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第十六章 託宣

「パール…」

「パパ…」

 呼び掛けられて、パールは父を仰ぎ見る。

 シルヴィアが退()く。

「よく…戻った…」

 王は、慈しみ深い眼差しで娘を見つめた。

「うん…」

 再込みみ上げる涙を拭おうともせず、パールは父にしがみつく。

「…ただいま…パパ…」

 ―おかえり―

 不覚にも、オスカーの返事は言葉にならなかった。そのまま愛しい娘の身体をひしと抱き締めて、三年間の空白を埋めようとした。

 娘の身体はオスカーの覚えているそれとは既に違っていた。

 小さくて、弱くて、握り締めたら、ぽろりと崩れてしまいそうな、脆くて儚い娘だった。九歳にして、まだ五歳か六歳程度の能力しか持たぬ不憫な娘であった。

 娘自身のせいではない。何の因果で…と思うほど、パールはまっさらで透明で、どんな色にも染まりやすい無垢な子どもだった。虚弱のため、外へも思うようには出られない。自分が他人(ひと)より小さく弱いことを密かに気に病んでいることも、オスカーにはわかっていた。

 あの日は気候が良かった。水温も適度に高く、海も凪いでいた。たまには外の様子を見に連れて行ってやろうと出た、ほんの近場の遊泳中に、突如パールは姿を消したのだ。

 初めはふざけて隠れているのかと思った。

 次に、どこかで倒れているのではと、慌てて探し回った。

 最後に、どこかの間者にでも誘拐されたのではないかと、神経を尖らせて探させ、日々部下の報告を待った。

 ところが、いっかな手掛かりがない。トリトニアの何かを目当ての誘拐ならば、脅迫なり人質になっているという噂なりが入りそうなものだが、それも一向にない。

 行方を占ってもらったが、なぜかそれすら答えが出ない。

 オスカーは半狂乱だった。繊細な神経を持つシルヴィアに至っては、泣き尽くした挙句に寝込んでしまう。娘の無事が絶望的だと判断してしまうのはあまりに容易い状況であり、また、諦めきれるものでもなかった。


 その娘が帰ってきた。

 消えた時同様、何の前触れもなく、以前より遥かに元気な姿、成長した姿で自分の前にいる。

「…大きゅうなったな…」

 オスカーは呟く。

 抱き上げても見下ろせた少女の頭は、今はオスカーの胸まである。尻尾の先はオスカーの足元にはまだ及ばないが、身体の厚みも背丈も充分に記憶より量感が増えている。肩までしかなかった妻と同じ色の髪も、腰までの長さとなっていた。

 ―もうひと月ほどでパールも十三になるはずだ。生きていれば…―

 そう述懐したのは、つい最近のことだった。

「うん…」

 パールは呟く。

 父に成長を認めてもらえて嬉しかった。

「怪我などせんかったか⁈」

「うん」

(一平ちゃんがいたから)

 パールは思う。

「病気は⁈顔色がよくなったようだが」

「何回か倒れたけど平気。元気だよ」

 心配させたくはないが、もう過ぎたことだ。

「よく、戻った」

 また、オスカーは言った。同じことを。

「うん…」

 パールはしっかとしがみつき直す。

 父の懐かしい匂いが身体中を包んでくる。

(違う…)

 心地好いのに、なぜかパールはそう思った。

(一平ちゃんとは…ちょっと違うや…)

