第40話 呪いの最後
(……殿下?)
十二時の鐘が鳴り終わり、庭園には沈黙が訪れた。
アーノルト殿下は胸のあたりを押さえたまま地面に倒れ込んだ。ピクリとも動かず、私のいる場所から殿下の顔は見えない。
私の全身からは力が抜け、腕で支えていたローズマリー様はもう一度地面にくずおれた。
「――アーノルト殿下!」
少し離れた場所で突風からリアナ様を守っていたガイゼル様が、アーノルト殿下に駆け寄る。
リアナ様は傍でガタガタと震えている。
「殿下……殿下、アーノルト殿下! いやだぁぁっ!」
私も地面を這うようにして殿下の元に駆け寄った。
殿下はどうなってしまったのだろうか。
駆け寄ったガイゼル様が殿下の体を起こして支えるが、やはり微動だにしない。
私は殿下の体に飛びつくと、顔を見上げて恐る恐る殿下の頬に手を当ててみる。
殿下の頬は温かい。
(きっと大丈夫だ、今からでも呪いを解けば――)
「……殿下! 死なないで! お願い……」
私は泣きながら、殿下の手を胸からどけた。呪詛文字がどうなったのか見るために、正装をしている殿下の服を脱がせようとボタンに手をかける。
「アーノルト殿下! 大丈夫ですか?! ……何で私の呪いだけ解いちゃうんですか! 自分が助かる方法を考えれば良かったのに、何で私のことを!」
涙でぐちゃぐちゃになりながら、私は必死で殿下の上着のボタンを外す。殿下の肩を後ろから支えるガイゼル様は、唇を噛んで涙を堪えていた。
(何で目を瞑ったまま動かないの? 私を助けて自分が死んじゃうなんて絶対ダメなのに……!)
焦っているからか、精巧な飾りボタンはなかなか外せない。
苛立った私が服に手をかけてボタンを思い切り引きちぎろうと力を入れる。
何度か思い切り力を入れて、やっと服が破れそうになった時。
突然、何者かが私の手首をぎゅっと掴んだ。
「…………ディア」
「え?」
「……そんなことをしたら、またガイゼルに淫乱家庭教師だと悪口を言われるぞ」
「でん……か?」
耳元で苦しそうに囁いたのは、間違いなくアーノルト殿下の声だった。
私は、手首を掴んだ殿下の手の上から、恐る恐る触れてみる。
「ちゃんと温かい……生きてる……?」
「生きてるよ、ディア」
「……!」
私は大声を上げて殿下の首に抱きついた。その勢いで殿下もガイゼル様も後ろに仰け反ったので、私は慌てて体を起こす。
間違いない、アーノルト殿下は生きている。
私の顔を見て、微笑んでいる。
「ごめんなさい……殿下が死んじゃったかと思って……良かった。本当に良かった」
「胸の呪詛文字が消えるまで、少し意識を失っていたようだ。もう大丈夫」
「呪詛文字が、消える……? じゃあ、呪いが解けたのですか?」
何が何だか分からないまま、私は背後にいたローズマリー様を振り返る。
泣き腫らした目をこすりながら、ローズマリー様は力なく横に首を振った。
(呪いが解けたのが何故なのか、ローズマリー様も分からないのね?)
運命の相手にファーストキスを捧げるか、ローズマリー様の存在を消し去るか。
ローズマリー様の邪な心が私の魔力によって鎮まった今、殿下の呪いを解く方法はこの二つしかなかったはずだ。
「呪いが解けたのなら良かったんだけど……それにしても、なぜ?」
その時、騒ぎを聞きつけたのか、城の衛兵たちが私たちのいた噴水の周りに集まってきた。
ガイゼル様は殿下から離れてローズマリー様に手を貸し、そしてそのまま衛兵に引き渡して事情を伝える。
殿下に恐ろしい呪いをかけ、危険に晒した罪は重い。
ローズマリー様は大人しく衛兵に連れられて歩き出したが、すぐに私たちの方を振り返り、深く頭を下げた。
「ガイゼル、リアナ嬢。ローズマリーの対応を頼む」
「しかし殿下、こんなところに殿下を残していくなんて……」
「少しディアと話したいんだ。私は大丈夫だから」
「そうですか……。分かりました。ディア、殿下を頼んだぞ」
呆然としているリアナ様を連れ、ガイゼル様も城の方に向かった。先ほどまでのことが嘘のように静まり返った庭園で、噴水の水音だけがあたりに響いている。
アーノルト殿下と私が二人きりになると、殿下は服に付いた土を払って立ち上がった。
「殿下、手を貸します。あの噴水の縁石に座りましょう」
「ああ、ありがとう」
縁石に殿下を座らせて、私も隣に腰かける。
殿下は少し腰を上げて、私の方に向いて座り直した。
「……本当に? 幽霊とかじゃなくて、本当に生きてますか?」
私は殿下の熱を確かめるために、もう一度殿下の頬に手を伸ばした。先ほど地面に倒れた時に土で少し汚れてしまってはいるが、いつもの男前の殿下の顔だ。優しい笑顔も、頬の温かさも、以前の殿下と何も変わらない。
緊張が一度に解けて、私の目から再び涙があふれた。
「ディア、泣かなくていい。幽霊ではなく正真正銘生きている人間だ」
「だって……でも、どうしてご無事だったんでしょう。運命の相手にファーストキスを捧げなければ、十二時の鐘が鳴り終わるのと同時に殿下は呪い殺されるはずでした。そもそも運命の相手だって、結局誰なのか分からないんです。ローズマリー様が私の占い結果を操ってらっしゃったみたいで……」
イングリス山で二度目の恋占いをした時、ローズマリー様がランプを使って偽の占い結果を出したと言っていた。
あの時水面に映ったのはリアナ様だった。いや、リアナ様だと思い込んでいた。
川の流れや雨のせいで水面が乱れたから私たちが勘違いしたけれど、きっとあれはローズマリー様ご自身の姿を映そうとしていたのだろう。
(あの時私たちがリアナ様だと勘違いしたのは、もしかしたらイングリスの神様が手助けしてくれたからなのかも)
頭の中で色々と考えながら悩んでいる私の手を、アーノルト殿下がそっと握った。殿下の指は私の指の間を縫って、私たちの手はしっかりと恋人繋ぎで握られる。
反対の手で涙をこすり、私はアーノルト殿下と目を合わせた。
「運命の相手が誰なのか、私には分かっていたよ」
「えっ?! どういうことですか?」
「私にかかった呪い。それは、運命の相手にファーストキスを捧げなければ、誕生日の日の深夜十二時の鐘が鳴り終わった時に死んでしまう、だったよね」
「はい」
「だから私は、自分の運命の相手にファーストキスを捧げたんだ」
「……え? いつ? 誰に?」
困惑する私を見て殿下はクスクスと笑う。
そして握った私の手を口元に持って行き、殿下は私の手の甲にキスをした。




