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48 嘘と本音

「それから、私は1年も経たずに即位することになった。収まらない発作の時、君のストールに触れると落ち着くような気がした。……気持ち悪いと思われるだろうけど」


 陛下はそう言って、バツの悪そうな顔をしていた。手はずっと繋がれていたのに、陛下は隣に座ったわたしのことを見なかった。前を向いたままでゆっくりと話されたその内容に、わたしは心の底から驚いていた。


「まぶたの裏に焼き付いた君に、ずっと安心をもらってきた。……けれどそれはいつしか、焦がれのような気持ちに変わっていった。恐怖だけが湧く発作の時は君の存在は安心につながったけれど……、破壊的な発作の時には、君の全てを飲み込んで、壊してしまいたいような気持ちに囚われるようになった」


 陛下は言いにくそうな顔をしていた。言われた内容に、わたしはただただ驚きが大きい。

 わたしに先ほど浮かんだものは過去に本当にあったことだったのだと知って、けれどまだきちんと理解が追い付かずにいた。自分では覚えていなかったけれど、確かにそういうこともあったはずだとわたしの中にも徐々に記憶が戻ってきていた。


 陛下はわたしの驚きを分かっているような気がしたけれど、それは待たずに話を進めようとした。この話をわたしにしようと思ったのも勢いなのかもしれないと思った。それを何故今話そうと思ったのかは分からなかったけれど、陛下の中にはきっと、今ここで言わなければ、という思いがあったのだろう。


「……君を、私の婚約者にと勝手に思っていた。けれど調べれば君はまだ14歳だったし、私は自分の破壊的なものをどうにかしてからでなければいけないと思っている内に、君はべリス家へ嫁ぐことが決まってしまった」


 婚約者という言葉に、わたしは更に目を見開く。陛下は息を吐いて、吸って、それからやっとわたしを見た。



「あの時の後悔は、一生忘れない」



 その声が揺れていて、わたしは動揺した。

 握られた手に意識を向ければ、今はわたしの手の方が温かくなっていた。反対にいつの間にか陛下の手は冷たくなっていて、わたしは思わず空いていた方の手も陛下のその手に添える。


 すると陛下はわたしをじっと見てから、ふっと口元を緩ませた。


「無理難題をふっかけられたね」


 唐突なその言葉に、わたしは一瞬何のことを指しているのか把握できなかったけれど、べリス家の話題が直前に出ていたことを思い出して、べリス家当主からの要求のことだとすぐに分かった。


 陛下が直々にこちらにいらっしゃるなんて全く思っていなかったけれど、おそらくその要求についてのことを話に来たのだろうと見当がつく。


 

 そしてわたしは一瞬、自分がまたあの家で暮らしていくのだと、陛下に直接伝えることをためらった。



 あの家で役割を果たすことに躊躇はない。不安もない。

 けれど、そうではなくて。

 陛下へのこの想いが叶わないのだということを、陛下の前で噛み締めることになるのはとても痛かった。


 けれど、躊躇していても仕方がないのだ。

 なんでもないという顔を作って、わたしは姿勢を正した。視線は自分の足元へと落として、少しでも忠誠を見せようと思った。


「いえ。……国の役に立てることですので、問題ありません」


 わたしがそう言えば、陛下はすぐにそれを是とする返事をしてくれるだろうと思っていた。

 けれど、そうはならなかった。しばし、静かな風の音だけがわたしたちの周りを囲む。


 おかしい、そう思ってちらりと様子を窺えば、陛下の周りにはいつの間にか強い感情が浮かび上がっていた。なぜ、とわたしは驚く。

 今のわたしの言葉のどこに陛下が引っかかったのかが分からなかった。焦った頭で考えて、もしかして何か言葉が足りなかったのだろうかと思った。それならばもう少し詳しく伝えなければいけないと口を開く。


