闇に潜む者 チャプター3
探偵事務所のあるビルから徒歩五分。月極の駐車場に辿り着いていた。
「この車です。どうぞ」
探偵の車は……なんだか、セダン系の凄い古い車だった。
男が好きそうな外観で、全く萌えない、キュートさの欠片もない車だ。
探偵は依頼人のために後部座席を開けていた。
「どっこらせい」
私が助手席に乗り込むと、運転席の探偵は目を丸くしていた。
「お前は本当に……いつまでついてくるんだ?」
「え? 日当分って言ったじゃないすか」
「だから、それはいつまでだよ?」
「何言ってんの? 日当四万だから、四日間でしょ」
「四日もお前みたいのにまとわりつかれるのかよ……」
「まあ、今回で四日分の働きをすれば、〝お咎めなし〟ですよね」
「日本語間違ってるぞ」
そんな会話をしながら車を発進する。その間、ユカリさんはクスクスと笑っていた。
本来、ユカリさんはこんな感じで笑う人なのだろう。
だが、探偵事務所にやってきたばかりの時は、張り詰めたような暗い印象だった。
彼女の、本来の笑顔を取り戻してあげたい——そんな主人公的思想を発露させていると。
「あっ」
探偵が間抜けな声を上げると同時に、車がエンストした。
△
「ここです……」
車を走らせること数十分。古民家は意外と探偵事務の近くに位置していた。
「わあ、素敵ですねえ」
外観はまさに古民家って感じだ。助手席からぺたりと車の窓に顔を張りつけ、そんな感想を漏らすと、
「おい、窓に皮脂をつけるな」
探偵が機嫌が悪そうにそう発した。
車のエンジンはエンストさせて虐めるくせに、窓には優しいヤツだ。
駐車場はないので路肩に車を停車。早速、家にお邪魔することに。
築年数は大分あるだろうに、私のボロい実家よりも何故か小綺麗に見える。それに一軒家。一人で住むには申し分に余分が出来るくらいだろう。
ハードル跳び選手なら「あらよっ!」の掛け声で軽く飛び越えられそうな控えめな門を抜け、庭先へ。
庭は手入れが行き届いていないのか、草が生い茂っていた。和風庭園っぽい名残があるのに、勿体ない。
玄関前に到着すれば、古い家特有の独特な木の匂いがした。それを嗅いでいれば、存在しないはずの七十年代の記憶が蘇ってくるようだ。これがあれだな。ノスタルジーというヤツか。
引き戸をガラリと鳴らせば、古民家特有の匂いと混じって、キツい芳香剤が鼻腔を刺激した。私が犬ならキャヒンッと声を漏らしてしまうほどだ。
土間を見れば、几帳面にブーツが整頓してあった。
ていうか、ブーツしか無い。相当なブーツ好きなのだろう。そう思ってユカリさんの足下を見れば、予想に反してシューズだった。
ちょっとオシャレな、低価格で手に入りそうな如何にも女子が履きそうな部類だ。
何で今日はシューズなんだろうか。新品っぽいし、最近手に入れたものに思える。
ユカリさんは靴を脱ぐなり、それを玄関に入って右側にある扉つきの靴棚に置いた。チラッと中が見えたが、そこには同じようなシューズばかりが並べられていた。どれも新しそうだ。
因みに左側には、扉の無い開放型の靴棚も存在した。そこには数個のスリッパが最上段に並べてあった。
ふむ、スリッパは足りないだろうが、これだけ靴棚があれば、日曜夕方の海洋生物一家を呼んでも大丈夫そうだ。
「あっ……ちょっと待ってください」
ユカリさんは抱えていた外出用のハンドバッグから、スリッパを取り出してきた。
バッグからスリッパ……?
床に差し出されたそれを良く確認してみれば、ちょっと良いお店で出されるような、使い捨ての紙スリッパだった。
視線を解放型靴棚に向ければ、やはり他に来客用のスリッパが並べてある。
何故これを出さないのだろう?
「なにしてる?」
探偵はさして、気にも留めていないようだった。
「いえ、別に」
まあ、身内以外を家に入れるときは普段使いのスリッパを使われるのは嫌なのかもしれない。
とりあえずユカリさんに誘導されてスリッパを両足にドッキング。噂の幽霊屋敷へと足を踏み入れた。
玄関を抜ければ、まず目につくのは二階へと続く階段だ。その横には廊下が広がっており、各部屋へと通じていた。
「この階段に足跡があったんです……」
ユカリさんは、何か恐ろしげなモノを見るように、階段を指していた。
探偵と頭がぶつかりそうになりながら、同時に覗き込む。だが、段差に探偵事務所で見せられた写真のような足跡は無かった。
「……無いですけど?」
「あ、ああ……足跡はもう拭き取ったんです。けど、そこにあった、っていう……」
「ほう、何で拭き取ったんです?」
「えと、気持ち悪かったんで……」
「いえ、どういったモノで拭き取ったか、という意味です」
探偵の質問には、呆気にとられてしまった。何故そのようなことを聞く必要があるのだろうか?
