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45 コートと温室

 それから、二週間ほどが経っていた。


 わたしの体調はと言えば、食べられるものが限定されてきてはいたものの、それさえ避ければつわりはそこまで酷くなっていなかった。

 ドクタードゥノワが言うには、「人にもよるがな、この妊娠8週くらいからがつわりのピークだろう」とのことだったけれど、もしかしたらストレスがないことが良かったのかもしれない。

 食べ物に関してはニカがあれやこれやと試行錯誤してくれていたため、特段わたしはそれに苦労することもなく過ごしていた。


 そんなある日、突然、別邸へと実家から迎えの馬車がやってきた。

 連絡もないままの来訪は初めてでやや驚いたけれど、近い場所だし連絡するよりも迎えを寄越した方が早いこともあるかもしれない。

 とすれば、その内容はおそらく緊急性の高いものだろう。そう思って、わたしには少し緊張が走る。


 迎えに来た本家の侍従からは「中央の方が本家へお見えです。シエナ様にお会いしたいとおっしゃっていて」と言われ、わたしは急いで本家へと向かった。来訪者はおそらくウームウェル補佐官だろうとは見当がついてはいたけれど、久々に仕事のことを考えると緊張感は高まる。

 ニカが傍らで無駄なく支度をしてくれたため、出発にはそれほど時間を要さなかった。


 ニカにはついて来てもらうことにして、ドクタードゥノワは本家の人間に見られるわけにはいかないので、毎度の事ながら別邸で留守を守ってもらうことにした。部屋の中からひらひらと手を振って見送るドクターを残して、わたしとニカは実家への馬車に乗り込んだ。ニカが用意してくれたコートは、厚手で暖かかった。


 本家へ帰るのは久しぶりだった。妊娠を隠す必要があったし、もとよりそれほど両親がわたしに執着がないこともあって、本家の近くにはいたものの実はこれが王城へ上がってから初めての帰省だった。とは言ってもあれからまだ3か月ほどしか経っていない。この期間が濃密すぎたのだと思いながら、わたしは本家の門をくぐった。


 侍従に案内されて直接応接室へと向かったけれど、そこにはなぜか父上の姿しか見当たらなかった。


「父上、ただいま参りました」


「おうシエナ、べリス家のとうまくやったんだって?」


 大きい口でニッと笑って、「よくやった」と父上は言った。わたしが「ありがとうございます」とお礼を言うと、いつもなら我が道を行く父上が「それで」と珍しく話を急いだ。


「ウームウェル公爵から、シエナが到着したら庭に来るように伝えて欲しいと言われている」


 その言葉の意味自体は理解できたけれど、その意図は全くわからず面食らった。おそらくわたしの表にはそれが漏れていたのだろう、父上は「俺もよく分からん、外で話したいことがあると言っていた」と付け足す。


 どうやら中央からの役人というのは予想通りやはりウームウェル補佐官だったようだ。

 そしてすぐに、おそらく妊娠のことも含めての話をしたいのだろうと思い至った。自分が管轄できない室内ではどこにどんな目があるか分からない。それは外にも同様に言えることだけれど、開けた場所なら室内よりは監視しやすくなるだろう。


 わたしはそんな風に納得して、「わかりました、行って参ります」と父上に言ってからすぐに部屋を出て庭へと向かった。



 本家の庭は広い。通路に面している所はきれいに手入れされ、いつもなら季節の花が咲いている。今は丁度移り変わりの時なのかもしれない。花壇と生垣は整えられていたけれど、咲いている花は目立たなかった。


 そして表から屋敷の裏へと回り込んだやや奥まった場所には、芝生が広がる(ひら)けている空間が作られている。やんちゃ盛りの弟がよくそこで侍従とちゃんばらをして遊んでいるのを、出戻ってからはよく見かけていた。


 そしてそれよりももっと奥へと進むと、母上が昔から大切にしている温室がある。そこでは、母上が好むハーブの類が少ないながらも手をかけて育てられている。母上は弟を産んでから身体を壊していた時期が長く、今は滅多に外に出ることはないけれど、今もきちんと庭師がそこも手入れをしているはずだ。


 内密な話をするというのなら表から目に付く場所ではなく、おそらく奥まった場所だろう。そう見当をつけながら、わたしは庭へと向かった。


 先ほど入ったばかりの玄関をひとりで出ると、外はざっと冷たい風が吹いていた。ここ最近は別邸の中でこもって過ごすことも多かったため、その風を受けるのも新鮮な心地がした。暖かいコートのおかげで、風の冷たさを楽しめる程度の寒さだった。


 そしてまずは玄関の目の前の通路を挟んで広がるを庭を見渡したところ、手入れが行き届いているこの辺りにはやはり誰もいないようだった。

 それを確認してすぐ、わたしは躊躇なく屋敷の横に続く小道を奥へと進む。


 小道の横に並んで植えられた金木犀に、もう少し早い時期だったら良い香りがしたのになと少し残念な気持ちになった。けれど直後、今その香りがしたらきっと一発で戻しそうになるなと思って、時期がずれていてよかったと思い直した。


 開けた裏庭にたどり着いて、わたしは首を傾げた。見回しても、ウームウェル補佐官らしき人はいなかったからだ。開けた場所の方が危機管理はしやすいだろうと思ったのでこの場所だろうと踏んでいたけれど、どうやらわたしの予測は外れたようだった。人が隠れようにも、隠れられそうなその場所はここにはほとんどない。


 となれば、もっと奥だろうか。

 そう思って、わたしは温室へ続く道へと少し心許ない気持ちになりながら足を踏み入れた。


 温室はくねくねと曲がった道の先に作られていた。温室が作られる際に、母上がそういう風に作って欲しいと望んだのだと聞いたことがある。温室の中が見えないように、その曲がりくねった小道の周りにはたくさんの木が植えられていて、遠くはないのに遠くまで行くような感覚がいつもしていた。今日も、わたしはそんな気持ちになっていた。

 おそらくそこは気の休まらない母上の、唯一の癒しの空間だったのだろうと思う。


 そして、曲がりくねった道がすぐに終盤にさしかかって温室が目に入った時、わたしはその軒下に影を見つけた。人だとは思ったけれど、ウームウェル補佐官だとは思わなかった。

 その人はうずくまるような姿勢でそこにいて、顔は見えなかった。誰かは分からなかったけれど、わざわざここまで来たのなら家の者だろう。具合が悪くなったのだろうかと心配になって、わたしはその影に思わず駆け寄ろうとした。


 けれど同時に、どこかからわたしの記憶がよみがえったような錯覚に陥った。デジャブだ、と思った。……いや、現実にあったことだろうか。


 あれは、たしか、わたしが14歳頃の――。


 一瞬で目の裏にその光景が戻り、ハッとした。同じような光景を、わたしは確かに見たことがあった。

 雨がしとしと降っていて、まだ明るくなりきらない朝方の光景が浮かぶ。


 どうしてか、わたしの心拍数は上がっていた。何か重要なことを、見落としたような気持ちになっていた。


 駆け寄ろうと一歩踏み出していた足は、もうそんなに速くは動かなかった。けれど進まなければいけないと、わたしの中の何かが言う。そろりと足を踏み出せば、先ほどまでは全く意識すらしていなかった自分の足音が枯葉を踏んでざくりと音を立てた。


 そこにうずくまる影は、その音に反応してゆっくりと顔を上げた。


 すると、そこにいたのはまぎれもなく、わたしが一番焦がれている()の人だった。

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