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番外編:父上と義父上

シエナを王妃に迎え入れる前に、シエナの父であるトラッドソン家当主ユーノルドに挨拶に行ったクロードのお話。ユーノルド目線です。1話完結。

「さて、わざわざこんな場所まで来ていただいて、ご用件はなんでしょう」


 その日、トラッドソン家の屋敷にはとても珍しい客が訪れていた。整った中性的な顔立ちに柔和な表情。お忍びで来たためにその身なりは質素なものだったけれど、それでも武骨なこの家にいるのはとても違和感があった。

 そう、この国の国王陛下が、わざわざ南の端のトラッドソン領までいらしたのである。


 立場的にこれまでもお会いする機会がないわけではなかったものの、そう頻繁にというわけではなかった。ここ最近は娘のシエナが王城で働いていたために、私自身がお会いすることもなくなっていた。

 それに、お会いしたことがあると言ってももちろん、こんなに近くで、それにサシでなど、初めてのことだ。人に対してそこまで緊張感を抱かない(たち)の私でさえも、どこか緊張はしていた。


「トラッドソン当主、急なお願いに対応していただいて申し訳ない」


「いえ、問題はありませんがね」


 開口一番謝られたけれど、それよりもどちらかと言えば本題が何かを知りたい気持ちが強かった。


「それで、いかがされたのです?タタレドの件で何か動きでも?」


 陛下が直々に動くとなれば大きいことに違いない。となると、思い浮かぶのは先日、一応幕引きとなったはずのタタレドとのことだろうと見当はついた。王城にいたシエナは今、べリス家のことで別邸に留まっているはずだ。だから、確かに必要があればトラッドソン領やタタレドの件で私と連絡をとることもあるだろうとは思っていたけれど。


 しかし、陛下は「いや、そうではなく」とそれをすぐに打ち消してしまう。


 であるならば、なんだと言うのだろう。


 本格的に分からなくなって、多分渋い顔をしてしまった私に、陛下は小さく息を吸った。

 36歳、……37歳か?それにしては大分若く見えるけれど、間違いなく手練れであるのは嫌というほど知っている。私も若く見られる方だか、ここまでではないよなあと自分の顎を撫でた。


 実は、陛下がまだ若かりし頃、身分を明かさずにここに滞在したことがある、というのは陛下本人から前に聞いたことがあった。そう言われれば、と思い当たることはあって、確かにその時の旅人のリーダーらしき人ととても顔が似ている。雰囲気も、あまりあの頃と変わっていない。


 そんなことをぼんやりと考えている途中、陛下から聞こえてきたのは、唐突すぎて驚くしかない言葉だった。


「……シエナを、王妃としたいと思っている」


「……え?」


 驚きすぎて、何も言えなくなった。多分、陛下に対する反応としては適切でないものだった。けれど陛下は、そんなことは全く気にする様子は見せなかった。


「……」


 じりじりとした沈黙が少しの間流れた。そして私はその間に疑惑を抱く。陛下のその言葉の意味をそのまま受け取って良いのだろうか、という。


「……それは、また、そんな……冗談を言いに?」


 何か裏があるのだろうかとか、何かを試されているのだろうかとか、私は珍しく動揺していた。些末なことにはとらわれない性格だという自負はあるけれど、さすがにこれは些末と片付けられるものではない。


「いえ、冗談では。……シエナを、王家に迎え入れたいと、今回はその許可をいただきに」


「お、王家に……」


 そして、私はどうも隠し事ができない質だという自覚もある。おそらく私の考えていることは陛下に筒抜けなのだろう。陛下は私に聞かせるように言葉を続けた。


「……シエナ本人からは、承諾をもらっている。その、……世継ぎができたんだ」


 いかにも、言いにくそうな表情だった。私の印象では、いつも凪いでいるような顔をして何に対しても余裕をもっていそうなお人だった。それこそ、私とは正反対であるような。


「世継ぎ……?シエナが、妊娠を?」


 そして言われた内容は、中々に信じられないことだった。


「というか、陛下、シエナに手を出したんです?」


 思ったことがそのまま明け透けに言葉になっていて、流石にこの言い方はまずかったかと思った。


「いや、……シエナは妊娠ができない身体ですよ、陛下」


 前夫とはそれが原因で離婚したという建前になっている。本当はもう少し事が複雑なのは、もちろん分かっているが。


「私もそう思っていたが」


 陛下は小さい声で、そう言った。

 その言葉から、誰とも結婚せずにここまで来ている陛下は、適当な都合の良い女に手をだしてきていたのだろうかとか、そうであるならばシエナもそうされたのだろうかとか、色々な考えが頭を巡っていた。