 今やパールにとって一番慣れ親しんだ匂いは一平のものだった。父のものに似通ったそれを、初めて会った時、父だと勘違いした。

 けれど、それゆえ安心感があった。

 一平の胸に凭れていると安らげる。その安らぎを求めて、パールはいつも一平にくっついていたのだった。

 思った事はすぐに口に出る。

「おんなじかと思ったけど違うね。一平ちゃんとパパ」

「なんと?」

「一平ちゃんの匂いも気持ちいいんだ」

「……」

 オスカーは目を瞠いてパールを見る。

 次いで、目を上げて少し離れた所にいる若者を見た。

 察しはついていた。

 既に耳に入っていたこともあり、目の前にいるのがパールを同行してきた若者―勇者―であることに気づいていた。


 ―群青の月十日、赤き珊瑚が勇者を(いざな)誘う―

 それは今月の託宣だった。

 トリトニアには神官がいる。八人の神官が、月毎に交替で、国の行方を占う。

 占う、とは言っても、神官本人に未来を見る力はない。あくまで神官は神の言葉を聞き、伝える伝言係にすぎない。それなりの修行を積まなければその役もこなすことはできないが、あくまで神官は媒体であり、仲立ちをするのが誰かという事はあまり重要ではない。但し、占いをする事は身体への負担が大きい。それゆえ、八人の神官が持ち回りで役目を遂行しているのだ。

 占いが行われるのは、月のひと巡りが終わる頃。次の月のひと巡りに予定されるあれやこれやを、神官が神に申告する。告げたことに対して答えが返ってくることもあれば、なしのつぶてのこともある。また、帰ってきた答えが必ずしも具体的だとは限らない。むしろ抽象的で理解に苦しむことの方が多い。

 内容も、多岐に亘っていることもあれば全くないこともある。その時の神の気分次第、お力次第であり、託宣が降りなかったからといって神官が咎められることはない。そもそも託宣は実際問題として参考意見の域を出る事はないからだ。

 その、今月の託宣のひとつが最前のものだ。

 ―群青の月十日―

 それは今月の今日のことである。

 ―赤き珊瑚が勇者を(いざな)う―

 母親譲りの赤い珊瑚色の髪。パールを連想させる言葉だ。だとすれば、パールが誘ってきた若者が勇者か⁈

 勇者の伝説は数多い。

 書物の残らぬここトリトニアには、地上よりも伝説や昔語りが多い。当然、英雄譚には事欠かぬ。

 トリトニアの守護に力を尽くした勇者。天変地異を察知し、人々の避難に功を奏した勇者。危機にある王一家を叡智で救った勇者…。数えあげればきりがない。

 人々はそれらの話を聞いて育つ。憧れて大人になる。それぞれの世に、必ずと言っていいほど、勇者と呼ばれる者は現出してきた。

 その勇者をパールがここへ連れてくる⁈

 オスカーにはそういう意味にしかとれなかった。

 見知らぬ若者を目の前にして、驚きはしたが動揺はしなかった。

 来るべきこと、来るべきものが来たのに過ぎないのだ。

 パールの連れてきた若者は、果たして勇者と呼ぶに相応しい目をしていた。

 体つきは逞しい。トリトニアではついぞ見ないほどのいい体格だ。腰に短剣、背中に大剣を()いているところを見ると、剣の使い手ではあるらしい。その証拠に手足の筋肉が見事に発達している。

 身体に似合わず顔は小さめで整っている。彫りが深く、目は涼やかだ。本当に大剣使いかと疑いたくなるように優しい気を発していた。

 この若者が託宣の勇者である事は一目瞭然だった。

 何を成し遂げた勇者であるのか?或いは、これから偉業が成されるのか⁈

 それを見極めなければならないとオスカーは思った。


 若者は頬を緊張させている。

 はにかんでいるのだ。

 パールの口にした言葉に対して、どう振舞ったらいいのか困っていた。

 見た目も中身も、大人と子どもほどの開きがありはしても、一平とパールは赤の他人の男女であった。しかも、目の前にいるのはパールの父親である。四六時中一緒にいた男が娘に何をしていたのか、けしからぬ振る舞いに及んでいたのではないか、そういう疑問を抱かれても決しておかしくない一言を、パールは口にしたのだ。

