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後日談:「私のことも忘れずにいてくれるかい」

「タタレドとの関係修復案を検討する会議、ですか」


「そう、攻め込まれずに済んだけど溝は深まった。地続きの隣国だから放っておけばまた(いさか)いが起きることは想像に難くない。友好関係をとまでは行かなくても、多少はね」



 陛下との婚姻から2か月ほどが経ち、王妃としての生活にも少しずつ慣れてきていた。お腹の中の子も順調に育っていると言われていて、お腹もはっきりと大きくなっている。内側から押し上げられた時にはそこに触れられるようにもなったりしていて、そこにいるのだと、存在をはっきりと感じることが増えた。その度に愛おしさが湧く。


 陛下とわたしは一日の終わりに寝室で色々な話をすることが日課となっていた。陛下の帰りが遅いと先に寝てしまうこともあるけれど、ヴァルバレーはとりあえずの平穏を保っているため、それもそこまで頻繁にということではない。

 そして陛下がやたらと同じ寝台で寝たがるため、せっかくわたしにと用意してくださっていた部屋があるのに、そちらは早々に使われなくなっていた。わたしがいると多少は眠りが深くなるらしいので陛下の平穏に役立つならとも思うし、正直に言えば寝ている間でも一緒にいたいのはわたしも同じだった。



 今日陛下がしているのは、昼間に行われた会議についての話だった。お互いにベッドの背もたれにもたれかかりながら視線を合わせる。冷えないようにと陛下が腰までかけてくださった布団が温かかった。


 確かに、タタレドをそのままにしておくわけにはいかないだろうということは、わたしも気になっていた。そしてわたしには知らされていなかったけれど、今までずっと王城ではその検討がされていたのだろう。



「まあ、それ自体は良いんだけどね」


 やや政治的な話をしていても、私的な空間にいてゆるんでいたように見えた陛下の表情が一瞬で苦々しいものに変化したことに気づいて、わたしは首を傾げた。何かがあったようだということは分かる。続きがありそうなので待つと、陛下は少し間をとった。



「……べリス家当主と、初めてまともに話したよ」


 ああ、それでその顔だったのか。

 わたしは納得しながら「そうでしたか」と頷いた。これまでも何度か、陛下がべリス家当主へ嫉妬のようなものを抱いていることを薄々ながらも感じる機会があった。多分、仕事のことというよりもわたしに関しての話なのだろう。



 べリス家当主は約1か月ほど前に王城で役人として働くために中央へと移って来ていた。表面上はタタレドとの外交を円滑にするためにと情報提供の役割を担っている。おそらくは年単位で、今後しばらくの間は王城で色々なことを身につけるような算段となっていることは聞かされていた。そして、その()()()()とわたしが出来る限り会わないようにと陛下が色々と苦心していることも。


 そんな苦心にも関わらず、わたしはべリス家当主と一度だけ王城内の廊下でばったりと遭遇したことがあった。その際には王妃という立場を弁えてか向こうから軽々しく声をかけてくることはなかったけれど、一応挨拶はしておいた方が良いのだろうか、とわたしから声をかけたのだった。


 タタレドの件での挨拶をすれば、べリス家当主はその返答もそこそこに、ちらりとわたしの大きくなったお腹を見た。そしてすぐに、「あの時にはもう、妊娠してたのか?」と変わらない口調で尋ねてきた。「まあ、そうですね」とわたし氏自身は特にその口調も気にならず頷けば、当主は今まで見たことのないような驚いた顔をしていた。


「正直、お前の……いや、王妃様の。……懐妊を、今この目で見るまで信じていなかった。というより、本当に王妃になったのかもしれないというのも、今、会って初めて実感しているんだが」


 確かに、一番驚いたのはもしかするとべリス家当主なのではないかとは思っていた。陛下との婚姻についてもわたしの妊娠自体についても、そしてその時期についても、驚かないわけがないだろうと思う。


「妊娠してたのに、べリス家にまた嫁いでも良いみたいなことを言ってたのか……女は信じられんな……」


 「ちょっと期待した自分が馬鹿みたいだ」と小声が更に聞こえて、べリス家当主はなんとも言えない苦い表情を浮かべてから、「王妃様、今後ともよろしくお願いいたします」とやや丁寧にわたしに礼をとったのだった。

 当主は既にマルタとは離縁が成立したようで、独身の身になっていたようだった。そして彼からすればマルタにもわたしにも裏切られたような気持ちなのだろう。わたしも苦笑しながら、長話する相手でもないなとすぐにその場を立ち去ったのだった。


 そして陛下はといえば、その報告を今日のように寝室でわたしから聞くと、久しぶりに見る人間味のない顔をしたのだった。けれどわたしからぎゅっと抱きしめれば、怒っているような、嫉妬しているような、その感情はわたしにぶつけられることなく、陛下の中で処理されたようだった。

