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4 裏と表

 陛下が何かを考えている間に、わたしはここまでの話を自分の中でゆっくりと繰り返して咀嚼していた。

 そして、今回のわたしの招聘にはべリス家の情報を得るという裏の目的が存在するのだろうと確信する。閉ざされたコミュニティの情報は滅多なことでは入ってこない。その点に関しては、内部にいたわたしは他の誰よりも適役だと自分でも思えた。


 父上にはある程度べリス家の情報を共有していたつもりだったけれど、べリス家がタタレドからの人や物の流入を完全に統制していることは陛下に伝わっていなかった。それを考えると、きちんと情報を把握するために直接わたしを呼んで情報を得るという手段を選ぶことは合理的に思える。

 わたしに与えられたのは実家との情報のやりとりというより、こちらが主な仕事なのかもしれない。


 そしてしばしの沈黙の後、陛下は口を開いた。真剣な表情になると整ったその顔は、少し人間味がなくなるなと思った。


「南の国境で最近起きているのは、一部のタタレドの者たちによるトラッドソン領民への暴行などの事件だ。そのことを受けてタタレドとの間で設けた会談が1か月前。それに出向いた外交官が襲撃で重傷を受けた事件は記憶に新しいね」


 わたしは「ええ」と相槌を打つ。もともとトラッドソン領の治安はそれほど良くなかったけれど、この一件からトラッドソン領民のタタレド人への嫌悪感情のようなものが一気に高まり、一髪触発の場面が増えていた。近頃は父上自身が現場へと出ることも格段に増えているようだった。


 陛下は変わらない顔で話を続ける。


「だが、おそらくそれは表向きの問題だろう。もっと根深いところまでタタレドは巣食っている」


 この陛下の発言の意味を、わたしはすんなりと飲み込めなかった。ここまでは順調だったはずだ。やや焦ったけれどその顔は隠して、「そうおっしゃいますと?」と話を続けてもらえるように促してみる。すると陛下は特に気にならなかったようですぐに返答してくれる。


「あまり褒められた話じゃないから他言無用だけど。……最近、トラッドソン領民の戸籍を確認させたことがあってね。トラッドソン領の若い女性とタタレド人男性との婚姻が増えているのは知っているかい」


 想定していなかった話が飛び出して内心驚く。正直な話、それは全く知らなかった。タタレド人への敵対感情を皆持っているように思っていたけれど、婚姻を結ぶほどの仲になるような者たちもいるのか。


「タタレドが内側から揺さぶりをかける準備をしているように思えてならないんだ。こんなにいきなり増えるはずがないから、自然には」


 陛下に初めて憂いたような表情が浮かぶ。この人は国のことを心配しているのだと、伝わってくる顔だった。国王陛下が国のことを考えるのは当然であるかもしれないけれど、腹の底の読めないこの陛下に感情的なものが浮かんだことが少し意外だった。


「つまり、領土を武力で乗っ取るための前段階として、トラッドソン領民の(ふところ)に入って、内側からも侵略を進めているということですか」


 慎重に問いかけると、「そういうことだね」とだけ陛下は返す。ゆくゆく武力で攻め入るときに、内側に仲間がいれば攻め込みやすさは格段に上がる。今は優しい顔をしているかもしれないけれど、時が来れば財産や地位など有用なものだけを奪い取り、不必要なその家の人間や歴史は捨てるということか。


「タタレドはおそらく、トラッドソン領を乗っ取ろうとしている。それどころか、この国すべてを狙っているように思える」


 陛下が口にしたことは想定はしていた。していたけれど、あくまで想定上の最悪の事態としてその可能性がある、という程度の認識だった。国王陛下が私的な場でとはいえ、ある程度の確信もなしにこんなことを軽々しく口にするわけがないということはわたしにも分かる。


 それはつまり、戦いが始まれば国境線での小競り合いではすまない可能性が高いということだった。

 トラッドソン領だけならまだしも、積極的に仕掛けてきているということはヴァルバレーの国をも叩きのめせるという自信があるということに他ならない。トラッドソン領を襲撃されたら中央が出てきて戦争になる可能性があるということは、9年前の説得の際に父上からべリス家当主に確実に伝わっているはずだったから尚更だ。



 そして。わたしが心のどこかでずっと思っていたことが、やはりそうだったのではないかと確信度合いが高まってしまって怖くなった。

 わたしは、無意識に手を握りしめていた。



「……わたしの離縁が、原因でしょうか」



 声が、震えそうになる。


 わたしがもっと積極的にべリス家当主と関係をもっていれば。べリス家とトラッドソン家、両方の血が流れる子を設けていれば。そうしたらこうはならなかったのではないか。

 20代に入って元旦那様からの誘いがなくなって、安心してしまった自分がいたのは確かだった。怖くてつらいことをしなくて、良くなったのだと。それこそがわたしのあの家での一番の役目だったのにも関わらず。