ユカリさんも不思議に思ったのか、キョトンとした顔を浮かべた後に。
割と衝撃的な回答をもたらした。
「靴下です」
「……は?」
探偵が私へと視線を送ってくる中、私はポンと手の平に拳を乗せていた。
「あーなるほど。もう捨てるヤツを利用したんですね? 私もよくやりますよ。この間も部屋の大掃除に——」
「い、いえ。その靴下は今、履いていますが?」
へ、へぇ……まだ使う靴下で拭き取ったんだ。誰のモノとも言えない謎の足跡を。
豪快というか、ずぼらというか……紙スリッパなんて出してくるくらいだから潔癖症かと思ったが、そうでも無いらしい。
そこで、探偵が場を仕切り直すためか咳払いをした。
「寝ている時、男から視線を受けたのはどの部屋です?」
探偵が聞くと、ユカリさんは若干緊張したように客間とキッチンダイニングに挟まれた部屋。リビング兼寝室へと案内してくれた。
ガラス戸の寝室に入ると、ぶわっと女の子らしい匂いがして、クラクラとしてしまった。
メスだ。ここにはメスが生息している。友人から「おばあちゃんの家の匂いがする」と評価を受けた私の部屋とは大違いだ。
内装も凝っていて、各所にぬいぐるみが設置されてあり、かわいらしくリノベーションしてあった。
ここだけ古民家の面影は皆無だ。悪く言えば調和を図れていない。古民家の味な雰囲気と、女の子らしいファンシーな雰囲気が殴り合いしてるみたいだと感じた。
ユカリさんは部屋の中央まで行くと、廊下側へと振り返る。
「このベッドで寝ているとき、磨りガラスに大男の影が……」
ユカリさんは件のガラスの引き戸を指していた。探偵と私が同時に視線を向ける。
ふむ。確かに夜中に目が覚めて、ここに人影が映っていたら怖いだろうな。
「どれくらいの身長ですか?」
探偵は実際に磨りガラス越しに立ってみる。
ユカリさんは目を凝らしてじーっとそれを眺めた後。
「……もっと、背が大きかったです。体格もゴツゴツしていました」
そんな怖い感想を漏らした。
ひえ……この探偵でさえ身長百八十はありそうなのに、もっとデカイ?
しかも体格も良いなら、最早グリズリーじゃないか。グリズリー、見たことないけど。
私が一人、恐れをなしている中。何だかユカリさんがしきりに足先をもじもじさせていることに気がついた。
なんだ、催したのだろうか?
「トイレなら気にせず行ってきていいですよ?」
小声で耳打ちすると、ユカリさんは顔を赤くさせた。
「い、いえ……違うんです」
「え? 本当に?」
「は、はい」
どうやら、本当に違うようだ。じゃあ、なんでもじもじしているのだろうか?
それを考えていると——ピキーンッと私の脳内にとある閃きがもたらされた。
……なるほど、これらをつなぎあわせると、何だか結論が見えてきたかもしれない。
「他の部屋を見てもいいですか? その際、色々と物色させてもらうことになりますけど?」
探偵の言葉で我に返る。見れば、ユカリさんは「はい」と頷いていた。
同意の言葉を受け、早速探偵が白手袋をつける。捜査とかで使うやつだ。不覚にも手袋をつける様子はサマになっていて、ちょっとグッときてしまった。
「私の分、あります?」
聞くと無視された。多分、無いのだろうな。
私達はそれからリビングダイニングや部屋干しに使っている客間、お風呂にトイレを一通り見てまわった。
その間、私は探偵が見ていない棚などに目を凝らしていた。
私の推理を裏付ける、〝アレ〟を見つける為だ。
しかし、今のところそれらは発見には至っていない。あるとすれば……。
「ふむ。特に物色された形跡も無さそうですね。二階に上がっても?」
「はい、二階は普段使ってないし、何もありませんが……見ていただけるなら」
どうやら今から二階を見て回るようだ。
アクションを起こすならば、今しかタイミングは無いか。
「うぐ!」
私はあからさまにお腹を抑えた。探偵は呆れ顔で私を見やる。
「……どうした?」
「お、お腹が痛い! 多分、探偵事務所で飲んだ粗茶が原因だ!」
私がそう口にすると、ユカリさんはあわあわしていた。
「と、トイレ使っていいので」
「いいんですか!」
ずいっ。
「え、ええ。構いませんよ」
「本当にいいんですか!?」
ずいっずいっ。私はリアリティを高める為に血走った目を浮かべた。
「うるせえ、早く行け!」
探偵にせかされ、私はトイレへと駆け込む。暫くすると、二人が二階にあがっていく気配がした。
その隙に私はトイレからこっそり抜け出て、お風呂場の脱衣所を漁ってみる。
私の考えが正しければ……ここに〝アレ〟があるはずだ。
ふと、戸棚を開けた時、使用した形跡のある〝薬品〟を発見し、私はとある仮説を導き出していた。
「……なるほど」
一人納得していると、階段から人が降りてくる気配があった。
え、もう二階を見てまわった? 早すぎない?
私は急いでトイレに戻り、水を流した音をさせる。
「ふぃー……ヘブンズゲートが開いたぜ」
何食わぬ顔でトイレから出てくると、神妙な顔を浮かべた探偵が私を呼びに来た。
「……帰るぞ」
「え? 私はまだ二階を見てませんよ?」
「何もなかった」
「いやいや……」
私がごねようとした時。探偵にもの凄い強い力で腕を掴まれた。
「早くしろ」
「はい」
凄い迫力だった。アイアンハートのマコトと呼ばれる私が、ちょっとビビってしまった程だ。