第十八章 朝餐
従者に呼ばれ、一平は朝の謁見に赴いた。
起床し、身嗜みを整えたら、まず国王夫妻に挨拶をすることが習わしだそうだ。その後すぐ朝食になる。
トリトニアでは昼食はとらない。食事は朝夕の二回である。昼間の活動のため、朝の食事はたっぷりととる。夕食はまだ陽の落ちる前に供されることになっていた。
一平が着くようにと告げられた食卓は国王一家の家族の食卓である。一家の長オスカーと、その妻シルヴィア。娘のパール、息子のキンタ、そして一平の五人が大きな円卓を囲んでいた。
石でできた円卓の上には器が伏せられている。大きさや形も様々な器が並ぶ中に、鉄串のようなものが運ばれてきて、円卓上の小さな穴に差し込まれた。串には獲えられたばかりの魚が串刺しにされ、生きの良さを主張していた。
給仕の合図を出したのはシルヴィアだが、会食開始の合図をするのは一家の長であるオスカーだ。
「このように再びパールと食事ができるとはなんと嬉しいことだ。加えて素晴らしい客人を迎えられ、これ以上の吉日は滅多にないことだろう。さ。一平どのも腹いっぱい食されよ。苦手な魚はあるかね?」
「いえ。特に、これといって…」
王直々のおもてなしに戸惑いながら、一平は受け答える。
そこへパールが口を挟んだ。
「一平ちゃんはパールと同じで、蛸が好きなんだよ」
「ほう…」
「洞窟ではね、お醤油をつけて食べるの。わさびと。でもそれは辛いからパールは嫌い」
「洞窟⁈」
「うん。日本の洞窟。お水はちょっとしかないの。でも一平ちゃんがプールをくれたから。パールはそこに住んでたの」
懐かしい話だ。わずか三年と言うか、早や三年と言うべきか、記憶の中のあの日々は未だ色褪せずに輝いている。
「王さまは…、地上の人間にお会いになったことはあるのですか?」
パールの話は唐突で説明が必要だ。そのためにはここの人たちの地上に対する認識がどの程度なのか知っておく必要がある。一平はそう思って尋ねてみた。
「話には聞いている。地上の人々は、海の水ではなく空気の中で生きているとな。だが、会うのはおぬしが初めてだ。おそらく海人の中にも、そうはいるまいよ」
「地上の人間が船を操り、海のある程度までを我が物にしていると言うことは?」
「得体の知れぬ大きなものに乗り、我らと同じように小さな身体で巨大な鯨などを捕まえるらしいな。食料としては手に余りすぎるだろうに。地上人のすることはわからぬ」
「食料だけではないのです。鯨からは、脂を採取するのが第一目的で、その肉を食すのはごく一部の民族だけですから」
「脂など、何に使用するのだ?」
「地上には酸素があります。…海の中にも酸素はありますが、地上には水が満ちていないため、酸素を燃やして火を起こすことができます。火は、物を焼いたり暖や光をとったり、新たなエネルギーを生み出したりできるので、その媒体として脂が必要なのです」
『焼く』と言う概念、『燃やす』と言う概念すらここにはないのだ、と思いながらも、一平にはそういう説明しかできなかった。
「興味深い話だが、とりあえず先を聞こう」
「捕鯨だけではなく、地上の人間は必要以上に漁をしています。全部が全部そうと言うわけではありませんが、大国であればあるほどその傾向は強い。無駄に消費をして種の絶滅を助長しています。
…生き物だけではありません。海底から石油を採掘するのはまだしも、自分たちの不要なものを海に投棄して海を汚染しています。その回復には汚染にかかった何倍もの年月がかかるというのに…」
「うむ…。そういう被害は潮の噂で伝わってきているぞ」
「最悪なのは核実験です。核と言うとんでもない悪魔を作り出して戦争道具にし、何の関係もない海の生態系を破壊しているのです。ボクにはその原理はよくわかりませんが、核を使用した末に発生する放射能は、百年経ったとしても完全には無にならない。犠牲になった生き物は、その子孫に至るまで身体に影響が出る恐ろしいものです。それなのに…」
