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32 雲の上と人払い

「あなたにやってほしいことは二つ。まずは揺さぶること。そして、取り込むことです」


 説明を続けたウームウェル補佐官の言葉は簡潔だった。十分に理解して、わたしはそれに頷く。するとウームウェル補佐官は更にそれを具体的にしていく。


「まずはマルタの不貞の疑いと、それが意味するタタレドの思惑について伝えてください。できる限り、べリス家当主が動揺する伝え方が良いと思います。その辺りはべリス家当主を知っているあなたにお任せします。あなただからこそできることでしょう」


 わたしは手に汗を握っていた。確かにそういう意味ではこの国の中で一番適役であろう。けれど、やはり自信はもてず不安にもなる。けれどやるしかない。さっきからわたしの頭の中ではこればかりが巡っていた。

 続けてウームウェル補佐官は、会議の場では開示されなかった情報をわたしに伝えてくれる。


「マルタの相手はタタレドの上位貴族の息子のようです。ロレンゾ・オルドネスという。……こちらも大臣の息子らしいですが、べリス家当主と比べたら間違いなくタタレドの中では重要なポストにいるでしょう。身分からしても、べリス家当主よりもそちらがマルタの本命と思って良いかと」


 その話に間違いがないとするのならば、マルタは本当に間諜としてべリス家に派遣されているのかもしれない。わたしはようやくそう思い始めていた。

 マルタの相手が位の低い男性ならば単純に慕情から逢瀬を重ねているだけの可能性も考えられたけれど、上位貴族の子息がなんの理由もなしに他国の家の妻と頻繁に会ったりしないだろう。


 その男性側ではマルタが他国で婚姻を結んでいることを良く思わないのではないかという気もしたけれど、べリス家当主との婚姻自体をタタレド内では作戦のためのカモフラージュととらえている可能性もあるなと思った。


 わたしが頷きながら話を聞いているのを確認して、ウームウェル補佐官はまた口を開く。


「それからもう一つの、取り込むことですが……。こちらは最悪失敗してもかまいません。揺さぶりをかけてタタレドとべリス家の関係を悪くできればとりあえずの目的は達成です。ですが、取り込むこともできれば今回の戦争の危機はほとんど乗り越えたと言えるような状況になると思います。その場で交渉成立とはいかないかもしれませんが、取り込む際にべリス家当主が要求するものなどがあれば『検討します』と答えてもらってかまいません。その後はこちらで調整と交渉をしますので」


 自分が何をするべきなのか掴みきれず漠然とした不安に取り巻かれていたわたしにも分かりやすい説明だった。

 つまりは揺さぶりをかけてタタレドとの関係にヒビを入れ、その上でべリス家当主にヴァルバレーにつけばメリットがあると思わせて取り込みたいということだ。


 べリス家当主は土地や権力が欲しいと、そう思って過去にはトラッドソン領の乗っ取りを考えた男である。おそらくある程度の要求は飲むことにはなるだろうけれど、ヴァルバレーとしては権力を持ちすぎないようなラインでの妥協と、今後べリス家と対立しない関係を作っていくための礎となる何かを見せる必要がある。


 九年前のわたしの婚姻も、その関係を作っていくための一つだったはずだった。それに思い至って、自分の情けなさに重たい気持ちが顔を出していた。


 けれど、今わたしの中のそれに浸っている時間はない。


「わかりました。とりあえずは保留にして帰ってくればよろしいということですね」


 わたしが気持ちを切り替えつつ確認すると「そうです」とウームウェル補佐官は頷いた。それから補佐官はちらりと陛下の方に視線を向けた。わたしもつられて、陛下へと視線を移す。


「陛下、それでよろしいですね」


 ウームウェル補佐官がそう確認すると、それまで黙っていた陛下は「ああ」と頷いた。いつもよりもトーンが低い気がしたけれど、会議中もこんな雰囲気ではあるしと、そのことはあまり気にはならなかった。