 愛人もいたことのある自分が言えたことではないけれど、娘に半端な気持ちで手を出されることには、微妙に抵抗感もあった。

 

 けれど、それから、ふとその端正な顔が笑うように緩まる。


「……一度だけ、受け入れてくれたんだ」


 その静かな声に、私は思わずごくりと息をのんでいた。

 間違いなく、そこに浮かぶのは適当な気持ちなどではなかったからだ。


「……陛下……」


 思わず絶句した私に、陛下はふと顔をもとに戻した。


「……今、妊娠五カ月ほどだ。安定期に入って、そろそろ私の婚約者として王城へと迎えたいと思っている」


「……シエナも、承諾をしているとおっしゃっていましたね」


「ああ。今は時期が来るまで、別邸で過ごしてもらっている。実家に戻らなかったのも、妊娠のことは伝えないでくれと言ってあったからだろう」


 確かに、領内に戻ってきているのに本家には全然顔を出さないなとは思っていた。ただ、もともとそこまでべったりとした関係でもないしなと、気にしていなかったが。


「……シエナが妊娠……陛下とのお子を」


 収まらない驚きから、またつぶやきが漏れる。


 「ああ」と今度は軽く相槌を打つだけで、陛下の表情は崩れなかった。

 ただ、とりあえず、シエナは大切にされていそうだということだけは先程の顔から伝わってきている。


「婚約者として発表して少ししたら、成婚の儀を執り行おうと思っている。できれば、そこに出席していただきたい」


「それはもちろんですが……」


 トラッドソン家にとって、デメリットなど一つもない話だった。なんせ、王家との強いつながりができるのだから。

 けれど、その政治的なところではなく、私は純粋に()()陛下がシエナをどうして大切にしているのかが気になった。


「……陛下。シエナとは、王城で初めて会ったんですよね。あの子のどこを、お気に召していただいたんでしょう」


 好奇心に勝てず、私はそう聞いていた。

 本来なら陛下の婚姻に承諾などいらないのだ。にも関わらず、陛下は律儀にもこうして私に話を通しに来ている。そう思えば、少しくらい踏み込んでも許されるだろうと踏んだ。


「……」


 そんなことを聞かれると思っていなかったのか、陛下は一瞬驚いたような顔をして私を見た。シエナのことになると、ガードが緩くなるらしいというのが見て取れる。少し、面白くなってしまう。


「顔も身体も、性格も物覚えも、確かに悪くない娘ですが」


 派手ではないけれどすっと整った顔に、すらりとしたスタイルも悪くない。性格はどちらかと言えば妻に似て穏やかだし、仕事がそれなりにできる賢さもある。

 ……そう考えると、確かに良い物件なのかもしれないと、はたと気づく。ただ、厄介な相手とのバツイチだけれど。


 陛下は少しの間黙っていた。その顔がまた、なんだか居心地が悪そうに見えた。たしかに私も、妻の実の父親にこんなことを聞かれるのは嫌だなとは思った。ただ、好奇心が勝る。


