第4話 レッスンを始めましょう
その日の午後。
私はいよいよ始まるアーノルト殿下との恋のレッスンのために、王城の一室で準備を進めていた。
(私のすべきことを復習しておこう。アーノルト殿下とリアナ様を一月以内にくっつけるためには……)
しばらく考えてみたが、何のアイディアも浮かばない。「殿下とリアナ様は幼馴染」という程度の情報しかないのだ。今日はまず情報収集から始めよう。
お二人の出会いはどうだったのか。
一緒に遊んだ思い出はあるのか。
成人してからの二人の関係は。
机の上に山積みにされた恋愛本に囲まれて、私は今日殿下にヒアリングすることをノートに書き留める。
その時、私のいた部屋の扉がノックされる音が聞こえた。
「クローディア嬢、待たせてすまない」
「アーノルト殿下、ガイゼル様」
ガイゼル様を引き連れたアーノルト殿下が部屋に入って来た。今日の殿下は細マッチョの引き締まった体に、爽やかな白いシャツをラフに着こなしている。頭に黒く光る兜とのコントラストが実に個性的な装いだ。
私は立ち上がって、聖女候補生だった時に学んだカーテシーでご挨拶をする。
「アーノルト殿下。今日からよろしくお願いします」
「クローディア嬢。君は貴族のマナーも身に付けているんだね。勉強熱心だ」
「お伝えしていなかったかもしれませんが、私は数年前まで王都の神殿で聖女候補生として学んでいたんです。マナーはその頃に一通り学びました」
恋占いスキルしか発現しなかったから神殿への就職に失敗した……ということは、とりあえず今は言わないでおこう。
誤魔化すために視線をそらしていると、うしろに控えているガイゼル様と目が合った。私の下手くそなカーテシーを目の当たりにしたせいか、ガイゼル様は私に苦い顔を向けていた。
「さあ、クローディア嬢。まずは何から恋愛を学べばよいだろうか」
「殿下も私のことはディアとお呼びくださいね。まず具体的な話に移る前に、お二人の馴れ初めなどを教えて頂きたいのですが」
殿下はにっこりと笑い、幼馴染であるリアナ様とのこれまでを語り始めた。
リアナ様の出会いは、遡ること十年以上前。
ヘイズ侯爵家の庭園で開かれたティーパーティーで、転んで泣きじゃくるリアナ様に殿下が声をかけたのが最初だそうだ。
リアナ様には双子のお姉様がいて、ご両親も招待客も皆お姉様の方ばかり可愛がっていたらしい。お姉様は幼いながらも強力な魔力の持ち主で、両親からの期待を一身に背負って可愛がられていた。一方で誰も構ってくれないことに拗ねてしまったリアナ様は、人気の少ない庭園で一人遊んでいた。
「私もまだ十歳にもならない子どもだったから、テーブルについてじっと人の話を聞いていることに嫌気がさしてしまってね。ガイゼルを連れて庭園を散歩していたら、転んで怪我をしたリアナ嬢を見つけたんだ」
「なるほど。そこで殿下はどうなさったんですか?」
「リアナ嬢が一人で動けないようだったから、おぶって屋敷まで連れて戻ったよ」
幼馴染の出会い方としては、可もなく不可もなくちょうどよい感じだ。
「なるほど、そこで殿下はリアナ様との体の距離も心の距離もゼロメートルになって、一気に恋に落ちたと。そういうことですね?」
「……いや、私がリアナ嬢をおぶろうとしたら、ガイゼルが割り込んできた」
「えっ?」
後ろを振り返ってガイゼル様を見ると、気まずそうな顔をしている。
「ガイゼル様、なぜそこに割り込んで邪魔したんですか?」
「いや、当然のことをしたまでだ。なんで従者が付いているのに、殿下自ら力仕事を買って出ないといけないんだよ!」
そう言われてみれば確かにそうだ。
もし私がその場にいたとしても、代わりに私がリアナ様をおんぶします! と申し出ただろう。
「うーん、それではまだこの時点では二人の間には恋のつぼみすら生まれてないということですね」
「まあ、そうだな。別にリアナ嬢に恋焦がれたとか好きだとか、そんなことは思ったことはないな」
(あれ、殿下はリアナ様のことがお好きなのではなかったのかしら? よく分からないけど、とりあえず次の質問に移ろう)
「他に何か思い出は?」
「そうだな……。そのティーパーティーの数か月後くらいだろうか。ヘイズ侯爵家の領内で、大規模な洪水があってね」
(……洪水?)
「えっ、ええ。それで?」
「ちょうどリアナ嬢たち家族がヘイズ領に戻っていた時期だったと思う。あまりに突然の災害だったので、国王陛下について私もヘイズ領に視察に行ったんだ。その時に、リアナ嬢にも会ったよ。ものすごく怯えた様子だったことを覚えている」
「……そうですか。確かにあの洪水は酷いものでした。幼いリアナ様が怯えるのも当然です」
「ディアも、当時の洪水のことを知っている?」
「はい、殿下。私も当時ヘイズ領で暮らしていましたから」
ヘイズ領での洪水のことは、私にとっても一生忘れられない恐ろしい出来事だ。
当時私は氾濫した川の近くに住んでいて、家も家族も全て流されてしまったのだから。
「ディア? 顔色が悪い。大丈夫か?」
「……あっ、はい! ごめんなさい。悲しい出来事を思い出してしまって。さあ、今は恋のレッスンの時間です。話を元に戻しましょう」
「そうだな。思い出させてしまってすまなかった。レッスンを先に進めよう」
私は殿下に向かって笑顔で頷く。そして恋愛本の山の中から『初恋を成就させる百の方法』を取り出し、ページを開いた。