「……」
朝食時の話題としては相応しくなかった。だが、これらのことを語らずして、地上の人間どもの恐ろしさ、愚かさは伝わるまい。それらからパールを守るためには存在を知られてはならなかったのだということが。
「人間は…己の利益、欲望のためには、手段を選ばない。より楽なもの。より楽しいことを満たすために、必要のない殺生をやってのける。異端のものを排除する。珍しさや好奇心のためでも非道な仕打ちを加えることを厭わない…」
「おぬし…」
そんな恐ろしい者どもの中に、この若者はいたのだ。生を受けてより十三年間、その人間たちと暮らしていたのだ。その母も、その仲間なのだ。
―よく、そんな中で…。この者も所詮はその仲間なのか?―
そんな心を王の眼差しの中に感じ、一平は慌てて言い足した。
「もちろんそれは一握りの人たちです。が、大方の人にはそれを止める手立てはないし、大きな罪と深刻にとらえてはいません。ボクの周りの人々は、ごく普通の、日常の小さな幸せを喜びとするいい人たちでした」
「………」
「ただ、そういう事実は事実です。希少価値の動物は『動物園』や『水族館』と言う名の檻や水槽の中で見せ物にされています。人間の幸せのために実験体とされ、命を奪われるものもいます。死して後も、鑑賞のための処理を施され、人目に晒され続けることすら横行しているのです。
…地上には人魚などという生き物はいませんから、パールが人目に触れれば必ず注目されるでしょう。捕らえられ、自由を奪われ、体の隅々まで調査される。見せ物にするだけではなく、芸を仕込まれ披露させられる。切り刻まれ、解剖され、殺されてホルマリン漬けで展示される…。そんなのは絶対に許せなかった」
一平の弁は次第に白熱して表情も険しくなってきた。
パールに出会った当初もそう思ったが、今同じことを考えても堪らない。三年前以上に身近で大切な存在になったパールにそんなことが起こり得るなど、考えただけでも恐ろしい。
パールが不安そうに一平を見つめる。一平の言う意味を全て正確に理解することはできなかったが、彼が苦しそうなのはわかる。しかも自分のことを心配して心を痛めているのだということもわかる。当時、一平は簡単な言葉でしかその理由をパールに告げなかったが、人間は怖いものだということだけはインプットされた。同じ人間でも、翼と学は特別だということも。でも、本当はパールが考えていたよりも、もっともっと怖いことだったのだということを、パールはこの時に実感したのだ。
パールよりは年齢も高く経験豊富なオスカー王は、一平の口にした以上のことを理解した。パールと自分が同族であることを感じ取った一平は、多分自分自身をパールに重ねて見ていたのだろう。我が身に降りかかる災難を廃するのと、何ら変わらぬ心持ちでパールのことを守ってくれたのだ、と。
トリトニアでは男子は十四歳で成人だが、その頃の一平はまだ未成年。大人には近づいているが、まだ子どもであり、精神的にも肉体的にも非常にあやふやな年齢だ。そして人生のうちで一番輝かしい年代でもある。その青春を、この若者は小さな少女ひとりを守るために費やした。三年もの長きに渡って。
その間に少年も大人になる。少女は未だ子どものままだが。
オスカーは俄然興味が湧いてきた。ただの娘の恩人としてではなく、この若者の持つ可能性をたくさん引き出してみたくなった。
(やはりあの託宣はこのこと…。勇者と呼ばれる器でなければこのような選択はすまい)
オスカーの思いをよそに、一平の話は続いている。
「伯父夫婦にも従兄弟たちにも―その頃にはもう両親はいなかったので―もちろん他の誰にも見つからないように、ボクだけが知っていて、ボクだけが行ける場所にある洞窟へパールを匿ったんです。小さいけれど潮溜まりがあったし、食料は獲ってきてやれば事足りるし…」
