第34話 ローズマリーとリアナ
小一時間の休憩の後、十一時を告げる鐘が鳴った。
私はその鐘を聴いて、長椅子のひじ掛けに手をかけて立ち上がった。
(いよいよだわ。殿下に会えたら、まずはリアナ様とキスをしたのかどうかを聞いて、それから……)
頭の中で段取りを組みながら私が向かった先は、夜会会場ではなく夜の庭園。
夜中の十二時、日付が変わる時刻までは残り一時間弱ほどだ。夜会会場ではローズマリー様と顔を合わせなかったので、早めに庭園に行ってローズマリー様を待つことにした。
(もしローズマリー様が庭園にいなければ、また広間に戻って探さないとね。大丈夫、まだ時間はある)
酷く痛み始めた背中の傷をかばいながらヨロヨロと回廊を進む。幸いにも、周囲には人影はない。
先ほど控室でお世話をしてくれた使用人の女性は、髪を梳かしながら私の背中を見て眉をひそめた。その女性に頼みこんで合わせ鏡で自分の背中を見せてもらうと、背中の傷はルースさんの言う通りの酷いものだった。
傷と言うより、ドス黒い無数の斑点と言った方が正確かもしれない。
不気味な色のその傷は、夜会という華やかな場で人様に見せられるような代物ではなかった。
やはりドレスなど着るのではなかった。使用人の皆と同じ服を着て、会場に紛れるだけで良かったのに。
壁に手をついて、私はハアッと息を吐く。
(そろそろ婚約発表は終わった頃かしら……アーノルト殿下は、ちゃんとリアナ様にキスをしたかな?)
アーノルト殿下に対する自分の恋心に気付いてしまった今、殿下とリアナ様の仲睦まじい場面など見たくない。
庭園で殿下と落ち合って、ファーストキスが上手くいったかどうかを聞くつもりだ。十二時の鐘と同時に殿下の呪いが消えていくところを確認できればそれでいい。
階段を降り切ったところで庭園に向かう方向がどちらなのかと迷っていると、近くでガイゼル様の大声が聞こえてきた。
声の方向に息をひそめて近付くと、ガイゼル様とローズマリー様が言い合いをしている場面に出くわしてしまった。
(ローズマリー様! まだこんなところで……早く一緒に庭園に行かないと)
いつだったか、ガイゼル様とリアナ様が話をしているところにも偶然居合わせたことがあった気がする。
別に盗み聞きする趣味などないのだが、致し方ない。私は前回と同じように、廊下の曲がり角の陰に隠れた。
「……今すぐ広間に戻ってください!」
「嫌よ、私はもう決めたの!」
声を荒げたガイゼル様がローズマリー様の腕を掴んでいる。
いつも嫌な場面に偶然遭遇してしまう自分を呪いながら、私はしばらく二人の会話に耳をそばだてた。
「殿下の命が……命がかかっているんです」
「命……? 命がかかっているってどういうことなのですか? それに、アーノルト殿下は私なんて必要としていません。別に私と婚約しなくたって、アーノルト殿下にはローズマリーがいるじゃないの!」
(え? ローズマリー様は……貴女でしょ?)
廊下の角から顔を出して、ガイゼル様の向こうにいる女性を確認する。黒髪で、聖女の服を着て、間違いなくローズマリー様のお顔だ。
(ローズマリー様はここにいて、殿下と一緒に広間にいるのはリアナ様……だよね?)
ローズマリー様はガイゼル様の腕を振り切って、続ける。
「私だってアーノルト殿下と婚約するために努力したわ。自分の気持ちを押し殺して政略結婚を受け入れようと思った。でも仕方ないじゃない。もうこれ以上耐えられないんだもの! 放っておいて!」
「待ってください! リアナ嬢!」
(――リアナ嬢? ガイゼル様は今、リアナ嬢と言った?)
ローズマリー様に見えるあの人は、本当はリアナ様なのだろうか? そう考えた瞬間、先ほど会ったリアナ様の姿に感じた違和感を思い出した。
「リアナ様……いつもより動きが固いと思ったのよね。仮面を付けていたから、顔も全ては見えなかったし……」
つまり、今アーノルト殿下が一緒にいるのはリアナ様ではなくローズマリー様ということか。
(このままだとどうなってしまう?)
私は一人で廊下の角に身を隠しながら、頭を抱える。
アーノルト殿下は今晩、リアナ様との婚約発表をする。
そして、髪色を銀に変えてリアナ様に成りすましたローズマリー様に、ファーストキスを捧げる。
もしそうなったとしても、アーノルト殿下の呪いは解くことができる。
でも、殿下はリアナ様を婚約者に選んだのだ。リアナ様という運命の相手がいながらローズマリー様にキスをしてしまったことを、殿下はずっと思い悩むだろう。
最悪の場合は自分の心を押し殺し、責任を取ってローズマリー様と結婚するとまで言い出しかねない。
(――それでいいの? 殿下の、リアナ様への恋心は?)
ガイゼル様と言い合いをしていたリアナ様は、泣きながら走り去ろうとしていた。私は思わず飛び出して、リアナ様に向かって「待って!」と大声を出していた。
 




