8撃目 「志匠」
「ゴミカス、クズ、ダメ人間、ろくでなし、バカ、アホ、マヌケ」
現実世界で言われたらプッツンするであろう言葉に、私は頷くしかなかった。
「何もできないなんてレベルじゃあないわよ。2戦目なんか、途中ずっと跳ねてたじゃん。あれなに、求愛行動?」
「そうです……」
「無駄な動きが多すぎる。止まることから覚えなさい」
すっかりカフェに戻ったテーブル席で、カレイタが何本目の煙草に火をつけた。灰皿には試合前までに吸っていたものを含めて山ができていた。
「頭では、わかってるんです。でも、身体が……」
「ダメなやつはみんなそう言う。言い訳でしょ」
「そうです……」
どうして身体が動かないのだろう?
頭ではわかっている。彼女の攻撃フレーム数から「夜はトイレに行けない」という小ネタまで知り尽くしている。彼女の投げ技は威力が高いことと「ピーマンは嫌いだがパプリカは大好き」という設定も知っている。知ってて当然だ。
『ショートケーキ、おふたつです』
店員がおずおずと皿を置いて、即座に離れていった。客観的に見たら、上司に怒られている部下の図である。カレイタはショートケーキを素手で掴んで頬張った。実はここも原作通り。
「今、妙なこと考えたでしょ」
鋭いことは原作にはない。
「スイマセン」
「……ま、一歩ずつやるしかないか。ほら、食いな」
目の前に皿が差し出された。てっきり全部食べると思った。
「あ、りがとうご、ざいます」
「別に、感謝されるってほどじゃあない。今の戦闘で、ランクも上がったし」
「ランク」
勝負に勝つとファイトマネーだけでなく「ランク」が上がる。表舞台には上がらない、隠しパロメーターのようなもので、ランクが上がるとファイトマネーも上がる、そういう仕組みだろう。少しだけ裏事情にも慣れてきた。
「しっかし、これじゃあ分析のしようもないわね」
「あの、トレモとかって、ないんですか」
トレーニングモード、通称『トレモ』。
自分の技やコンボを練習する場所である。相手の行動を細かく設定できる、格ゲーの御用達だ。
「あるわよ、表舞台だけ」
「裏にはないんですか?」
「あるけど、おすすめはしない」
「理由を聞いても」
「治安がものすごく悪い」
現実的な理由だ。
「モブの中にもね、あたしたちみたいなプレイアブルに憧れる奴がいるのよ。そんな奴らが
溜まり場にしてる。正直、おすすめはしないわ」
「……カレイタさんと一緒に」
「様で呼びな」
こんなこと、お嬢様である私も言ったことがありません。
「カレイタ様と一緒に行けませんか?」
「人のトレモを見ろって? 冗談言わないでよ。あれはひとりでシコシコするような場所でしょう」
「シコ」
シコ?
「他人の自己満足に付き合っているほど、あたしは暇じゃあない。さっさとランクも上げたいし、今いるところ、ストーカーみたいな奴がいてきもいったらなんの」
ふぁあ、とあくびをしてカレイタは立ち上がった。
机には貨幣と地図が書かれた紙が置かれていた。
「少し顔は利かせて置くから、せいぜい頑張りなさいな」
「あ、ありがとうございます——師匠!」
「し、ししょうって……や、やめなさいっ」
不意打ちに、彼女は少しだけ顔を赤くした、ように見えた。
そう言えば、彼女は他のキャラから子ども扱いされることが多く、その度に口を尖らせていたことを思い出した。案外、裏舞台の性格も、表に影響されているのかもしれない。
私は内心でほくそ笑んだ。
試合では身体が動かなかったが、裏では違う。
言葉もまた、裏の試合なのである。
「師匠! また会いたいです!」
「う、うああ! うああああ!」
彼女はいよいよ逃げ出した。
あの顔、外の世界だったらスクリーンショットで撮れていたのに。
嵐が去り、モブキャラもほっと一息ついていた。大変な世の中である。
「お風呂に入りたいですわ……あれ?」
カフェの料金を払おうと机の貨幣を見る。
100ベル。現実のお金にして約1万円。明らかに金額が多かった。
(……師匠、わたくし、がんばりますわ)
人気のメインキャラは器が違うのだと、そう思った。