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7 立ち位置と情報

 陛下が入って来た瞬間、部屋の中の空気が明らかに変わったことを感じた。ピンと張りつめたような、音がすべてかき消されてしまったような不思議な空気だった。

 その空気に飲まれかけていると、他の出席者は慣れたものだと機敏に立ち上がる。わたしもギリギリ遅れを取らずにそれに習った。



「皆揃っているね」



 陛下は部屋をゆっくり見渡す。それからその空気を纏ったまま、ほとんど音もなく移動して上座へと向かった。そして、すぐに口を開く。


「それでは、ここに対タタレド情報戦略室の開室と第1回戦略会議の開始を宣言する」


 その陛下の声は、わたしが聞いたことのない声だった。無機質ではない。けれど、どんな感情も浮かんでいない、そんな声だ。同様に表情からも、陛下の内面は全く汲み取れない。

 陛下が着席したのを確認してから、また皆が椅子に座り直す。


「オグウェルト」


 そんな中ウームウェル補佐官は陛下に呼ばれて、立ったままで返事をした。どうやらウームウェル補佐官が会議を進めるようだった。



 そして、そこから部屋の中の空気は急激にせわしなくなっていった。今日は各部が持ち寄る情報について資料を元に皆で把握していくことが目的である。それを各々が持ち帰り、具体的な戦略を検討して次回以降の会議に持ち寄る算段になっている。


 今日全体へ向けて共有する情報を持っているのは軍部、法務部、外務部、財務部とわたしだった。


 まず最初にウームウェル補佐官から指名されたのは外務部だった。

 外務部からは始めにタタレドの基本情報が提出されて、それから先日の襲撃事件について当該の外交官から聞き取られたことも混じえて報告された。これまでヴァルバレーとタタレドとの外交歴は浅く、国同士の主要な会談が開かれたことはなかった。情勢が落ち着かなくなったために初めて開かれることとなった会談直前で、事件は起きた。


 トラッドソン領では長らく警戒してきた国だけれど、中央としてはこれまで大きな関わりもない国だったため注視してきたわけではないようだった。そのために内部には間諜も置かれていないとの説明がなされた。


 2番目の報告者である軍部からは、主にタタレドの軍事力についての話がされた。小国であるタタレドにはそこまで兵力を持たないだろうという見立てが示される。軍部ははっきりと明言をしなかったけれど、ヴァルバレーと比べるまでもないとその口調からは読み取れた。

 そして、タタレドが攻め入ってくる可能性が高いのは少し先のことだろうと説明される。それは外務部からも説明があった部分だったけれど、タタレドにとって重要な祭事が3ヶ月後にあるのだという。おそらくそれが終わった直後がタタレド国民の士気が最も高まっているタイミングであるということだった。


 法務部からは、国同士で結んでいる同盟や条約についての説明があった。こちらも今まで関わりの薄い国であるため、結論としては「特に今現在、戦いを阻止するために利用出来るものはない」ということだった。


 そして、財務部からはヴァルバレーが戦争に勝った場合と負けた場合、そして負けた場合でも土地や人の損失がどの程度かというそれぞれの条件で、今後のヴァルバレーの財政の見通しが示された。


 勝てば相手からは金や土地を徴収できるけれど、小国から得られるものは少ない。万全の対策をするのであれば、準備にかかる費用と比べても赤字かもしれないという。その後の土地の使用方法によっては、そこから利益が出る可能性はあるということだった。そして、トラッドソン領を奪われた場合の損失と、中央まで侵略された時の損失も算出されていた。


 この財政的な損得勘定の部分が、わたしには一番理解が難しいところだった。ざっくり言うと、戦争をしてもあまり得はないということかととりあえずは頭を整理した。



 それぞれの部署に対して他の部署から時折質問が出たけれど、その都度回答されてここまで特に問題なく進行しているようだった。


 そして最後がわたしの番だった。わたしはまた得意な『なんともありません』という顔をしながら立ち上がる。まずは挨拶をと思い、「トラッドソン家伝令役のシエナ・トラッドソンにございます」と全体を見渡してから言って礼をした。空気に負けないようにと、堂々と見えるように姿勢を保つ事を意識する。


「お手元の資料をご覧になりながら聞いていただきたく思います」


 そう言うとパラパラと皆が資料を確認し始める。

 わたしは低めのトーンで、補足を加えて説明しつつ資料の内容を読み上げていった。内容はトラッドソン家から見えるタタレドの情報、わたしがべリス家の内部から見てきたタタレドの情報などで、今まで聴取で聞かれたこともかなり含まれていた。

