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#13 剥離

 僕らは必死に泳ぎ方を学ぶ。

 彼女を観ていたら、誰だって海の色なんて気にしない。

 そうして何とか、溺れぬ術を身につけたと思えば。

 彼女は居なくなっている。

 残された僕らは、いつ死ぬのかと思いながらただ浮かぶ。

 月の満ち欠けだけを、時計代わりにして。



 新宿西口に着くと、槇は後悔しつつあった。恋人がいるのに異性と出かけることに対してではない。御嶽みたけと出かけることに対して、だった。授業の遅刻率が高いことや提出物の出し忘れなんかが日常茶飯事なことが、すっかり頭から抜け落ちていた。

 待ち合わせの時間は十一時過ぎだったが、軽く三十分は過ぎている。〝今どこ?〟と試しにLINEを送ってみたが、既読すらつかない。さすがに連絡の一つすらよこさない礼儀知らずではないと思えば、まだ眠っていると考えるのが妥当な線だった。

 行き先さえ知っていれば先に向かってもみられるが、相変わらず伏せられたまま。

(碧緒ちゃんならこんなことないんだよなあ)

 碧緒はさっと目的地までのルートを調べてくれるし、何に乗ると安いかとか、少ない乗り換えで済むかとかを把握している。しかもそれを率先してやるのだ。槇もそういったことはできるが、碧緒の方がその辺りは手慣れているというか、二人の呼吸として、碧緒の方が先に切り出すことがほとんどだ。予定を立てたり計画を考えたりするのがとにかく楽しいらしい。いっそ旅のしおりでも作ってもらおうかと大まじめに思うほどだ。

 ここ一、二週間ほど、碧緒とのやり取りが以前より少なくなった。付き合いたてでもないし、頻度が減るのもこれが初めてというわけではない。

 どちらにせよ、と思いかけたところで、御嶽からの着信があった。

「もしもし」

『ごめんなさい! 完っ全に寝過ごしました! 今超特急で支度してます!』

「うん、そんなことだろうと思ったよ」

『私が着くまで、何とか時間潰しててください!』

「はいはい」

 通話はあっさり切られ、槇は軽く溜め息を吐いた。

 下手に駅から遠ざかりたくはない。どのくらいで着くのかを聞いておけば良かったと思いつつ、何も送信せずに南口の近くをふらふらする。どこの国かはハッキリ見なかったが、東南アジア辺りの国の支援団体らしき人たちが何かを演説している。普段なら素通りする自分に罪悪感を覚えもしたが、今はそれも景色の一部としか思えなかった。

 誰かを救えるのは、その誰かよりよっぽど幸せな人間なんだろう、という思いがふと湧く。碧緒に何らかの変化が起きていることは、聡い彼には正直分かりつつあった。

 ふいに、まるで幻覚でも見ているかのように、すぐ傍を〝彼女〟が通り過ぎていくような気がした。この世界には光とでも形容すべき人間がいて、それは誰かの心を救うと同時に、居なくなった瞬間に全てを奪い去っていくような恐ろしさをも兼ね備えている。

 出逢ったことで見える景色が変わり、見たい世界も変わってしまった。恨むことなどできはしない。恨むというにはあまりに何というわけでもないのに、それでいて忘れ去るというのにはあまりに大きすぎる存在だから。

 行き交う人々は、邪魔にならない程度に立ちながらスマホをいじる槇のことなど、まるで気にしない。

 漫画アプリを適当に読みながら、碧緒が自分から心を離しつつあることを思った。

 全てはあの秋風が吹いた瞬間からだ。何が決め手というわけでもない。ただ、その瞳に自分が映っていないことだけは分かった。

 そもそも、碧緒と付き合えるとは思っていなかった。告白も振られる前提だった。それがあっさり受け容れられたことの方が驚きだった。

 初めて碧緒のことを目にした時のことを思い出す。

(楽になりたかったんだ、僕は)

 碧緒は槇に安寧をくれるものだと、勝手に決めていた。何故かまでは、思い出せない。

 近くの壁に背中を預けて、適当に動画をいくつか再生する。ようやく気が逸れてきたところで、再び御嶽からの着信が入った。

 居場所を伝えてから数分して、妙にめかし込んだ御嶽が現れた。普段の彼女からは想像ができないほどしっかりと巻かれた髪に、見たことのない濃い赤のワンピース。黒いブーツも見るからに新品だった。慌てて支度したとは思えない。寝過ごしたというのは咄嗟の言い訳で、本当はここまで整えてくるための大遅刻なのだろう。

「似合ってますか?」

 真っ直ぐな質問に、槇は忖度なく「うん」と答えた。

 少しくすんだ紫のアイシャドウも、バーガンディのマットリップも、いつもの御嶽とは印象を大きく変えて見せる。

 喜びもなければ、悲しみもなかった。いずれ碧緒は槇から去っていくだろう。それを寂しく思う気持ちはあるが、付き合うことが叶った瞬間から、永遠に続くとはとても思えなかった。碧緒はいつも穏やかな顔は浮かべていたが、どこかつまらなそうにしている節はあって、二人の時間は清純と呼ぶにはどうにも、彩りが足りなかった。

 だからといって御嶽に心を寄せようという気はまるで起こらない。

(碧緒ちゃんもこんな気持ちだったのかな)

 妥協や埋め合わせという意識とは違っただろうが、身を寄せ合うのにちょうど良い相手として見ていたのではないかと、思ってしまう。

「それで、さすがにどこに行くか教えてもらえるのかな」

「はい、ついて来てください!」

 それは教えたことにはならないけど、とツッコミそうになったが、槇は黙って彼女についていくことにした。

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