第30話 正式な婚約
「――ディア!」
大声で私の名を呼びながら入ってきたのは、ところどころ包帯を巻かれた、痛々しい姿のアーノルト殿下だった。
顔にも傷を負っているからか、兜もつけずに素顔のままだ。
「殿下……! 私のために怪我をさせてしまって申し訳ありません」
「クローディア、良かった。とりあえず目を覚ましたなら良かった……」
こちらに駆け寄ってベッドの脇に腰かけた殿下の指を見ると、包帯の上にじんわりと血が滲んでいる。
(まさか、私を飲み込んだ土砂を素手で掘り出したんじゃ……)
「殿下……私が馬鹿なばっかりにごめんなさい。ランプがないと夜道を歩くのは危険だと思って、私の考えが甘くて……」
一国の王太子殿下に、これだけの怪我を負わせてしまった。しかも私は殿下にとって、ただの偽物家庭教師。守ってもらう必要もない、落ちこぼれの一平民であるのに。
床に頭を付いて謝りたいほどの気持ちだが、こんな時に限って体を起こすことすらできない。殿下の方はいつも私に謝る時には深々と頭を下げてくれていたのに。
色んな事が申し訳なくて情けなくて、私の目からは涙がこぼれていく。
「何を言うんだ、ディア。ランプを取りに洞窟に戻ろうとしたのは元々私だ。それに君は、私を命がけで守ってくれたじゃないか」
「いいえ、私は殿下を危険に晒しただけです」
「覚えていないのか? 君は土砂崩れの直前、洞窟に入ろうとした私を外に突き飛ばしたんだ。それで私は助かり、君だけが土砂に埋まってしまった」
苦しそうに唇を噛んだ殿下は、いつの間にか私の右手を握っている。指を交互に挟む――恋人繋ぎで。
私の手を取る殿下を見てリアナ様が不快な思いをするのではと不安でキョロキョロしていると、部屋の扉近くでゴホンと咳払いが聞こえた。咳払いの主は、ガイゼル様だ。
「アーノルト殿下、参りましょう。ディアが目を覚ましたら王城に戻るという約束をお忘れですか」
「しかし……」
「殿下。ヘイズ邸に毎日仕事を運んでくる俺の身にもなって下さい。あとはリアナ嬢に任せましょう」
殿下は名残惜しそうに私の手を放すと、リアナ様に目配せをした。
「リアナ嬢、申し訳ないがディアをよろしく頼む」
「心得ております」
「ディア、また見舞いにくるよ。リアナ嬢に頼って、しっかり休んでくれ」
リアナ様は殿下のお見送りのために、一緒に部屋を出て行った。代わりにその場に残ったガイゼル様が私のベッドの近くまで来たが、その表情は明らかな呆れ顔だ。
「はあ……」
「ガイゼル様、そんな大きなため息つかなくても……私だって本当は心から土下座して謝罪したい気持ちでいっぱいですよ。でも今はちょっとできないです。ごめんなさい」
腕を組んだガイゼル様は、気怠そうに頭を横に振る。
「いや、アーノルト殿下を命がけで守ってくれて感謝してる」
「そんなことは……殿下を突き飛ばしたことなんて覚えていないですし。無意識です。ちなみに私、このままリアナ様のところにいて大丈夫でしょうか? リアナ様も良い気持ちはしないのでは?」
「それは心配しなくていい。とりあえずディアが無事で良かったよ」
椅子に座ったガイゼル様の表情は暗い。口からは感謝の言葉を発しても、内心では私のことを許せるはずがない。ガイゼル様が忠誠を誓うアーノルト殿下に怪我をさせてしまった張本人は、私なのだから。
「心配しなくてもいいと言われても、心配してしまいます。リアナ様にご迷惑をおかけする訳にはいきません」
「いや、リアナ嬢にとっても良いことだと思う。今回の一件をきっかけに、正式に殿下とリアナ嬢との婚約が進みそうなんだ」
(――え? どういうこと?)
「怪我をしたアーノルト殿下を介抱してくれたヘイズ侯爵家に、国王陛下がとても感謝している。王太子殿下を助けた手柄に報いるために、正式に殿下とリアナ嬢が婚約するっていう筋書きになりそうだ」
「そんな……」
「ディアも、殿下とリアナ嬢の婚約を願ってただろ?」
私はガイゼル様の言葉を聞いて絶句する。
(そうだった。私はアーノルト殿下とリアナ様の婚約を願っていたはず。無事にリアナ様が運命の相手になったのだから、喜ばなければいけないはずなのに……でも……)
「ガイゼル様は大丈夫ですか?」
「は?」
「殿下とリアナ様がこのまま婚約しても、いいのですか?」
「ディア……お前、リアナ嬢と同じことを聞くんだな。二人の婚約はめでたいに決まっているだろう。ディアこそ、もっと喜べばいい。ディアの変態レッスンが少しは殿下の役に立ったのかもしれないぞ」
ガイゼル様はそう言うと、私に背を向けた。
 




