼は妙に冷静に見える。
「だから僕と来ればいい。現世で結婚に煩わされるなんてばからしいよ」
しかし、言っている事はめちゃくちゃだ。
一平は思わず身を乗り出した。どこへ誘われるにしろ、黄泉の国だけは手が届かない。それだけは困る。
「待て!翼!パールを連れて行くな!」
翼が振り返る。
「一平か…。これは一体どういうことなんだよ⁈どうしてこんなにいっぱいパールを欲しがる奴がいるのさ?おまえに頼んだのに。今まで一体何やってたんだ⁈」
責められるとは思わなかった。
「パールはあっちにもこっちにもいい顔をしているじゃないか。三年も片時も離れずそばにいて、捕まえられなかったのかよ⁈」
翼の言葉は胸にぐさりと突き刺さった。
そうだ。三年もそばにいて、自分は何をやっていたんだろう?
「聞き捨てならないな。三年も片時も離れず、だと?こっそりいかがわしいことをしていたに違いない。そうだろう?」
眉に皺を寄せ、シェリトリが言いがかりをつけてきた。
身に覚えのないこともない。一平は、堂々とそんな事はないとは言えなかった。
「自分と一緒にするなよ。一平はそんな奴じゃない。いつも一緒に寝てたけどそれはむしろパールが…」
「一緒に寝てただとォ⁈」
意外やナムルが庇い立てしてくれたが、言葉を選ばぬもの言いは却ってシェリトリを憤慨させた。
「こいつ‼︎よくも…。パールはずっと昔に僕と約束をしたんだ。横から寝とったのか、この‼︎」
シェリトリは興奮して拳を振り上げてくる。
「違うっ!」
一平は慌てて首を振る。シェリトリの言う意味とは違うが、一緒に寝ていたのは事実だ。片時も離れずそばにいたのも事実だ。こいつらがパールに一方ならぬ思いを抱いているのも事実だ。そして一平はパールに何の意思表示もしていない。それも事実だった。
「寝ているパールキスしたじゃないか」
なぜそんなことを知っている?と言う疑問は、夢のせいか湧いてこなかった。翼に指摘されて、一平はぐうの音も出ない。
「なっ⁈…紳士にあるまじき振る舞いだぞ。卑怯者‼︎」
シェリトリの言葉は、自分が紳士的でないなどとは微塵も思っていないから出るのだろう。端から見てどうであろうと。
「武道家にあるまじきことでもある」しかつめらしく腕を組んで、ナムルも眉を顰めた。「そう言えば、虚偽も騙ったな、あんたは。赤の他人のくせに、兄妹などと偽って…トリトニアで生まれてすらいないくせに」
恨みがましい目でナムルは一平を見る。彼はそのおかげでひとりばかを見たのだ。
「…事実を捻じ曲げたと言うことか?一平どのは、そのような男だったのか…」
オスカーの声には、はっきりと落胆が表れている。
「それは…」
パールを守るために必要だったんだ、と説明したかったができなかった。オスカーにだけは、言い訳がましいことや嘘を吐くことはしたくなかった。
「一平はさ。地上で育ったって言ってたよね。それって…半分は地上人だって言うことでしょう?純粋な海人じゃないよね。それって…海人の一人だって言えるのかなあ⁈」
害のない口振りではあったが、キンタが言ったことはショックだった。
そう。自分は確かに日本人の母とトリトン族の父との混血だ。海と地上のどちらにも適応性があるが中途半端だ。どちらの人種に対しても五十パーセントの存在でしかない。自分の身体に流れる血は確かに純粋ではないのだ。
「お姉ちゃんはさ。トリトン族の直系の王族だよ。その結婚相手となれば、やっぱりそれ相応の人じゃなくちゃいけないんじゃないの?パパ⁈」
「当然だ」
短くオスカーが頷くが、あまり触れたい話題ではないらしい。それ以上の補足説明はしようとしない。
身分違い、ということは頭を過ったことがある。
今時なんて古臭い―そう思いもしたが、鬼気として迫るものもあった。
パールが王女だと知った時、愕然として青ざめ、自分の態度に戸惑ったことは記憶に新しい。けれど、パールはこのことを一笑に付した。態度を改めるなと本気で怒った。パールが心の底からそうしてほしいと思っていることがわかったので、一平は頷いた。
けれど…。
父親のオスカーや母親のシルヴィアに対しては、目上であることでもあり、側近たちのように陛下、とまでは言わないまでも、王さまお妃さまと呼び、礼を尽くしている。パールのお父さんとかおじさんとか呼ぶのも抵抗があったので、それなりに自然ではあった。
周りの者はもっと遜る。
パールの恩人である一平に対しても。
呼び方こそ同輩の者に対する「どの」を使ったが、応対は丁寧であり、礼儀正しく扱われた。
だが、同等ではない。
一平の身体に高貴な血は流れていない。父のラサールも、その腕一本で名を馳せた人だったのだ。どう頑張ってみてもその事実は変えられない。
そのことでパールを娶る資格がないと判断されてしまうのなら、もう一平には打つ手はなかった。
とは言え、一平は近い将来パールと結婚したいとか、プロポーズしようとか考えていたわけではない。どこの誰にもパールは渡したくなかったが、そんな事はずっと先の話だと、あまりにも幼いパールには当分考えられない話だと、突き詰めて考えた事はなかったのだ。
シェリトリという恋敵が現れて初めて、パールの結婚の可能性は現実味を帯びてきた。
―いやだ。…誰も触るな。
パールはボクのものだ。ボクが守ってきたんだ。
誰にも手出しさせない。
誰の手にも、渡さない。渡したくない―
パールはどう思っているのだろう?
