第31話 満月の夜、初めてのドレス
ヘイズ侯爵家にお世話になって二週間近く。
療養中は大好きな恋愛小説をたくさん差し入れしてもらったにも関わらず、何度ページを開いても読む気になれない日々が続いた。
目を覚ませばアーノルト殿下の胸の呪詛文字が頭に浮かび、眠ろうとすれば背中に負った傷が痛んで夜更けまで寝付けない。
眠れなくてどうしようもない夜には、ボロボロになって灯りが付かなくなったローズマリー様のランプを眺めてやり過ごした。
それでも殿下の誕生日を祝う夜会までには必ず傷を治さなければと、リアナ様の助けも借りて治療に励み、私の体はようやく自由に動かせるほどに回復したのだった。
(殿下……お見舞いに来てくれると言ったのにな)
私が意識を取り戻した日を最後に、アーノルト殿下はここを訪れていない。逆にリアナ様の方は、頻繁に王城に出向いてアーノルト殿下と会っていらっしゃったようだ。時々お見舞いに来てくれるガイゼル様から、お二人の話を何度も聞かされた。
リアナ様の婚約内定を喜ばなければいけないのに、私の心にアーノルト殿下の言葉がずっと引っかかっている。
『――心のどこかで期待していたのかもしれないな。私の運命の相手がリアナ嬢ではなく、ディアなんじゃないかと』
変に私に気を持たせるようなことを言っておいて、いざ正式にリアナ様との婚約が内定したらお見舞いにすら来てくれない。
殿下が私に会いに来る筋合いなどないのだから、見舞いがないのは当然のこと。それなのに、私の心は変にささくれ立っていた。
そしていよいよ今晩。
アーノルト殿下の誕生日を祝う夜会が催される。あの日以来の満月の夜だ。
洞窟の天井から落ちて来た岩のせいで、私の背中にはまだ治り切っていない傷が残っている。でも、傷など関係ない。今日は絶対に夜会に駆けつけなければいけないのだ。
(リアナ様とキスをしてもらって、アーノルト殿下の呪いが解ける瞬間を見届けなければ)
そのために、私はこの王都までやって来た。
殿下の胸の呪詛文字が消えるところを、きちんと見届けたい。殿下の命が救われることを確信してから、王都を去りたい。
きっとこの二週間で、殿下とリアナ様は婚約を前提に仲を深めて来たはずだ。お互いに相手を想っていれば、頭で考えなくても心が動く。
(きっと殿下は、リアナ様にファーストキスを捧げるわ)
二人のことを考えると、ぎゅうっと心臓を握られるような苦しさを感じる。こんな気持ちで夜会に向かってはいけないことは分かっているのに、どうしても苦しさが止められない。
自分の心に生まれたささくれを見なかったことにして、私は鏡に向かって無理矢理笑顔を作った。
「さっ、頑張ろう!」
私が独り言で気合いを入れていると、ヘイズ侯爵家のメイドのルースさんが、大きな箱を抱えて部屋に入って来る。
「クローディア様。ガイゼル様が今日の夜会のドレスをお持ちになりましたが、お着替えを手伝いましょうか?」
「こんにちは、ルースさん。ガイゼル様がドレスを……って、私にですか?!」
「ええ。クローディア様はドレスを持っていないだろうからと。先ほど持っていらっしゃいましたよ」
(どうしよう。夜会なんて、生まれてこの方一度も参加したことがないのに)
今日の夜会もドレスなど着るつもりはなく、使用人に混じってこっそり殿下を見守るつもりでいたのだ。思わぬ贈り物に困惑した私は、ルースさんに助けを求めることにした。
「ルースさん、私ったらドレスの着方すら分からないんです。やはりこれはガイゼル様にお返ししないと……こんな素敵なものは頂けないわ」
「まあ。もうガイゼル様は王城にお戻りになりましたよ。クローディア様はリアナお嬢様と一緒に馬車に乗って王城に行かれるんでしょ? ドレスに着替えて頂かないと困りますよ」
ルースさんはドレスを箱から出し、私の服に手をかけた。このまま私の着替えを手伝ってくれるつもりのようだ。
手際の良いルースさんは躊躇なく服を脱がし、あっという間に私は下着姿で鏡の前に放り出される。
「ねえ、私にドレスなんて似合わないわ」
「そんなことありませんよ。えらく扁平な体ですけど何とかします。でも、さすがにこれは……どうしましょう」
鏡に映ったルースさんの顔は、私の背中を見て青ざめている。それもそのはず。私の背中の傷はまだ治っていないのだから。
「……このドレスだと背中が開いているので、傷が見えてしまいますね」
「結構酷いですか? 自分では傷の様子が見えなくて」
「そうですね。せっかく白くて美しい肌なのに、傷の周りが黒ずんでしまっています。髪はアップにせずに、おろして大きなリボンで飾りましょう。それできっと傷が隠せます」
「そうかしら……」
ルースさんは私の背中の傷を避けるように、優しくコルセットを締めた。ガイゼル様が持ってきてくれたという淡い紫色のドレスに袖を通しながら、私はアーノルト殿下とリアナ様の姿を思い起こして深く息を吐いた。
 




