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第20話 ファーストキスは勢いが九割

「殿下、昨日は助けて頂きありがとうございました」



 テーブルを挟んで向かい合って座るアーノルト殿下に、私は深々と礼をした。



「元気そうで良かった。だが無理はしないようにして欲しい。それと一つ相談なんだが」

「相談? 何でしょうか」

「少しレッスンのスピードを早めてもらえないだろうか」

「早める? えっ、もしかして……」

「恋のスリーステップの、三つ目に突入したい」



 大真面目な顔で殿下が私を見る。


 王都に来てから二週間。恋のスリーステップを順を追って練習して来た。最初のステップは、恋人繋ぎで手を繋ぐこと。そして二つ目は、ハグ。


 更に今、殿下が口にした『三つ目』とは……キスのことだ。

 だから今日の殿下は兜をしていないのか。やる気満々ではないか。



「しかし殿下。昨日は私が池に落ちた騒ぎのせいで有耶無耶になってしまいましたが、結局リアナ様とはハグできたのですか?」

「……いや。実は途中でローズマリー嬢がリアナ嬢を迎えに来たから、ハグするタイミングがなかったんだ」

「やっぱり。それではツーステップ目を飛ばして、いきなりキスをしたいと?」



 努めて冷静な顔をして喋ってはいるが、私の心の中は大混乱である。前回の満月の夜からまだ二週間。たった二週間で、殿下の運命の相手が私からリアナ様に変わっているわけがない。


(だって殿下とリアナ様はまだ、恋人つなぎくらいしかしていないし……何か二人の心が通じ合うような感動的なエピソードが起こったわけでもない)



「殿下、キスのトレーニングをすぐに始めるのなら構いませんが、やはり実際にリアナ様にキスをするのは時期尚早のように思います。リアナ様にとっても、十分に殿下のことを知ってからでないと、かえってご不安に思われるでしょう。いくらリアナ様が運命の相手だからと言って、下手にキスを急いで二人の仲に亀裂が入っては、逆に遠回りですよね」

「確かにそうだな。結婚はゴールではなくスタート。そこから二人で愛を紡ぎあげていかなければならないのだから、焦りは禁物か」

「殿下……知らないうちに私の『結婚からはじめよ――愛ある暮らしを紡ぐ、たった一つの思考法』を読みましたね?」

「ああ、その本に書いてあった。結婚はゴールではない、スタートであると」

「そうです! 結婚はスタート。良いスタートを切るために、お誕生日ギリギリまでは粘りましょう! 念のためにもう一度、次の満月の夜に恋占いを致しますから」

「ありがとう。キスの実践は先送りにするとして、今は練習だけに留めておこう」



(ふう……何とかごまかせたみたい)


 今、殿下とリアナ様がキスをするのは時期尚早だ。誕生日ギリギリまで粘って、満月の夜にもう一度、運命の相手を占ってからでないと安心できない。


 しかしキスの練習と言われてしまうと、私一人では手に負えない。ガイゼル様にも協力を仰いで……と思ったのに、今日に限ってガイゼル様は不在のようだ。



「殿下、ガイゼル様は今日はどちらに?」

「ガイゼルには今、リアナ嬢の相手をしてもらっている」

「リアナ様が王城にいらっしゃってるんですか?」

「今日はヘイズ侯爵と一緒に、陛下に挨拶に来ているようだ」



 殿下の顔に、ほんの少し陰が差す。この表情から察するに、あまり良い用件での訪問ではなさそうだ。ヘイズ侯爵と共に登城したということは、侯爵家に対して陛下からお叱りを受ける可能性もある。

 リアナ様にかけられたあらぬ疑いを、陛下に弁明にでもいらっしゃったのだろうか。



「リアナ様がいらっしゃっているなら、殿下もお会いになりたいですよね。レッスンはさっさと終わらせてしまいましょう。どれどれ、キスに関する恋愛本は……」

「これはどうだろう。『ファーストキスは勢いが九割』」

「九割が勢いですか。逆に残りの一割が気になりますね。ちょっと読んでみましょう」



 教科書としては元も子もないタイトルだが、私は一応ペラペラとページをめくった。



――『初めてのキスは難しいものです。あなたなら、いつどこでキスをしますか?』


「殿下、どうでしょう」

「誕生日の夜、庭園におびき出して実行にうつそう」

「なるほど。おびき出すというより、堂々とお誘いしたらいかがでしょうか。では次」



――『いざキスをする時、あなたと相手はどれくらいの距離に立っているでしょうか。向かい合っているなら、正面からキスをすることになりますね。もし横に並んで座っているなら、相手にこちらを向いてもらわねばなりません』


「正面からまともに攻めていては、相手に私の動きが丸見えだ。背後もしくは横から切り込むのが良いだろう」

「殿下、本当にキスをしようとしてます? 何かの試合と勘違いなさってませんか?」

「一世一代の命をかけた勝負だからな」



――『目を閉じますか、開いたままですか」


「これは……難しいな」

「えっ?! 目は閉じるでしょ!」

「いや。目を閉じてしまうと、狙いを外すリスクがある。確実にターゲットの位置を捉え、狭い範囲を確実に狙わねばならない。こちらが目を閉じている間にターゲットが移動するケースも頭に入れておかねば」

「いや、だから」


(……キスするのって、こんなに物騒な感じなんだっけ?)

 私もキスどころか恋愛経験もないから分からないのだが、普段みんなキスするときにここまで考えて動いているのだろうか。



――『ここまで読んで、キス未経験者の皆さんは驚いているでしょう。いざキスする瞬間に、ここまで頭で考えながら動けるだろうか、と』


「そうそう、その通りですね」

「事前のシミュレーションとトレーニングがいかに大事かということが分かる、良い教材だな」



――『だからこそ、ファーストキスは勢いが九割なのです。一番大切なのは、キスをする場所でも、相手との距離でも、目を開けるか閉じるかでもありません。あなたの心です。相手のことを想う気持ちがあふれたら、そのほかのことなど何も目に入らず、いつの間にかキスをしていることでしょう』



「……心か」

「心ですね、大切なのは。殿下は幼い頃からリアナ様のことをずっと想っていらっしゃったのですから、もうファーストキスの九割は成功したも同然ですね」

「私が、リアナ嬢のことを……? そうか、そう思うか」



 どことなく寂しそうな笑顔の殿下が気になったけれど、私はキスの練習台になってくれる人を探そうと、椅子から立ち上がった。

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