1 儀式と皇太后妃
番外編②王妃となるために王城に上がった直後のお話。3話完結。
国王陛下の婚約者として王城に上がり、手紙で伝えられていた当初の予定ではそのまましばらくは婚約者として王城にいて、婚姻の準備を進める予定だった。
けれど、王城に着いたその日の夜、陛下の寝室で聞かされたのはすぐに婚姻関係を結びたいという意向だった。「お腹の子がいつ生まれても良いようにしておきたい」と陛下は言ったけれど、現実的にはそれはまだまだ先の話だ。何か理由があるのだろうとは思ったけれど、特にそれに異議があるわけではなかったのでわたしはそれを受け入れた。
婚約発表は行わず、それをとばして婚姻と懐妊について国民に公表するための場が設けられた。とは言っても国王の権力を強めたくない陛下はその儀式をかなり縮小して行うことを決めていて、わたしにもそこまで負担がかからないよう配慮されたものだった。事前に作成する国民への声明文には力を入れたけれど、あとは顔見世のために王城に集まった人々へと短時間だけ手を振ることになった。
王城内での準備は、陛下が根回ししていたこともあって滞りなく進んだ。おそらくその陛下の努力あって、わたしは針の筵にさらされずに済んでいた。
ただ、陛下の周りの信頼のおけるごく一部の臣下以外には懐妊のことは事前に知らせておらず、その国民への顔見世と同時にそれを知ることとなった人たちも多かった。
陛下はそれを縮小したと言っていたけれど、その集まった人の数に、わたしはこの国の大きさを実感した。それと同時に、陛下は慕われているのだということも。
幸い、平民の間では離縁はすごく珍しいことというわけではない。思っていたよりも国民全体からの反発は受けず、わたしはおそらく国民にも受け入れられたのだった。
その直後、王城の敷地の奥の森にあった教会で、わたしたちはひっそりと成婚の儀を執り行った。
元々のこの儀式はかなり厳格なもので多くの参列者を呼んで行うものだったらしいけれど、陛下はそこは省略したようだった。参列したのはお互いの身内と、陛下にごく近しい臣下十名程度のみだった。
わたしは二度目のウェディングドレスを着てどこか落ち着かない気持ちになりながらも、陛下が少しゆるんだ空気をまとって嬉しそうにしていたので、それはそれで良かったのかなと思っていた。
儀式には弟のユーグも来ていて、物珍しさにはしゃいでいるその姿に少し緊張が解けたわたしが笑っていると、陛下が隣で「あんな風に、健やかに育てたいね」とわたしのお腹をそっと触った。わたしとお腹の中の子との未来を描いている陛下に、嬉しいような恥ずかしいような、そんな気持ちでわたしは頷いた。
そしてわたしはその日、陛下のお母様、つまり皇太后様と初めてお会いすることになった。従来であれば皇太后様は王城内で実権を持つ立場だけれど、現皇太后様はそうではなかった。
公にはされていないようだったけれど、皇太后様は王城外で暮らし、政治や王城の内部のこととは既に一切関りをもっていないということを事前に陛下から聞かされていた。詳しい事情は聞けなかったけれど、おそらく陛下と前国王との間に葛藤があったように、皇太后様にもなんらかの事情があるのだろうということは察することができる。
儀式を終えた後、わたしは陛下と共に皇太后様にご挨拶を申し上げることになっていた。居住区画の中の陛下の執務室の隣にある応接間で、わたしは初めて皇太后様とお話をした。
「初めまして、シエナさんね、この度はおめでとう」
部屋に入るとすぐにそう声をかけてくださった皇太后様は、とても美しい人だった。前国王がその美貌を愛したというだけはある。優しげな顔立ちは確かに陛下に似ていて、おっとりとしたその言葉遣いも良い所の出なのだろうとわかる柔和なものだ。
「ありがとうございます。お初にお目にかかります、シエナでございます」
わたしが緊張しながら礼の姿勢をとれば、皇太后様は「あら、そんな風になさらないで」と柔らかい声が聞こえる。たぶん、全体的に陛下は皇太后様に似ているのだろうなと思った。
「妊娠もしているのでしょう、体調はいかがなの?」
他意のなさそうなその声に少し安心しながら、確かにこの人は政治には関われなさそうだなと思った。おそらく、無垢すぎるのだろう。
「今は落ち着いております。このまま順調に行ければと思うのですけれど」
「そう、結婚も急だったし、バタバタしていて大変でしょう」
「いえ、穏やかに過ごさせていただいております」
実際、王城に上がってからのこの準備期間は「環境の変化もあるからまずはそれに慣れて」と陛下に言われて、わたしにしかできないこと以外はほとんど何もさせてもらえていなかった。もう少し落ち着いたら王妃として必要なことを身に着けるための講義が始まる予定にはなっているけれど、何もしないのも落ち着かないのだなと実感していた。
「もう、クロードは結婚しないと思っていたから、本当にびっくりして」
皇太后様はちらりと陛下を見てから、わたしのそばへと数歩寄って、陛下に聞こえないようにという風に、わたしの耳元で小さな声で続けた。
「でももう妊娠6か月くらいなのでしょう、婚姻前の妊娠だし……クロードが無体を働いたんじゃなくて?」
それは純粋に、わたしが陛下に無理矢理ここまで連れてこられたのではないかと心配しているような声だった。わたしは急いで首を横に振る。
「いえ、そんなことは全く」
「そう?」と変わらず心配そうな顔で小首をかしげてから、皇太后様はまたわたしの耳元で「何か酷いことをされたら、わたくしが力になりますからね、いつでもいらして」と真剣に言った。少し戸惑ったけれど、皇太后様の背景を考えてみれば、きっとそれは皇太后様自身がいろいろな無体を働かれてきたからこその心配なのだろうと思った。だから、気持ち自体はありがたく受け取っておくことにした。
そのコソコソとしたやりとりをそばで見ていた陛下は、おそらくどんなことが話されているか分かっているのだろう。少し苦笑していたけれど、わたしに対しても皇太后様に対しても特に何も言わなかった。
皇太后様はそんなに長い時間は滞在せず、それから陛下と互いの近況を少しだけ話すとすぐに「それじゃあシエナさん、今度はぜひ屋敷にいらしてね」と言って侍女と共に応接間を出て行った。
「可愛らしいお母様ですね」
わたしがそう言って陛下を見上げると、「そうだね、……だからこそ王城には置いておけなかった」と、皇太后様が出て行った扉をしばらく眺めていた。
気にかけていただいているようだし、義理の母に当たる方だ。今後うまく関係を作っていけたらいいなと、わたしはその陛下を見つめながら思った。