闇に潜む者 チャプター1
高二の春。
〝花の〟女子高生と言うには相応しい時期なのかもしれないが、二年生になったばかりだというのに、この頃は受験という憂鬱なワードが後頭部の片隅に浮かんできて、何とも言えない気分にさせてくる。
それもこれも、受験ガチ勢である周囲の友人達のせいだ。最近では遊びの誘いも全て断られ、皆んな塾や講習、家庭教師での勉強に明け暮れていた。
……はあ。こんなことなら一年生の時にもっと遊んでおくんだった。私は一年生の時、鬼の様なバイト生活に明け暮れていた。
理由は一つ。来るべき二年生で豪遊してやる為である。
スーパーのレジ打ちから始まり、特殊清掃、遺跡発掘作業員、治験に墓参り代行。結婚式参列者等々……実に様々なバイトに着手した。
そうして貯めに貯めた、貯蓄七十万円。高校生にしてはかなりの大金をこの町、ひいては日本に放出して経済を回してやろうと思っていたのに……。
『……二年生だよマコト。受験勉強しないで大丈夫?』
『ま、まだ春だよ?』
『直前で始めると、本当に大変だよ。今からでも少しずつ始めないと』
だもんなあ。ネット風に言えば、〝ぐう〟正論である。
だけど私は、そんな事を言われても周囲とは違い、直前でケツに火をつけられなければ動けれない人間だ。高速船に乗って脱出して行った友人達を呆然しながら眺める、無人島に一人取り残されたクルーソーである。
どうやら、華の金曜日で心躍るのは私だけらしい。
みんなもそうならそうで、教えてくれれば良かったのに。〝付き合い悪いやつ〟認定されただけで、私の一年は終わってしまったじゃないか。
はあ、世のアニメや漫画、小説のキャラクター達は春夏秋冬関係なく、遊び呆けているというのに。現実はどうも、世知辛い。ていうか、そういったキャラクター達の遊びに使うお金はどこから出てるんだろう?
バイトなのか?
お小遣いなのか?
親が金持ちなのか?
ブルジョワなのか?
私の真という男みたいな名はなんなのか?
真淵真……回文なのか?
真に囲まれた〝淵〟は果たして一体、どういう気持ちなのか?
蓄積された不満を可視化させるため、ベッドに寝っ転がりながら、高校の友達が加入するグループラインを開く。
しかし、そこには、どこまで勉強の範囲を終わらせたとか、今の私には目を覆って現実逃避しなければならないような議題が繰り広げられていた。
……あーあ。皆んな遊んでくれないし、いっそのこと違うバイトでも初めて更にお金を貯めてみようかな。
そう考えた私は、携帯の求人アプリでバイトを探してみる。その中から、一つ面白そうな求人を見つけた。
職業、年齢、性別——以下略。
長ったらしい回想は終わりだ。現在は探偵事務所。興味なさげに私を見る探偵が、深くダークブラウンの草臥れたソファに沈み込んでいる。
「そこ座って」
「はい、失礼しやす」
ぶっきらぼうな探偵に促されて、私がソファに座ると。
「じゃ、履歴書出して」
探偵はちょいちょい、と手を振った。
なるほど。面接受験者達が軒並み憤るのも分かる気がする。探偵はまるで面接をする気がないのではないか、と感じられるくらい印象が最悪だった。まあ、タンと呪詛を吐くほどでは無いけどね……。
いや、まだ面接は始まったばかりだ。油断してはならない。
作り笑みとともに履歴書を差し出すと、探偵は無造作にそれを受け取って、まじまじと眺める。
そして、フッと小馬鹿にするように笑った。
「高校は絵に描いたようなBランクか……」
なるほど、学歴至上主義者か。
……だったら、おかしくない? 求人には学歴不問って書いていたではないか。
引き続き、探偵は興味なさげに私の履歴書を暫く眺めていたのだが——私の三枚に渡る職歴欄を見た途端、突然表情を硬化させた。
「……結構、バイトしてたんだな」
「はい」
「何で?」
「理由としては二つありまして、一つは経済的な理由です」
嘘ではない。私の散財が、現在不況の日本経済を少しでも潤すと信じているからだ。
探偵は少し微妙そうな表情を浮かべた後、
「スーパーのレジ打ちから始まり、特殊清掃、遺跡発掘作業員、治験に墓参り代行。結婚式参列者……その他にも色々やってたみたいだが——関連性がある職業が無いが、それはどうしてだ?」
やはり聞かれたか。
スーパーから特殊清掃にジョブチェンジした時点で、他の職場からも面接時にそのことは突っ込まれていた。
ここで、自身のスキルアップのためとか、適当でありがちなことを言ってはいけない。意識高いことを言えば「ああ……どうせウチもスキルアップの踏み台にされるのか」と企業はマイナスに捉えるからだ。下手したら直ぐ辞めるヤツだと思われる可能性だってある。
「それがもう一つの理由で、将来探偵になるためです」
その言葉に、探偵は首を傾げた。
「どういう意味だ?」
「一度探偵に携わったことをやってみたかったんです。そのためには様々な経験が必要だと思いまして」
〝その〟職業に就くために研鑽を積んでいた——変人と捉えられかねないリスキーな理由付けだが、私のやってきた職は意図的に他ジャンル、かつ特殊で女子がやるにはキツい分野を選択してきた。それによって、言葉の信憑性を増大させるのだ。
将来就職したときに役立つかと思って始めた工作である。
実際、これを言えば企業側からはかなり好印象を抱かれた背景があった。
しかし——目の前の探偵は個人事業主。組織というより、個人の採択によって全てが判断される。さあ、どうでる?
