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#7 幻現

 間違えることが怖いんじゃない。

 間違えたと気付くことが怖いんだ。



 二人が行きそうもない場所は、江戸東京博物館だった。美術館や水族館は行くこともあるが、歴史や土地のことを知りたいと思ったことはなかった。

 名前の割にはモダンな建物を前にして興ざめしそうになったものの、館内はイメージしていたような江戸や近代化してすぐの東京の街並みが再現されていた。

「本当に私たちって、この歴史の延長線上にいるのかな」

 日本史の教科書で見た白黒写真が鮮やかな色彩でジオラマにされているのを眼の前にしたら、碧緒はそうこぼしていた。

 我ながらなんてポエジーなことを口にしてしまったのだと自戒するも、右隣に立った須磨はいたって真面目な顔をしていた。

「どうだろう。そもそも、東京とか都会の街並みってさ、半年経ったら別の建物に変わってて、元々何があったのか分かんなくなってるし、もしかして、全然別の世界になってたりするのかもしれない」

「明治時代の人とかも同じ感じだったのかな」

 ずっと変わらないものがないということくらい、生きていれば誰だって感じるだろうけれど、振り返る余裕すらないほど目まぐるしく変わっていくのを、江戸から東京に変わってしまった頃の人たちはどう受け止めたのか。まげを結って、脇差わきざしを下げて歩いていた人たちがみんな居なくなって、シルクハットにスーツ、ステッキを持った人たちに置き換わった世界において、昔のことを語る人は、老いさらばえた人だと揶揄され、それでいて流行の最先端を行く者は、西洋かぶれだと馬鹿にされたのだろうか。

 碧緒は現代を生きづらく思っている。けれど、文明開化の波が押し寄せる東京に居たとしても、やはり同様に苦しんだのではないかと思わずにいられなかった。

「戦争が終わってすぐの時もそんな感じだったならさ、日本人って落ち着けた時期って無さそうだな」

 槇ならこんな時、どんな言葉を口にしただろう。考えても答えは出そうにない。なぜなら、彼とはこういう行き当たりばったりの外出なんてしない。彼はいつも、碧緒がしたいこと、行きたい場所、欲しいものを優先してしまう。時にお姫様と執事のような関係ではないかと感じてしまうほど、彼は碧緒を大事にする。何でもそつなくこなすけれど、槇に何かをしてあげようという思いは湧いてこない。なんなら、わがままを言ってしまうばかりで、それすらも槇は喜んで受け容れてしまう。

 尽くしてもらうのは悪い気はしないが、時々、槇のその振る舞いが、その行為に酔っているのではないかと思うところがあった。碧緒の好みをよく把握しているし、気分の浮き沈みにも冷静に対応してくれるが、きっと彼は、碧緒でなくともそうしてしまえる気がした。

「須磨は、人種でメンタル病みやすいとかいう言説、信じる?」

 須磨とはこういう話をしたことがなかった。毒にも薬にもならない――いや、どちらかというと毒になりそうな話題は、自分のことを面倒くさい奴だと思わせるようで、避けていた。今日何があったとか、昨日何を食べたとか、差し障りのないことばかりを口にしていた。

 だから、今の質問が自分のことを取っつきにくい奴だと思わせても仕方ないと感じていた。

 もし須磨が高校生の時分と同じ雰囲気なら、そんなことは尋ねなかっただろう。だがこの瞬間においては、燦然さんぜんとしているとばかり思っていた彼が、どこまで自分の考えに近付こうとしてくれるかを測りたかった。最早、須磨をただ神格化していた頃の碧緒とは決定的に違っていた。人として尊敬できるかどうか、それを探ろうとしている。

「どうだろう。仮にそうだったとして、自分がどうかは、知りたくないな。それが嘘だったりデマだったりしても、信じてしまえば、しんどくなるだろうから」

 やはり、須磨は別人のようになっていた。当時からそうだったとはとても思えない。いくら何でも、三年間その片鱗をまるで見せないだなんて真似、普通できないだろう。

 一体誰が須磨を変えてしまったの、と尋ねそうになった。この二年とちょっとの間で、一人の人間をあまりにも劇的に変えてしまったのは誰なのか。彫像のようなその顔を抱いて、答えを聞きたかった。

 だが、碧緒にはそうする権利も、力もなかった。もし彼が話してくれたとしても、寄り添うことはできそうにない。

「私たちは生まれた時から生きづらい世の中にいる、みたいなふうに言われるけど、そんなの人種じゃなくて、世界が悪いだけだよね」

神谷かみたにが政治家にでもなって変えてくれるってことか?」

 その顔に見知った笑顔が帰ってきたから、碧緒はそれ以上そのことについて思案するのはやめた。

 明治期の錦絵を見つめながら、同じように絵を眺めている須磨に、ふと湧いた疑問を聞いてみたく思った。

「大河ドラマの役者さんたちの方が本物に近いはずなのに、この絵の方がリアリティを感じるのはなんでなのかな」

 須磨は錦絵を見たままで答える。

「古い映像だとそこまで違和感はなかったのかもしれないな。最近のはいかにも作り物って感じに役者もセットも綺麗に映りすぎて、昔っぽさが出ないんじゃないか? わざとらしく古風な方が、昔っぽさがかえって演出できるのかもしれない」

「昭和が舞台のドラマとかも、ちょっと古めかしく見えた方が、それっぽく見えるもんね。現実の昭和は、そうじゃなかったんだとしても」

「俺らもそのうち、ノスタルジックな令和として再現されるんだろうな。リアルすぎたらリアルじゃなくなるって、変な話だ」

 展示室の番号が進むほど、碧緒はこの時間を終わらないでほしいと願わずにいられなかった。もうこんなことはないかもしれない。須磨はどう思っているか分からないけれど、碧緒にはこの時間が特別だとしか思えない。もし、これからもこういう機会があるのだとしたら……。

 けれど、もう一度が叶うビジョンが、碧緒には全く見えなかった。自分が須磨とどうこうなる未来も、全然考えられない。変わった部分があったとしても、須磨は手の届かない存在だという認識までは、そう簡単に払拭できはしなかった。

 これがどれほど夢のような時間でも、須磨にはただの束の間でしかないだろうし、それに何より、彼女自身が、槇を捨てて如何様にでもなろうとする大胆さも、勇気も持っていないから。

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