一平のことが少しでも好きだろうか。
いや、それは愚問だ。パールは必要以上に一平に懐いていたし、何度も「一平ちゃんだあい好き」と口にしたことがある。パールが自分に好意を持ってくれていることぐらいは、一平には自信があった。
けれど、それだけではだめなのだ
父や母や弟を大好きだと言うのとどう違うのか、或いは違わないのか、そこが問題だった。
尋ねたとしても、うまくこちらの意図する意味が伝わるかどうか。伝わったとして、パールに答えが見出せるかどうか。拒絶の返答が返ってきたり、変に意識して遠ざけられたりはしないか…。そう考えると、訊くこともできない。
「どれにしようかなぁ…」
無邪気な口振りで、夢の中のパールが夫となる候補者を眺め回している。まるでケーキ屋でたったひとつだけ買ってやるから選べと言われて迷っている、ショーウインドウの前の子どものように。
パールの眺める群衆の中に入らなければ。こんな所に突っ立っていたのでは、万に一つの可能性も失われる。だが、一平の足はびくとも動こうとしなかった。
オスカーがどこからか弓を取り出して矢をつがえた。
「この矢には、呪いがかかっている。わが娘パールティアに一番相応しい男の元にに、この矢は飛んでいくはずだ。見事、己の胸でこの矢を受け止めた者に、王女の夫たる資格を与えよう」
オスカーのその言葉を聞いて、群衆はざわめいた。いや、色めき立った。
我も我もと先を争って、弓矢の前に乗り出そうとする。
(狂っている…)
一平は思った。
目の前のパール狂いの連中も、オスカーも、そして自分も…。
この狂気からは逃げられない。
パールを得るためだったらどんなことでもできる。自分の努力でできることでさえあれば…。
夢見が悪かったせいか、その日の朝食は食事が進まなかった。食堂を後にして部屋に下がろうと足を踏み出した一平は、後ろからかわいい声に呼び止められた。
「一平ちゃん」
一平は振り返って笑顔を返した。その笑顔がいつになく弱々しいのでパールは言った。
「どうしたの?元気ないね」
元気がないのは自分が一番よくわかっている。だが、その理由は言えない。特にパールには。
「ちょっと…な。気が緩んで疲れが出たんだろう。きっと」
「大丈夫?」
「少し食欲がないだけだ。休めば治るさ。気にするな」
三年間共にに旅をしていたが、一平が病気になったことなどただの一度もありはしなかった。彼が生死の境を彷徨ったのは、すべて外傷による。外部から加えられた危害が原因だった。風邪のひとつも引いた事はなかったのだ。
だから、パールが気にしない方が無理なのだ。食欲がないのは本当だが、一平の答えは嘘なのだから説得力もない。
「お歌、歌ってあげようか?」
パールの歌は一平も大好きだ。本当に心地好い。
だが、それももう独り占めすることはできない。
「これからすることがあるんだろう?王妃さまが言ってたぞ」
「…そうだった…」
「ボクは大丈夫だから。行ってしっかり務めを果たしてこい」
「うん…」
不承不承頷いて、パールは母の所へ行きかけた。
でも、ほどもなく振り向いて叫ぶ。
「終わったら歌ってあげるね。だからお部屋にいてね、一平ちゃん」
「…… 」
一平はただ片手をあげて答えた。
自分の部屋に入って、一平はどさりと腰を下ろした。
最前のパールの姿が頭から離れない。
かわいいパール。愛しいパール。まっすぐに一平を慕ってくれる何者にも替え難いパール。
数々の出来事が一平の胸中に去来する。
自分の望みが通らないことで膨れっ面のパール。
目にいっぱい涙を溜めて―あるいは涙を迸らせて―悲しみや怒りを訴えるパール。
あどけなく、何ひとつ裏表のない笑みを満面に浮かべるパール。
ふとした拍子に気高いくらいの崇高な瞳と毅然とした振る舞いを見せるパール。
すやすやと寝息を立てて安心しきった無防備なパール。
一平に抱きついて、頭をすり寄せ「一平ちゃん」と囁くパール…。
振り払っても振り払っても、浮かんでくるのはパールの顔ばかりだった。
一平は認めた。この三年の間、昼も夜も朝に夕なに、彼はパールのことばかりを考えていた。
調子はどうか。疲れてはいないか。苦しそうではないか。敵に狙われているのではないか。