私がキリリとした決め顔を向けて言葉を待っていると——。
「ふーん。じゃ、今回はご縁がなかったということで」
探偵はぴらっと履歴書を私に放りながら言った。果てにはその場か立ち上がり、事務所の隅に設置された台所へと消えた。
再び戻ってきた探偵の手には、湯気だったカップが握られていた。匂い的にコーヒーだろう。
自称、面接マスターの私は、その一連の流れを見て呆気にとられる。
「あの……失礼でなければ、何故不採用かをお教えいただけないでしょうか? 今後に生かしたいので」
私が聞くと、探偵は突っ立ってコーヒーを啜りながら、面倒くさそうに答えた。
「理由は三つある。一つは、君が無駄な努力に時間を費やす人間だということ」
はー……なるほど。そういう風に受け取りやがりましたか。
「もう一つは、通ってる高校が絵に描いたようなBランクなこと」
だから、何なんだそれは。求人には学歴不問、熱意のある方って書いていたじゃないか。
「もう一つは君が——」
その時。探偵は何かを言いかけた状態のまま、まるで時が止まったかのように静止した。
表情を硬化させ、出口方面の一点を見つめていたのだ。
それは視線誘導さながらの動作で、私も釣られて探偵の視線の方向へと顔を向ける。すると、そこに居たのは——。
「あっ……かわいい猫ちゃん」
毛並みの良い、首輪をした三毛猫だった。三毛猫はおすわり状態で首付近を掻いて欠伸をした後、私の方向へと歩みを進める。優雅に歩くサマは、まるで洗練されたパリジェンヌのようだった。
「ちっちっち、おいでおいで」
探偵とは違う、愛情を込めた動作でちょいちょいと手を振ると、三毛猫は私を見据えた。
「何を呼んでんだ、そんな毛玉!」
……毛玉? いきなり探偵に怒鳴られたので、私は驚いて探偵を見る。探偵は表情を硬化させたまま、じりじりと後ずさっていた。
「え、この事務所の飼い猫じゃないんですか?」
「何を馬鹿なことを! そんな野獣を近づけさせるな!」
野獣って……。所作から分かったが、相当猫が苦手らしい。私はとりあえず言われた通り、探偵の方へ猫が行かないように抱きかかえようと手を伸ばした。その時。
「あっ」
猫が私の手をすり抜け、コーヒー片手に突っ立っていた探偵へとダイブした。
「ひゃあああっ!?」
ドンガラガッシャン……コーヒーが盛大に窓へとまき散らされる。ドシンと尻餅をついた探偵は、差し迫る猫から逃げるようにその場でのたうち回っていた。
「ひゃああ!? た、頼むからこの毛玉を取ってくれ!」
探偵の上でマウントポジションでじゃれつく猫。それを探偵は芋虫のように床を這いずりながら何とか逃れようともがいていた。
「ああああ! 毛玉が、毛玉が俺の体にぃっ!?」
私はため息を吐きながら猫を捕まえようとして……突如降臨した、私の中の悪魔の囁きによって手を止めた。
「どうしようかなあ……」
「な、何を言ってるんだ! 早く取ってくれ!」
私は滅多なことでは怒らないし、怒りたくない。
しかし、この男にされた数々の非礼……コレを黙っていれば、お天道様の上で見守ってくれているご先祖さまにも申し訳が立たないというモノだ。
そんな謎スピリチュアル理論を打ち出した私は、この状況を利用してこの非礼な探偵に意趣返ししてやろうと決めたのだった。すると——。
「分かった! 分かった! 分かったから!」
「はあ、何をです?」
「一万! 日当代一万払うから!」
探偵はとんでもないことを口走り始めた。
「お金を払うほど猫が嫌いなんですか?」
「嫌いってもんじゃない! あああああ、なんか体こすりつけてるぅぅうっ! た、助け、助けっ——」
ふむ……猫をどかすだけで一万円か。これはかなりデカイぞ。私の心がかなり揺れ動き始めた時、
「二万払う! 二万払うからぁ!」
探偵はいきなり増額し始めた。私はこの際、どこまで値段がつり上がるのか試すことにした。
「もっと、誠意を見せてほしいですねぇ」
「ああああ、まじでやばいって! 頼むよお!」
断末魔のような叫びを上げた探偵に、流石にかわいそうになってきた私は猫をどけてあげようとすると——。
「分かった、三万払うから! 三万払うからお願いだよお!」
「ひっ……」
ドスンと何かが落ちる音ともに軽く悲鳴がして、私は猫を抱きかかえながら振り返る。すると——。
探偵事務所の入り口付近。恐らく依頼人であろう若い女性が、尻餅をついた状態で恐怖に慄くように震えていた。
「お、男がのたうちまわって、じょ、女子校生を……買おうとしてる」
「いや違——」
私が否定の言葉を吐こうとした時、尚も猫が体に乗っていると思っている探偵がその場で駄々っ子のようにのたうち回りながら——。
「四万払うから頼むよお!」
「いやあ!」
その言葉に、若い女性は耳を押さえてうずくまった。
私はニャーニャーと鳴く三毛猫を抱いたまま暫く放心していた。探偵事務所に流れる、カオスな空気を感じながら——。