「それがバールの言う『洞窟』か…」
「はい。…でも…ボクにしても海で暮らしたことはなかったし、トリトニア語もまだうまくは使えなかったので、どうしてやったらいいかよくわからなくて…。水がないとだめなことだけはすぐわかったので、ビニールプールに水をたくさん張ったんです」
「ビニールプール⁈」
「えっと…これも石油から作るんでしょうね。ビニールという、水を通さない物質で作ってある入れ物です。子どもなら寝そべることができるくらいの大きさのものに、海水を満たしました」
「お布団も作ってくれたよね」
パールがニコニコと言う。
それはあまり言いたくなかった。昨夜、ここの物とは比較にもならないと、悲観していたことそのものだ。
「あれは…。ごめんな、知らなくて…。あんなふかふか布団が海の中にあるとは思わなくて…」
へどもどと、一平は謝り始める。
何を言っているのか、とパールはきょとんとする。
「どうして?いい匂いの気持ちのいいお布団だったよ⁈」
「パール…」
そんなふうに言われるとどうしていいかわからない。ただ、パールは心底からそう思っている。思っていないことは言わない子だ。
「蛸もたくさん獲ってもらったのだろう?」
多分そうに違いないと、オスカーは尋ねてみた。
「うんっ‼︎」
パールは元気に頷く。思い出したように、蛸に手を伸ばして口の中へ放り込む。
蛸は逆さにした器の中に入っていた。ムラーラやジーでもこうだった。洞窟でままごと道具を揃えてやった時、茶碗などをみな伏せるので不思議に思ったことを思い出した。百聞は一見に如かず、である。
「一平ちゃん、お醤油つけたい?」
ふと思い出したのか、パールは尋ねた。
「いや。…もう…このままの方が美味しく思えるな」
一平も、心の底からそう思った。
自分で思っている以上に、一平は海の暮らしに慣れ、海色に染まっているのだ、と彼は不思議な感覚に浸っていた。
一平の気持ちが綻んだのがわかると、すかさずシルヴィアが食を勧めた。
「今朝はパールの好物を中心に、トリトニアの代表的な食材を揃えましたのよ。一平どのはここの食事は初めてなのでしょう?どうかしら。お口に合いまして?」
海の中なので煮炊きはできない。出された料理はもちろんすべて生である。高級品と言われるものは、第一に鮮度、第二に数が少なくて貴重であること、第三に盛り付けの美しさを吟味されたものだと言う。
確かに美しかった。
林立する鉄串や伏せた器は奇異に映りはしたが、生き造りはあるしまだ食べたことのない深海魚などもあるし、切り分け方や並べ方に用意した人の気配りとセンスが感じられる。刃物の怖いパールには一度も披露してもらった覚えのないメニューであった。
幸い、どの料理も一平の口に合った。なんだか懐かしい感じの匂いのする魚もあって驚いた。
その魚の名を質問すると、思いがけないことを耳にすることになった。
「気に…入ったかね?」
「ええ。美味しいです。食べたことがあるような気さえします」
一平の答えを聞き、オスカーは目を瞠いた。
「…不思議なものだ…。その料理はラサールも好物だった…」
「え⁈」
父の、好物。
そう。この人は父のことをよく知っている。
「あの…」
懐かしげに目を瞑り、オスカーは心を翔ばせていた。
熱っぽい視線を再び捉え、オスカーは呼び掛ける。
「ラサールの…ことだったな…」
「……」
いよいよ聞ける、と一平は身構えた。どんな人だったのだ、ボクの父は⁈いや、父のことはよく知っている。だが、それは地上人として暮らした父だ。潮干勝ではない、トリトニアのラサールのことを一平は聞きたいのだ。
王は居住まいを正した。
厳かに口を開く。
「ラサールは…トリトニアの首都トリリトンからは二十アリエル離れたベスという街の出身だ。トリトニア歴3012年生まれで、私より十年上だと聞いている」