 陛下が続けて何かを言うのかどうかと窺って、ウームウェル補佐官もグランデ将軍も何も言わない様子だった。


「……君には負担をかけるけれど」


 陛下は少し黙った後にわたしを見てそう言った。「いえ」とわたしが首を横に振ると、そこにグランデ将軍が言葉を挟む。


「ユーノルドは心配してましたがね、娘には政治経験がないと。その辺りはまあ、度胸はありそうだし大丈夫かとは思いますが。……しかし相手もやり手ではあるでしょうが」


 グランデ将軍は「陛下がシエナ嬢の働きを心配している」という風に陛下の言葉をとらえたようで、そのフォローを入れてくれたという様子だった。グランデ将軍もある程度わたしを認めてくれているらしいことが伝わる。


 しかし、それを聞いて陛下は「いや」と口を開いた。


「そこは心配していない。伝令役ならそれなりにやってくれるだろうとは思っている」


 陛下のそのグランデ将軍への返答に、わたしは自分の体温が上がったのを感じた。陛下がわたしを見ていなくて良かったと思う。何を以てそう考えてくれているのかは分からなかったけれど、陛下に認められているような感覚は、身体の中をざわりとさせた。


 明後日には、わたしは一度トラッドソン領に戻る。そして大きな任務を果たしに、九年間を過ごしたあの家に行くのだ。元旦那様にはできれば二度と会いたくなかったけれど、これは仕事だ。


 陛下もわたしのことを信頼して任せてくださっているのだと思うと、少しは前向きに思えた。


 陛下のその言葉にグランデ将軍はやや安堵したように頷いた。一区切りの雰囲気に、ウームウェル補佐官は「任命はいかがいたしますか」と別の話題を陛下に振った。



「『トラッドソン領調整役』で良いと思うけれど、何か異論は?」


 陛下がわたしとグランデ将軍を見る。「ございません」と将軍が言ったので、わたしも「わたくしもございません」と続けた。すると陛下は頷いて、「それでは」と立ち上がった。グランデ将軍とウームウェル補佐官もその場で立ち上がって、わたしも内心慌ててそれに続く。


『トラッドソン家伝令役』の任命は登城初日に謁見の場でなされたけれど、それと同じようなことを今ここで行うということらしかった。

 陛下はソファから離れて広い空間へと出る。わたしもウームウェル補佐官に誘導されて、陛下の前に膝をついた。初日の謁見の場ではかなり遠い距離のままで陛下と話したけれど、今回はとても近かった。


 儀式的な空気を感じて、わたしの緊張は高まった。グランデ将軍もウームウェル補佐官もわたしに対して温和だけれど、何か粗相があってはいけないという気分になってじわりと鼓動が早くなる。


 するとふと陛下が息を吸った音が聞こえた。



「シエナ・トラッドソン。君をトラッドソン領調整役として任命する」


 よく通る声だった。淡々としていて、けれど国王としての堂々とした響きもあった。気安くわたしに声をかけてくれる、いつものそれとは違う声だ。


 わたしはその声に、陛下の立場を思い知ったような気持ちになった。近くにいたいなんて、思って良い人ではないと分かっていたつもりだったけれど。やはりわたしにはほど遠い、雲の上の人なのだ。



「謹んで、拝命いたします」



 反対に、わたしは声をつまらせそうになりながらそう応じた。


 それから、()()()()()()()()()()()()()と思った。隠したままトラッドソン領に戻るわけにはいかない。

 わたしは膝をついてうつむいたその姿勢のまま、「陛下、お願いがございます」と硬い声で発言の許可を求めた。


 そうすれば陛下は「なんだい?」と今度はやや気安い声でそう言ったけれど、わたしはそのままの声と姿勢で答えた。


「少しだけ、人払いをお願いできないでしょうか」


 二人だけで話す時間をくれと、わたしは陛下に対してそう言った。


 グランデ将軍が「え?」と面食らったような声を漏らしたのが聞こえて、このお願いが大それたことであることを改めて実感した。普通は国王陛下と二人きりになどなれないのだ。わたしのような立場では。


 しかし陛下は全く動じたような雰囲気にはならず、「わかった」と返事をしてから「オグウェルト」とウームウェル補佐官に声をかけた。

 ウームウェル補佐官は困惑しているグランデ将軍に「それでは行きましょう」と声をかけたようだった。わたしは顔を上げずに、じっとそのままでいた。


「陛下、失礼いたします」


 ウームウェル補佐官とグランデ将軍がそう言って執務室を出たのは音で分かったけれど、わたしはここからどう切り出そうかと考えていて、その姿勢を崩せなかった。

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