闇に潜む者 チャプター2
「粗茶ですが……」
一度行ってみたかった台詞第十三位だ。それと共に、コトっと卓上にコーヒーを置いた。
依頼人らしき女性は「ど、どうも……」と、恐縮そうにコーヒーを受け取って一口啜る。
「お、おいしいです。お店みたい……」
そりゃサイフォンで淹れたからな、美味いに決まっている。
この探偵事務所はコーヒーメーカーのほかに、本格的なサイフォンが置いてあった。ビームヒーターまでそろえているのだから、探偵は相当コーヒー好きなのだろう。
探偵は髪を振り乱した状態のまま、依頼人とは対面のソファに鎮座して私を睨んでいた。
「お前……なんでまだいるんだよ?」
「え? だって、ネッコにKOされてからまともな精神状態には見えませんでしたし」
そう言ってやると、探偵は恥ずかしがるでも怒るでもなく、大きなため息を吐いていた。
「俺にもコーヒー淹れてくれ」
何だコイツ。雇い主でもない癖に。
まあ……私の悪戯心のせいで、この探偵事務所の評判を地に落としかけていたのも事実だ。
誤解を解いた今となっては罪のない状態だが、優しい私は仕方なくコーヒーを淹れてやり、探偵の前に置いた。
「粗茶でーす☆」
「カジュアルに言うな。高級豆だぞ」
知ってるよ。私は純喫茶で働いていたこともあるし、大のコーヒー好きだ。
同年代では敵無しと言えるほど、かなりのコーヒー通を自負している。
私はコーヒーを置き終えると、お盆を抱えて探偵の背後に控えた。なんだかこうしてると、本当に探偵の助手をやってるみたいだな。
「……おい、依頼人がいるから出て行けよ」
「まだ日当もらってないでーす☆」
私はまだ、探偵からネッコをどけてやった分の日当をもらっていない。
きゃぴっとピースしながら言うと、探偵はジトーっとした目を浮かべていた。
「カジュアルに言うな……分かった、別室で待ってろ。依頼人と話がついたら払ってやるから」
コイツ、頭は固そうだが約束はちゃんと守りそうな男だな。
マジで四万くれそうな雰囲気だ。まあ、お金をくれるなら命令に従わないわけでもない。
いや~それにしても探偵の面接だけで四万円か。儲かっちゃった☆
別室へとスキップしながら移動していると……。
「あの……その子もここにいてもらっても構いませんよ」
依頼人の女性がそんなことを言い出した。探偵は依頼人のその言葉に目を丸くしていた。
「……この子はここで雇用しているわけではないんですよ。さっき説明したように、面接に来ただけで無関係ですから」
探偵がそう説明する。すると、依頼人は何だか影を落としたように見えた。うーむ、なんだろう?
〝ここにいてもらっても構いません〟というよりかは、〝ここに居てほしい〟というニュアンスな気がするな。
何の技能も無さそうな女子高生をここに残したい、その理由は何なのだろうか?
私は別室の扉を開こうと腕を伸ばして、その動きを止めた。
うーむ、どうしようかなあ……まあ、猫だけで四万円ってのもアレかな。あの女性が何を考えているのかも気になるし……。
そう考えた私はくるりと振り返り、探偵の座るソファへと近づいていた。
「おい、話を聞いてたのか。さっさと別室へ……」
「サービスってことで」
「は?」
「日当分の働きはしますよ」
私がそう口にすると、探偵は呆れたようにため息を吐きながら自分の隣を指した。
私はニヤリと笑いながら、サイフォンの横に用意していた私分の〝粗茶〟を持って探偵の隣へと鎮座する。
「どっこいしょ」
「……おい、なに勝手にコーヒー淹れてやがる」
「粗茶ですが?」
「お前、ケンカ売ってんのか?」
「無事雇用されたんですから淹れてもいいでしょ。世界のグーグルは社員食堂無料らしいですよ?」
「ここは探偵事務所だ」
「ケチくさいなあ。どうしてもって言うなら、四万の内から引いてあげてもいいですよ」
「……なあ、その件だけど、二万で勘弁してくれない?」
そんなやり取りを聞いていた女性の依頼人は、クスクスと笑い出した。
「ふふっ……何だかお二人、今日出会ったばかりとは思えませんね。息ぴったりですよ」
何だか微笑ましそうにしていた。
探偵は頭をガリガリと掻いて、何と言ったものか……という反応をしている。
「して、今回のご依頼は?」
私が依頼人に聞くと、探偵はその場でずっこけた。
「お前が仕切るなよ!」
「実は……」
探偵のツッコミが冴え渡る中、依頼人は話し始めた。
△
「幽霊って……信じますか?」
依頼人の開口一番はそれだった。
探偵の表情をチラリと窺えば、分かりやすく苦笑を浮かべていた。受取り手によっては、嘲笑と言ってもいいかもしれない。
それを見た依頼人は傷ついた表情を見せる。