勝は生きていれば四十一歳。尤も、記憶がなかったので基準となった年齢は正確ではない。とすれば、このオスカー王はまだたったの三十一歳ということになる。
「生きていれば、三十八歳になっているはずだ」
案に反してオスカーは言った。
(え?それではこの王様は二十八⁈)
亡き父の年よりも、目の前のオスカー王の年齢を計算してしまった。
ムラーラで出会ったミラもメーヴェも確か二十九歳だった。あの時の彼らよりも、パールの父は年下なのだ。
一平は思わず尋ねていた。
「失礼ですが…パールは…王様が十四歳の時のお子なんですか?」
パールは今十二歳のはずだ。
「いや。十四で即位はしたが、生まれたのは、十五になってからだ。十四の頃には、シルヴィアがまだ成人前だったからな」
では、パールの母も成人後すぐに出産をしたということになる。海人は早熟だと聞いてはいたが、俄かに現実味を帯びた事実として一平の胸に迫ってきた。
なるほど、美貌が衰えないわけだ。この王妃はまだまだ女盛りの二十六歳なのだから。一平とも十しか違わない。
あんぐりと口を開けて国王夫妻を眺めているさまが余程滑稽だったのだろう。オスカー王はくっくっとお茶目に笑ってこう言った。
「おぬしの年には、キンタがもう宿っておった。だが、それほど珍しい話ではないぞ。ここトリトニアでは」
「あ…はい…」
「一平どのはまだお独り?故郷にいい人がいらっしゃるのではなくて?」
へどもどと応じる一平に、シルヴィアは更に狼狽えさせるようなことを訊く。
「と…とんでもない。日本では… 十八歳にならないと成人ではありませんし、結婚もできません」
「あら。それはまた、ずいぶんのんびりとしたお国ですわね」
のんびり…と言うのとは違うと思うが、と思いながらも、一平は苦笑いするしかない。
「一平どのは十六歳…でしたかしら?」
「はい」
「ラサールどのも晩婚…というか、行方が知れなくなった二十歳の頃までお独りだったようですわね」
「ラサールは真面目すぎるのだ。武道一本やりで後進の指導に熱を入れてばかりでな。海人には珍しく女性にあまり興味を示さなかった方だ」
父が真面目、というのは頷ける。だが、武道一本やり、とは。
日本での父は武道などというものとはとんと縁がないように見えた。喧嘩や言い合いすら、しているのを見たことがない。
ひとつのことに熱中する、という点では、漁師の仕事に生きがいを見出して日々精進に励む姿が一致すると言えるかもしれない。
「彼は特に槍の扱いに長けていてな。国内の大会では何度も優勝という優秀な成績を修めている」
「槍…ですか…」
そう言えば、昨日オスカーは『トリトニアの槍将ラサール』と言った。父は名のある武将だったのだ。
「そうだ。狙いを定める眼力と技術、水の抵抗を計算して飛距離を調節する適応力、また、獲物から刺さった槍を回収するのに必要な敏捷性、それら全てにおいて右に並ぶ者はいなかった。私も修練所ではお世話になっていた」
『修練所』
パールから学校のようなものだと聞いてはいるが、それはどんな勉強をする所なのだろう。
「ラサールは青科の指南を務めていた。私は科が違ったが王族なのでな。護身のための指導を彼から受けた。力や技だけでなく、人としての心構えについても深く影響を受けた。…人柄は申し分なかったからな。ラサールに教授されたいと、たまの公開指南は常に告示と同日中に満席になるほどだった」
仮にも父が教える仕事をしていた人とは思ってもみなかった。しかも生徒に慕われ、人気のある実力派の教師だったとは。
面映く、嬉しい。
ふわふわした気持ちが一平の胸に湧き上がる。
そんな心の変化が顔に表れていたのだろう。オスカーが訊いてきた。
「意外でもあり、誇らしくもあり。そんなところかな?今の心境は⁈」
ズバリと言い当てられ、一平は驚愕する。なぜわかってしまうのだろう⁈
「地上でのラサールと同じ人間とは思えぬかな?」