 父に抱きついて匂いを比べてくるのだから、推して知るべしである。

 後ろめたいことがなくもないので、余計に一平は困っていた。

 追求されたらどうしよう、と思っていると、案に反して王は言った。

「ようこそ。…勇者どの…」

「え?…」

 勇者と呼ばれるのは初めてではなかった。ムラーラでオリハルコンの剣を抜いて、勇者だと断定された。

イワトビペンギンのタダにもそう言われた。それ以来、一平のことをそう呼ぶ者はなかったので、久しぶりに聞く言葉である。

 最初は、ムラーラの噂がここまで伝わっているのかと思った。

 そいつはすごいことだと感心しそうになったが、どうやらそうではないらしい。

「娘が一方ならぬ世話になったらしい。忝い」

「いえ…あの…」

 戸惑っていると、王はパールを下ろした手で一平の両手を包み込んだ。

「生きて帰ってくるとは思えなかった娘だ。感謝に絶えない。ありがとう」

 パールの父親はトリトニアの国王だと聞いている。確かにそのなりは立派で風格もあるが、王様とは思えないところがある、と一平は思った。

 それは気さくさだ。

 多分、身分とか地位とか序列があるに違いない。しかし、この王はそれをほとんど感じさせない人懐っこさで一平の手をとり、話しかけた。丁寧ではあるが、偉そうではない。気取りがないのだ。