 今日は人間らしい表情を浮かべている陛下の様子から、嫉妬もある程度腹の中で収めているのだろうということは伝わってきている。



「……思っていたよりも仕事はできそうだ。今までタタレド的な価値観が強かったのと、学ぶ相手がいなかったんだろうね。はじめの頃のオグウェルトからの報告では違和感もあったけど、この1か月でわりとまともに話せる相手になっていた」


「それは今後、使える人材が増えそうという?」


 陛下の口ぶりは嫌そうだったけれど、陛下がそう褒めるならばおそらく間違いはないのだろうと思う。べリス家当主としては弱みも握られているし、動かしやすい人材になるだろう。それなら良かったのではとも思ったけれど、陛下の表情はそうは言っていなかった。


「使える人材になってしまったら、余計滞在が延びるだろうから……」


 陛下はちらりと私を見て、眉を下げていた。陛下のわたしへの執着心に、初めは驚くことが多かったけれど今はかなり慣れてきていた。それがわたしへの攻撃につながることはないし、陛下自身が制御できるものになっているようだった。そして実害がないので、嫉妬する陛下はちょっと可愛いなとも思う。



「クロード様、何かご心配が?」


 わたしが少し笑いそうになりながらそう言うと、陛下は「……君へのじゃないよ」とため息をついた。今は聞けば、こうして心の内を言葉で伝えてくれるのだ。


「君が私を大切に想ってくれているのは知っているし、そこは全く心配していない。けど、……どうしても、ここから先また会ってしまうことだってあるだろうなと思うと」


 陛下は「ああ」と声にならない声を伴ったため息をまたついて、今度はずるずると背もたれからずり落ちる。それから、片手が目を覆った。そして少しの間見ていても、陛下はピクリとも動かなかった。

 わたしはお腹を支えながら、ゆっくり陛下の方へと近づいた。そして陛下の手を取れば、陛下はすぐにそれを握り返してくれる。


「それは嫉妬、ですね?」


「……言葉にすればそうなるかな」


「わたしはどうすればよろしいですか?」


「……過去の君をどうしようもできないのは、分かっているんだ」


 顔を隠したままの陛下がわたしの手を少し引いたので、わたしはさらに陛下の近くへと寄った。すると陛下はようやくわたしと目を合わせて、枕をポンポンと叩く。わたしはそこに頭をのせて横向きに寝転んだ。お腹が重くて、もうずっと仰向けで寝ていない。


 わたしが寝転んだのを見ると、陛下もわたしの目の前でわたしと向き合う形で寝転がった。それから布団をひっぱりあげて、わたしの身体にそっとかけてくれる。その温かさに息をつけば、陛下はその布団の中に一緒に入ってわたしへと手を伸ばした。そして、優しい手がわたしを抱き込んで、まずはわたしの背中に触れた。優しく、けれど重みのある撫で方だった。

 背中、肩、腕、腰。色々な場所の輪郭をなぞるようなその手は、わたしがここにいることを確かめているようだった。わたしも片手を陛下の背中に回して、その背中をさする。



「ここにいます、これからずっと」


「……ありがとう」


「……わたしが大切にしたいと思うのは、クロード様です」


「……そうかい」


 何を言っても過去は変えられないので仕方ないけれど、本心、べリス家当主のことを好きだなんて一度も思えたことはなかったし、多分陛下はそれも分かっているのだと思う。けれど、気持ちは収まらないのだろう。わたしは背中をさすり続ける。



「……ごめんね、面倒くさい夫で」


 こうして色々な面を見せてくれることを、ドクタードゥノワなんかも察して「陛下、面倒くさいでしょう」とニヤニヤしながら言ってくることがある。たしかに面倒くさくないわけではないけれど、お互いにすべてを曝せる相手なのだと思ってくださっているのだと感じられる機会でもあった。内側にため込まれるより、よっぽど良い。そしてもしわたしがそうしても、陛下はわたしのことも同じように受け止めてくれるのだということも知っている。



「……わたしが大切なんだなと感じられて、ちょっとかわいいです」


 おそらく陛下は嫌がるだろうなと思いながらもそう伝えれば、案の定陛下はまた溜息をついた。顔が近くて、その吐息がわたしの頬をかすめる。少しくすぐったくて身をよじれば、その動きを封じるかのように陛下はわたしの頭を自分の胸へと抱き込んだ。



「……頼れる夫になりたいものだけど。……あとは、頼れる父にね」


 そう言って陛下はそっと、腰からお腹へと手を移した。最近、陛下が触るとお腹の中の子はなぜかよく動くことに気づいた。今も、ぐぐぐ、とお腹の内側から押される感覚がする。


