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35 暖かさと熱さ

 ゆっくり、陛下の大きな手がわたしの背中をさすっていた。触れられたところからじわりと暖かさが広がる。


 たぶん、長い時間陛下はそうしてくれていたと思う。わたしはこんなに泣いたことがないというくらい泣いていた。どうしてか涙が止まらなくて、わたしは恐れ多くも陛下の胸に顔をうずめて泣いた。いや、わたしは陛下のお召し物を濡らしてはいけないと最初は距離をとっていたのに、途中で陛下がぐいとわたしの頭を押し付けたのでそういうことになってしまっていた。


 時々ティッシュで鼻をかみながらそうしているうちに、徐々にわたしの気持ちは落ち着いてきていた。

 陛下もそれに気づいてかわたしを抱いていた腕の力を緩めて、わたしの顔をそっと覗きこむ。酷いことになっているだろうなと思うと顔を見られたくはなかったけれど、さすがに拒否はできなかった。


「ひとりで抱えさせてすまなかったね」


 陛下はわたしの目を見ながらそう言った。わたしはすぐに「そんなことは」とそれを否定した。怖くてすぐに動けなかったのはわたしだ。そう言ったら、きっとその怖さを抱かせたことすらも陛下は悔やむのだろうと想像がついたから言わなかったけれど。

 そんなわたしを見て陛下は苦笑いのような表情を浮かべて、それからすぐに真面目な顔をした。


「体調はどう?」


「おそらくつわりは少し。ですが、今のところはそこまで問題はありません」


「そう」


 陛下は少し安堵したように息を吐いた。それから尚更真面目な顔になったのが分かった。


「君の妊娠の話は、しばらくの間は表に出したくない」


 陛下はわたしを抱きしめたままゆっくりとそう言った。すぐに公にできる話でないことは分かり切っていた。たとえ正統な王妃が懐妊した時だって、おそらくある程度の時期になってからでなければ王城内にすら公表されないはずだ。


「色々と整えてから、時期を見て公にしたいと思っている」


 わたしは「分かりました」と返事をした。

 むしろ、正式な関係でないわたしの妊娠を陛下はどう公表するおつもりなのだろうかと気になった。わたしのことを公表せずに世継ぎの誕生だけを知らせる可能性もあるかと少し思ったけれど、普通に考えればまずないだろうなと希望を抱くのはすぐに諦める。そんなことしたら各方面からの批判や不満が絶えないだろうと想像はできた。


 けれどわたしのことが公表されたときにも、わたしへの様々な声は間違いなく上がるだろうということも同時に思い浮かぶ。


 そこでふと、陛下が何の疑いもなくわたしの中に宿っているものが陛下の子であると受け入れたことに疑問をもった。


「陛下は……陛下の子だと、どうして信じてくださるのですか」


 無意識に、わたしはお腹に手を当てていた。まだ実感すらないけれど、陛下に認めてもらえたことで少し、ここにいるように思えた。

 陛下はそのわたしの手を見てから、わたしの言葉に少し面白くなさそうな顔をした。そんな顔もするのかと、わたしはちょっと驚く。


「違う人との子なのかい」


 表情と一致しているムッとしたようなその声は、少し子どもっぽく聞こえた。ただ事実、お腹に宿るのは陛下との子であって、誤解はされたくないという思いからわたしは慌てて首を振る。


「いえ、陛下としか、」


 そこまで口に出してから、恥ずかしいこと口走るところだったと気づいてまた慌てた。


「いえ、あの、……陛下の子で間違いありませんが……」


 わたしが言い直すと、陛下からは満足そうな雰囲気が滲んだ。



「そうだね、()()()()()()()()()()()()



 陛下はやはりわりと執着する(たち)らしいと、その言葉を聞いて改めて思った。

 陛下の満足そうな様子に、けれど陛下がいくらそう思っても外野からは信じてもらえないだろうというわたしの不安は過ぎる。


「……けれど他の方々にそれを信じろというのも、無理があるような気がいたします」


 わたしの不安が伝わったのか、陛下は満足気な表情を収めるとまた真面目な表情へと戻った。


「君とのことは見られないようにわりと気をつけてたし、かなり唐突には映るだろうね。けれどその辺りは私が対処するから、君はあまり心配しないで時期が来たら陛下に手篭めにされましたと言ってくれて良い」