「いいえ。父は…地上では、勝と名乗っていましたが、祖父の仕事である漁師の職に就いていたのですが、聞くところによるとよく精進し、切磋琢磨して己の技を磨くタイプの人だったそうです。やはり真面目で…。ボクにもいろんなことを教えてくれました。ボクらの村では漁に槍を使わなかったので、まさか槍の使い手とは知る術もありませんでした。女性に興味がないと言うのはちょっと頷けませんが…こうしてボクが生まれているわけだし…。まあ、母が亡くなってからも新しく女性を作るわけでなし、気安く女性に声をかけるタイプでなかったことは確かです。むしろ村の奥さん連中からからかわれることの方が多かったと記憶しています」
「ふむ。やはりラサールはどこへ行ってもラサールであるらしい。一平どのの言われる由、私には目に見えるようだ」
「そうなんですか…」
「一平どのはご兄弟は?」
不意にシルヴィアが訊いた。
「いません。ボクは一人っ子です。母ももう先に亡くなりましたし」
「でも地上に身寄りはいらっしゃるのでしょう?」
「ええ。母の姉の家族が。従兄弟たちとは兄弟のようにして育ちました」
「では、いずれは戻られる?」
「え…」一平は一瞬言葉に詰まった。「…戻れるとは…思っていません。伯母とも従兄弟とも別れは済ませてあります。でもこれからどうするとも…正直言って、ボクにはまだわからない。自分の素性を知って父の故郷を見たいと思ったし、自分の居場所は地上ではなく海だと思えた。だから海へ出たんです。もちろんパールのことがなければそんな決心はつかなかったかもしれない。けれど父はトリトニアの事はほとんど何も言い残していかなかったから、ボクの疑問が晴れたのはパールのおかげなんです」
「海人の息子として生まれたのだ。海で生きることに何の不都合があろう。一平どのさえよければトリトニアに落ち着かれるとよい。当面は不案内だろうから、昨夜案内した部屋を使うがよかろうよ」
「え…そんな…」申し出はありがたいが、すんなり受け入れるのには抵抗があった。「ボクは…ただパールを送ってきただけです。昨夜は到着が遅かったのでお言葉に甘えさせていただきましたが、本来ならば話の済んだ時点でお暇するのが筋かと…」
「だめだよ‼︎」
切羽詰まったかわいい声に遮られた。
一平の向かい側に座っていたパールが身を乗り出して立ち上がっていた。
「パール…」
両親に、慎めと言う視線を向けられ、パールは一瞬押し黙る。だが、負けじとばかりに声を絞り出した。
「…ごめんなさい。お行儀が悪いのはわかってます。でも…」どう言えばわかってもらえるのだろう。「でも嫌だよ!」
パールはもういても立ってもいられなかった。座を離れ、なんと円卓を飛び越して一平の元へ急いだ。
「パールティア‼︎」
愛称ではなく正式名で母は娘を制した。父はあちゃーとでも言いたげに額を押さえ、弟は大口を開けて姉の醜態を眺めている。
「ここにいてよ。すぐ帰るなんて言わないでよ。トリトニアまで送ってもらったお礼をパールにさせてよ」
パールは一平の胸ぐらを掴んで懇願した。
「…ばかだな。パールにお礼をしてもらおうなんて、はなから思っちゃいないよ」
同じく驚きはしたが、咎めることなく一平は言った。しかも、限りない優しさを込めて。
「だって…トリトニアには知ってる人いないんでしょ?一平ちゃんの日本のおうちはもうないんでしょう⁈パールが一平ちゃんのとこに行ったから。パールのせいで…」
パールの最後の一言が一平を厳しい顔にした。
「おまえのせいだなんて、誰が言った?」
「だって…翼ちゃんだってパールのせいで…」
「二度と言うな!」
思ってもみないきつい言い方にパールはびくっと震えた。
「翼が死んだのはおまえのせいじゃない。あいつは…あいつなりに自分が正しいと思うことをしたんだから」言葉を選びながら、一平は諭す。「…ボクだって…自分がしたいと思ったから、おまえと海へ出たんだ。パールのせいで日本にいられなくなったわけじゃない。そこを間違えるな」