「ほら、反論しています。頼れる父なんて目指さずとも、大好きですって言ってます」


 わたしの言葉を代弁させれば、陛下は「そうかい」とやっと少し笑った。頼れないなんて一度も感じたことがないけれど、別にそういう陛下であって欲しいわけでもない。クロード様らしくいてほしいのが一番である。



「幸せって、怖いことなんだなって分かったんだ」


 ポツリと落とされたその言葉は、言葉の反面、幸せそうな優しげな響きだった。


「君とこうして一緒に過ごしたのは2ヶ月だけなのに、失った時のことを想像すると、前よりも何倍も痛みが強くて」


 わたしの身体をゆるゆると撫でていた陛下は、ギュッと力を込めてわたしを抱きしめる。わたしは陛下の心音と、その声を聞くのに専念することにした。


「けれど、君がこれから長い間をここで過ごすと決めてくれたこともきちんと分かってるよ、頭ではね」


「ただ、」と陛下は言葉を続けようとして、けれどその前にわたしの首筋で一度、ゆっくりと呼吸をした。


「気持ちが追い付かなくなると、分かりやすいもので安心したくなってしまう」


 きっとこうして触れることが、その分かりやすい安心を与えられるものなのだろうと、わたしはなんとなく知っている。わたしも陛下の身体をぎゅっと抱きしめ返す。言葉で安心できなくても、こうして行動することでそれを得られるのならば、わたしはいくらでもそうしたいと思う。



「いつでも何度でも、歓迎します」


「……ありがとう」


 陛下はそう言ってからまた息をゆっくり吐いて、吸った。そんな陛下が愛おしい。伝わって欲しいと思った。陛下のことを、本当に大切に思っていることを。



 ぴったりとくっつくと、わたしも安心した。温かくて、わたしのすべてを受け止めてくれる身体だ。きっと陛下も、同じ気持ちなのだと思う。

 そして、またお腹の中で動いた人がもうひとり。ぐぐぐ、とゆっくり込められたその力には密着していた陛下も気づいたらしかった。

 

 思わず顔を見合わせて、わたしたちは笑った。



「仲間に入れてほしいそうです」


「もちろん、家族だからね」


「陛下に似ていると嬉しいです」


「いや、シエナに似ていて欲しい」


 そんな会話をしていれば、またお腹の中の人は動くのだった。陛下はわたしを抱きしめる力を緩めて、その動いている所に手を当てる。


「……どっちにも似ないという意思表示かもしれません」


 わたしがそう言えば、陛下は「そうかもね」と笑った。


「私たちの望みや意思など気にせず、君は君らしく生まれてきてくれ」


 陛下はそうお腹に視線を向けながら優し気な声で言った。わたしも嬉しくなって、陛下の手に自分の手を重ねる。すると、陛下はわたしへと視線を戻した。お腹の子を大切に思う気持ちもお互いに同じだと感じられる。


「もう少しで会えますね」


「そうだね、楽しみかい」


「はい、とても」


「そう、」


 続きがありそうな雰囲気なのに途切れた言葉を不思議に思えば、陛下の手がお腹からするりと離れて、わたしの頬に添えられる。


「シエナが子育てに一生懸命になるのは目に見えてるし、それは好ましいと思うけど」


 陛下の顔がずいっとわたしの顔の至近距離まで近づけられる。わたしは心臓がぎゅっと縮んだ。平穏な家族の雰囲気から、一気に甘やかな雰囲気に飲み込まれる。



「私のことも忘れないでいてくれるかい」



 それは嫉妬のような、けれど嫉妬よりも穏やかな何かだった。わたしは急いで首を縦に振ると、今度は陛下が少しおもしろそうな悪戯っぽい顔をして笑っていた。


「それはよかった」と陛下は言って、それからそっとわたしにキスをした。本心まじりながらも、わたしの反応を見たくてからかっているのだということは分かったけれど、そんな表情も見せてくれるのだと思うとそれすら嬉しくなった。

 陛下の顔が離れて、目が合う。陛下は満足げな表情でわたしを見ていた。それを見て、わたしもやってやろうと思った。素早くまた顔の距離を戻して私からもキスをする。


 一瞬のそれに陛下はやや驚いた顔をして、それから苦笑した。


「君には一生、勝てそうにないね」


 それは常々わたしが陛下に思っていることだったけれど、今回はわたしの勝ちということにしておこうと思った。わたしが笑えば、陛下はまたわたしをゆるく抱きしめる。


「……今度はきちんと君を愛したいんだけど、しばらくは難しいだろう?……煽らないでくれるかい」


 文脈のないように思えるその言葉を推し量れずにいれば、陛下は少しトーンを落としてから「これでも我慢している。早く抱きたいんだよ、君を」とわたしの耳元で呟いたのだった。

 想定していなかった内容に、わたしは顔が一瞬で赤くなったのを感じた。


 そしてわたしは、ああやはり、陛下には一生敵いそうにない、と改めて心の中で敗北宣言をしたのだった。

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