「……陛下の、お役に立ちたいのです。……ですので今回そのような要求を飲みました」


 それはわたしからすれば、陛下への想いが滲む、告白のような言葉だった。


 伝えなくても良いことを口にしてしまったかもしれないと少し後悔がよぎる。けれど、きっと忠誠を示す臣下ならば言うこともあるだはずだと自分を落ち着かせた。

 しかし、陛下から返ってきたのは再び予想していなかった問いかけだった。



「……シエナ、君は、またべリス家へ行く気なのかい」



 感情の浮かばない声でポツリと落とされたその言葉は、なんと解釈したら良いのか分からないような響きだった。わたしの真意を図ろうとしているのだろうか。無理をさせていないかと窺うようにも聞こえたし、わたしの言葉をどこか疑っているようにも聞こえた。


 わたしは更に戸惑った。

 既にわたしがべリス家当主と交渉してきた内容を、陛下はご存知のはずなのに。どうしてそんなことを聞くのだろうと焦りが深まる。


「……わたくしはそうしたいと思っています。ですから、……これは本望です」


 言葉とは裏腹な自分の想いにも触れて、胸が痛んだ。陛下のために出来ることなど、たかが知れているのだ。わたしはそういう立ち位置にいる。

 けれど、これは嫌々決めたことではないのだと、この役割であれば自分が役に立てると思うのだということを伝えたかった。


 しかし。


 陛下は繋いでいた手に突然力を込めた。痛いくらいの力だった。かと思えば、隣にいた陛下はいつもの静かさとは程遠い動きでわたしの目の前に膝をつく。その膝が土に触れて、お召し物が汚れてしまうなんてことを反射的に思ったけれど、陛下の冷たい両手がわたしの両頬をとらえたためにそんな考えはどこかへ行ってしまった。



「本気で言っているの」



 低い声が胸にやけに響いた。そして、陛下が纏うのは怒気だった。

 わたしは何が陛下の逆鱗に触れたのか分からず、ただ固まった。


「君はまだ、僕を、受け止める気がある?」


 そして出てきたのは、久々に見る陛下の(くら)さだった。制御できていないようには見えなかったけれど、迫力があった。その圧に、身が竦む。


 けれど、わたしが受け止めて良いものであるならば、いくらだって陛下のそれを受け止めたかった。

 ぎこちなくわたしが頷けば、陛下は躊躇なくわたしに深く口付ける。荒々しい、圧倒的な何かが流れ込んでくるようなキスだった。けれど、受け止めはしたものの、それにわたしが応じて良いのかは混乱した頭では分からなくなっていた。


 身動きを取らないようにと気を張りながらされるがままにそれを受け止め続けていれば、陛下は一度顔を離してからわたしの目を見つめた。

 その距離で陛下の目の奥の怒りを感じながら、わたしは辛うじてその視線も受け止める。その目には悲しみのようなものも浮かんでいる気がした。



「……子を設けてもなお、君を縛れないのか」



 固く呟かれたその言葉をわたしが理解する前に、陛下は次の言葉を急ぐ。


「君が私の子を身籠ったと聞いたとき、嬉しかった。純粋に嬉しかったのもあったけれど、それだけじゃないんだ。……これで君を縛り付けられると思った。君はもう、私から逃げられない、やっと君を手に入れられるんだと」


 至近距離でのその滔々(とうとう)とした声に、わたしは瞬きすらできなかった。


「そんな自分には喜ぶ資格すらないと思った。君の気持ちなど関係なく、私はどこまでも自分本位で」


 陛下は一度視線を逸らす。苦しい、とその目が言っていた。


「そんな自分がいると分かっていても、……君を私の元に置いておけることの喜びの方が勝ってしまう」


 そして、そう言ってから、陛下はわたしの頬に触れていた手をそっとどけた。冷たかった陛下の手が離れたのに、わたしの頬はもっと冷たくなったように感じた。



「そうだね。……君は、こんな私からは逃げた方が良いんだ」



 心臓の音が頭で響いているような気がした。陛下の中で何が起きているのか分からずに、戸惑いや不安が強くなっていた。その感情でいっぱいなわたしは陛下の言っていることをきちんとは理解できていなかったけれど、なにか、何かがうまく伝わっていないことは分かった。

