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39 行く末と覚悟

 馬車での移動は少し身体に負担がかかっていたように思う。けれど心配していた馬車酔いやつわりはそこまで酷くならず、都度休憩を入れながら1日がかりでトラッドソン領へとたどり着いた。

 ニカの用意してくれたあのハンカチや、ドクタードゥノワの適度な休憩の指示が功を奏したのではないかと思う。


 任務を果たすことへの緊張感はあったけれど、陛下とお会いして少し落ち着いたような感覚があった。

 しかし出立してすぐの馬車の中、わたしは任務のことではなく陛下の行動のことで悩まされていた。


 信頼はされていると思う。こうして任務を任せていただいて、「心配はしていない」と言ってくれる。

 けれど、どうしてあんなことをわたしにしたのかは分からない。


 無意識に口元に手をやれば、陛下の熱さがよみがえるような錯覚に陥った。

 先日陛下はわたしを元旦那様のところへ行かせたくないと言った。そして、今日の陛下の行動も間違いなく陛下自身が意図したことだった。

 これは果たして、ただの臣下への信頼なのだろうか。



 もしかしたら、陛下は――。



 あらぬ期待のようなものが湧き上がって、陛下がわたしと同じような気持ちでいてくださっているのではないか、と勝手に想像しそうになった。

 そしてそんなことがあるはずがない、と、この間までなら打ち消せたのに、今のわたしはすぐにそれを打ち消すことが出来なくなっていた。


 わたしの中に残ったのは、思いあがったような気持ちと、けれどそれではいけないのだと自分をなんとか(たしな)めようとする理性だった。


 けれど。


 けれどもしそうだったとして、と考えた時、わたしの浮ついたその気持ちは急速に小さくなっていった。

 もし陛下がわたしを想っていてくださるとして。その先には一体、何があるだろうか。


 ……その先には、おそらく何もない。


 身分だけを見れば、わたしは辺境伯令嬢である。強大な力をもつ家ではないけれどある程度認められている家であるはずだし、同じような身分で王族と婚姻を結んでいる前例はあるだろう。


 けれど、わたしはバツイチなのだ。そして平民の間ではともかく、貴族間での離縁はものすごく珍しいことだ。離縁した後の貰い手は当然ないし、まして王族と……なんて想定することすらあり得ない。それが認められるはずもない。


 そもそも貴族の身分での恋愛など、元よりそれは将来があるものではないではないか。政略結婚が未だに普通の貴族では、きっと皆そうなのだ。



 やめよう、とわたしは小さく頭を振った。



 わたしが彼の人を慕ってしまう想いは仕方がない。今すぐにそれをなくすことはできないのだから。

 けれど期待してはいけないものだ。その先には、何もないのだから。ただただ傷つくだけだ。その上もしかしたら何かの弾みで陛下にご迷惑をかけることにもなってしまうかもしれない。


 やめよう。今ならまだ、きっと大丈夫。


 ただ、あの熱さに感じた、陛下のためにわたしのすべてを――一生をかけたいという思いだけを持ち続けて生きていければ良いではないか。

 そのためにまずはこのお腹に宿したものを大切に育てることと、目の前の任務に集中するべきだ。

 気持ちよりも理性が勝って、わたしは前を向いた。

 

 けれどその冷静さの中でも、陛下のあの熱さは、生涯忘れずにいたいと思った。



*****



 別邸に到着した翌日は、父上とマーガー副室長との打ち合わせを設定していた。実家で行うか別邸で行うかと考えたけれど、父上からの「人の出入りの少ない別邸の方が良い」という希望で、別邸での開催となっていた。

 別邸に備えられている広めの応接室に、二人を迎える準備をニカにしてもらっていた。ドクタードゥノワには、別の部屋で姿を見せないように待機していてもらうことになっている。


 時間の少し前に、先に現れたのはマーガー副室長だった。


「シエナさん、移動で疲れているわよね」


 久しぶりに顔を合わせたマーガー副室長は、王城にいた時と同じように気兼ねなくわたしに声をかけてくれた。

 体調を気遣われるようなその言葉にドキリとしたけれど、わたしはなんともないという表情で「それほどでは、最近は情報収集室の皆様のおかげで仕事も少なかったですし」と返した。


「そう、こちらもそろそろ調査は終わりね。トラッドソン辺境伯にはほとんど全ての情報を伝えてあるから、いらっしゃる前にあなたにお伝えしておいた方がスムーズかしら。戦略会議で、もう聞いているかもしれないけれど」