 改めて分かりやすいようにとまとめたつもりではあったけれど、それはかなりの情報量だった。合間合間に、声は一定にと自分を落ち着かせながら話す。


 ただ、途中で他部署からの質問や反応は特に出ず、わたしが話を進めるのと一緒に紙をめくる音が聞こえ続けていた。


 そして皆が全ての資料をめくり終わる。声が一度もかすれなかったことに内心安堵した。


 ここまでが今日わたしが想定していた内容だった。このままいけば無難に終わらせることができる。そう思ったけれど、先程の軍部からの情報を聞いて気になることがあった。ただ、それを今指摘するかどうかと逡巡する。


 ウームウェル補佐官からはまずは様子を見ろと言われた。それに従うなら今日は動かない方が間違いなく良いだろう。ただ、これらの情報を前提にしてこれから国の一大事についての検討がなされていくと思うと、指摘は早い方が良いだろうと判断した。

 わたしは息を細く吸ってからゆっくり口を開いた。


「ここからは資料にはない、わたくしの目から見たタタレドについてですが」


 前置きをすると、視線が資料からこちらに素早く移された。圧を感じる。敵意でも悪意でもないけれど、緊張感が高まる視線だった。

 大丈夫、声はきちんと出る、と頭の中で唱えながら言葉を続けた。


「ひとつ、気になったことがございます。タタレドの軍勢についてなのですが」


 わたしは軍部のグランデ将軍を見る。先程「言うまでもなくヴァルバレーの軍勢の方が上」という雰囲気で報告していたのは将軍ではなく副官であった。


「タタレドはどうやら徴兵制のようで、ヴァルバレーにあるような常に鍛えられて統率されている兵士はいないようです」


 それは分かっている上での発言だというように、軍部の副官はやや不満げに首を縦に振る。


「ですが、それが兵力がないということには直結しないかと思います。べリス家では女子の使用人たちも武器を使いこなしていました。中で話を聞いた限りでも、タタレド国民のほとんどがそういう教育を受けて育つそうです」


 副官はやや驚いた反応をしたけれど、「だが」と口を開く。


「君の目で見たその女たちというのに、我が国の兵力が劣るというのかね」


 侮辱と受け取られてはまずい。それにヴァルバレーの兵力を直接見たことがないわたしに、実際にどちらが強いのかを判断できるはずもない。


「いえ、そういうわけではございません。ただ、想定されているよりタタレドは力を持っているのではないかと思うのです。戦争となればべリス家の私兵も戦いに出てくるでしょう。それはおそらくタタレド国民ではなく、ヴァルバレーに籍を移しているタタレド出身の我が国の民です。タタレドの中だけを警戒すれば良いわけではないのではないかと思いまして」


 ぐっと表情が固くなった副官はわたしにまた何かを言おうとしたけれど、グランデ将軍が片手を副官の前でひらひらとさせてそれを遮った。


「それが事実だとすれば、今後の見通しは変わってくる。それを明確にする必要はあるだろう」


 グランデ将軍にそう受け止めてもらえて、わたしはふうと息を吐く。伝えたいことが将軍にはきちんと伝わったようだった。

 そう思った直後、将軍はまた口を開く。「だがな」と続けられた言葉にわたしの鼓動は早くなった。


「その事実確認はトラッドソン家伝令役、お前さんの役割だろう」


 挨拶を交わした時の気の良さそうな声ではなかった。そこにいたのは、大きな将軍だった。


 わたしは「承知いたしました」と思わず頭を下げた。気圧されたのだ。そして、将軍の言う通りだった。曖昧なままの情報には価値がない。

 わたしに求められたのは伝令役であるし、本来はそこまでの期待をかけられてもいなかっただろうと思ったけれど、発言したことでその評価が変わったことを肌で感じた。


 その場にいる人の目がわたしを捉えていた。視線でじりじりと焼かれそうな感覚に陥る。

 唯一、陛下だけはわたしではなく、この状況全体を見ているような目をしていた。それから、今日は終わりだと陛下が口を開く。


「今日はここまで、第2回は1週間後とする。その前に緊急招集の可能性もあるから、各々準備は早めに進めてくれ」


 「御意」と皆が頭を下げた。その間に陛下はまた音を立てずに扉から退室して、初めての会議はお開きとなった。


 結局陛下は話し合いには全く口を出さず、長い時間表情を変えずにじっとその流れを見ていた。

 人間味のないその存在に、わたしは不気味さと怖さを感じていた。

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