パールの両親の前だと言うことも忘れ、一平はパールに言い聞かせる。この点に関しては思い違いをして欲しくなかった。はたから見てそうだとしても。事実だったとしても。パールにだけは…。
どんなに厳しい口調でも、辛い内容でも、一平が誠実に言っていることならパールは真摯に受け止めることができた。目を逸らしたり拗ねたりせずに。
見つめ合う二人の沈黙に助け舟を出すかのように、無邪気な声が割って入る。
「かっこいーなー、一平って」
キンタである。
両手を頭の後ろで組み、ふん反り返って感心している。
単純に、堂々として誠意溢れる振る舞いに痛み入ったのだ。国王夫妻を両親に持つ身としては、その二人の前で他人からこうまで叱りつけられたことは今までなかった。姉のパールにしても同じことだ。
―こんな人は初めて見る―と、無心の勇気に感服したのだ。
キンタの声にはっと我に帰った一平は、思わずオスカーとシルヴィアの顔色を窺った。
「私もキンタに同感だ。一平どの」
一平の無言の質問を受け、オスカーは答える。
「旅の間もこうして娘を教育してくれたのであろうな」
「本当に。三年見ぬ間に、パールもずいぶん社会勉強ができたようですわ。ありがたいことに」
オスカーの勘ぐりにも、シルヴィアの感想にも、皮肉めいたところは微塵も感じられなかった。
「…差し出がましいことを…」
申し訳ありません、と続けようとしたがオスカーに手と目で制された。
「何も悪びれることはない。パールは見ての通りまだ子どもだ。非を諭し、改めさせるのは、何も親だけの役割ではあるまい」
「一平どのはよく心得ておいでですわ」
シルヴィアも推す。
「そうだ!」
ひらめきがパールを襲った。叱られたことなどもう記憶の彼方に押しやって顔を輝かせ、パールは言う。
「一平ちゃん、パールの先生になってよ。家庭教師をしてここにいればいいよ」
「家庭教師?」パールには幼い頃家庭教師が付けられていたのだった。「バカ言え。一体、何を教えろって言うんだ」
「えーとね…。お行儀」
思い付きなのでそれくらいしか思い浮かばない。一平の得手は武術だが、パールにとっては無用の長物だ。
「こじつけはおやめなさいな、パール」見兼ねてシルヴィアが口を挟んだ。「一平どのにはトリトニアで学ぶことの方が多いはず。あなたのわがままでこれ以上彼を縛ってはいけません」
「わがまま⁈」
これはわがままのひとつなのだろうかとパールは自問する。そんなつもりはないのに。ただ一平ちゃんにそばにいて欲しいだけなのに。
そんな心の声が聞こえたかのように、シルヴィアは言う。
「自分の希望に添うように勝手に要求することをわがままと言うのです」
納得するしかない。パールはしゅんと項垂れた。
「修練所のことはご存知か?話の中にも出てきたが」
オスカーが問う。
「少しは…。パールから聞いた限りですが」
「入所は六歳からだが上限はない。おぬしの年では残っている者は少ないが、試しに通ってみてはいかがかな。一般的な教養も身に付くし、専門の科もある。修練所に興味のある科がなければ私が師を紹介してもよい。
…パールに礼など求めぬと言われたが、我らにとっては一平どのは娘を戻してくれた恩人。トリトニアの人民にとっては王女を取り返してくれた勇者だ。感謝のしるしとして、王宮から通われることを提案したい」
「王さま…」
本当は願ったり叶ったりなのだ。路銀も残り少ないし、街中で野宿は避けたいところだ。そして、トリトニアのことを知るにはうってつけだと思えた。
これならいいだろう?と、お茶目な顔で父は娘を見る。うんうんと、パールも嬉しそうに首を振る。
「お言葉、ありがたく承ります。よろしくお願い申し上げます」
意を決し、一平は深々と頭を下げた。