 わたしの中に渦巻いたそんな気持ちに反して、けれど陛下はすぐに「いや」と軽い声で答えた。


「おそらく君に子どもが生まれていても、……例えば君を亡き者にしてもこういう計画を立てていたような気がする。べリス家はこの9年間で、タタレドと手を組んでヴァルバレーに対抗するだけの力を蓄えたということだろう。君を嫁がせた時から既に、この計画が進んでいた可能性も十分に考えられる」


 ぞくり、と身体が震えた。

 怖いことを言われていたけれど、おそらくそれは間違いではない。権力を拡大するために、外からもらった嫁一人をどうにかすることなど、べリス家には容易いことだろう。ただ、それならわたしを返さずに殺してしまえばよかったはずだけれど、わたしは何故か離縁されてトラッドソン家へ戻ることができた。


「情報も持っているのに、わたしを生かしたのは何故なのでしょう」


 「ああ」と陛下は当然というような顔をして返答してくれる。


「一応べリス家はわが国で戸籍を持っている者たちだからね。ヴァルバレーの制度では離縁と死別ではその後に妻を娶ったときの扱いが異なるから。死別してしまうと次の妻は死んだ正妻よりも格下になってしまう。離縁すればそこで契約としては終了しているから、新たに契約を結んでも問題がない。そうすると、後妻も正妻扱いになる」


 一夫多妻が認められていないこの国では、確かにそういうことになっていたと思い出す。情報を手放すよりも、後妻への配慮の方が必要という判断だったのかもしれない。



 それからすぐに、「それにしても」と陛下はそれまでとやや声色を変えた。


「君は意外と賢いね。この2年で勉強したのかい」


 想定外だった、というような顔をされてそう言われると、なんだか少し腹立たしかった。しかもわたし自身が気にしていることだったから尚更である。やや苛立ちもあって、わたしの言葉数が増える。


「べリス家に嫁ぐ前は女としてどう振る舞えば良いかばかり考えていましたが、嫁いでから分からないことだらけでそれを後悔いたしましたので。実家に戻ってからある程度は自分でも情勢が分かるようになりたいと、この2年家の手伝いをしてきた次第でございます」


 血筋が最も優先されるこの国では女性当主や女性官僚も存在はしているけれど、それでも男性が生まれればそちらが優先される。嫁ぐ前はそれが当たり前と思っていたけれど、今はそのことに悔しさも感じていた。

 別に当主になりたい訳ではない。でも、その選択肢すらわたしにはなかったのだ。ほとんどのこの国の女性はそうだろう。


「べリス家当主も、君がここまで賢い人とは思っていなかったから離縁で済ませたのかもね。内情を見破られているとは思わなかったんじゃないかな」


 元旦那様は、わたしの前では徹底して政治の話をしなかった。ではわたしがどうやって情報を得ていたのかと言えば、べリス家の中で生活していく内に家の中の動きや外からの客人の動き、元旦那様の雰囲気などから、次第に色々と読み取れるようになっていったのだ。


 そしてタタレドはヴァルバレーよりも男尊女卑の文化が強い国だったから尚更かもしれなかった。戸籍はヴァルバレーにあっても完全にタタレド文化での生活を続けていた元旦那様が「女にわかるはずがない」と思っている可能性は高いような気がした。


 そう考えていると、「それで」と陛下は言葉をさらに重ねる。


「べリス家で、君は()()()()振舞っていたのかい」


 今考えると恥ずかしくてあまり突かれたくない部分をピンポイントで突いてくる陛下に対して、わたしは気持ちが荒れる。その勢いに任せて口から出たのは自虐のような言葉だった。ただ、表情を取り繕うのは忘れない。


「わたしに求められたのはそれだけでしたので。ですが当主にはすぐに飽きられましたので、有り余っていましたが」


 「そうなんだ」と陛下は何故か笑っていた。うまくいかなかった出来事を悔しさと恥ずかしさ混じりで伝えたはずなのに、それをこの人は笑うのかとささくれ立った気持ちになった。けれど、この人は国王陛下であるからと自分をなだめて表には出さないように努める。


 すると陛下はいきなり話題を180度変えて、わたしに爆弾のような言葉を投げつけてきたのだ。



「余ってるならそれ、私にくれないかい」



 先程の憂いた顔はどこへ行ったのかと思うくらい、陛下の顔にはにこりと綺麗な笑顔が浮かんでいた。

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