8 リスクと可能性
グランデ将軍に指摘されたように、わたしのこの一週間での課題はタタレドの兵力・戦闘力が実際にどれほどのものなのかを確認することだった。
ただ、これには頭を抱えた。どうやって実際に確認するか、全くもって思いつかなかったからだ。
べリス家にいる間にもっと色々なことに興味を持って知識をつけておけば良かったと後悔したけれど、そうしていたらわたしは今生きていなかったかもしれないとも思ったので、過去のことはあまり考えないでおくことにした。
会議の翌日、丸一日どうするかと思案して気づけば日が暮れていた。わたしはとりあえず今まで受け取った手紙や情報をもう一度読み返して、何かヒントになることはないかと考えていた。しかし、軍事力については昨日の会議で話したこと以上の情報はない。
どうしたものかと情報収集室でうなっていると、その様子をなんとなく一日見守ってくれていたマーガー副室長が声をかけてくれる。
マーガー副室長は眼鏡の似合う、いかにも頭の切れそうな40代くらいの女性である。涼し気な美人でややとっつきにくい雰囲気があると最初は思っていたけれど、話してみると彼女は北の辺境伯の娘であり、境遇が似ていたために親近感を覚えた。もちろん、彼女はわたしとは違って若い頃から王城に正式に務めている役人なので有能なのだけれど。
「シエナさん、何か進展は?」
わたしが力なく首を横に振ると、大体の話を昼頃に聞いてくれていたマーガー副室長は続ける。
「タタレドの生活に密着できそうならそれが一番良いんだろうけれど…」
「間諜ということですか?」とわたしが尋ねると、「有り体に言えば」とマーガー副室長は頷く。
「トラッドソン領にはタタレド人が多く入ってくるようだけど、その逆はないの?」
それは全くないことではないようだったけれど、タタレド人が入ってくる割合に比べると逆はかなり少なかった。というのも、べリス家の統制下ではごく限られた人々しかタタレドへは入れないようになっていたからだ。
今考えればタタレドやべリス家はおそらく、内側に入られることや情報の流出を嫌がっていたのだろう。
商売の面で考えても、トラッドソン領にあってタタレドにないものはあまりないようで、タタレドへの輸出はほとんどされていないはずだった。
外交としては貴族の娘が政略結婚で他国と関係を結ぶこともあるけれど、タタレドへ嫁いだ花嫁がいるという話は聞いたことがなかった。だからこんなにもわたしが重宝されることになっているのだろう。
マーガー副室長にそれを説明すると、「そのタタレドへ行ったごく限られた人々って?」と尋ねられる。
「公にはされていないですが、べリス家で聞いたことがある話では人攫いをされてタタレドに連れていかれる者がいるようです。タタレドにはいないような色の髪や目を持つ人々が主かと」
「人攫いね…」とマーガー副室長は苦い顔をする。つまり、ヴァルバレーへと帰す気がないからタタレドへと入れるという話だ。気持ちの良い話ではないけれど、現実にはそういうことが起きている。人攫い自体はもちろん法に触れている。けれど、その事態が明るみに出るまでは手をつけられず、他国へ一歩出てしまえばヴァルバレーの法では裁けない。
「それをされる訳にはいかないものね」
思案顔のマーガー副室長は呟いて、サクッとその案を捨てて違う手立てはないかと考え始めているようだった。
そのマーガー副室長を見ながら頷きかけて、けれどそれは本当に難しいことなのだろうかと考えた。
実際の首謀者が誰かは分からないけれど、トラッドソン領内でその人攫いのためのルートを取り仕切っているのも、まず間違いなくべリス家だろう。タタレド人のトラッドソン領への行き来はすべて、ベリス家が管理しているはずだからだ。
さらに、一介のタタレド人個人がトラッドソン領の中で人攫いのような計画的な動きをできるとは考えにくい。そこには当然ある程度はべリス家が関わっているはずだった。となれば、わたしがべリス家にいた頃の知識からなんとなくのルートや、どういう動きでそれが行われているのか自体は把握できそうだと考えた。
まずは攫われた者はおそらくどこかで一時的に拘束されるはずだ。それから時期を見計らって、タタレドへと帰る大きな商隊の中に紛れ込ませてカモフラージュされているのではないだろうか。もしくは大きな荷物に詰め込まれるて運ばれているのかもしれない。
トラッドソン領へは多くの者や人が出入りするために、検問でもそこまで厳密な検査は行われていないのが現状だった。これも父上の甘さだとわたしは思っているのだけれど。
そして、べリス家がトラッドソン領に持っている土地は全て合わせても数箇所だ。他に協力者がいたとしても、トラッドソン領内ではべリス家が信頼をおける家は少ないだろう。その数少ない交流関係は、おそらくほとんどわたしの頭の中に情報が入っている。その情報を精査すれば人攫いの拠点が分かるかもしれない。
そしてそれが分かれば、なんらかの形でそこからタタレドへと忍び込むことも不可能ではないのではないか。
たとえば商隊にこっそりとついていければ一番良いし、人攫いに捕まったという風を装っても良い。タタレド内に入ってさえしまえば、あとは売られる前にどうにか逃げて、必要な情報を得られる場所へと向かえば良い。
もちろん言うほど簡単ではないし、高いリスクを伴うことだと理解していた。しかし、何もしなければ情報は手に入れられない。そもそも間諜とはそのためにリスクを犯して存在するものだ。
