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第25話 表と裏

 王都からイングリス山の山頂までは、狭くて急な山道が続いていた。

 木立の間を縫うように走る道に沿って、アーノルト殿下と私が乗った馬はゆっくりと登っていく。

 恋占いをするためには、月の光が必要だ。おのずと私たちの出発は夕刻となり、山道を登っている最中に辺りは暗くなってしまった。


 空には、下弦の月がはっきりと見える。

 今のところ雨が降る気配はなく、薄雲がところどころ空を覆っているだけ。満月の夜には劣るが、恋占いには支障がなさそうだ。


 私は暗くなった道を照らすため、用意していた小型のランプを取り出した。



「ローズマリー様にランプを貸して頂けて良かったです。この明かりがなかったら、私たちはきっとあの川に真っ逆さまですよ」



 馬の上から少し身を乗り出すようにして崖の下を覗いてみると、川の水面がランプの明かりを反射してキラキラと光った。ここから落ちればひとたまりもない。ブルっと肩を震わせて、私は崖から目を逸らした。



「魔力を込めたランプか。そんなものがあるのだな」



 私と同じ馬に乗っているアーノルト殿下は、ランプを見ながら感心している。予めローズマリー様の魔力が十分に込められたランプは、私たちが山を降りる時間くらいまでは持ちそうだ。

 その代わり、一度灯りが消えてしまえばもう点けられない。ローズマリー様からは「絶対に明かりを消さないようにね!」と念を押された。


 両手の平に収まるほどの小さなランプを馬の進行方向にかざし、私はできるだけアーノルト殿下に背中が触れないように前かがみになって馬にしがみついていた。


(まさか同じ馬に乗って山に向かうなんて、思っていなかったのよね……)


 昨日のキス練習の余韻で、何となくアーノルト殿下と目を合わせるのが怖かった。もしかしたら殿下とは明日でお別れかもしれない。私が故郷に戻れば、もう一生殿下と会うこともないだろう。


 だからこそこんなに殿下と密着したくなかった。これ以上殿下に近付けば、自分でも認めたくないおかしな感情が、胸の中から飛び出してきそうな気がしてならなかったからだ。

 馬の上で体が揺れる度に昨日の首筋へのキスを思い出しては、ブンブンと首を振って雑念を取り除く。


 今日は殿下が兜を被って来てくれたのが、せめてもの救いだ。


 しばらく木立ちの間を進んでいると、少し開けた広い場所に出た。先ほど崖の下を流れていた小川は私たちのすぐ左側に見える。



「うわぁ……綺麗な小川! それに山の上は空気も美味しいですね。この川はヘイズ領から流れてきているのですか?」

「いや、この川は山頂の湧き水から流れてきているんだ。王都に流れ込む頃には支流を含めて大きな川になる」

「そうなんですね。ここはあの洪水が起こった川じゃないんだ……」

「ヘイズ領はこの山を越えた反対側だからね。川を見るとどうしても洪水のことが頭を過るが、元々このイングリス王国は川に守られてきた国だ。文化交流も商業の発展もこの川のおかげだ」



 しばらく進み、私たちは川の側で馬を降りた。アーノルト殿下が近くにあった木に馬を繋いでいる間に、私は小川の側にしゃがみこんで、冷たい水に手を伸ばす。


 始まりはこんなに静かで小さな流れでも、時と場所によっては人も家も飲み込んでしまう川。「人は見た目に寄らない」というけれど、もしかしたら自然だって同じなのかもしれない。


 私から見えている世界は、ほんの一つの側面でしかない。

 別の角度から見れば、全く違った世界が広がることだってあるのだ。


 川の水をじっと眺めている私のうしろで、アーノルト殿下が私に付いて河原に降りて来た。



「……まるでこの川は、アーノルト殿下みたいですね」

「どういうこと?」

「殿下は将来イングリス国王になります。王は大きな権力を持っているけど、王の采配によってこの国は平和で穏やかな国にもなるし、恐怖に支配されたおぞましい国にもなる」



 まるで、この小川のように。

 美しくて繊細な流れと、人も村も一度に飲み込む濁流は、いつも背中合わせだ。



「それを言うなら、聖女も同じだ。神に仕える身でありながら、邪心を持てばいくらでも魔力を悪用して国を亡ぼすことだってできる」

「その通りです。だから聖女候補生は決して邪心を持たぬように徹底的に教育されます」

「そうか。だからディアはそうやって、人の心を穏やかにする力を持っているんだな。私も未来の王として、そうありたいと思っている」



 殿下は河原の小石を拾い、小川に向かって投げた。ランプの明かりの当たらない暗闇の中で、小さな水音がポチャンと小さく響く。

 アーノルト殿下の方も私と目を合わせたくないのだろうか。もう一度河原の小石を拾うと、小川に向かって放り投げた。



「……私って、人の心を穏やかにしてるんですかね?」

「自分では気づいていないのかもしれないな。例えば、いつもガイゼルがディアに喧嘩腰で食いついているだろう。それも上手く受け止めていると思うよ。ガイゼルはああいうやつだから、人によってはすぐに喧嘩になるからね」

「そんな些細なことで、殿下は私のことを褒めすぎですよ。でもガイゼル様は何だかんだ言って荷物を持ってくれたりエスコートしてくれたり。本当はすごく優しい方なんだろうなとは思います」

「ディアがガイゼルのことを優しい人だと思って接するから、ガイゼルの方が変わったんだ」

「そんなものでしょうか……」



 私がガイゼル様の心を変えたなんて、大げさだ。何も意識せずに普通に接していただけなのに、アーノルト殿下から見た私はやけに素晴らしい人間に見えているらしい。



「それと……ディアはお茶会の日、リアナ嬢に随分と睨まれたんだろう?」

「ぎくぅっ!」

「ディアの事だ。睨まれて怖がるどころか、むしろリアナ嬢の心配でもしていたんじゃないか?」



 殿下は河原に腰を降ろし、月を見上げながらケラケラと笑った。



「今、笑うところでしたか? でも確かに、リアナ様はあの時すごーく悔しそうに下唇を噛んでらっしゃったんです。私ったら睨まれたことよりも、リアナ様の唇のことが心配になっちゃって。殿下のファーストキスのためにぜひとも唇は大切にして下さい! って言いそうになっ……」



 リアナ様と殿下のファーストキスの話題になってしまい、私は途中で言葉に詰まった。お互いに顔をそらしたが、私たちの間に気まずい空気が流れた。

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