あちゃあ……コイツ、開幕からやらかしてんな。こういう話ってのは大抵が前置きで、本題は別にあるのだ。それにお客様なんだから、過剰に反応をしてやればいいのに。
「私は信じますよ! 友達の中でも見たって子がいますから!」
テンション高めにフォローすると、女性は顔を輝かした。代わりに探偵には睨まれた。
「じ、実は……私、叔母が管理している古民家を借りて今生活しているんですが……」
依頼人、樋口ユカリ。二十才。大学二年生。彼氏無し。
先月実家から引っ越し、大学近くの知人の古民家を借りて、一人暮らしを始めたらしい。
古民家は豪勢なことに一軒家。最初は口うるさい両親もいなく、気楽で良いと順風満帆な生活を送っていたらしいのだが……。
「その家……出るんです」
深夜になると、二階の至る所からギシギシと音がするらしいのだ。
最初は家が古いから家鳴りしているだけだと思っていたらしいのだが……ある日、その音がただの軋みではないことが分かってしまった。
「一階で眠っていると……誰かが階段を降りる音がしたんです」
それは確かに人の足音だったらしい。あまりの恐怖にユカリさんは布団の中で硬直し、キツく目を瞑っていた。
どれだけ時間が過ぎ去っただろうか。音が消え、ゆっくりと目を明けると。
「磨りガラス越しに……大柄の男の人が立っていたんです。笑いながら、こっちを見ていました」
「こわッ!」
思わず私は叫んでいた。
友達から聞かされた話なら、話を盛ってるのかなとか思いながら聞くけど……こうやってお金を払ってどうにかしてくれと来た人の話ならば、本当なのだろうな、と思ってしまう。
対照的に探偵はポリポリと興味なさそうに頭を掻いていた。
「それで、どうなったんです?」
「それでふっと意識が遠のいて。気づいたら……朝でした」
ああ、そのパターンね。フッと意識が遠のいて、気づいたら朝。
あるある~……ていうかそのオチってさあ、いっつも思うけどさあ……。
「夢だったんじゃ……」
探偵が私の気持ちを代弁するように口にすると、ユカリさんは携帯を取り出し、見えやすいように画面を向けてきた。
「二階には上がってないんですけど……見てください」
そこには分かりやすく足跡が残っていた。
物的証拠があるんかい。それなら話は別だ。探偵もそれを見て、顔をしかめていた。
「ふむ……見た感じ成人男性の足跡っぽいですね。空き巣の線は?」
「鍵が開けられた形式はありませんでした。それに、物も盗られていませんでしたし……」
「合鍵を持っていた不法侵入者の可能性もあります。警察に行ったほうがいい」
ぐう正論だ。確かにこれは探偵でなく、即座に警察に相談する案件だろう。
だが、それを聞いたユカリさんは極端に影を落とした。
「警察には……行けないんです」
「……何故ですか?」
「古民家は……無理言って私が叔母から借りたものですから。警察沙汰にして迷惑をかけたくないんです」
「何か事件が起こった時のほうが迷惑をかけると思いますけど?」
「幽霊のほうが……私にとって都合がいいんです」
「は?」
「幽霊なら、私が怖いってだけで済みますから」
私と探偵は顔を見合わせた。
表情から察するに、どうやら彼は私と同じ気持ちのようだ。
「まあ仮に幽霊だとして、アナタは何でウチに依頼しに来たんです?」
そう、それだ。幽霊なら幽霊で構わないが、何故そんな話を探偵事務所に持って来たのか?
探偵事務所はゴーストバスターを生業にしていないことは、小学生探偵が出てくるアニメで英才教育を受けた日本国民全員が知っていることだ。
暫く間を空けた依頼者は、ポツリ、と行った風に口を開いた。
「霊能力者……」
「ん?」
「腕の良い霊能力者を探し出して欲しいんです。実際に成果をあげていて、口コミも良い、本物っぽい……霊能力者を」
その言葉には、私も探偵も呆気にとられていた。
「……どういう理由で?」
「知り合いの紹介する霊能力者は全員詐欺っぽい人たちばかりなんです。私知ってるんです……だから」
良く分からないが、何だか彼女は正常な判断が出来ないくらいには相当参ってしまってる様子だった。
それを見た探偵は、思案に耽るように腕組みをしている。
「とりあえず、その古民家ってのに行ってみません?」
私が提案すると、探偵とユカリさん双方から視線を浴びた。
「ほら、『事件は探偵事務所で起きるんじゃなくて、現場で起きる』って有名な——」
「だから、お前が仕切るなっての」
探偵はそんな愚痴を吐きながら立ち上がっていた。
その様子に私とユカリさんが目を丸くしていると——。
「何やってるんだ。ホラ、行くぞ」
探偵は車のキーを見せながらそう口にした。なんだ、結局行くのかい。
どうやらこの男はツンをワンクッション挟まなければ会話不能のようだ。