3 身内と統制
王城へ着くと、昨日と同じ流れで部屋へと案内された。王家の方々の居住空間へと繋がる扉の傍に控えている門番に声をかけると、しばらくして侍従がわたしを迎えにやってきた。対応してくれたのは昨日も案内してくれた人と同じだった。
奥まで進むと、昨日と同じ部屋の前で侍従は立ち止まった。昨日と違ったのは、今日はその侍従が扉を開けなかったことだ。代わりに、わたしは声をかけられる。
「陛下はお部屋の中にいらっしゃいますので、このままお入りください」
昨日よりもまだ早い時間だった。てっきり昨日のように、陛下が来るまで待機するのだと思っていたわたしは面食らう。
「中に?」
わたしが繰り返すと「はい、私はここで失礼いたします」と、侍従は中を確認することすらせずに踵を返した。ぽつんと取り残されたわたしは少しの間どうするべきかと考えたけれど、考えたって仕方がない。入るしかないのだ。それに気づいて、「最初に何を言うか」を考えることに切り替える。
数分、扉の前で気持ちの整理をしてから、わたしは覚悟を決めて扉を3度ノックすることにした。
「……陛下、トラッドソン家伝令役にございます」
中から「少し待って」と声が聞こえて、コツコツと足音が聞こえた。それは少しずつ大きく聞こえてきて、最後にはガチャリと鍵が外されたような音がした。その後すぐに、扉が少し開かれる。陛下の端正な顔の半分ほどがその隙間から見える。
「入って」
短くそう命じられ、「はい」と従う。中に入ると、部屋の中が昨日より明るい気がした。昨日は間接照明のぼんやりとした明かりしか灯っていなかったはずと不思議に思って部屋を見渡すと、寝台から離れた場所にあるローテーブルとそれを挟んだ2つのソファがスタンドライトの明かりで照らされていた。
暖かくはっきりとした光だった。それになぜか少し安心する。
「ウームウェル補佐官より、伝言を伺いこちらへ参りました」
わたしがそう礼をしながら言うと、「うん、その挨拶はやめて欲しいんだけどね」と陛下は言ってわたしの肩を押し上げて礼をやめさせる。昨日もそんなことを言われたのを思い出す。
「しかし、立場というものがありますので」
初めからきちんとわきまえていたつもりだが、今日の王城内での挨拶で尚更思い知ったのは王城内でのわたしの立場である。力のない小娘が何をしに来たのだと、多くの目が言っていた。
「この部屋の外ではそうしてくれ」
言外に部屋の中ではそうしてくれるなと伝えられたけれど、納得はいかない。昨日のことも、こうしてまた呼び出されたことも、納得のいかないことばかりである。
その不満が顔に現れていたのか、陛下は困ったような笑みを浮かべる。いや、表情を隠すのは9年間でかなり上手くなった自負があるので、ただ返事をしないわたしに対しての苦笑なのかもしれなかったけれど。
「……命令だと言えば、従うのかい」
次に聞こえてきたその声は、どこか寂しげなニュアンスを含んでいた。
「……陛下に忠誠をお誓いしている以上、命令には背けませんが」
気持ちの問題ではない、臣下として当然の答えだった。それに、気持ちを明かせるほどの関係が陛下との間にあるわけがなかった。そもそもが陛下と臣下の立場で、しかもお会いしてたったの2日である。更に有り得ないことに、昨日はほとんど話すこともせずにただただ同じ寝台で眠っただけだ。
「良い臣下だね」と自嘲気味に陛下は笑った。父上が聞いたらこれ以上ない誉め言葉だと喜ぶだろう。けれど、どう聞いてもそれは完全な皮肉である。それでも「光栄です」と返せば、陛下の眉はさらに下がった。
けれど、良い臣下であること以外に、わたしに何を求めるというのか。
「今日は少し話がしたいと思っていたんだ、良いかい」
陛下は暖かい明かりのそばのソファを見る。座れということだろう。そこには長椅子のソファと、1人がけのソファがあった。
昨日のようなことになるより断然良いと思った。わたしの身分では陛下と直接話せる機会は本来滅多にないことだし、お話できるならそれ自体はありがたいとも思った。
わたしはそれには頷き、素直にソファへと移動した。陛下を待っていると、「気にしないで欲しいんだけど」と尚も食い下がってきたけれど、陛下が長椅子に座ってからわたしも陛下と向かい合う形で一人掛けのソファに座った。ソファは布張りで柔らかい。あまり堅い話をするのには向いてない仕様だなと思った。いや、そもそも陛下と同じ目線で座るなど、父上ならともかくわたしには分不相応である。
「君はトラッドソン領に戻ってしばらく家の仕事を手伝っていると聞いていたが、本当かい」
陛下はローテーブルの横に置かれたワゴンの水差しを手に取り、グラスに水を注ぎながら話を始めた。「はい」とわたしが答えると、陛下も頷く。
「その前は長らくべリスの家にいたそうだね」
話すことと言えば、現在のトラッドソン領や南の隣国についての話だろうという見当はついていたのでためらわずに返答する。