「……人攫いの目的は、愛玩にされるか下働きさせられるかでしょうか」
わたしがマーガー副室長に尋ねると、彼女は「目的?」と元の話に戻っていることを確認してから、「そうね」と頷く。
「見目の異なる者を攫うというならまず愛玩でしょうね。対象が無差別なら臓器売買や肉体労働用の奴隷も考えられるけど」
その点は、と考える。おそらくタタレドの医療は移植をできるほどは発展していないはずだった。大きな怪我や病気については、金のあるタタレド人はトラッドソン領の医者を頼って来ることが多い。そう思えば、万一逃げるのに失敗しても直ぐに殺される心配はないだろう。
そして、「誘拐や人攫いで行方不明になった可能性が高い者がいる」という報告はトラッドソン家で仕事をしていた間にほとんど毎月聞いていたけれど、そこまで無差別に行われているようではなかった。報告されていたのは決まって余り力の強くない貴族の娘か、庶民の娘だった。全員ではないけれど、多くが見目の異なる者たちだ。また、時には男性も対象になるようだったけれど、報告に上がる数は少なかった。
捜査要請を受けたトラッドソンの警備隊がいくら探しても腕一本も見つからず、それがこの数年続いていた。それらのことから、単純な国内での誘拐事件ではないのだろうという見方が強まっていた。
ほぼ確信をもって、べリス家を介してのタタレド絡みの事件であろうと皆が思っているけれど、口に出しては取り返しがつかなくなる。証拠もなくそんなことを言うことはできなかったのが現状だった。
大規模な捜査でもしたら良かったのだけれど、父上はこの件にあまり深く介入しないで来ている。べリス家やタタレドに捜査のことを知られることは確かに、関係を悪化させる要因にはなり得ることではあるから、父上のその気持ちも分からなくはないけれど。
わたしが考え込むと、マーガー副室長はやや驚いた表情で「まさかやる気なの?」とわたしに問う。
「作戦としては可能かと思うのですが、ただ…」
問題はその人材である。タタレド人はそのほとんどが濃い色の髪や目をもつ。ヴァルバレーの人間もそこまで大きな違いはない者が多い。誰もができる役割ではないだろう。
しかし、ヴァルバレーには他国との血の繋がりがある家もわりとある。そのためにタタレドよりは外見も文化も多様性に富んでいる地域が多いのだ。特に政略結婚で外交を結んだ直後はその相手国の人間がヴァルバレーにも入って来やすいようで、相手国の商人とヴァルバレーの庶民が結婚することは少なくないようだった。
「特徴的な見た目の協力者を求めるとなると、難しいでしょうか」
マーガー副室長に尋ねつつ、わたしの頭はざっとトラッドソン家と繋がりがあって信用のおける家の娘を検索する。見目の件を含めても候補は数人思い浮かんだけれど、そんなことには当然だが協力してくれないだろうとも思った。
「あまり現実的ではないわね」
マーガー副室長がため息をついて、わたしも諦めかけたところで何かがひっかかって一旦考えを進めるのを止める。なんだろうと慎重に頭の中に思い浮かんでいることをなぞると、わたしはトラッドソン家の使用人にその候補がいることに気づく。
それは数日前、手紙を出した中のひとりだった。トラッドソン領にいるときに本当にわたしに甲斐甲斐しく世話を焼いてくれて、こちらにも着いて来たいと言ってくれたニカという侍女だった。彼女は明るい色の目と髪を持つ。
灯台もと暗しとはこういうことなのかもしれない。
「……トラッドソン家の使用人ならどうでしょう」
わたしの思いつきを聞いたマーガー副室長は、文字通り絶句した。それから間諜は訓練を受けている専門職なのだから一般人には無理があると彼女は言った。それは、全くの正論だった。
確かにリスクは高いし、ニカ個人にとっては旨みのない仕事である。けれどわたしは諦めきれずに、1度だけ聞いてみてニカがやれないと言ったらこの案は白紙にしようと決めた。
マーガー副室長が帰宅してから、わたしは急いでニカに手紙を書いた。今考えていることを言葉にまとめ、協力を頼めるか難しいかを教えて欲しいと書き綴る。
強制する気はもちろんないけれど、わたしから言われたら断りづらいかもしれないという懸念も浮かぶ。しかしニカはトラッドソン家の臣下の重鎮の娘である。政治的な立ち位置としては、わたしよりも重鎮の臣下のほうが遥かに高みにいる。トラッドソン家は、そういう家だ。
ニカ自身がわたしに対して断れなくても、嫌であればニカなら父親伝いで断ってくるだろうと踏む。そうやって断られれば、わたしの立場としては引き下がることしかできない。
きちんとニカには逃げ道もあることを確認してから、わたしは手紙に封をした。身内を危険に晒すことはできる限りしたくないと言う気持ちはある。けれどその反面、今の危機をどうにかするためには必要なことだという気持ちも渦巻く。
そしてもう一通、こちらは父上宛にトラッドソン領内でおきている人攫いの事件についての情報を至急集めてもらえるようにお願いする。
取り急ぎ手紙を送って貰えるようにと手配してから、わたしは帰路に着くことにした。この案が潰れた時のために、情報を得るための他の策も考えなくてはならない。
ただ、疲れた頭では限界がある。とりあえず一度頭を休めてから、明日ウームウェル補佐官に相談しようと決めたのだった。