12撃目 「わんわんお」
『明日やろう』は大バカ野郎だ——。
そんな言葉を生み出した人間は、もっと大バカ野郎だ。
「ワンちゃんですわぁ〜」
人は誰しも怠惰な生き物。
それでいいではないか。
怠惰こそが生きることへの焦りであり、また同時に、墜ちる幸福をもたらす。
私は『グレイス広場』で寝転がっていた。
ここには野生の犬たちが集まる。
現実ならば病気が云々だが、ゲームの中なら何をしたっていいのだ。広場に犬の糞が落ちていたって構わない。なぜなら、ここはゲームなのだから。
ただ、芝生はかなり独特な臭いがした。黒トリュフでも埋まっているのだろうか?
「わんわんお、わんわんお!」
私は今、犬になっている。
この『わんわんふれあいしすてむ(通称わふし)』はゲームユーザーからはすこぶる不評で、「格ゲーに犬はいらねーだろ」とか「犬愛でるぐらいならトレモしろ」だの散々な言われようだった。
しかし、私は思う。
闘争者ほど、癒しは必要である、と。
「くぅ〜ん、きゃんきゃん」
かの文豪、ヘミングウェイも言っている。
戦う者は愛があるから戦えるのだと。男が戦いに行き、帰って女と過ごす。そうして愛を享受し、また戦う。この循環は古い時代から変わっていない。
私は男になど興味はない。
そして、女として男に尽くすつもりもない。
私は今、闘う者なのだ。
「はふ、はふ、はふ」
ならば、この犬たちは——私に愛をくれる者たちである。
ここで、私なりの循環が見つかったのである。
闘いを癒すには愛、すなわち無垢な感情に触れること。
『格ゲーに犬』とはまさに、ヘミングウェイの信念を表しているのである。
やはりこのゲーム、神ゲーである。どこをとっても好き。
「ヘッヘッヘッヘッヘッヘッヘッヘッヘッヘッヘッヘッヘッヘ」
『あら、可愛い御犬さんだこと』
急に触られ、しかし今の私は犬。
優しい手つきに、腹を見せてしまう。
仰ぐように見て、そして身体が固まった。
手の主は、メインキャラ『グリセリ』だった。
「ひ、ひい!」
緊張のあまり、私は戦闘態勢を取ろうとした。
それを読んだのか、グリセリは私の背後に回った。
「あらあら、犬はそんな声で鳴きませんよ?」
癒しの場に戦慄が走る。
グリセリはマダムキャラで、身長が高い。それにも関わらずスピードに優れており、かつ、ステップによって相手の背後を取ることができる。それを今、やられたようだ。
「ご、ごきげんうるわしゅう、マダム」
「ええ。お日柄も良いことね、ミス・ミナ?」
名前を知られている。
新キャラはとにかく注目されるらしい。
グリセリの執事が日傘を差した。ちなみにゲームでも執事が攻撃してくることがある。あの傘による突きが痛いのなんの。なぜか刃物と同じS Eが使われている。
「闘いに明け暮れるなど、凡人の考え。真の覇者は、命をかけて休息をする」
グリセリは私と同じ考えのようだが、素直に喜べなかった。
とにかく緊張感がやばすぎる。
「貴女は、それを心得ているようで」
「は、はあ……」
単純に『わんわんふれあいしすてむ(通称わふし)』が好きなだけだったのだが、偶然にも称賛されているらしい。
執事がマッチを擦った。グリセリの煙管に火が灯る。
「ですが、癒しだけでは身体が鈍りますわ。腐っても、私たちは鯛。水を求めるがごとく、闘いに惹かれる」
あ、まずい。
彼女の戦闘前の口上と同じである。
「……ここで闘うのですか?」
「いえ、ここはステージではございませんよ、新キャラさん」
しっかりと教えてくれた。私も当然知っているがな!
そもそも、彼女は表舞台と裏舞台でキャラクターは変わっていなかった。
マダムはどこへ行っても親切(?)なマダムである。
「明後日、貴女に闘いを申し込みます」
「あさって」
「場所はワタクシの屋敷——ギミックの少ないステージで闘いやすいでしょう」
確かに、彼女のステージは『あるタイミングで中央のシャンデリアが落ちてくる』だけだ。毎回高級そうなシャンデリアが落ちてくるのも、屋敷の住人としてはたまったものではなさそうだが。
「わかり、ました……ですが」
「ですが?」
ふと思いついたことを、私は口にする。
「2 on 2でやりませんか」
2 on 2——いわゆるチームタッグ戦。
パートナーを選択することで、途中で操作キャラを入れ替えたり、一部の必殺技を代わりに放ったり、飛び道具のないキャラに援護射撃をしたりと、戦略の幅が広がる。たいていのネット対戦は1on1が主流だが、このゲームにはさらに3on3も用意されている。
私がこの形式を選んだ理由は簡単だ。
ただ単に、やってみたいからである。
「そちらの執事さんも、プレイアブルキャラクターでしたよね」
私が言うと、執事は微かに笑みを浮かべた。
実はこの人単体でも性能が高かったりする。
「奥様次第でございます」
「そうね……面白そうだし、承諾しましょう」
よし、通った!
格ゲーとは別の緊張感を制した気持ち良さが、風として私を吹き抜けた。
「ただ、貴女にパートナーはいまして?」
「ええ、います。明後日には用意します」
私は犬だ。
犬は、何をしても許される生き物である。