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#11 探究

 人の心が移ったのはすぐに分かる。

 どうでも良い話はしなくなるからだ。



 須磨は神谷の恋人が同じ車両に乗っていることにすぐに気付いた。もちろん、向こうはこちらのことなんてまるで知らないだろう。

 何やら文庫本を読んでいるようだが、本屋のカバーがしてあるせいで何かまでは分からない。仮にしていなかったとしても、そこそこの距離がある斜向かいに座っているから、タイトルまでは見えなかっただろう。

 彼は美しくもなければ、醜くもない。彼女ができても自然な感じの、爽やかな大学生といった出で立ちだ。

 もっと神谷がこしらえてやれば、衆目を集めるような容姿にもなりそうなものだが、きっと彼女はそこまで彼氏を育てることに関心はないのだろう。

(あの子はそうだな、天使は最初から天使だと思ってるタイプだ)

 神谷が須磨に焦がれていることは、割合に早い段階から気付いていた。だが別に、何の感情も湧かなかった。好かれていることは確かに好ましかった。だが、当時の彼女は、花屋に並んだ花としてしか映らなかった。

 神谷かみたに碧緒あおは、須磨にとっては単なる景色に過ぎなかった。写真に撮るほどでもなければ、日記に書くほどでもない、日常。

 他の女子ほど露骨に好意を見せつけてこないし、他の誰かに対して自分の所有物だと示すような真似もしなかったから、話し相手にするには良かった。取るに足らないやり取りばかりだったが、男友達とするようなものよりかは、少し楽しかった。

 だが結局、彼女は友達でしかなかった。

 列車が駅で停車したのと同時に、須磨は一瞬硬直した。そこに決して居るはずのないものを、見た気がした。けれどやはり見間違いでしかなく、彼は俯いて少しだけ口角を上げた。

 亡霊に怯えて生きている自分を、恥ずかしいとばかり思う。今もきっとこの世界の何処かに居るかもしれないし、実際、居るのだろう。けれど決して交わることはない相手を畏れながら、須磨は生きている。

はじめは運命って信じる?〟

 呪われた女。確か、ファム=ファタルとか言ったか、とおぼろげに思い出す。まだ二十代半ばの、妙に気取ってみせる英語の教師が、自分を破滅に追いやる運命の女をそうだとか言っていたような……。

(天使なんていやしない。あいつは天使を気取って、強かに振る舞って、俺を狂わせていった)

 絶対に分かり得ないものを、分かろうとすることの何と愚かしく、疎ましいことか。しかしそれを、須磨はどうしてもやめることができなかった。芥川龍之介が、ニーチェが、何らかの精神的な疾患を抱えた存在として現代に生きていたと仮定して、批判はあれども受け容れられる可能性が多分にあるのと同様に、〝彼女〟もまた、その存在を赦されるだろうとしか思えない。人を狂わせる悪魔のような存在なのに、多くの目には天使にしか映らない〝彼女〟は。

 どういう理屈かは知らない。ただ〝彼女〟は、誰の目にも麗しく映る。

 だが〝彼女〟は、決定的に狂っていた。出逢ってはいけないタイプの人間がこの世界に居るのだと、須磨はまだ知らなかった。出逢ってようやくそのことに気が付くが、知ってしまった彼は、最早狂った後で、どうしようもなくなっていた。

〝興味があったから〟

 別の男に抱かれることがどういう感覚なのか知りたかった。ただ、それだけの理由で、〝彼女〟は須磨を踏みにじった。

 果てしない衝撃を感じつつも、須磨は世界が〝彼女〟を責めないだろうと思った。

 〝彼女〟は天使なのだから。空から落っこちてきて、この世界で生きてみようと努力しているのだから、その知識欲を満たしたいと思ったら、すぐに行動に移すのは、何てことはない。幼子の振る舞いに多くの大人が目を瞑るのと同様に、〝彼女〟は赦されてしまう。

 須磨は依然として神谷に興味はない。ただ、何とかして、自分が裏切られた理由を、その欲求が生まれ出ずる根源を、知りたくてたまらなかった。言い換えれば、自分も同罪になることで、〝彼女〟の罪をすすぎたかった。知って、同化して、解りたかった。

「それなら、仕方ない」

 そう言いたくてたまらなかった。

 列車が再び止まる。神谷の彼氏が降りるのを見て、ぼんやりと、ある考えが浮かんできた。

 神谷碧緒を、彼から奪ってみよう、と。

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