#3 豪奢
初めはただ憧れた。
シンデレラに。
やがて自分が義姉のひとりだと気付いた。
誰も彼女の行く末は描かない。
*
こめかみに鈍痛が走るのを感じながら、碧緒は大学までのだらだらと続く上り坂を歩いていた。何か胸にもやもやした感覚が渦巻いて、上手く寝付けなかったのが原因だろうか。あるいは、頭上に浮かぶ暗澹としたいかにもな低気圧のせいか。
この大学に通ってもう二年が経つというのに、須磨も通っていただなんてまるで知らなかった。高校卒業の折、誰がどこに進学するかで随分と盛り上がっていたはずだが、知ったところで寂しさが募るだけ、と割り切ろうとしたから、気心の知れた友だち以外のは聞かなかった。
最後に須磨と会話をしたのは、卒業の一週間以上前だっただろうか。たくさん会話はしたはずだが、須磨と碧緒とは、友だちではなく、単なるクラスメイトだった。
とんとん、と肩を叩かれた感触があって、碧緒は思わず硬直した。人に触れられるのは、たとえ槇にであっても得意ではない。友人たちはみんなそのことを知っているから、しないはず――不安と期待とが同時に彼女の胸に去来した。
振り向けば、須磨。須磨肇。青春の一時期を全て捧げてまで、その瞳に宿し続けた人。
「神谷も同じ大学だったんだ」
「う、うん」
「あれ? 緊張してる? 高校でも普通に話してたじゃん」
当時は校則で禁止されていたピアスをしているし、プラチナブロンドのウルフカットが似合いすぎて動悸が止まらない、などとは言えないし、思うのも罪な気がした。
「そうだけど、雰囲気、違うし? 久々だし?」
変に声が上ずっていないだろうか。しっかり確認したはずのメイクが少しでも崩れたらどうしよう。槇相手になら今やほとんど無視できる要素が、日常的な弛みに繋がっていそうで、これからはもっと気を付けようと思ってしまう。
それはまるで――それ以上は考えるのをやめた。須磨にとって碧緒はあくまでも、ただの高校時代の同級生にすぎないのだから。
「見た目だけだって。中身は変わってない」
なぜかその発言には首肯できなかった。確かにすぐに須磨だと分かったし、同じように惹かれる何かを持ってはいる。だがどこか、高校の頃に感じたのとは違うものを、帯びている気がする。それが何なのか、思いつきそうにはないけれど。
「この前一緒にいたのはさ、彼氏さん?」
「うん」
そう答えるのに少しだけ胸がチクリと痛むのが、嫌だった。前ならすんなりと口に出来たのに――果たしてそうだろうか。いつも他の可能性を、ほんの刹那の答えの合間に感じてはいなかっただろうか。薄氷のような隙間はこれまで無視できたのに、この人と再会したことで確かに〝ある〟と思い知らされてしまった。
「どんな人?」
「良い人。優しいし、思いやりに溢れてるし、私のこと、ちゃんと見てくれてるって感じがする」
(だったらなんで、こんな罪悪感を覚えるんだろう)
「そっか。素敵な人と逢えたんだな」
「……うん」
「俺もそういう相手、いたら良いんだけど」
まるで全て見透かしているかのように、目の前に豪勢な料理を置こうとする須磨は悪魔のようにすら見えた。
「すぐ逢えるよ、須磨なら」
「だと良いな」
やはり、彼は高校の時と何か違う。そう感じるものの、理由が読み取れない。
「ね、ねえ」
「おーい! 須磨ー!」
遠くから大手を振って須磨を呼ぶ金髪の男子のせいで、碧緒の言葉は遮られてしまった。
「またな」
小さく手を振るその骨張った手が、妙に色っぽく見えて、また自分のさがなさが嫌になる。
今日はもう誰とも会いたくないし、話したくもない。それなのに大学に向かう足を止めることすらできない。真面目なのか不真面目なのか、ハッキリさせることもない自分が心底嫌いで、こんな瞬間こそ、槇が下手な冗談を言って茶化してくれでもしたら良いのにと思ってしまったのが、一番彼女の心を傷付けた。