「9年ほど、嫁いでべリス家に入っていました」
「離縁したと聞いたが、その話は聞いても?」と陛下はわたしにも水を注いだグラスを差し出しながら窺う顔だった。個人的なことも含まれるし聞いても良いかとの確認なのだろう。国王陛下なのだから、もっとずけずけと聞いてくれて良いのにと思った。
「ええ、政略結婚でしたし、特に聞かれて都合の悪いことはございません」
そうはっきりきっぱり言ったのに、「都合の悪いことはなくても、嫌なことはあるだろう」と陛下は重ねて言う。臣下のことなどそこまで慮らなくていいのにと少し苛立ちにも似た気持ちになって「いえ、ございません」とさらにはっきり言葉にする。
嫌な経験はたくさんしたけれど、必要な情報ならばすべて話すつもりだった。
「べリス家には思い入れもございませんので。トラッドソン領やこの国を守るためにと父上が考えた通り、わたくしはわたくしの役目を果たしてきただけです。ただ跡取りを設けられず、途中でお役御免となりましたが」
話題にしづらいのはこのあたりだろうと、わたしから先に話題を提供する。陛下は表情を変えない。
見た目だけで判断するのなら、陛下は情に弱そうにも見えると思った。けれど、おそらくこの人はそういうタイプではないだろう。それを聞いて「かわいそう」などと思うなら、国王陛下など務まらないはずだ。
「べリス当主の後妻のことは知っているかい」
伝令役というよりは、国としてはもしかしたらこういう情報が欲しかったのかもしれない。そのことに、わたしは何となく気がついてきていた。
「存じてはおります。話したことはありませんが、以前からべリス家の屋敷に出入りしていたマルタという娘です。べリス当主は詳しいことはわたしには言ってきませんでしたが、おそらくタタレドの重鎮の娘かと」
わたしが20代になってから、次第に元旦那様は屋敷に堂々と女性を連れ込むようになっていった。実はそのくらいの時期から元旦那様との交渉はほとんどなく、子どもができる可能性は限りなく低い状況が続いていた。
「やはりそうなのか」と陛下は少し真面目な表情を浮かべる。
「国境にはトラッドソンの検問所があるはずだが、タタレドの者たちは正規のルートで入ってきていたのだろうか」
陛下は何かを確かめるように尋ねる。疑問というか、確認のように聞こえた。
「おそらくは。タタレドは商売の国です。ヴァルバレー国内では流通のない物も多く取り扱っていますので、トラッドソン家当主は外部からの人間が国境を超えることをそこまで厳しく制限しておりません。トラッドソン領は貿易の拠点のような形を理想として、開けた街として作られていますので」
タタレドからすれば自国内で物を売るよりも、トラッドソン領で売る方が儲けが出る。トラッドソン領の者は様々なものを得て便利な生活ができる。また、タタレドの者たちに宿や食などを提供して生活資金を得ている者も多いのだ。
陛下は頷きながら話を聞いて、また口を開く。お互いに何の話をしたいのか意図が汲み取れるために話が早い。
「理想としては悪くない政策ではあるが、それこそ9年前、君が婚姻を結んだ時のべリス家のように、領地を乗っ取ろうとする勢力が現れることも考えられるだろう。その度に娘をやるわけにもいかない。その対策はしてあるのかい」
それは当然の疑問だった。外への門戸を開くということは、治安も悪化するし侵略のリスクも高くなる。その対応策がなければまた同じことが起きるかもしれない。
「当主もそこは悩んでいたようです。結局長らくリスクをとるやり方を続けていたようですが」と前置きをする。父上はリスクを甘く見すぎる傾向があるとわたしは思っている。
「実はトラッドソン領に入るタタレドの者たちはすべて、べリス家が取り仕切っているのです。トラッドソン側の検問よりも詳細にトラッドソン領に入るタタレド人を把握し、その者たちがトラッドソン領でべリス家よりも力を持たないようにコントロールしていたようです。表立っては分からないようになっていると思いますが、タタレド人はべリス家の統制下でしか商売ができない仕組みになっているのが現状だと思われます」
これは、わたしが嫁いでから知ったことだった。タタレドからの全ての人や物は、べリス家に管理されているらしいことに、わたしはべリス家の内部にいて気がついた。
表面上はただの武骨な乱暴者のように振舞っているべリス家だけれど、実はかなり計算高い。リスクを背負っていたトラッドソン家は知らず知らず、ある意味ではそれに助けられていたということになる。ただそれに気づかない内に、べリス家は相当な力をつけてきているはずだ。
「それは……初耳だね」
そう言って、陛下はしばし黙り込んだ。わたしは何も言わずに陛下を待つ。明かりがチカチカとゆらめいて、思わず視線をそちらに向けた。
それまでテンポよく会話の応酬をしていたため、ふと訪れた沈黙は思ったよりも長く感じられた。
わたしは一度陛下に気づかれないように息を吐きながら、陛下の言葉を待った。