 そう首を傾げたマーガー副室長に、わたしは「お願いします」と頷いた。頷き返してくれたマーガー副室長は簡潔に、けれど余すところなく情報をわたしに伝えてくれて、やはり頭の良い人だと尊敬の念を抱いた。

 任務に関する部分については戦略会議で聞いた内容で、あとは最近のトラッドソン領民の様子についてのことだった。聞きながら齟齬はないようだなと再確認をする。


 そして共有が終わるくらいのタイミングで、応接室の扉がノックされることもなく唐突に開かれた。


「シエナ、久しいな」


 その太くて快活な声の主は、間違いなくわたしの父上だった。マーガー副室長もいらしているのにと、相変わらずな父上にまずため息が出た。


「父上、ご無沙汰しております。お元気そうで何よりです」


「ああ、見た通りな。ただてんやわんやで落ち着かないが……この間ジルベルクとも会ったが、お前も中央でよくやっているそうじゃないか」


 そう言いつつ、父上は笑顔を崩さない。悪く言えばがさつで大雑把だけれど、自信家で明るく、人好きのする人間である。そして身内から見ても整った顔立ちをしている。この顔と性格のせいで、父上には愛人が絶えたことがない。


 そしてグランデ将軍はどうやらわたしのことを褒めてくださっていたようだと父上の話から理解する。父上はそもそもそこまでわたしに興味がない。こうしてわたしのことを褒めるような言葉も、ほとんど今まで言われたことはなかったため少し驚いた。


「いえ、力不足で。今回の件も本当にわたくしで良いのかと思いましたが」


 マーガー副室長はもうこちらに来てしばらく経っているためか、父上のその態度を特に気にする様子もない。静かに父上とわたしの会話を聞いているようだった。


「それは私も思ったがなあ、マーガーさんとジルベルクが大丈夫だろうと言うから、それならと」


 父上はそこでやっとマーガー副室長を見て「お待たせしましたね」と笑ってみせた。

 3人ともきちんと席について、そこからは今後についての確認の時間が持たれた。途中でニカが時期外れの冷たいお茶を持ってきてくれたけれど、父上もマーガー副室長も気に留めなかったようでホッとした。


 父上がべリス家へ申し入れていた調査の日程については、きちんと情報収集室宛に返答があったようだった。

 正式に調査を受け入れるという返答とともに、調査の日時は「明後日」と限定されていることがマーガー副室長から知らされた。そしてその調査当日は、責任者という名目でマーガー副室長が一緒に行くことになったということも。


 べリス家の受け入れに関しては、思ったよりも動きが早いという印象だった。もう少し別邸で返答や約束の日を待つことになるのではないかと考えていたわたしは内心驚いた。べリス家当主なら、断れないこの調査の裏に何かがあるのではないかと疑ってもおかしくない。であれば、少しは準備期間として時間をとるだろうと思っていた。


 父上も同様に意外だったようでそれが表情に出ていた。この人は裏表がなさすぎて、そこが甘さになることが多いのだと人ごとのように思った。


 その後は実際にどういう流れで進めるかという最終確認のような作業だった。

 王城でウームウェル補佐官とした検討の内容をわたしが二人に伝えると、二人は頷きながらそれを聞いて、最後には二人からの了承も得られた。


 元旦那様ならば、わたしのことを見くびっているはずだ。そもそも女が役人として自分の家を訪ねてくるとは思っていないだろう。しかも、それが前妻であろうとは。


 わたしはそれを最大限に揺さぶりに使うつもりだった。元旦那様は細かいことは気にしないだろうし、小手先の作戦はおそらく通じない。

 真正面から、わたしとしてぶつかるのが一番効果があるような気がしていた。


 それを伝えると、マーガー副室長は「その辺りはすべて、あなたに任せるわ」と頷いてくれた。体裁上、初めはマーガー室長が聞き取り調査をしつつ様子を窺い、状況を見てわたしが切り込むことになった。


 もう二日後に迫るその日に、作戦を具体的にしたことで実感がわいてきていた。

 詳細を話し終えたところで父上はすぐに「終わりだな、じゃあ私はこれで」と別邸を出た。その後マーガー副室長とは少し他愛のないことも話してから、打ち合わせはお開きとなった。


 玄関でマーガー副室長を見送り終えてから、わたしはぎゅっと手を握りしめた。

 わたしが元旦那様に会いに行くのではない。トラッドソン領調整役がべリス家当主に話し合いを申し込みに行くのだ。


 そう心の中で覚悟を決めるとじわりと緊張も高まったけれど、もうわたしの心は揺らがなかった。

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