 一平を見つめる瞳も、まっすぐで明るい。そして青い。

 パールの目の色と同じだ。

 ―この人が、パールのお父さん…―

 しみじみと納得した。


「イッペイチャン、と仰るのかね⁈お国はどちらになられる?」

 聞き慣れない名なので、王は一平をトリトニアの者ではないと思ったのだろう。

「…一平、とお呼びください。ちゃん付けはパールだけでたくさんです」

「?」

 いい年をして、小さい子みたいにちゃん付けで呼ばれるのは面映い。パール以外の人には。

「日本と言う国から来ました。でも、父はトリトニアの出身です」

 一平は正直に答えた。

「日本?聞いたことがないな。よほど遠くから来られたのだな」

「パパ、日本はね、海の中じゃないんだよ。地上なの」

「何?」

 口を挟んだパールの言葉にオスカーは目を剥いた。

「パールは何らかの力で、一瞬のうちに地球の裏側へ飛ばされたみたいなんです。そこに、ボクの生まれ育った国、日本があった…」

 パールの補足を一平はする。これもこの三年の間に身に付いた習い性だ。

「そうなの。パール、パパとママを探したけど、疲れちゃって…ぷかぷか寝てたら一平ちゃんに会ったの」

「ぷかぷか寝てた⁈」

 王の鸚鵡返しに、パールははっとする。

「ごめんなさい!…わざとじゃないの。だって、気がついたら海の上にいたんだもん。パールが自分で行ったんじゃないの」

 成人していないのに海の上に出たので怒られると、パールは思ったらしい。

「今更咎めてもどうしようもあるまい。今はおまえが戻ったことで全てよしとしよう」

 オスカーはやんわりと言う。ぱこっと、パールの頭に手を乗せた。

「それよりも…」オスカーは一平に向き直る。「地上にあると言ったな、日本と言う国は」

 なんと奇異なことを聞くものだ。

 海上には行ったことがある。遠目にだが、陸地を見たこともある。しかし、地上に行ったことも、そこから来た人間に会ったことも、今までの人生にはない。

「はい…」

「では、地上の国か来られたのか?勇者どのは」

「ええ。でも、その勇者どの、はやめてください」

 若者は困った顔をしている。勇者と呼ばれるのは不本意のようだ。

「ふむ。…では、一平どの。地上の者は、我ら海人と同じように、このように海の中でも生活できるのか?」

 王の疑問は尤もだった。

「いいえ、普通は。三分と持たない人がほとんどです。ボクは父が海人だったので…。海でも陸でも、暮らせるのです」


 その事は今まで話さないようにしてきた。というか、忘れていた。ムラーラなどでは隠したが、最近では地上に上がった記憶も遠くなった。

 だが、一平は思っていた。

 ここでは隠し事はなしにしよう。

 父の故郷であり、自分の故郷でもあるここで嘘をついたら、自分の存在はなくなってしまう。自分を探しに来たのだ、一平は。

「混血…か…」

 王が頷く。

「はい…」

 答える一平をまじまじと見る。

「王様」一平は思いついた。改まった調子で、王に呼びかけた。「ラサールと言う人を知りませんか? 十七、八年前までは、トリトニアにいたはずなんです」

「ラサール⁈」

「ボクの、父の名です。槍の名手だったとも聞きました」

 王は目を瞠いた。今度は一平の両肩をがっしと掴んだ。

「父…だと?…」

 一平の顔を覗き込む。顔の造作から、何かを読み取ろうとしている。

「おお…確かに…。確かに似ているぞ」

「‼︎」

「なぜ、気づかなんだ。…そっくりではないか。その目、その眉…。この髪の、癖のつき方も…」

 王の目は潤んだいた。懐かしい人の顔を久々に拝んだ、その喜びが青い瞳を輝かせていた。

「ご存知なのですね?」

 縋るような目をして一平は訊いた。

 王は涙を味わうかのように目を瞑って、細かく頷いた。

「…知っているとも…。ようく、知っている。私だけではない。南氷洋遠征軍の槍将として名を馳せたラサールを知らない者は、このトリトニアにはいないだろう。もちろん、彼が行方知れずになった後に生まれたような若輩者は別としてな」

「教えてください。どんな…人だったのです?トリトニアでの父は…」

 セトールの比にはならぬ詳しい話が聞けそうだった。一平は王に向かって身を乗り出した。


「おぬし…ひょっとして知らぬのか?自分の父親を」

 一平の必死の様子にオスカーは怪訝な顔になる。

「はい。父は…記憶を失っていたのです。ボクが生まれるニ年前、日本に流れついた父は名前も素性も覚えてはいませんでした。ボクの祖父が引き取って面倒を見るうちに、母と懇ろなり、ボクが生まれたのだと聞いています。息を引き取る間際に名前と祖国を思い出しましたが、それだけです。十三年間父と暮らしましたが、トリトニアの事は何一つ父から聞いた事はありません」

「…亡くなられたのか…」

 呆然と、王は呟いた。失望と共にに、そうではないかと思っていた節が感じられる。

「確か、十ほど年上だったから、もう四十近いはずだ。まずもうこの世にはいないと思ってはいたが…。一体いつ?一平どのはいくつになられるのだ?」

「もう三年前になります。ボクは十六になったばかりです」

「…と言うと…パールと会った時はまだ十三⁈未成年ではないか」

「ボクにはもう…父も母もいませんでしたから…。父に言われて自分を知りたいと思ったし、パールを一人で放っておくわけにはいかなかったし…」

「日本にはもう一平ちゃんのおうちはないの。パールのせいなの。だから、一平ちゃんをトリトニアに住まわせてあげて。王宮に、お部屋を作って。一平ちゃんのおうちはここだって言ってあげてよ。パパ」

「パール…」

 パールの気持ちは嬉しかった。けれど、それはいくらなんでも図々しい。野中の一軒家ならともかく、ここは王宮なのだ。パールを送り届けて、父のことを調べて、トリトニアがどんな所か見て、それからどうするかは考えていなかった。いや、考えても思いつけなかったと言うのが本当だ。

「もちろんだとも。一平どのはパールの恩人だ。部屋を設け、心を込めたもてなしをせねばな」

 オスカーはパールを安心させるようにそう断言した。

「王様。ボクはそんなつもりは…」

 一平は遠慮して言いさしたが、王に差し止められた。

「今後の事はまた後だ。取り敢えず、長旅の疲れをゆっくりとることが寛容だと思うぞ。ラサールのことも、ゆるりと話して差し上げよう。…準備もある。ひとまず、落ち着かれてはどうかな」

 疲れているのは自分だけではない。パールもだ。一平は王の提案を尤もだと思った。


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