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#12 相応

 せめて、天使の片翼くらい、私に。



 須磨が何を決めたとて、いきなりにどうこうしようというアイデアが思い浮かんだわけではなかった。

 緩やかに進んでいく時間は、僅かに残った落葉樹の古い命を散らすばかりだった。

 だから、彼がその雑貨屋を訪ねたのは、特別な作為があってのことではなかった。ただ、店の雰囲気を見て、在りし日が懐かしく、また切なく思い出されてのことだった。

 入店を知らせるベルの音が鳴っても、脇を向いて商品の前出しをしていた碧緒はまだ気付かない。須磨もまた、「いらっしゃいませ」という声が彼女のそれだとはつゆも思わなかった。

 須磨は内装を心から素敵だと感じた。天井では、トランペットを吹く小さな天使が廻っている。

 彼はすぐ傍にあった硝子がらす細工ざいくに目をやった。レーザーで刻印されているのは、月に旗を立てる宇宙飛行士。反対側を向けば、誰かがひっくり返したのか、淡いピンクがさらさらと落ちている砂時計が見えた。


 ふと、後ろに〝彼女〟が立っている気がした。

〝わあ素敵。はじめさ、こんなお店あるんだったら、紹介してよ。きっと気に入る奴、見つけてあげられるから〟

 まるで、〝彼女〟を喰って取り込んでしまったが如く、笑い声が聞こえる気がする。おかしな話だ。もう別れてから一年以上経つというのに、事ある毎に思い出してしまう。どれだけの存在だったのか思い知らされるみたいで、心底腹が立った。だが、消したいものほど、自分からは消えてくれない。いやむしろ、消そう消そうと意識するほど、いつからか、〝彼女〟と同じ見方で世界を見つめるようになってしまった。単に妄想と片付ければ済む話だが、なぜか、いつも妙に現実味を帯びて顕れるせいで、一瞬本物なのではないかと疑いたくもなる。〝彼女〟なら、そんなことの一つや二つ、悠々とやってみせても驚きはしない。

 自分と同じ人間――いや、どちらかと言えば人として尊敬できるはずのない存在だと、思っているはずなのに。


 かぶりを振って、再び店内に目をやる。アンティーク調の暗く沈んだ装いにこころを落ち着け、ふぅ、と息を吐く。それで、平常心を取り戻せた。〝彼女〟の声も姿も、もうない。

 あの悲惨な結末を、二人以外は知らない。決定的な、物語の終焉。

 自分はもう、決して報われはしないのだろうという予感を抱えたまま、誰とも一定の距離を置いて生きてきた。

 だが神谷が、恋人を持ちつつも自分に未練を抱いていると知った今、破滅的な救済の道が見えた気がして、奇妙な高揚に心を支配されつつあった。

 壁に掛けられている、数字が一切書かれていない不思議な時計に目をやった時だった。

「須磨?」

 白ののニットに、ベージュのトレンチスカートを穿いた神谷は、いつになく艶めいて見えた。

「ここでバイトしてるんだ」

「憧れのお店だったんだ、高校の時から」

「そんなところで働けるなんて、嬉しい話だな」

 優しい声色。碧緒は、高校の時を思い出した。いつも下らない話をふっかけるのは、碧緒の方だった。

「ね、私も店長に雇ってもらった時、ちょっとびっくりした」

 碧緒がそう口にした刹那、その店長が倉庫から戻ってきた。腕には円筒状の段ボールに覆われた何か大きなものを抱えている。

「お友だち?」

「高校の同級生です」

 碧緒は答えてから、須磨に答えさせたくなかったからそうしたのではないかと思ってしまった。

「そうなんだ。大事にしなね」

 何気ないその発言が、今の碧緒には随分と重たく受け止められた。大事にするとは、どうすれば良いのだろうか。ただ想うだけなのか、特別な間柄になって愛おしく思うのか。

 須磨が碧緒のかつてのクラスメイトでしかないことは、揺るぎようのない事実だ。そこだけは、変わらない。

 店長の言葉は、一種社交辞令みたいなもので、何ら取り立てて語るようなものでもない。ただそれが、とても虚しいというだけで……。

「折角だからさ、神谷にこのお店で一番のオススメを聞きたいな」

 それは碧緒に向けられたものなのか、単に店員としての自分に求められたものなのかは分からない。

 一瞬、迷った。彼の問いに真っ正直に答えることが、自分を暴かれていくかのような不安があった。

 それでも、彼に嘘を吐くのも嫌だった。もとより人を偽ることが苦手な上、店長の目もある中で、思ってもいないことを口にする勇気も湧かない。

「私の一番気に入ってるのは、これ」

 碧緒はすぐ横手に並べてあるハーバリウムを示した。十センチほどの細長い四角柱のガラス瓶に、線の細い草花が詰められている。

「須磨の好みに合いそうなものってよりは、私が一番好きな奴になっちゃったけど。どこのお店でも扱ってるものじゃなくてね、このお店だけに卸してくれてる作家さんがいて、その人の人柄みたいなものも相まって、これを手に取ってくれる人を見たら、凄く嬉しくなるの」

 言い終えてから、碧緒は急に気恥ずかしさでいっぱいになった。相手が何でもない存在なら、そうは感じなかったとして、よりにもよって須磨に、心のうちを赤裸々に語ってしまったことで、あたかも一糸まとわぬ姿を晒したような羞恥心に苛まれた。

「なら、ゆっくり選ばせてもらうよ」

 須磨は実際に手に取るのではなく、ハーバリウム一つ一つに視線を落としていく。それぞれにかける時間はまちまちで、きちんと選り好みしていることが碧緒にも伝わってきた。

「これとこれ、どっちにするか迷うんだけど、神谷はどっちが俺に合ってると思う?」

 須磨が指差したのは、淡い紫のアジサイをあしらったものと、微かに薄緑を帯びてはいるものの、強い色彩の主張を持たないカスミソウ。

 試されているようでもあり、また碧緒自身が須磨をどのように見ているか再認識することだとも思えた。

 下手をすれば女性よりも白い肌。アジサイは間違いなく須磨に映える。また一方で、カスミソウの淑やかさが彼の傍には相応しくも映る。

 刹那、碧緒の脳裏をよぎったのは、槇には抱きすらしなかった感覚。

 ――この人に最も添う花を、選べるという幸せ。

 (アジサイを選べるのは、私じゃない)

「カスミソウが良いと思うな」

「なら、そっちを買うよ」

 神谷碧緒は思う。自分は、彼に相応しくない、と。

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