障外があれば排除し、泣いていれば慰めた。嗜めもしたが、決してそのままではおかず褒めてやった。そんな時パールは少し成長し、一平への信頼を増したように見えた。それは一平の喜びでもあった。
何度も肝を冷やし動揺し、その都度パールへの思いを強めていった。何よりも大切な存在であることを自覚したのは一体いつのことだったろう。
自分はどれほどパールを愛しんだろう。
現れては消え、それでいて決して絶えることのない波のように、彼の心は浮き沈んだ。どこへ行き着くのかわからない潮の流れのように、一平の恋は先が見えず、それでいて確かに存在していた。
しかし、今は少し違った。
パールのルーツが見えて、一平は自分の気持ちに区切りをつける時が来たと感じていた。
もっと言うなら、恋の終わりを予感したのだ。
自分はパールを好きだ。何物にも替え難いほど愛している。どこへも手放したくない。
しかしパールは違う。故郷へ戻り、一平から離れて何の支障もなく生活している。彼がここからいなくなってもパールは食うに困らないし、世話を焼いてくれる人はごまんといる。しかも間もなく成人するはずであり、そうなれば親の管理下にいる必要もない。彼女を取り巻く環境はこれまでと百八十度度転換する。一平がそばにいる必然性は全くないのだ。
これからのパールに必要なのは、成人の王族としての心得や務めを身に付けることだ。一平の教えられることではない。そしていつか、その身に相応しい伴侶をあてがわれ、望み通りに子をたくさん産む。
常日頃、赤ちゃんをたくさん産むと公言しているパールにとって、それはどれほどの喜びだろう。パールに似た可愛い子どもたちに囲まれて微笑む姿は幸せそうで、きっと神々しいほど美しいに違いない。
けれどその傍らに一平は存在する事は許されない。このトリトニアで何の地位もない彼にはおそらくその資格はないだろう。地位どころか、身分すら不安定だ。純血種でない事は克服のしようがない。
パールが誰か他の男のものになってしまうのは考えただけでもたまらないが、自分の気持ちを言ってこの王宮に混乱を招くことも、一平にはできなかった。そんな権利は自分にはない。一平はそう考えていた。
パールが自分のものにならないのなら、もうそばにいるのはよそう。遅かれ早かれ、いずれパールは他人のものになってしまう。そんなことをこの目で見ることになるくらいなら、今のうちにここを去ってしまったほうがマシだ。ポセイドニアには他に九つの国があると言う。それらの国を旅してもいいし、知り合いのいるムラーラまで戻ってみてもいい。とにかくトリトニアの王宮が見えない所へ行ってしまえばいいのだ。
ここにいればパールは安全だ。彼女は幸せになれる。
自分は遠くから彼女のことを思っていればいい。一平の姿が見えなくなっても、彼のことを忘れ去ってしまうほどパールは薄情ではない。翼のことを思い出すくらいには、一平のことも思い出してくれるだろう。
それでいいではないか。パールが幸せなら。元気に生きてさえすれば。
―いいわけがない!―
そう叫ぶもう一人の自分の声を、一平は敢えて聞かないようにしていた。そう考えるのは後ろ向きだ。せっかく傷つかないでいいように、パールから逃げる理由を確立しているのに。
そう。
一平は逃げていた。周りから指摘されて心が傷つくのを恐れ、逃げ道を探していたのだ。そのことに気づかぬほど、彼の思いは狭く、暗い場所へと追いやられていた。
(トリトニアの伝説 第四部
アトランティック協奏曲 完)
拙い作品を読んでいただきありがとうございました。
「アトランティック協奏曲」は、海洋ファンタジー「トリトニアの伝説」の第四部です。
一平とパールはとうとうトリトニアへ辿り着きました。
無事家族の元へ帰ることができたパールの姿に胸を撫で下ろすと共に、一平は一抹の寂しさと虚しさを覚えてしまいました。
パールと自分との境遇の違いを痛感して葛藤して悩み始めた一平は果たしてどういう選択をするのか。
第五部は「トリトニア交響曲」です。
11月より連載を開始する予定です。
その前に外伝を一編お届けするつもりです。
引き続き読んでいただければ嬉しいです。