 手篭めと言う言葉に、わたしはすぐに首を横に振った。手荒だったけれど、無理やりだったなどとは思っていない。

 わたしのその気配も陛下に伝わったようで、陛下は苦笑いを浮かべる。


「君も同意の上だったと?」


 それに直球で返事をするのは恥ずかしさから(はばか)られたけれど、どうしても伝えてはおきたくて、わたしは小さく頷いた。

 すると陛下はわたしの身体をまた抱き寄せて、少し離れていた距離をまたゼロへと戻す。それから、「ありがとう」とわたしの耳元で呟いた。


 気持ちが落ち着いてくると、今度は陛下に触れられたところが熱いように感じられた。

 ドクドクと自分の鼓動が聞こえて体温が上がる。経験したことのないその感覚に、思春期の恋愛ってこんな感じなのかなと陛下の腕の中で少し想像してみたけれど実際のところは分からなかった。


 陛下はわたしの胸中とは反対に、落ち着いているように見えた。やはりわたしのこの気持ちと陛下のそれは全く別のものなのだということをまざまざと感じて、少し胸が痛くなるのを感じた。


「とりあえずオグウェルトには伝えておきたいと思うんだけど、良いかい。君と私が表で話せるタイミングはあまりないだろう、何かあればオグウェルトを通して知らせて欲しい」


 わたしは「はい」と陛下の顔を見上げた。

 ウームウェル補佐官なら今までも相談に乗ってもらったり行動をともにしたりしているから、不自然さはないはずだ。陛下のもとを訪ねる際にも今までそのやり方できていて、そのことも外に漏れていないようなので、しばらくはそれを続けることになりそうだった。


「君は誰かに話したかい?もう医者にはかかったの?」


 また陛下は少し身体を離して、ゆるくわたしの腰を抱きながらそう聞いた。まるで恋人のような距離感がずっと保たれていて、わたしの心臓はそろそろ限界なような気がしていた。一方的な想いだと分かっているから尚更だ。

 わたしはわざとらしくならないようにと思いながら、陛下から少し身体を離してから口を開いた。


「わたしの侍女のニカという娘は知っております。あとはニカの知り合いの女医に昨日診察を頼んで、その際に妊娠6週と言われました。他は誰にも言っておりません」


 腰に巻かれた腕に陛下が先程よりも力を込めるものだから、少しだけまた距離が縮まる。またわたしの心臓は跳ねた。そろそろ勘弁してほしいとわたしは内心弱っていた。


 ただこの気持ちは絶対に出さないと、わたしは心に決めた。だから、表情は崩さなかった。


「今後は私の主治医に見せよう、いつも()()で待機している。ここか私の寝室で往診を受ければ情報は漏れないだろうから」


 あの門番のいる扉の内側である王族の居住区画に医者がいるということかと、わたしは驚く。王城内の医務室に医者がいることは知っていたけれど、陛下を診る医者はそれとは別にいるということらしかった。


 驚いているわたしに、陛下は「私が倒れたなんてことが医者の動きから王城内に漏れたらまずいからね」と付け足す。たしかに、きちんと考えればここはそういう場所である。

 初日から内側へと招き入れられたわたしは麻痺していたようだけれど、あの扉の内と外ではわたしが思った以上に違いがあるのだということを今更になって理解した。


 そして陛下は、しばらく何かを考えているような顔でわたしをじっと見ていた。ドギマギしながらも何ともない顔を繕って、わたしも陛下を見ていた。すると、陛下は自ら腕の力を抜いてわたしと距離をとる。

 ややその柔らかさが薄れて、陛下の表情は真顔に近くなった。

 その変化になんだろうとわたしも少し姿勢を直すと、陛下はそのまま切り出した。


「シエナ、べリス家当主の所へは別の者を行かせよう」


 わたしは、その急な話に目を見開いた。

 先程会議で決まったばかりのそのことを撤回など出来るはずがないのは明白だった。陛下が何をおっしゃっているのか瞬時には理解が追いつかず、わたしはすぐに返事をすることができなかった。

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