「……実は初対面ではなかった。この屋敷で会ったことがあるんだ。シエナが14歳の時のことだが」


「じゅ……?!」


 それは多分、以前陛下が王子の身分を隠してこの家に来たときの話なのだろうというのはすぐにわかった。


「陛下、それは……」


 まさかとは思ったけれど、その時から何かあったのだろうか。


「いや、何もない。ただ、良くしてもらっただけだ。それで」


「それで」


 どう考えても、陛下はそこで話を終えようとしていた。けれど、こんな面白い話を終えるのはもったいない。

 陛下はまたやや居心地の悪そうな顔をして、けれどその話をそこで強制終了はしなかった。


「……時が来たら婚約者にと思っていた。ただ、その前にベリス家に嫁いだから、それは立ち消えた」


 その告白に、私は衝撃を受けた。シエナはそもそも王妃候補として挙げられていたというのか。それは知らなかった。


「え、それじゃ、その時からずっと?」


 陛下の顔は、なお渋くなる。

 その顔に、思わず私は笑っていた。


「ははは……!」


 そしてその声に、陛下はやや驚いたような顔で私を見た。


「いや、……申し訳ありません、陛下。……大切にされているのだなとわかって、安心いたしました」


 私は、姿勢を正した。

 口が裂けても、私は良い父親とは言えなかったはずだ。だからたぶん、最後にシエナにしてやれることは、こうして頭を下げることだ。


「どうか。どうかうちの娘を、よろしくお願いします」


 それはおそらく、国王陛下に対してはやや不敬な物言いだったに違いない。けれど、陛下は今ここに、陛下として来ているわけではないのだと感じた。


「あなたなら、任せられます」


 陛下とは、呼ばなかった。あなた、と呼んだ。

 そうすれば、陛下はその整った顔で笑ったのだ。


「ありがとうございます、義父上(ちちうえ)


 そう言って陛下も頭を下げた。陛下のこんな姿を見たことがある人はいないのではないかと思ったけれど、いや、これは陛下としてではないしなと私は苦笑いした。


「……あなたと父上は似ているのに、似ていなくて衝撃を受けたことを覚えていて」


 少し低くなった陛下の声にふと目線を上げれば、陛下はなんとも言えない表情をしていた。

 陛下の言う父上とは、当たり前だけれど先王のことだろう。


「武力に秀で、力があって人が集まる。父上もあなたも、そういうタイプだ」


 先王とも特に頻繁に交流があったわけではないが、確かに現陛下とはかなりタイプが違うのは事実だった。陛下は力を以て強引にまとめるやり方はできないタイプだし、それを良しとしていないようにも見える。


「だが、あなたは決めつけないし、自らと違うものを排除することもしない」


 陛下の視線がまっすぐ私に向けられていた。その視線に、ハッとする。

 武力ではなくても、それは力をもつ人の目だった。


「父上は、武力に長けていない私を否定した。けれど、あの時のあなたは、何も持たない私でも受け入れてくれた」


 あの時というのが、若かりし王子であった頃の陛下の訪問だということにはすぐにピンと来た。


「……何か、特別なことをした記憶もないのですがね」


 思い返してみても、本当に特別なことはしなかった。ただ家に招き入れて、合間に話を聞いて、一泊過ごさせただけだ。

 私がそう言えば、陛下は頷いた。


「だからこそ、あなたはそういう人なのだと――トラッドソンにはそういう別け隔てのない文化が根付いているのだと感じられた」


 陛下は、ふと空気を緩めた。先程のシエナへの想いの詰まった笑顔とはまた違う、気持ちの滲むような表情だった。


「あなたには、感謝しています」


 陛下の口からこぼれたその言葉に、どうしてか、私は泣きそうになった。


「……あなたがいなければ。ここでのあの経験がなければ、間違いなく、今の私はいない」


 その声に、これほどまでに真っ直ぐな人がいるだろうかと思った。

 強かで、計算高い。そういうイメージがあるし、おそらくそういう人でもあるのだ。けれど、この言葉に嘘はないのだろうと、心から感じるものがあった。


 そして、そうかと気づく。

 私は、口が裂けても良い父親であったとは言えない。

 けれど、それを、救われたような気持ちになったのかもしれなかった。


「……もったいなき、お言葉です」


 なんと返したら良いのか、その真っ直ぐさに泣きそうな自分への気恥ずかしさもあって、私は(こうべ)を垂れた。

 この人になら着いていきたいと、本当に自然に思ってしまったことに自分でも驚いていた。そんなことを、今まで思ったことはなかったが。


「シエナは、幸せ者だな」


 心からそう思えて、私は笑った。


 色々な苦しみを抱えてきたであろうあの子に、私は何もできなかったけれど。

 この人と一緒に、たくさん幸せになって欲しいと心から思ったのだった。




 本編を改稿したら、またちらほらと書きたいエピソードが出てきてしまいました。

 また、時折更新するかもしれません。その際はぜひよろしくお願いします。

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