 陛下の目には諦めのようなものが浮かんでいた。それを理解して、咄嗟に否定の言葉が口をついた。



「違います」



 けれどそれ以上なんと言えば良いのか、分からない。分からないけれど、わたしの気持ちはざわついた。嫌だ、と思った。


 このままでは、嫌だ。


 陛下が自分自身のことをそんな風に思うなんて、わたしの言葉でそんな風に思わせてしまうなんて、嫌だ。

 わたしは考える余裕もなく、気づけば強く頭を横に振っていた。



「違います、逃げたくありません……!わたしは、陛下のお役に立ちたいのです」



 伝えたいと言葉にするけれど、目の前の陛下にはそれは響かなかった。どうすれば良いのか、何と言えば良いのかと、わたしは必死に言葉を探す。

 そしてもう、陛下に誤解されたままでいるくらいなら、わたしのこの叶わない気持ちをすべて伝えてしまう方が良いと思った。


 陛下のことが嫌なのではない。陛下を慕っているからこそ、わたしはそう決めたのに。

 混乱しながら、焦りながら、わたしはそう思ってしまった。

 この気持ちは、口にしないと決めていたのに。



「全てを白状するのなら、わたしは陛下のお傍にいたい。陛下の唯一として、お傍に。……けれど、……けれど。このままお傍にいられるなんてことありえないから」


 ぎゅっと手に力を入れた。泣いてしまいそうだった。


「だから、お役に立てるならと、べリス家でわたしが役目を果たすことで、陛下の役に立てるならと、」


 必死だった。支離滅裂だったかもしれない。けれど、最近はずっと見ないようにと蓋をしてきたわたしの本音だった。わたしは陛下をお慕いしている。叶うのなら、そのすぐ傍で役に立ちたい。けれど、それは叶わない。

 だから――。


 わたしは泣くのを我慢して、視線を落としてぐっと口を結んだ。

 これ以上何を言えば良いのか分からなかった。そして、口にしてから、こんなことを伝えても陛下を困らせるだけなのにとすぐに後悔が湧いた。


 陛下は口を閉じたままそこにいて、ああもう駄目だ、と思った。


 わたしにはもう風の音さえ聞こえなかった。

 やってしまった、困らせてしまった、口にするべきではなった。自分で強く、自分を責める。


 長くて深い沈黙が落ちた。


 けれど、そんな音の届かない世界にいたわたしに、唯一陛下の声だけは届くのだ。



「……傍にいてくれるだけで良いんだ、シエナ。それだけで良い。……私は、君と共にいたい」



 固くてぎこちない陛下の声に、わたしは驚きながらすがるように視線を上げた。すると、なにか強い感情を宿した目がわたしを見ていた。

 陛下の言葉は本心のように聞こえた。今まで大切にされていると思っていたことは、思い上がりではなかったのかもしれないとも思った。


 けれど。いや、だからこそ。わたしは尚更驚き、戸惑った。陛下の立場ではそんなことを言ってはいけないはずだったから。そんな、不可能なことを。

 言われたことの真意を、わたしは瞬時に図れなかった。


 わたしは圧倒的な戸惑いと焦りと「もう何もわからない」という不安に押しつぶされかけていた。わたしの中の冷静さはどこかへと消えて、内側は感情で埋め尽くされる。



「……君もそうだと?私と同じ気持ちだと?」



 容量を超えたわたしは陛下のその問いかけに、ただただ自分の感情が流れるままに頷くことしかできなかった。

 それから、自分でもどうしてなのかはよく分からなかったけれど、わたしは恐る恐る手を伸ばして、陛下の手に触れた。わたしは陛下に触れたいのだと、伝えたかったのかもしれない。


 そして、触れて初めて、陛下のその手が震えていたことに気づいた。

 わたしの心臓は、一度ドクリと大きく震えた。

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